第16話「スポーツタイプのものだと困ります」

 ――白と緑の縞々か……。

 こんな理不尽な攻撃を受けた時でも、ついつい見えるものをしっかり見て、確認するのが次郎という人間だった。

 むっつりスケベだからしょうがない。

 姉の下着姿は何度も見ているから慣れているが、知らない女の子の下着は興味が出て当然である。

 そんなことよりも、と彼はパンツの映像を振り払う。

 信じられないことだが、彼女は明らかに急所を狙っていた。

 急所――胸の中心の下、ダン中――。

 なんとか腕で押しかえそうとする場所にはそれがあった。

 ぐりぐりと踵で次郎のガードを踏み込む。

「弱い」

 金髪オカッパ少女――サーシャ――はそんなに癖のない日本語でそう言う。

「ほんとうにつまらない……せっかく、本気で殺し合いをしてくれそうな雰囲気を期待していけど」

 次郎を足蹴にしたまま、彼女はため息をつく。

「……すとか」

 彼は急所を踵で押さえられていたが、絞り出すようにして声を出した。

「……コロスとか、意味わかんねえ、ぶっそうなことばかりぬかしやがって」

 彼女の金髪おかっぱが揺れる。

「ねえ、サムライの国なんでしょ、ここは……私はサムライと勝負したくて来たのよ」

 彼女は踵で踏み込む力を強くする。

「……ぐ」

 次郎はあまりの痛さに低く唸ってしまった。

「子供の喧嘩なら私の視界の外でやって欲しい……やっと武術をしているような人間を見つけたって思ったのに、期待しちゃって損」

 彼を見下ろす冷たい青い瞳。

「中途半端な殺気なんて出さないで欲しいな……すっごくムカつく」

 ぐっと踵にもう一度力が入った。

「……なんなんだ、いったい」

「日本の高校生って、学校で誰が一番強いのか、普段から殺し合いしているんでしょう」

「いや、言っている意味がわからん」

「『魁!彼氏塾!』ってマンガに書いていたけど」

「……」

「他にも『イクサロワイヤル』とか『幽霊白書』とか」

「……この物語は架空のって書いてなかった?」

「『竜球』とかも」

「いや、それ、もう高校生じゃないし」

「……」

 急にサーシャの表情が曇った。

 ロシア帝国からの留学生である彼女。

 帝国貴族の軍人家系であるゲイデン家の末娘として生まれ、貴族的な英才教育を受けてきた。

 そんな中で各国の言葉や文化も教育を受けているのだ。

 将来有望な陸軍軍人になる義務があった。

 ただ、残念なことに、彼女は思い込みが激しい性格なのだ。

「日本語や日本の文化を覚えるのに良いって言われて、読んでたんだけど……書いてある通りなんでしょ、日本って……サムライの国だし」

「あの、君……フィクションって言葉知ってる?」

 彼女は次郎の言葉を無視して、ぶつぶつ言っている。

 次郎としては、早く踏みつけている足をどけて欲しいところだが、彼女の誤解が解けるまでそれは叶いそうに無かった。

 しょうがない、時折、チラチラっとパンツ鑑賞するしかなかった。

「ま、まあ……それは良いとして、ここはサムライの国でしょ、あなたサムライでしょ、殺気を持った男はみんなサムライよね」

「えっと、どういう本読んだ?」

「『浪人剣士』」

「いや、それ明治の話、今から百年前」

「……え、そうなの……じゃあ、『銅魄』あれは宇宙人もいるし、現代でしょ」

「現代でも宇宙人はいないから」

「……あ」

「あ、じゃないよ」

なんてこったゴースパジ

 頭を抱えたまま、彼女は言葉を続ける。

「そうそう、ドラマも見た」

「まだあんの」

「サムライに変身するの」

 次郎はジト目で金髪娘を見上げる。

「……ドラマじゃなくて、それ特撮ヒーローものでしょ」

「いいえ、愛と勇気と魑魅魍魎退治のホームドラマ『サキッチョマン』、出てくる妖怪を退治する現代のサムライの話、間違いない」

 次郎はため息をついた。

 どうやら、彼女は流暢に日本語を話せるものの、パンツを堂々と見せるだけでなく、物語と現実の区別もできないようなオツムの弱い子のようだ。

 ついでに、相当痛い子でもある。

「ということで、その足どかしてくれない?」

 次郎が面倒臭そうな口調で言う。

「あなたが、私とちゃんと勝負するならね」

 足蹴にしながら腕を組んで挑発するサーシャ。

「だから俺はサムライじゃないって」

「いいえ……あなた、さっきの三人に連れられる前、すごい殺気出してたじゃない」

 連れられる前……大吉を人質に捕っているという話を聞いた時だ。

 確かにあの時次郎は怒りの感情を押し殺していたが、そのハラワタは煮えくり返っていた。

 だが、それを殺気というほどのものじゃない。

「そんなの、出してない」

「嘘つき『殺してやる』って空気が言っていた」

「それは、思い込み」

 埒があかない。

 ふと時計を見る。

 次郎はいい加減、面倒くさいし、部屋の先輩達に頼まれた買い物を早く持って帰らないといけないと焦りだした。

「さっきから人の足をチラチラ見て、変態」

「な、変態じゃない! 足とか見てないし」

「また嘘を付く」

「違う、その縞々のパンツ見てた」

「な!」

 彼女は慌ててスカートを押えた。

 今更。

 ――全然気づいてなかったなんて。

 と次郎は唸った。

 羞恥のために彼女が心を乱して生じた隙を彼は見逃さなかった。

 彼女の足を払い退け、風船が一気に膨らむような感じに彼は立ち上がる。

 一瞬だけ彼女は驚いた顔をしたが、すぐに凄惨な笑みを浮かべ、待ってましたとばかりにブレザーを脱ぎ捨て、そして構えた。

「あ! 窓の向こうにサキッチョマンだ!」

「え! どこ?!」

 次郎は彼女の視線から外れたと分かった瞬間に、一気に間合いを詰め、その右横をすり抜ける。

 サーシャに緊張が走った。

 ――やられ……る?

 次郎は彼女の背中に少し触れながら通り抜け、そして全速力で走り出した。

 ――とったぞお! スポーツブラじゃあなくてよかった。

 次郎はニンマリ笑顔だった。

 一方サーシャは「ひゃっ」と声を上げ、胸と下着の間に冷たい空気が入ってきたことに驚いていた。

 抑えていたものが緩んだ感覚。

 気持ちが悪い感触。

「あの野郎!」

 サーシャは日本語で恨み事を言った。

 そうやって走り去る次郎を睨みつけるが、ブラのホックが外されて動くに動けない状態だった。

 次郎の秘儀。

 ブラのホック外し。

 あの恐ろしい実家の姉に対抗するために、磨きに磨きをかけた技である。

 実戦で鍛えた分、物凄い精度で実行できた。

 次郎は走りながら、ちょっと顔がニヤける。

 やってやったぞという達成感。

 いつやっても、これは勝った気しかしない。

 あれだけふてぶてしい女が、ブラのホックを外されたぐらいで慌てた姿を晒したのだから。

 だが、そのうち興奮が冷めてきて、改めて考えてみた。

 あの金髪女子の馬鹿みたいな暴力は一体なんなんだ、と。

 どうして一度は自分を助け、そしてその後、襲ってきたのか。

 ――私はサムライと勝負したくて来たのよ。

 何寝ぼけた事を言っているんだろうかと思った。

 きっと、少年漫画の中身と現実が混同してしまった痛い子なんだろう。

 ――美少女って言っていいぐらいの外人さんだったな。

 と思う。

 ――趣味じゃないけど。

 と釘を刺した。

 彼女の姿を思い出してみる。

 かわいいんだけど。

 痛々しい。

 それが、次郎の評価。

 ため息をついた。

 できればブラのホック外しは、喧嘩以外で使いたい。

 切なる男子の思いだった。

 なんだかスケベなことをしたんじゃないかと彼は罪悪感を感じる。

 外したホックの後に、あの胸がどうなったか想像したからだ。

 妄想を頭から吹き飛ばそうと努力する。

 無理だった。

 あの白いシャツで強調された胸をついつい思い出してしまうから。

 ――趣味じゃない、かわいいからって、趣味じゃない!

 妄想はなかなか吹き飛ばない。

 吹き飛ばせない。

 そんなものだと許せるほど、彼は長く生きていない。

 しょうがない。

 男子高校生というものは。

 たいがいそんなものだった。

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