第22話「女子部屋消灯三十分前」

 夜。

 消灯前の二十二時三十分。

 陸軍風に言うなら二二三〇ニーニーサンマル

 風子は、鏡の前で髪をいじっていた。

 はやく伸びてもとにもどれーっと、暗示をかけながら。

 ぜったい、この三年間が終わったら髪を伸ばそうと決意していた。

「どうだった、筋肉教師は」

 風子の同部屋の先輩、シャージ姿の長崎ユキがベットにパスンとお尻を置いて足を組んだ。

「筋肉教師ですか?」

「熱かったでしょ?」

「熱いも何も暑苦しかったです」

「うざいし?」

「うざい」

「しかも、厳しいし緊張するし?」

「厳しいし緊張するし、私返事何回もやり直しました」

「女子にも容赦ないもんね」

「ないですね」

「でも、面白かったでしょう」

「面白いと言うか、ひきましたけど」

「けっこう、あの筋肉、純粋なこと好きなのよ」

「筋肉なのに、ですか?」

「筋肉なのに、恋とか愛とか大好きで、どうせ『命短し恋せよ乙女ー!』とか叫んでたでしょう」

「いや、さすがにそれはありませんでしたが『いっぱい恋しなさい』なんていってました」

「やっぱ言ったんだ」

 そう言っていると、ユキの背後から彼女の胸を揉もうという手が伸びた。

 それを彼女がパチンと振り払う。

「けち、減るもんじゃないでしょ、つうか邪魔でしょ、減った方がいいでしょ」

「先輩、やめてください……恥ずかしいので」

 ユキはそう言って黒縁眼鏡を人差し指で押し上げる。そして背後の人物――三年生の先輩である田中純子――を非難した。

「ユキは、おじさん好きだからねー、ああいうのが趣味なのよ」

「は、はあ」

 あいまいに風子がうなずく。

「違います……私はもっとしょぼくれたおっさんが好きなんです」

「二中の副中隊長の野中大尉?」

「……あの人はしょぼくれすぎてます」

 少し顔を赤くして俯くユキ。

「ほんと、変わった趣味よねー」

 へへへと笑う、純子。

「違います」

 ユキは上気した顔のまま純子に言い返した。

 そういう、先輩たちを見て、ほんとうにこの人たちはかわいいし、いい人だなと風子は思うのだ。

「ちなみに伝説一つ、教えるわ」

 そう純子が言う。

 三年生でも有名なのだ。

「また伝説ですか、先輩」

「筋肉伝説……むかしむかし純粋な女子生徒がいました、彼女は部隊の荒くれどもの一人と付き合いました……やがて彼女は遊びだったよと捨てられました」

「なんか、先輩、そんな話ばっかりですね」

 ユキが口をはさむ。

「話の腰を折らないで、次ね……捨てられた彼女のことを知った筋肉教師が彼女にいいました『誰だ、そんなひどい男は』そして彼女は名前を告げました……そして次の日ある民間人がある部隊の隊員数名を半殺しにして、裸で首から『僕はロリコンのヤリ男です、軽蔑して下さい』と長々と書いた看板を首からぶら下げた状態で、グランドの真ん中で発見されてました」

「先輩……それただの復讐話じゃないですか、しかもたちの悪い」

 ユキがジト目で純子を見る。

「で、その筋肉教師というのが……」

「すみません、先輩……先のストーリーわかりすぎです」

 つい風子は生意気にもつっこみを入れたが、純子はうれしそうに笑った。

「えー、とっておきの伝説だったのにー」

 純子が口を尖らしてそういうとユキが「まー、純子さんの話なんて、そんなレベルですよね」なんて言う。

「なんか、みんな不幸になる伝説ですね、それ」

 風子はつまらないなんて言えないので、一応話を続けた。

「でも、そのお陰で、少年学校学生に手を出す現役の人はいないらしいという噂」

 しかし、なんだろう。

 軍隊に勝てる学校教師って。

 中隊長の言うこと聞かなくていいからなんていっていたが、本当にそんなんでいいんだろうか。

 まあ、確かに恋愛禁止なんて言われたら、青春の楽しみの多くを失うような気がする。

 それをわかってのことか。

 やはり、そこは軍人と違って文民なんだろうか。

 あの先生は、見た目の極悪さに比べ、中身はいい人のようだ。

 彼女はそう思った。

 そして、最後に一言付け加える。

 ――相当暑苦しいけど。

 と。

 夜は更ける。

 そして、二段ベットの上段に横たわった。

 寝る前。

 風子は電気の消えた、間近にある天井を見上げて思うのだ。

 ――思っていたよりも悪くない。

 一月ひとつき、ここで生活して……馬鹿みたいな生活だと思っているけど、むかつく男子はいるけれど……素敵な先輩や面白い友達がいる。

 走ることも慣れてきた。

 足も細くなった。

 ――悪くない。

 彼女の学校生活も一月が過ぎようとしていた。

 そんな少年少女を訓練最盛期の五月が待っていた。

 泥だらけの五月。

 汗だくの五月。

 彼女が目を閉じるとすぐに寝息をたてた。

 心地良く体か疲れているからかもしれない。

 こうやって、四月は過ぎていった。

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