第48話「恍惚の緑」

 ――いきつけの喫茶店があるから、そこのお姉さんに相談しようか?

 風子はコスプレを回避するために、カフェ係――奥の方で飲み物を準備する係――になんとかすべりこませてもらっていた。

 喜びも束の間、こういった準備はなかなか難しいことに気づいたのだ。なけなしの資金を前にして、どうやって喫茶店の準備をするか、どうすればいいのかわからず、ため息をつくばかりだった。

 それでも、緑が教室の真ん中でニヤニヤしながら部隊の工業用ミシンを縦横微塵に使って、コスチュームを作っている姿を見ると、この係りでよかったと安堵する。

 よくわからない耳や尻尾が服についているのを見たからだ。

 土曜日の午後。

 そんな緑はミシンをガタガタ回しながら、次々に指示をして場を仕切っていた。

 彼女は学生長の宮城京ミヤギキョウや、コヤンキーの松岡大吉マツオカダイキチを手足の様にうまく使っていた。そして、他の男子も顎でこき使い、看板を作らせたり、内装を作らせたりしていた。

 内装は中世の廃城を意識したものだった。

 ドラキュラ伯爵がでてきそうな雰囲気にしろ、と緑は彼らに命じている。

「宮城君、もっと看板は、毒々しく」

「はい」

「松岡君、内装は無駄にごちゃごちゃしないようにして」

「はい」

 いつのまにか絶対服従の主従関係ができていた。

 そんな教場を抜け出し、風子は香林坊から少し離れた場所にある喫茶店に足を運んでいた。

 真田鈴のツテで必要なグッツを貸し出してくれるところを訪問しているのだ。

「あ、ここなんだ」

 そう呟いた男子を風子はジロッと見た。

 男子のカフェ係、上田次郎だった。

「知ってる?」

「あ、うん……ちょっとね……あー、サーシャも来たことがあるはずだよ」

「サーシャ? たぶらかしてデートでもした?」

「んな、たぶらかしたって、たまたまだよ……たまたま」

「男女二人でお茶とか二人きりで歩いているなんていったら、そりゃ、デートでしょ」

 風子もやめた方がいいとわかっているのだが、ついつい次郎には攻撃的になってしまう。

「違うって」

 次郎がそう言った後は互いに黙ったまま、店の階段を登っていった。

「こんにちは」

 白いシャツにほっそりとした黒いパンツ。

 赤い縁の眼鏡の女性が声をかけてきた。

 バイトの女性。

「あら、今日は金髪の子はいっしょじゃないのね」

 と笑顔で一言。

 風子はまず、格好が良すぎる女性に目を奪われ呆けた顔をしていた。だが、その言葉が次郎に向けられたものだと気づき、表情を曇らせる。

「店長に聞いたわ、準備しているから」

 赤縁眼鏡の女性がそう言うと二人を手招きした。

 奥に行くと、赤縁眼鏡の女性と同じような服装をして、濃い茶色のエプロンをつけた女性が現れる。

 店長の桃子だ。

 それから風子と次郎は店長と赤縁眼鏡の女性から、手書きのコーヒーや紅茶の入れ方マニュアルを受け取った。

 少しだけレクチャーを受ける。

「いいんですか、こんなに高そうなものを」

 風子が驚きながら貸し出してくれる器材を手にしたまま桃子に尋ねた。

「気にしないで、前、お店が大きかったときに使っていたものなの……私が継いで、今みたいに小さい店にしてからあまり使わなくなったものだから」

 数年前はケーキ屋と喫茶店が複合した大きなお店だった。

 だが、桃子が引き受けてからは、隠れ家的でお客さんを大切にするような店を目指しているという。

「あの、おいくらで……」

 少し緊張した面持ちで風子が尋ねると、桃子はにっこり笑顔で答える。

「高校生からお金を取るつもりなんてないわ」

「あの、何かお礼だけでも」

「佐古君や小山君に飲みに来てもらうことでチャラにするわ、最近ご無沙汰しているし、ちょうどいいから、そう伝えて」

「は、はあ」

 佐古君と小山君と言われても、風子の頭にふたりの顔は浮かばない。

 あくまで、中隊長と先生でインプットされているからだ。

「鈴ちゃんとか晶ちゃんにも」

 風子は考える。

 真田中尉は学生の間でも、鈴ちゃんと裏であだ名をつけている。

 晶ちゃんがあの颯爽姐さん日之出中尉とは気づかない。

 わからないが、とりあえず頷いた。

「それだけでいいんですか?」

「うん」

 笑顔で応える桃子。

「ありがとうございます」

 そう言うと、風子と次郎は深々と頭を下げた。

「いいの、私も学校祭は顔を出すから、楽しみにしてるから、その時タダで飲ませてくれたらうれしい」

 桃子はそう言いながら微笑む。

 風子はなぜかその笑顔がとても幼く、自分たちと同年代に見えた気がした。



「ああああ、狐耳できた、狐耳、サーシャの狐耳、かわいい、かわいい、ああああ」

 そんな不穏な言葉を吐きながら、ゴツイ工業用ミシンを唸らせていた緑。

 そんな音や声が響いていた教場だったが夕暮れ前の今はひっそりしている。

 風子は一人、いわゆるゴスロリと言われる衣装を手に取り、鏡の前でそれを体に当てていた。

 誰が着るためのものかは知らないが、なんとなく気になったのだ。

 そして、絶望した。

 ――絶対に似合わない。

 どう考えても、風子にこれが似合うとは思えなかった。そして、もしこれを着て「いらっしゃいませご主人様」なんて台詞を吐く自分を想像した瞬間、鳥肌が立った。

 だが、それはそれで、女子力ってものが負けた気もする。

 彼女はおずおずと上着を脱いでそれに袖を通してみることにした。

 カチューシャらしきものを頭に乗せる。

 くるり。

 鏡の前で回転してみた。

 ついでに、スカートの裾を持ち、お嬢様的な礼をしてみる。

 なんとなくお約束の動作だからしてみた。

「むう」

 彼女はこんな所を人に見られたら、きっと恥ずかしくて声も出せなくなって、一目散に逃げてしまうんだろうと思った。

 もう一度鏡を見るが、やはり似合うとは思わない。

 彼女はため息をついて、クルッと回ってみた。

 スカートの裾がふわりと浮く。

 回転が止まると、スカートの裾がゆっくりと元の状態に戻り太もも付近にパサっと触れる音がした。

 風子の表情が変わる。

 回転した時に、さっきと違う風景があったことに気づいたのだ。

 首をぐいっと後ろに向け、サーと血の気が引くのを感じる。

 教場の入り口に人影があったからだ。

「あ」

「あ」

 彼女と同時に同じ音を出したのは次郎だ。

 間髪を入れずに彼女は予想していた行動と別のことをしていた。

「何、チラ見してるんだゴルァ!」

 風子は手元にある、三〇センチぐらいの角材を投げつけた。

 阿呆な顔をしたままの次郎は一瞬真顔になり、慌ててそれを避ける。

「あ、危ない! 当たたったら、まじ、下手すりゃ死ぬって」

「のぞき! 変態!」

 きっと、この短いスカートだ。

 クルッ、フワッとした時にパンツを見られたかもしれない。

 そう思うと、彼女はだんだんと頭に血が上っていった。

「中村が勝手に着替えてただけだろ、ここはみんなの教場なの」

「変態!」

 風子はまるで、憧れの服を人に隠れて着ているみたいだと思った。

 そんな自分がとてつもなく恥ずかしくてしょうがない。

 二人の間に沈黙が流れる。

 つらい沈黙だ。

 その沈黙を破ったのは悲鳴のような歓喜の声だった。

「きゃあああ! 似合ってる、似合ってる!」

 一瞬にして、風子はまた全身に鳥肌を立てた。

 まるで邪魔な障害物のように次郎を押しのけて教室に入って来た緑。

「実はね、これ、ふーこちゃんのために作ってたの!」

 ニコニコ顔の緑。

 鼻息は荒く、ずいぶんと興奮していた。

「ほら、これとか、うん、やっぱり合う合う」

 緑はそう言いながら、風子のまわりをぐるぐる回り、腰にぶら下げているバックからいろいろなゴスロリパーツを出す。そして、直立不動の風子をどんどん着飾っていった。

「あわわわわ」

 風子は情けない声を出しながら、恐怖に打ち震えている。

 と、その時だった。

 ガチャ。

 ドン。

 次郎が緑に引き続き、また新たに突き飛ばされた。

 入り口に立っていると、邪魔なのだ。

「抜け駆け、ダメ!」

 サーシャだった。

 仁王立ちである。

 挑戦的な眼差しで風子を見据えるが、一瞬にしてそれが恐怖に変わる。

 その視線の間に立ちはだかるように緑が飛び込んでいた。

 キラキラした目をしながら鼻息が荒い緑。

「ほら、サーシャちゃん! ふーこちゃんに対抗するためにも、この衣装! ほら、着て、着て! お願い!」

 大興奮。

 彼女の声がいつもより一オクターブ高い。

 ふわり取り出した衣装。

 狐耳のカチューシャ。

 白い巫女服。

 しかもミニ。

 緑の趣味、その闇は深かった。

「い、いや」

 ずん。

 緑がニコニコ赤い顔をして、サーシャに息が届くほどまで距離を詰める。

「着て」

「ひっ」

「着、て」

「う、うん」

 一瞬にして、緑の趣味の犠牲者になるサーシャ。

「ね、きっとかわいいから! 上田君なんか目じゃないぐらいに、男子の目を引くから! 着て、着て、お願い、着て、今着よ! 今!」

 後ずさるサーシャを壁際まで追い詰めつつ、緑は衣装を押し付ける。そして、緑は訝しげな目を、教室に唯一いる男子に目を向けた。

 目が据わっている。

 声も低い。

「ねえ、女の子が着替えるのよ……わからない? 変態だってことに気づかないの」

 怖い。

 風子もできればこの場から逃げたいところだが、それより先には「ごめんなさ」と「い」を言い終える前に、次郎は教室から逃げていった。

「じゃあ、邪魔者もいなくなったし……」

 緑の恍惚とした目、夕陽のせいではなく、確実に瞳の奥が光る。

 風子とサーシャはなんともいえないドロっとした汗を流した。

 まさにホラーの世界だった。

 緑。

 なんて……。

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