第19話「サービスサーシャ」
茶髪の坊主頭の男子と目が合う。
――あいつ、本当に最低、緑ちゃんをそんな目で見るなんて。
坊主頭の男子――
その態度を見た風子はますますイライラしてしまった。
可哀想な大吉。
大吉は緑をそういう目で見ていた訳ではない。
誤解。
彼は風子が気になってしょうがないため、目を向けていただけだった。
緑ではない。
大吉は風子を見ていた。
中学時代に『姐御』だった風子は、男子から言い寄られることもなかった。
だから、男子のそういう目にまったく気づかないのだ。
大吉の想いは空振りである。
そのうち、風子は芝生を歩く足音と、バサッという音に気づいた。
風子が顔を上げると背の高い男――頭山少尉――が立っていた。ジャージの上着が緑に掛けられている。
頭山が少し恥ずかしそうに「いいから羽織れ」と言っている。
緑も恥ずかしくなり、少し顔を赤らめ顔を下げた。
頭山はそれだけ言い残すと、そそくさと伊原の近くに戻る。
「優しいじゃないか」
意地悪な顔をしたまま伊原がすれ違いざまに小声で囁く。頭山は足をとめ、振り返った顔は仏頂面だった。
「ああいうので浮き足立つのは嫌いなんだ」
「ふーん」
面白くなさそうに伊原が返事をした。
頭山が元の位置に戻ると、伊原はキッと男子を睨み、ちらちら見ていないかを確かめながら威圧をした。
女子の方を向き、次の指示を出す。
「二人一組になれ!」
学生達は近くにいる者と自動的に組を作った。
風子には隣にいるサーシャが後ろに立って「私とやろっか」と背中に手を置いてきた。
足を開いて、体を右、左、前に倒すストレッチ。
それを後ろの人間が押して負荷をかける。
風子にとっては拷問以外何者でもなかった。
「少し痛くなるぐらいまで押すように、始めっ!」
伊原が大声で指示を出すと、学生はそれを始めた。
「いたたたたたたたたた、あたたた」
サーシャは容赦なく、風子の背中を押している。
「体を柔らかくしないと、怪我しやすくなるし、それに何かと便利」
そう言いつつ、サーシャは彼女の背中に上半身を密着させて体重を思いっきり掛けて押しているのだ、しかも手は彼女の膝を押さえ、足を曲げて逃げることもできない。
「痛い、痛いスジ、スジ切れちゃう、いででででで」
横で地面の芝生に顔をぺったりとつけている緑が笑っている。
一方風子は、涙を浮かべて苦しんでいた。
「交代!」
伊原がそう指示を出すと、今度はサーシャが地面に座り、風子が立った。
その金髪おかっぱを見下ろし、不適な笑みを浮かべている。
よっぽど痛かったようだ。
「ぬりかべえええ」
風子はサーシャと同様、彼女の背中に上半身を押し付けるようにして体重をかけた。
「さっきのお返しぃ」
「うわっ、ふーこ、優しく、して」
サーシャの弱気な態度に会心の笑みを浮かべていたが、すぐにゲッソリした顔に戻る。
緑と同じだった。
地面にぺタリとサーシャは顔を付けている。
よく見ると、彼女は足の開き方から違う。ほとんど百八十度に近い角度の開き方だった。
武術武道を幼少のころから叩き込まれていたため、彼女はとにかく体が柔らかいのだ。
「甘い、ふーこ」
ふふふふふ。と圧している胸の下からうれしそうに笑う声が聞こえる。
「なんてこった、これがお嬢様パワー」
サーシャがロシア帝国のゲイデン家とかいう由緒正しい貴族だということを風子たちも周知していた。
「ゲイデン家を甘くみないで」
彼女も乗って、ふふんと笑う。
「すごい、貴族ってみんな体柔らかいんだ」
「いや、そういうことじゃないんだけど……」
「あ、そうなんだ、面白くない」
「え、そこ?」
そんな軽い漫才をしていると、風子はまたあの視線を感じた。
彼女がサーシャの背中の上から顔を上げると、男子の目線が女子の方に向いていた。
サーシャを見る。
ぴっちりした黄色いスパッツから伸びる白い足。上半身は屈んでいるため、形のいいおっぱいが強調されている。
――男子って不憫。
ゲッソリした顔で風子はジロジロ見る男子を見返した。
そりゃ、サーシャが美味しそうな体をしているのはわかる。でも、こっちはストレッチをしているのだ。なのにそういうのを見て何が楽しいんだろうか、妄想力ありすぎじゃないか、四六時中発情期じゃないのかと思う。
男子よ。
なんでもエロに結びつけるな、エロ目線で見るな、不健全、最低、と。
「あ」
風子の視線の先にあいつがいた。
次郎はこっちを見ている。
彼女は睨み返してみた。
彼は彼女ではなく、その下にいるサーシャを見ていたのだ。
このチラ見野郎。
風子は頭の中で前言を撤回した。
エロ目線で見る男子の方がまだいいと。
許せる。
なんというかまだ健全だ。
あの、ちらちらと見るような男子はなんかよからぬことを考えてそうで、不健全だ。
むっつりはよくない。
許せない。
そう思う。
「上田次郎めっ、首元か……やっぱりおっぱいか……そりゃ、サーシャはいい形してるんだけど」
頭で考えていたつもりだけど、声が出てしまった。
「ねえ、ふーこ、ウエダジロウって知り合い?」
知り合いでもないと思う。
まあ、でも知らない訳ではない。
「うん、知り合いじゃないけど……」
「ちょっと気になる」
「っ?!」
風子は口をあんぐり開ける。
同時にストレッチも終わった。
「あっちも気になってるみたい」
サーシャは立ち上がると同時に風子に振り向いてニコッと笑った。
かわいい。
かわいい、ニコってかわいすぎる。
風子は次郎のことなんてどうでもいいぐらいに、その笑顔にみとれた。
「どうせ見るなら、堂々と見ればいいのに、ね」
同意を求められた風子は「うん、不健全」と答えた。
するとサーシャは何を思ったのかランニングパンツをめくるようにしてお尻の部分のインナーを外側に引っ張ったのだ。
明らかに上田次郎を意識しているというのは風子でもわかった。
次郎が慌てて目を背ける。
それがまた、風子のカンに触った。
そのぐらい下手なチラ見。
「ほら、変」
サーシャは楽しそうにいった。
体育の時間も終わり、それぞれグランドの端に並べて置いていたジャージを羽織に行く。
まだ四月も後半、運動を終わると肌寒い気候。
風子は足の疲労がすごかったので、もう少しストレッチや足のマッサージをするためにその場で座り込んだ。
体を伸ばす。
風子が前かがみになっていると、足音がだんだんと近づいてきた。
サーシャだった。
彼女はジャージを上だけを羽織っている姿。
「ありがと、サーシャ」
サーシャは右手にもった風子のジャージを渡した。
ジャージを貰いながら、サーシャの姿を見上げる。
「えっ」
と声が出た。
ランニングパンツにジャージを羽織っただけの彼女の姿がミニスカートのワンピースを着たような格好に見えたからだ。
「エロっ」と言いそうになったのを飲み込んだ。
ランニングパンツが見えるかどうか。
そのギリギリの線で上着の裾がふわりと動いた。
さぞ男子は喜ぶだろうなと風子は思った。
実際、男子達が、ジロジロサーシャの方を見ていた。
そんな男子の目線を気にすることなくサーシャは風子の耳元に口をやって囁いた。
「ふーこちゃんも気になっているんじゃない? ウエダジロウは、並にかっこいいんだし」
「へ?」
あまりに風子はびっくりしたのだろう。
変な声が出てしまった。
そして、その意味を理解したところで「まったく気にならん!」と言おうとしたが、言葉がでなかった。
いろいろ考えてしまったため。
なんだろうサーシャはあいつが気になるんだろうか?
そもそも、こんな美少女がなんであいつを気にするんだろうか?
するとサーシャはその場でぴょんぴょんと跳ねた。
ジャージの裾がふわふわと浮いた。
ランニングパンツがチラチラと見えた。
さっきまで、女子たちが堂々と見せていたランニングパンツ。
だが、チラリズムがその価値を変えていた。
男子達の視線はサーシャのジャージの裾に釘付けになる。
「どあほ! でれでれ女子を見るな! ドウテイ野郎どもが!」
と男子側の教官が叫んだ。
地面に響き渡るような喝。
男子の何人かがぶっとんでいた。
声だけの注意ではない。
やっぱり軍隊なんだなあと風子は思う。
サーシャは後ろを向いて歩いていった次郎を見て、不服そうな顔をしていた。
――せっかく、サービスしたのに。
彼女は、腕を組み次郎を睨んだ。
次の勝負をするための料金を前払いしたつもりらしい。
これで、不意打ちしても文句は言われない。
そういう一方通行の取引。
次郎にとっては迷惑な話すぎた。
「あんまり効果ないから、次はどんどんエスカレートしていきそう……困ったなあ」
サーシャはまったく困った顔をせずにそう言った。
あの日以来、話しかけても無視をする次郎をなんとかして振り向かせたかった。
なぜなら、この前ご破算になってしまった勝負。
決着を付けたかったからだ。
そんな気持ちを風子にわかるはずがない。
ただ、もしかしてこの留学生はあの上田次郎に好意があるのかな、と思っていた。
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