第17話「たのしいランニング」

 陸軍少年学校は、関東、東海、北陸、近畿、九州に一ヶ所づつ第一〇七から第一一一までナンバリングがついた学校が存在する。

 それぞれの学校は、一般の高校と同じ三学年制であり、学年毎に三クラス、一クラスあたり三〇人程度、計二七〇人の生徒が在籍していた。

 また、学校は部隊でもあった。

 独立歩兵大隊として学校の下二桁と同じナンバリングとリンクした第七から第一一歩兵大隊が編制されている。

 学生は学校と部隊、両方に所属して、兵士としての扱いも受けていた。

 独立歩兵大隊独歩には学生ではない現役の兵士と、学生の軍事教育や生活指導の教官を兼ねている将校、下士官が存在し、有事は実戦部隊として行動できるようになっていた。

 もちろん学校には軍人だけでなく通常の教科を教える一般の教諭もいる。

 高等学校の教育はやはり教職員の免許をもっている民間人――軍属としての身分がある――も必要なのだ。

 なかなか理解し難い組織だと思う。

 内乱により二つに分裂した国家。

 その動乱の名残でもあった。

 如何に戦力を確保するかということから生まれた苦渋の編制。

 学校という部隊ではない機関として編制すれば、どうしても装備の予算が付かなくなる。だが第一線部隊となれば、予算が入る。

 当時、少しでも軍事予算を多く手に入れ、部隊単位を増やすことに必死だった陸軍が知恵を搾り出した結果だった。

 現に各少年学校、特に東の国境に近い関東、北陸の学校にはその世代の最新の兵器が装備されいる。

 今でも有事になれば、最新の整備技術、装備を持った学生が後方支援に回り、現役組は再編成して、すぐに第一線に投入できるようになっている。

 そのため、各陸軍少年学校のトップは教育総監(中将)、次に陸軍少年学校長(少将)の下に各少年学校長兼独立歩兵大隊長(中佐)が存在し、独立歩兵大隊の上位には混成連隊長(大佐)、軍司令(中将)と、二重指揮を受ける状態になっていた。

 そういう訳で現役の兵士でさえ混乱するような指揮系統になっていた。

 まして組織に関する知識のない学生に理解できるはずもない。

 とりあえず、次郎たちは学校の勉強は一〇九少校イチマルキュウショウコウの学生として受け、軍事訓練は独歩九大隊ドクホキュウダイタイの兵士として受けているという認識ぐらいしかない。

 ちなみに、大隊には本部中隊の他、第一、二、三中隊があり、次郎たちはその一中隊に所属している。

 学校のクラス番号も中隊番号にリンクしており、例えば『一年生』で『一中隊』なら『一の一』であった。

 彼ら学生の一日は午前が普通の高校生としての教育を受け、そして午後は軍事教育や装備品の整備、軍事知識、戦史、教養といった軍事教育を受ける。それ以外の時間は、少しの自由時間と自習時間を営内――寮のようなもの――で過ごし、これは大隊の軍人達――教官――が生活指導をしている。

 部活はない。

 部活で学ぶような文化的、体育的なもの、団結、チームワークといったものは午後の軍事の課目に含まれているからだ。

 逆に夜は二時間の強制自習の時間がある。

 普通の高校に比べ、科目の時間を半分に凝縮している。だが、この学校の偏差値が全国トップクラスの進学校と変わらないという事実もあった。

 理由は元々各中学校では成績のいい子達を集めているというのもあるが、メリハリをつけて集中して勉強ができる環境を作っている効果のお陰とも言われている。

 強制的にメリハリをつける学校なのだ。

 新入生達も四月も末になってくると、そういうメリハリある生活リズムにも慣れてきた。

 ただ、誰もがそういう訳にもいかず、不満が溜まる子達もいるのだ。

 体を動かせば脳が活性化する人間ばかりではない。

 中村風子ナカムラフウコはそれだった。

 その日の夕方。

 風子は走っていた。

 だるい。

 だるすぎた。

 なんでこんなに走るのか、理解できなかった。

 そう思いながらのランニング。

 みんなで走っているため、前についていくことだけで精一杯だった。

 胸が苦しく、肺に力が入らない。

 彼女にとってはそんな苦痛の時間。

 この体育の時間が嫌いだった。

 自習の時間の勉強よりも辛い。

 走りながら、どんどん息が荒くなる。

 彼女はこんな苦痛から逃れたくて、自らの思考を停止しようとした。

 だが逆にいろいろ考えてしまって、ますます苦しくなってしまう。

 ランニング。

 ここでは『駆け足』と言われる体育。

 女子と男子が別々に走っている。

 ただひたすら、列を組んで走っていた。

 集団から遅れて列を乱すことは許されない。

 そんな運動。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 荒く頭の中に響く自分の呼吸音を聞いて、風子はどんどん憂鬱になってしまった。

 走り出した時はまだ周りの音が聞こえていた。

 鳥の鳴き声、他の学生の声、足音。

 でも今は自分の荒い呼吸しか聞こえない。

 これが入学当初から続く毎日の日課。

 一年生はただひたすら夕方になると走っていた。

 まるでハムスターのようだと思う。

 回転する車輪の中を走っているわけではないが、駐屯地の中をぐるぐるまわっている自分達を思うと、なんとなく同じようなレベルに感じるのだ。

 全員が同じデザインのウェアを着ている。

 まるで陸上部みたいな格好。

 体のラインがはっきり出てしまう様な袖なしランニングシャツとベリーショートのランニングパンツ、そして色は一年生の黄色。

 まだ、四月で肌寒い時期なのに、ランニングシャツとパンツでもどっと汗をかく。

 ジャージを着ていても肌寒いはずなのに。

 準備体操をして、寒い寒いと言いながらジャージを脱ぎ、水平直角に畳んで水平直角に並べて――初日はこれをするだけで何回もやり直しをさせられ、体育の時間が終わったりしていた――走り出すのだ。

 汗をかくが、毎日このお揃いのウェアを着て走らせる。

 揃ったものを着て揃って走る。

 彼女にとってはすべてが気に食わなかった。

 お揃いのウェアを着るため、毎日洗濯。

 そして夜乾かして、夕方には着る。

 確かに、生地は速乾タイプのものだが、なんとなくいい気分はしない。

 つうかメンドクサイ。

 人間関係は中学時代に比べてよくなっていると思う。

 前向きにできている方だと思うが、こういう軍隊の訓練だけはどうも好きになれない。

 後ろ向きまっしぐら。

 だいたい、髪が鬱陶しい。

 一部の男子みたいに坊主頭にでもしようかなと本気で考えてしまうぐらいに。

 後ろ髪を束ねるぐらいに伸ばしている同部屋二年生のユキなんかは、どうやってこれを乗り越えたのだろうかと不思議でしょうがない。

 走り出したらどさっと汗をかく。

 髪の毛は貼りつく。

 気持ち悪い。

 彼女は汗の分だけ脂肪が消えていればいいと思う。

 だが、走った分、夕食は食べるし、夜も間食をする。

 だから体重は減っていない。

 やめようと努力した。

 やめてみたこともある。

 でも間食をやめれたのは、三日坊主どころか一日で終わった。

 もう、無理とあきらめている。

 運動すればお腹が減る。

 お腹が減ってご飯をいっぱい食べる。

 学校の夕食は五時半。

 馬鹿みたいに早い夕食、寝るまでの時間は長い。

 お腹が減るから、お菓子を食べる。

 体重はやっぱり減らない。

 だが彼女は誤解をしていた。

 筋肉は脂肪の二倍の重さである。

 脂肪は体重計に現れないが、しっかりと減っていた。

 かわりに筋肉が増えただけであった。

 だから、突然減ったような実感はない。

 体脂肪率計付体重計に乗らない彼女が、ある日、自分の逞しい足と腕に気づいてしまうのは、まだまだ先の時代であった。

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