第24話「レディーを前に下ネタはいけません」

 部隊実習初日の夕方、次郎達はマッチョな兵達に囲まれながら走っていた。

 汗臭い。

 周りの空気が汗臭い。

 彼が斜め前を見ると顎を上げ、口を大きく開けて肩で息をしている松岡大吉が走っていた。

 だいぶ体力的に参っているようだ。

 他の同期たちも荒い息で必死に集団から遅れまいとついていっている。

 男だらけ。

 女子は別。

 彼女たちは部隊の女性兵士達とトレーニングをしている。

 なぜ分けたのか、学生は疑問に思っていたが、ここに来てその理由がわかった。 

 下品なのだ。

 とにかく飛び交う言葉が下品なのだ。

 掛け声も励ましも罵声も下品な言葉。

 そういう世界で走っている。

 しかも彼らはただ走っているわけではない。

 馬鹿みたいな大声て叫びながらリズミカルに走っていた。

 よく、学校の部活動でみんなで走る時にやっている掛け声の軍隊バージョン。

 ――○○ー、ファイト、ファイト、ファイト、オールファイトー!

 みたいな。

 だがそんな綺麗なものじゃない。

 軍隊バージョンの掛け声。

 その内容は親などにはけっして聞かせられないような代物であった。

 ――内容はともかくとして、不思議とハイになる掛け声だよな。

 次郎は走りながらそれを実感していた。

 戦闘服のズボンにTシャツ姿。

 列を組んで走る一団。

 走るリズムに合わせて一人が叫ぶ。

 そうするとそれにならって他の者が雄たけびを上げるのだ。

「イチ! イチ! イチ! ニッ! 我ら!」

「「我ら!」」

「精強!」

「「精強!」」

「精鋭!」

「「精鋭!」」

独歩ドクホ!」

「「独歩」!」

「今日もっ!」

「「今日もっ!」」

「楽しい!」

「「楽しい!」」

「駆け足!」

「「駆け足!」」

「だったら!」

「「だったら!」」

「もっとー!」

「「もっとー!」」

「大きな!」

「「大きな!」」

「声を!」

「「声を!」」

「出して!」

「「出して!」」

「うらあ!」

「「うらあ!」」

「うらあ!!」

「「うらああ!!!」

「せいや!!」

「「せいや!!!」」

「まーだまだ」

「「まーだまだ」」

「声が」

「「声が」」

「小さい」

「「大きい!」」

「小せえ! てめえらのナニと変わらねえ! 小せえってんだよ! 小指だ小指!」

 さっきまで掛け声をかけていた者とは違う別の助教が叫ぶ。

「「大きい!」」

 走っている方も負けじと大声を出すが、罵声役の助教はもっとでかい声でどやしつける。

「聞こえねえ、なんだ声出さず、違うもん出してるんじゃねえか! このクソチェリーどもっ!!」

「「大きい!!」」

 学生もいっしょに走る若手の兵士も必死だった。

 オッケーが出るまで、永遠と走り続けなければならない。

「だったら」

 掛け声役の助教がリズムに合わせてはじめた。

「「だったら」」

「もっとー」

「「もっとー」」

「気合!」

「「気合!!」」

「入れてっ!!」

「「入れて!!」」

「このボケども、入れるのは気合だ! てめえのナニを入れるんじゃねえぞ!」

 よくわからないが罵倒役の助教の下ネタがナチュラルである。

「だああ!」

「「だあああああああああ!!!!」」

「うらあ!!」

「「うらああああああああ!!!!!!」」

 ハイになる。

 ハイというより、学生も現役の若手兵士も狂ったように叫んでいた。

 狂ったから走るのか、走ったから狂ったのか。

 ますます大声上げる。

 ますますハイになる。そして、言ってる内容がどんどん下ネタになっていく。

 女性には聞かせられるような内容ではない。

 しかも、こんな午前九時ごろに叫ぶ内容ではない。

 だが、自然なのだ。

 次郎はなんとも不思議な感覚に襲われた。

 この今にもゲロ吐きそうな顔をした若い男達が大声で叫びながら走る姿は。

 もちろんほとんどの学生はそんなことを考える余裕もなく、ただひたすら走っている。

 やっぱり自然だ。

 少なくとも、次郎や余裕のある学生はそう思っているが、端から見る方はそうは思わない。

 そして残念なことに、そんな汚い野郎共の声が、遠く離れたところにいる女子たちにも聞こえていた。

 ランニングを終え、休憩に入ってたむろしている女子たちに。

「最悪」

 呆れた顔で風子はつぶやいた。

「下品、だよね」

 そう言ってうなずくのは三島緑だ。

 風子は緑の言葉に頷くとともに、引きつった笑顔を汚い声が聞こえる方に向けていた。

「男に生まれなくてよかった、ほんと神様に感謝」

 そう呟く。

「男って、いつまでたっても男の子だからね」

 そう言って風子に笑いかけるのは、教官の真田鈴だった。

「軍隊って、ああいう男ばっかりでうんざりするけど、慣れれば『はい、よしよしいい子いい子』って感じになるから」

 鈴はランニング用の黒いハーフタイツに青色のショートパンツと袖なしのTシャツ姿、ちょうど休憩時間だったため、額の汗をタオルで拭っている。

 一方風子など女子学生達もいつものランニングシャツとランニングパンツである。

 そんな、いつもと変わらない体育服装も手伝っているのかもしれない。

 女子の方は部隊実習と今までの訓練の雰囲気が、今までとあまり変わらなかった。

 独立歩兵大隊、つまり歩兵職種の女性は少ない。

 女性がいるのは整備、通信、衛生ぐらいだから、結局教官陣もいつものメンバーである。

 ちなみに、女性将校の真田鈴や日之出晶、そして伊原真イハラマコトは歩兵と同様の第一線戦闘職種である騎兵――装甲車兵――だ。

 騎兵将校だけは女性に解放されていた。

 いつもと違うのは、二十歳前後の若い女性兵士が多めに混ざっているぐらいだろう。

 だから、女子にとっては少し気楽な感じがする訓練環境ではあった。

「サーシャ……ロシアもあんな感じ?」

 風子は隣にいる金髪娘にげっそりした顔を向ける。

「うーん、同じかな」

 サーシャは別に気を悪くするような表情もせず、さらりと答えた。

「軍隊、やだ」

 さらにげっそりした顔の風子。

「慣れればどおってことないよ」

 首を少し傾けるサーシャ。

 彼女はどうして風子がそんなにげっそりした顔をするのか理解できない。

 ロシア帝国は幼年学校制度があり、サーシャのような貴族はもっと幼い時分から軍隊に強制的に入れられる。

 貴族は国の為に身を捧げることを小さいころから叩き込まれる。

 風子はサーシャがそんなこと言っていたことを思い出した。

 しばらくすると、汚い大声と言葉がだんだん彼女たちの方へと近づいてきていた。

 なんだか、お祭りのお神輿が近づいてくるような感覚だと風子は思った。

「童貞ども! そんなゆるゆるの気合じゃー! 週末の休みもエロ本の姉ちゃんとしかシコシコしかできねえぞ! カスどもがぁ!!」

「「うらああああああああああああ!!」」

「気合いれろ童貞どもがああ!!」

「「せいやあああああああああああ!!」」

「てめえら! そんなハナクソみたいな気合じゃ罰として夜中の便所は閉鎖すっぞ!!!」

「「いやあああああああああああああ!!!」」

 学生と二十歳過ぎの若い兵士が半分ずつ、悲壮な叫びを上げている。

 たぶん、内容はよくわかっていない。

 ただひたすら走っていた。

 そしてただひたすら叫ぶ。

 ハイになっていきながら。

「てめえら、ふにゃちんぶらさげてんじゃねえ!!!」

「「おおおおおおおおおおおっす!!!」」

「気合入れておっ立てろっ!!!」

 その時だ、鋭い警笛がなったのは。

 ピッピッピッピッピッ。

 短音の連発。

 風子が振り向くと、颯爽と鈴と同じランニングウェアを着た背の高い女性が警笛を咥えたまま立っていた。

 もう一度激しい警笛。

 今度は長音一回。

 男達が、走りながらその方向を見る。

 次郎は、あこがれのお姉さん――晶――を見て、顔が揺るんだ。

 もう、そのキツイ眼差しがたまらないのだ。

 この少年……重傷である。

 ついでに、大吉もなのだが。

 それに、ランニング用のウェアーは体の線がはっきり見えた。

 そういう魅力もたっぷりな晶だった。

 むっつり次郎。

 むっつりレベルが上がった。

 晶は右足でバンッと音を立てながら踏み込み啖呵を切った。

「やかましい! レディー達を目の前にして、汚い言葉を吐くな!」

 大きな声を出すとハスキーな彼女の声は良く通った。

 男達が一気にしゅんとなる。

 次郎を含め数人の余裕ある若い子たちは「揺れた揺れた」と喜んでいるのを除き。

 ふにゅん。

 屈強な男達が一瞬で小さくなった気がする。

 レディって……ツッコミ満載の目つきで鈴が晶を見ている。もちろんバレないように。

 バレると怒られる。

 しかも怖い。

「わかればよろしい」

 腕を組んで仁王立ちのまま晶はうなずいた。

 男達の一団は静かに、そして逃げるようにして建物の角を曲がり消えていった。

「ガキ……あいつ」

 晶は罵声を浴びせていた助教――綾部軍曹――の後姿を睨む、そして吐き捨てるように言った。

「あーあ、怖い怖い」

 と鈴が言い。

「かっこいい」

 と風子と緑が目をキラキラさせながら見ていた。

「だいたいあの馬鹿、人事の事務仕事放って、なんで現場に居るのよ」

 ぶつぶつと晶の口からぼやきが漏れる。

「ほら、晶に誤字脱字で怒られたでしょ、あれのストレス発散じゃない?」

 鈴がニヤニヤしながら晶の脇をつつく。

「怒ってない、叱っただけ」

「同じだって、怒っても叱っても晶は怖いもん」

 キッと鈴を睨む。

 睨まれた方は、逃げるようにその場から離れる。

 腕を組んだまま、ため息をついた。

 そうやって彼女は感情をコントロールするのだ。

「ほら、次、ダッシュ十本、準備しなさい」

 晶は怒りを飲み込み、いつものクールな声で女子達に指示をテキパキと出した。

 綾部のことになると、ヒステリックになってしまう自分を少し情けなく思いながら。

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