第2章 皐月「訓練も最盛期ですが」

第23話「恐怖の部隊実習」

「痛い?」

「痛くなんか……」

 上田次郎が覗きこむと、中村風子は恥ずかしそうに顔を背けた。

「無理するなって」

「無理なんかしてない」

 次郎は手を伸ばし、布越しに彼女の肌に触れた。

「っつ……」

 ビクッと体が反応する。

「痛い? 大丈夫なら続けるけど……」

 次郎は風子の目を見て心配そうな表情をしている。そして、慣れた手つきで彼女の履いているものを脱がし、その露になっている部分を観察した。

「そ、そんなにじろじろ見ないでよ、変態」

「ば……違う、そういうつもりじゃ」

 彼女は慌てる次郎をジト目で見上た。

 しばらくして目を背ける。そして、諦めた様なため息をついた。

 次郎は見ることができないが、明らかに彼女の表情はさっきよりも柔らかくなっていた。

「本当に、痛くない?」

「……ちょっと、痛い、かも」

 彼女は顔を背けたまま、ぼそぼそっと呟くように答える。

 顔を上気させて、遠慮がちにその白い足を伸ばした。

「痛くしないでね」

「……保証はできないけど……なるべく痛くしないから」

「なるべく?」

「けっこう痛いかもしれない……」

「え、ちょっと」

「うまくできれば、ちゃんと破れるから」

「で、でも、上田君もするの初めてなんでしょ」

「……教えてもらった通りやるから」

 緊張しているのだろう彼は生唾を飲み込んだ。

「いくよ」

「んっ……」

 彼女の顔が苦痛に歪んだ。

「ご、ごめん」

「大丈夫……一回突き通したら、楽になるんでしょ……思いっきりやっていいよ、続けて」

 痛みのせいだろうか、少し潤んだ目で彼女は見上げた。

「うん」

「……っつ」

「入った……痛くない?」

「少しひりひりするけど……大丈夫」

 次郎の緊張した表情が緩む。

 肉刺マメの処置。

 糸を通した針で、中の体液を抜き、皮がすれて破けないように、絆創膏で固定する。

 ズル剥けてしまったら、歩くどころの痛みではない。一時の痛みは我慢してでもこういう処置をしたほうがいい。

 まだ、歩かなければならないのだから。

 肉刺との戦い。

 そんな行軍訓練はまだ続いていた。





 ■□■□■ 



「ま、僕はあの時のことを思い出したくないけど……」

「そ、そんなにやばいんですか?」

「二週間、たった二週間、すぐ終わるよ……終わってみれば楽勝だと思うけどさ、喉もと過ぎればアレだから」

 どっちなんだ、と次郎は言いたくなるのを堪える。

「ほんと勘弁してくださいよ……なんか襲われるとか、そんな噂、聞いたんですけど?」

 目に浮かぶのは、この駐屯地の別区画を怒号を上げながら走る筋肉集団。

 現役の兵隊というだけで、悪いイメージは広がってしまう。

 知らないことは恐怖だった。

「大丈夫、大丈夫、去年はそんな人いなかったよ」

「……そうですか」

「あくまで、去年の話だけど」

「そういう含みはやめてください」

 ははっと笑う潤。

「ほんとうにいないって、大丈夫」

 この学校の一年生は『洗礼』を受ける。

 部隊実習。

 四月からの一ヶ月は基礎体力をつけるような体育がメインの訓練だった。

 だが五月の前段二週間は独立歩兵第九大隊の現役兵達に混ざって訓練を受けることになっていた。

 午前高校生の勉強、午後訓練が原則だったが、五月のこの期間

だけは終日訓練である。

 普段の訓練も教官――将校――や助教――下士官――は現役であるが、兵士達といっしょに訓練するのは訳が違う。

 歳も体力も違う兵隊。

 それだけで緊張感が増す。

 この実習の目的は部隊の厳しさ現状を肌で感じさせ、学生達が鍛錬を自主自律的に行うよう示唆を与えるものだった。

 だが実際は部隊のおっちゃんお兄ちゃんたちのいいおもちゃにされて『ああ、きつかった』という思い出作りにしかならない。

 だから、歓迎行事と言われるイベント満載の日々が待っているのだ。

 思い出のために。

 潤ではないが、喉元すぎれば、あの厳しい訓練もいい思い出になる。もちろん、まだ喉元にもいっていない次郎にとっては恐怖でしかなかった。

 潤は楽しそうに続ける。

「やっぱり、一番きついのはハイポートかな、訓練終わるたびに走って、終わりが見えないんだよなー」

 ハイポートとは銃を持ってひたすら走る訓練。

「格闘訓練とかもやばい、けっこう手加減してくれないんだよ、あの兄貴達」

「軽歩の時間が癒しかも、あんまり体使わないし」

 軽歩兵補助服――主要部分は七.六二㎜の小銃弾に耐えうる装甲があり、人間よりも一回り大きい二足歩行の兵器――は重心移動による独特の操作要領のため、人によっては乗りこなすのに相当苦労してしまったり、たいして訓練しなくても感覚で乗れてしまうなど、人を選ぶ装備であった。

 潤は、軽歩の操縦はセンスがあったため、苦労せずに乗りこなせたらしいが。

「次郎ちゃん、もう諦めて早く寝たほうがいいよ、うん」

「ほんとジュンさん、他人事ヒトゴトなんですから……」

「そんなことないよ、次郎ちゃん……だって、こんなに心配しているんだから、ちゃんと、耐えれるかな、大丈夫かなって、夜も眠れないよ」

 笑顔の潤。

「なんか、気が重たくなってきました……」

「諦めが肝心」

「ちくせう……」

 潤はびびる次郎を見て、心から楽しんでいた。

 彼にとって次郎は、いじり甲斐があり、面倒を見たくなるような可愛い後輩であった。

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