第52話「いらっしゃいませご主人様」

「はい、上田君、よそ見しない!」

 厳しい口調で上田次郎を注意しているのは三島緑。

 彼女は二つ並べた椅子の上に仁王立ち。ついでに手を腰に当てている。

 現役軍人の『一中隊名物炭火焼き鳥焼きそば』やら『二中隊名物豚バララーメン』など仕込みが始まっているせいで、窓の隙間から食欲をそそる匂いが教室に入ってきていた。

「いーい! 敵は現役の出店、学生なんて目じゃないから! 私達がトップ! いい、一番! 一番じゃないと意味無いから! 気合入れて! つうか入れろ」

 手を腰に当てながら口上を垂れる緑。

 そんな彼女が見下ろす先には、様々な『冥土』的コスプレをした面々。

 次郎の落ち武者、風子のゴスロリ、サーシャの狐耳巫女。

「まずは挨拶から!」

 緑が右手を高々と上げる。

 その右手には扇子が握られていた。そして、スナップを効かせて手首を振ると、パッとその扇子が開いく。

「はい! いらっしゃいませご主人様から!」

「「「いらっしゃいませご主人様」」」

 一斉に頭を下げるコスプレ女子一同。

「はい、もっと気合を入れて!」

「「「いらっしゃいませご主人様!」」」

 緑は、パッと扇子の先を狐耳巫女に向けた。

「サーシャ! 声が小さい! 日本に来たんだから日本のシキタリに従う!」

「う、はい」

「声が小さい!」

「はいっ!」

 さすがのサーシャも緑にはたじたじである。やはり、あのネズミ事件以来、力関係が決定していた。

「もっと頭を下げる!」

「はいっ」

 サーシャはその無駄に短いスカートを気にしながらお辞儀をする。それを見て、少しだけ緑の口の端が上がった。

 服の製作者は緑である。

 そんな狙いもあったのかもしれない。

 次郎はそんなサーシャを見ながら、不思議な感じがした。

 だいたい、あのサーシャがである。

 いきなり殴られたり、目潰しくらったり、とび蹴りを次郎にくらわせた女の子がである。

 そんな彼女が狐耳の何かを頭につけ巫女服を着て頭を下げているのだ。

 ――ロシア貴族の誇りはどこいった?

 次郎はそうツッコミを入れたかった。

 ――そもそも巫女服だよ、巫女服、異教徒の宗教指導者の姿をして、あれだろ、貴族だったら、ばりばりのロシア正教徒じゃないのか。

 なんて、彼がチラッチラサーシャを見ていると、隣のゴスロリ娘に小突かれ……いや、グーパンされた。

「最低、サーシャのお尻ばかり見て、気をつけてサーシャ、後ろの変態がジロジロ見てるから」

「な……」

 慌てる次郎。

 確かに彼はつい見せそうで見えないその部分を気にしていた。

 むらむらしていたのも事実である。

 だが、見えていないのだ。

 ――見えてはいない、ってことは見てないのと同じ。

 そう叫びたい心を落ち着ける。

 なにせ風子が相手である、次郎としても波風をたてたくない。

 すると、サーシャがくるっと後ろを振り向く。

 スカートもふわりと浮いた。

「ふーこ、大丈夫! 今日は見られてもいいパンツだから」

「「な……」」

 あんぐり口を開ける二人。

 ドンッ。

 緑が立っている椅子が踏みつける音がした。

「そこっ! 無駄口叩くな、つうか上田君邪魔」

 パシッと扇子を閉じ、ピッとその先端を次郎に突きつける。そして、すぐに扇子を開き挨拶練習に戻った。

「ありがとうございましたっ! はいっ!」

「ありがとうございました、ご主人様」

 緑が腕を組み、そして頷く。

「次! 男子! いらっしゃいませお嬢様」

 男子達が一斉に口を開き、そして頭を下げる。

「いらっしゃいませ、お嬢様」

「そこのハゲっ! 気合入れろ!」

 ハゲ。

 落ち武者スタイルの次郎のことである。今日はそういうカツラを被っているため、雑に呼ばれるとそうなのかもしれない。

「はいっ! いらっしゃいませ! お嬢様!」

「叫んでも意味がない! 女の子相手なんだから、もっと紳士に」

「はいっ! いらっしゃいませ、お嬢様ー」

「つうか、なんで松岡君がまざってるの!」

 また閉じた扇子を鋭く突きつけると、その先には女子の浴衣に猫耳と三本の尻尾をつけた松岡大吉が不機嫌な顔をしている。

「いや、俺男子だし」

 くわあ! と変な声を出しながら頭を抱える緑。

「わかっちゃねえ」

 緑は眉間に皺を寄せ目を閉じたままそう唸った。

「なんのために、時間かけてそんな女の子女の子した化粧してやたって思うのよ」

 こめかみに血管を浮かせて怒っている。

「いや、それはお前ら女子が俺を無理やり」

「男なら覚悟しなさい」

「いや、覚悟って」

 ばんっ。

 緑が椅子を飛び降りる。

 そして、大吉の顎に扇子の先を押し付け、ぐいっと押し上げた。

 大吉の薄ピンク色の唇がわなわなと震える。

「あなたは、今日一日女の子なの」

「お、俺は、だいたいなんで女装なんか」

「あなたの衣装作るの忘れたから、私が着る用に作ったの渡してやったの! 私と背の高さとか同じでしょ、それにかわいい顔をしているんだから、お似合い! そう、むしろ喜んで欲しい、つうか感謝しろ」

「なんで、そうなるんだよ」

「ああん?」

 ペシペシ。

 扇子で大吉の顎を叩く緑。

「バラすけど」

 つけまつ毛をした大吉のパッチリした目が高速で瞬きをする。

「風子ちゃんの……」

「……は、はい、わかりました、マスター」

「聞こえない」

「マスターのおおせのままにぃ」

「よろしい」

 緑はそう言うとクルッと踵を返し、椅子の上に立った。

 どうも、大吉は弱みを握られているようだ。

「よし、宮城君、もっとダンディーに、せっかくイケメンなんだからもっと自信もって」

 そう言われた宮城京ミヤギキョウは、その長身とイケメンさを生かしてドラキュラの格好をして、女子相手の最終兵器といった位置づけだ。

「いらっしゃいませ、お嬢様」

「いいよー、いいよー、もっと色気出していこうかー」

「いらっしゃいませ、お嬢様」

「エロい、そしてカッコいい、すばらしいよ宮城くん」

 もうなんだかわからないキャラになっている緑である。

 そんな感じで早朝から気合を入れ、開店の時間を迎えた。

 客入りは上々。

 学校外の中高生は冥土喫茶の前に立つ女の子達の奇抜な服装に惹かれたのかもしれない。

 だがそれだけではない。

 教室の前を通ると、珈琲焙煎機から立ち上る香りに包まれるのだ。この香りに惹かれて入った客も多い。

 喫茶店の様々な器具の使い方を教えた橘桃子もジーンズにTシャツという姿で現れ、店の奥でがんばっている学生を見てにこにこしている。

「うちでこのままバイトしてもらってもいいんだけど」

 彼女がそう言うと、真田鈴が困った顔をする。

「バイト禁止なんです、すみません」

「わかってるわ」

 そう言っていたずらっぽく桃子は笑う。

 ――だって、ここにいたんだもの。

 声に出さず、そう口が動いていた。

「すっごくかわいい」

 ばたばたと動く男子と女子を見て、桃子は微笑んでいる。

「いらっしゃいませ、お嬢様」

 頭を下げる次郎に対し、桃子は隠すことなく笑い出す。

「面白い、変な格好」

「笑いすぎです、店長さん、これは落ち武者の格好で」

「肩に矢が刺さってるし、ふふ」

「飾りです」

 彼は少しむすっとしてしまう。綺麗なお姉さんに馬鹿にされるのは少し我慢できない。さっきまで、小さな子供相手にその矢を抜かれそうになったり、甲冑をはがされそうになったり、と散々な目にあいながらもがんばっているつもりだったから、なおさらなのだ。

「じゃあ、珈琲お願い」

「かしこまりました、お嬢様」

「ふふふ、お嬢様とか、恥ずかしい」

 コスプレのせいか、男子はからかわれ、女子はどう見てもナンパみたいなことをされているのもいる。

 声をかけやすい雰囲気であった。

 中村風子はゴスロリ姿をいいことに、無表情のまま感情を込めていない。

 淡々とてきぱきと接客をしている。

 いつもと違い、黒髪ロングのカツラを被っているせいで、雰囲気意がまた違うが、いつもの腐ったマグロの目はしていない。

 本人なりに遠慮をして、今はやるべきことをやっているのだろう。

 これはこれで、大きなお友達に人気が出ていたりする。

 冷たい感じがまたよろしいという男もいるようだ。

 そんな中でもひと際目立つのがサーシャだった。

 彼女は、とても素直に、そして上品に接客をしていた。あの、サーシャがである。

 小さな子供には優しく。中高男子にも上品に、相手の視線が巫女服の胸元やスカートの裾に行こうがお構いなく相手をしている。

 そんな中、サーシャの目の前に立ってはいけない人間が現れたのだ。

 じっとサーシャを見据える青い目。

 外の学校の制服を着た男子高校生がテーブルに座ったため、サーシャがお盆にお冷とおしぼりをのせて、注文を聞きに行こうとした時だった。

 彼女の目の前に彼女と同じ色の髪の毛と同じ色の男、そして白い詰襟の軍服――ロシア帝国海軍夏制服――を着た男が現れた。

「ミ……ミハイル」

 男は硬直してしまったサーシャに近づくと短く、そして強く耳元で何かを言った。

 ロシア語だったため。次郎は聞き取れない。

 侮辱の言葉だった。

 ミハイルという海軍軍人がその場を去ると、サーシャはわなわなと肩を震わせ、次郎を睨みつける。

「五秒以内に、この盆を受け取りなさい」

 彼女は五秒以内と言いながら、今にもお盆を地面に叩き付ける様な剣幕だった。そのため次郎は慌ててお盆を持つ。

 だいぶ彼も理不尽耐性がついているのかもしれない。

 サーシャは、くるりと一八〇度回った。

 巫女服のミニスカートの裾が、あれが見えないぎりぎりの線で膨らみ、そして閉じた。

 狐耳は尖がった感じである。

「(むかつくっ!)」

 彼女はロシア語でそう言った。だが、次郎には、はっきりと日本語でそう聞えていた。

 彼は何か抗議でもしようかと、口を開けようとしたが、横から覗いた彼女の目には涙が浮かんでいたため口を閉じる。

 しょうがなく、制服男子高校生の元に落ち武者の次郎がお冷を運ぼうとすると、猫耳浴衣尻尾付の女子が横に来た。

「貸せ、お前はサーシャのところに行け」

 盆を盗み取るようにして受け取った大吉は力強いウインクをした後、ニッと口の端を上げた。

 踵を返し、サーシャがお冷を運ぼうとしていた相手の男子高校生の方に歩みを進める。

 次郎はその大吉の後ろ姿に漢気オトコギを見た。

 涙目の女子を放って置いては男がすたるじゃねえか、そう背中が言っていた。

 三本の尻尾がひょこひょこと揺れていたが。

「いらっしゃいませご主人様」

 大吉は、少し恥ずかしそうに裏声を出し挨拶をする。

 男子高校生も少し恥ずかしげに「ど、どうも」と受け応えをしてメニューを見た。

 大吉。

 こんな女子力を隠していたとは、次郎もびっくりである。

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