第27話「無敵! シビリアン教師」

 綾部は周りの兵隊達を挑発する。

 するとすぐに、場の雰囲気で熱くなってしまうような少々オツムの弱い兵隊が彼に殴りかかっていった。

 右ストレートをすり抜けるようにして懐に飛び込み、顔面に頭突きをする。

 そこから乱闘が始まった。

 次郎はあまりに低レベルな理由で綾部が介入したことを知ったため、助けてもらった恩義も忘れ冷たい目を向けている。

 わーわー言い合う兵隊達を尻目にペタンと座っている大吉のところに行き、とりあえず離れよう係わり合いにならないようにしようと、目で合図して道場の端に向かった。

 その時だった。

 熱風の塊がゆったりとした足取りで次郎達とすれ違ったのは。

 次郎も、大吉圧倒的な熱量に振り向いてしまう。

 筋肉が動いていた。

 スーツの上着を剥ぎ取る。

 はち切れそうな白いシャツが不憫に思えるぐらいの筋肉。

 筋肉スーツのおっさんが綾部に群がる兵隊を右手で剥ぎ取る。

 ポイっと投げた。

 また別の男を左手で剥ぎ取り、ポイっと投げる。

 まるで、草むらの藪こぎをしているかの如く、淡々と進んで行く。

 そして、目標にたどり着くと、プロレス技をかけたままの綾部の顔面を蹴った。

 鈍い音。

 その瞬間、取り巻きの兵隊が固まった。

「ふん」

 筋肉おじさんのシャツはネクタイを巻いているにもかかわらず、第三ボタンまで弾け飛んだ。

「人が、窮屈な服を着てイライラして、憂さ晴らしにでもと来てみれば、なんだこのザマは」

「こ、小山先生」

 クロが恐れおののいた表情のままその言葉を漏らす。

 小山は普段ラガーシャツなど体育教師のような格好をしているが、今日は部外者対応などあったため、スーツ姿なのだ。

 ギロリ、クロを睨む。

「黒石……宿題やったか?」

 大の字で地面に倒れたままの綾部を蹴りながら、クロが幼い子供が怯えるような目をして小山を見上げた。

「今日の勉強会までにはやってこい……」

 一撃を食らうとビビッて目を閉じたクロ。

 さっきまでの威圧感たっぷりの彼はいなくなっていた。

「ところで……小谷!」

 ギロッと睨む小山。

「はいっ! 現在地っ!」

「バカモン! 俺はシビリアンだ、アホみたいに軍人用の返事をするな!」

「さーっせん!」

「黒石の訓練は止めだ! こんなとこで遊ばせないで宿題をやらせんか」

 小山は陸軍少年学校の教員であるが、ボランティアで部隊の現役達の勉強の面倒を見ている。

 特に中卒のクロといった連中に対してほぼ強制的に勉強を教えていた。

 強制で。

 ちなみに、出席率は高い。

「綾部」

 もう一度蹴る。

「バカヤロウはお前だ、人事の仕事がなんだって言うんだ……どうせ適当にやらかして、遊びに来たかっただけだろう、古巣に顔出していつまで大御所ぶってやがる! 貴様の居場所はここではない! 若い衆の邪魔をするな」

 言っている間もゲシゲシと踏みつけていた。

 動かなくなった綾部から目を離す。

 小山は場が凍るような恐ろしい目つきで、周りの兵隊を見回した。

「このクソ野郎ども! 見せものじゃない! 早く母ちゃんのおっぱい飲みに行くか、訓練するかのどっちかにせんかっ! このボケども!」

 一方次郎や大吉、学生たちは心からツッコミを入れていた。

 ――小山先生、いいんですか? 教師がそんな言葉使って。

 と。

 そして、兵隊達をぶちのめすこの筋肉おっさんは一体なんなんだと心から疑問に思った。

「返事!」

「了解!」

「バカモン! 俺は軍人ではない! 了解とかそんな返事をするなっ!」

「はいっ!」

「それでいい」

「はいぃっ!」

 硬直している兵隊たちを置いたまま、小山が次郎と大吉のところに近づいてきた。

「上田、なかなかいいな、経験者か?」

「はい、一応」

「悪くない」

「ありがとうございます!」

「松岡」

「はいっ」

「弱い」

「はいっ」

「だが、友達を助けにいった、そのオトコギやよし!」

「ありがとうございます!」

 小山が次郎と大吉の肩に、その分厚い左右の手のひらを乗せた。

 暑い、暑苦しい波動が二人の肩から伝わる。

「今度もう一度クロの野郎を相手してやってくれ」

「は、はあ」

「返事ははい、だ」

「はい!」

「あいつはすぐムキになるし馬鹿だが、根はいいやつなんだ」

 少し優しい顔になる小山。

 あくまで当社比だが。

「下の奴への面倒見もいい、それに勉強会も積極的に参加している」

「は、はい」

 次郎の返事を聞く前に振り向き、小谷を見据えた。

「水」

 そう指示をすると、綾部の前にドスンドスンと道場を揺らしながら近づいていき、持ってこさせたバケツを受け取る。

「綾部、邪魔だ、帰るぞ」

 完全に伸びて動かない綾部軍曹の襟をつかんで、ずるずる引きずっていく。

 出入り口のコンクリートの床のところまで来た。

「起きろ、ボケ」

 と言いながら頭に水をぶちまけた。そして、ついでのようにバケツで綾部の顔面を打ちつける。

 小山は振り返り、道場の出入り口で仁王立ちした。

 眼光鋭く兵隊達を睨む。

「大切な事を言うのを忘れてた、貴様ら軍人はすぐに理不尽なことしやがる……いいか、体力でひーひー言わせるのはいいが、理不尽なことはやめろ」

 道場全体を揺るがすような音量の声。

「俺の可愛い学生達に理不尽な指導をした者は、シビリアン代表としてぶちのめす……いいな」

「「はいっ!」」

 間髪を入れず返事をする兵隊達。

 気を付けをしたまま、微動たりともしない。

 小山は綾部をずるずる引きづりながら、道場を後にした。

 次郎は、さすがに綾部がかわいそうになった。

 正義の味方的ではなかったが、自分を助けてくれた。

 彼は引きずられる綾部に手を合わせた。

 ちーん。

 まだ意識はまだない。



 その後、小谷伍長は小山の言いつけをを守り、格闘をやめ体育に切り替えた。

 サーキットトレーニング。

 プッシュアップやシットアップ、それからスクワットジャンプなど、体全体を使う十種目を三周。

 手は抜けない。

 現役兵隊達とバディ行動。

 煽られるのだ。まず

 学生達の番だったが、兵隊達の怒鳴り声が鳴り止まない。

「もっと早く!」

「もっと確実に姿勢をとれ」

「手を抜くな!」

「下げろ!」

「跳べ」

「それでも独歩の学生かっ」

「限界か、限界は自分で作るもんじゃねえ」

 お陰で数人の学生がゲロを吐いた。

 次に兵隊達がする番。

 だが、学生が煽る方になると、さすがに年上の屈強な兵隊にそんなことを言える訳もなく淡々と行われる。

 ただ、大吉だけは調子に乗って、五つは上の兵隊に「手ー抜くなボケェ」とか余計なことを言ったため、後でバディでの整理体操で反撃を食らうことになった

 ストレッチ。

 前屈で膝を固定されたまま押しつぶされ、筋が切れるか切れないかの瀬戸際まで追い詰められた。

 大吉の悲鳴が響く。

 痛い。

 本当に痛いのだろう。

 大吉は半泣き状態。

 そんな中、一人の女子が悲鳴を上げる大吉を見ていた。

 グラウンドで悲鳴を上げたり、ふらふらになっている男たちを冷たい目で見ている女子達。

 その塊から、一人だけ離れて体操座りしているのがその女子だった。

 ――聞いてはいたけど、本当に西の人間は不真面目で馬鹿。

 じっと、男子の姿を睨んでいる。

 ――東とは違いすぎる。

 山中幸子ヤマナカサチコは、分裂して東と呼ばれている極東共和国からの留学生。

 黒く長い髪の毛をお団子にしてうなじの部分で纏めている。

 性格は冷静沈着、朱に交わらず、潔癖。

 それを現すような切れ長の目に薄い唇。

 東の人間が西に来ることでさえ珍しいのに、留学生になることなんて前代未聞のことだっが彼女は近年の『東西日本の雪解け』政策に合わせた交換留学生だった。

 上層部は本当の意味で草の根から友好関係を築くため、若くて優秀な人材を交流させることが目的だった。

 だが、往々にして現場まで下りると余計な意図や詮索が入り、本来の目的から逸れるような任務が付いてきたりするものだ。

 彼女の場合もそうだった。

 情報活動。

 陸軍少年学校に入り、末端部隊の状況を確認すること。

 レポートを纏め、週一回報告する任務が与えられていた。

 西の軍事力を解明する一端になることを指示されて来た留学生。

 その冷たい眼差しが、値踏みするかのように男子達を見ながら頭の中で報告資料を起案していた。

 ――西の男子学生は馬鹿。

 彼女はそう考えたが、さすがに報告資料に『馬鹿』はいけないと思い『資質が低い』に変えようと思った。

 ――西の男子学生は資質が低い。

 そう脳内変換していた。

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