第13話「ポジティブですね大吉くん」

「お疲れ様っす」

「お疲れ様ですっ」

 大吉は撫でられた頭を下げた。

 次郎も立ち上がり、お辞儀の敬礼をした。

「いいよいいよ、ゆったりしてよ」

 潤はそう言うと自分の机の前にある椅子に座る。

大吉ダイキちゃんのこと、うちの二年の女子がカワイイカワイイ騒いでいたよ、いいねえ、年上の女子にモテるなんてうらやましいなあ」

 そんな潤の言葉に大吉は赤面した。

「俺は潤さんみたいに大人っぽくてかっこいい男になりたいんです、カワイイとか嫌っす」

 大吉は真面目な顔をして訴えた。

 潤はそれがおかしくてついつい笑ってしまう。

 潤は一七〇センチ手前の背格好で次郎より少し低いぐらいなのだが、天然茶色の癖毛――本人はそう言っている――をショートにした髪とその整った顔立ちのせいで、ずいぶん大人びた雰囲気を出している。

 人懐っこい表情としゃべり口で学校内でも女子にモテているが、決して学校内で彼女は作ったことがない。

 噂では月イチで彼女が変わっているという。

 一部の女子からは警戒されているが、モテ度は低くない。

 実際、次郎が本人に聞いたところによると今の彼女は大学生だと話していた。

 ――女泣かせとか、ほんと迷惑な噂だよー。

 彼は次郎にそう言うと困った顔をしていた。

「そうだ次郎、あの駅で喧嘩した中村って覚えているか?」

「中村……」

 次郎はそう考える振りをしてみるが、するまでもなく強烈に覚えていた。

 あの馬鹿みたいに気が強い女の子の中村風子の事だ。

 もみ合いになり、あの硬い胸を触ってしまった、そんな恥ずかしい思い出が残っている。

「その中村がどうしたんだよ」

 すると、大吉がまた口を尖らせて拗ねた声を出す。

「あいつ、今日すれ違った時に、指差して『あれ? ボクちゃん? 可愛くなって』って笑いやがった」

「なんとなく同意」

「あ、次郎、てめー」

「だって、喧嘩した大吉が悪いって……しかも、あんだけ駅で歌舞カブいていたんだからさ」

 駅で現役軍人といざこざがあり、その騒ぎに我慢できなかった風子が「やかましい」という理由で大吉に喧嘩をふっかけてきたのだ。

 風子は悪ぶっていきがっている男が目障りでしょうがない性格だった。

「もしかしたらなんだけどさ」

「うん」

 大吉は少し恥ずかしそうな顔をする。

「あいつ、俺に気ーあるんじゃねーかな」

 ――。

 沈黙。

「は? あはははははは」

「まじ? えー、そうなるか! ははははははは」

 数秒後部屋の中を二人の爆笑が炸裂した。

「大吉ちゃん、ポジティブ、いや、いいよ、そういうのお兄ちゃん好きだから、面白いから、ははは」

 目に涙を浮かべてしゃべる潤。

「ない、それはない、ははははは、いや、すごいな、尊敬する、大吉すげえ、ははは」

 次郎もたまらず腹を抑えている。

「笑わないで下さいよぉ」

 赤面しながら相変わらず口を尖らせる大吉。

「もしかして、その中村さんを好きになったとか」

 からかい気味に潤さんがそう言うと、彼は顔を俯かせた。

 笑いが止まり、しーんと部屋がなる。

「え、まじ」

 次郎の表情が少し引きつる。

 こくりと頷く大吉。

「も、もしかしたら、惚れたかもしれない」

「やめとけ、あの中村はやめとけ……駅でいざこざあっただけだけど、あの女相当性格悪い。それにあの強気なところとか……」

 目線を逸らす大吉。

「あ、まさか、そういうのが好きなのか」

「強い女は、好みで……」

 潤はニヤニヤしながら二人の会話を聞いている。

「胸ないよ、触ったけど、腹筋と同じだった……やめてた方が」

「あ、てめえ、俺の惚れた女のおっぱい触っただとお!」

「いや、あれは事故だから、たまたまそういうことになって、前話したでしょ」

「なんか喧嘩したのは聞いたけど、おっぱい触ったとかは聞いてねーよ」

「あーそうだったけ?」

「くそう! 羨ましい!」

「そっちか」

 次郎につかみ掛かる大吉。

「つうか、大吉……昨日まではあの副官の日之出ヒノデ中尉がイイ、イイ、まじイイって言ってたし」

「日之出中尉はイイけど、絶対にあんな大人の女性に手が届くはずないし、身近な方が」

「えー、あんだけ『おっぱい触って、やわらかくて』って興奮してたのに」

「してねえよ、エロガキみたいに言うなっ」

 ガチャ。

 再び部屋の扉が開く。

 一八〇㎝はある大柄な体に、筋肉がはみ出る様なタンクトップ姿の男が入っていた。

 部屋の中の喧噪が一気に冷める。

 一瞬の緊張、そして三人は気を付けの姿勢をしてお辞儀の敬礼をした。

「お疲れ様です!」

 そういうと、男は頷きで答えた。

 そして、そのままこの部屋唯一のシングルベットに腰掛ける。

 この部屋の三年生、落合幸一オチアイコウイチだ。

 口数が少ないというかほとんどしゃべらない。

 次郎もここに来て一週間近くが経つが未だ「おう」「飯行くぞ」「電気消せ」しか声を聞いていない。

 潤曰く「怒ったところとか見たことない、見た目と違ってすごく優しい人、町の野良猫を撫でているところを見かけたという噂もあるぐらい」らしい。

 でも、その感じが怖くて気楽には話せないのだ。

「ごめん、話に横から入って……あのさ、二人ともなんでそんなに女の子のおっぱい触ってるの?」

「人生初めて母親以外のを触っただけですから、そんなにでもないです」

 と大吉。

「中村風子のあれは、おっぱいではありませんでした……傍目からは触った様に見られましたが、ないものを触りようがありません」

 と次郎。

「いや、なんでそういうことになったかを知りたいんだけど」

「「事故です」」

 それから、二人は不可解な表情をする潤に初日の駅での出来事を話した。

「そうか、じゃああれだな、大吉ちゃんはジロー君とライバル関係ってことだな」

「なんで、そーなるんですか」

 次郎が抗議するように声を上げる。

「だって、大吉ちゃんは風子ちゃんのことを好きなんでしょ」

 コクリと頷く大吉。

 とても惚れやすく勘違いしやすいタイプだった。

「あーでも風子ちゃんが大吉ちゃんに気があるというのはどうかなって思うけど」

 頭をうな垂れ、落ち込んだ空気に包まれる大吉。

「で、ジロー君は、風子ちゃんのおっぱいをモミモミしたんだよね」

「モミモミはしてません! 事故で触れてしまっただけです」

「まーなんにしても、乙女の胸にタッチしたんだから責任とらなきゃ」

「意味がわかりません」

「ね、だから、ほら、二人は好敵手ライバルじゃん」

 わざわざ好敵手と日本語で言って、ライバルと言いなおす潤。

 そして、雑誌に目を通している落合の方を見た。

 すると彼はゆっくりと頷く。

「ほらあ、落合さんもそうだって言っている」

「くそう、次郎、勝負だ! 風子は俺のもんだからな」

 頭が単純な大吉。

 すぐ乗せられる。

「いや、俺関係ないし、って言うか、何呼び捨てにしてんだ、中村の名前」

 潤さんがゲラゲラ笑い出す。

「いやー、面白い、ほんと二人は面白い」

 また涙を浮かべながらそう言った。

「もう、勝手にして下さい……それに大吉、もうそっちは好きにやって、俺、中村の事はなんとも思ってないし、どっちかって言うと避けてるぐらいだから」

「次郎、お前! その手には乗らないからな! そうやって俺を油断させてから、風子に手を出すつもりかっ」

 大吉は次郎に向かって「フシャー」と子猫のような威嚇をする。

 陸軍少年学校の夜。

 寝る前の貴重な自由時間は、たいがいこんな感じの他愛もない会話がいろいろな部屋で行われている。

 基本、学力優秀な男子がここに集められているが、こういうお馬鹿達もたくさんいる。

 そして、卒業した後に残るのは、意外とこういった他愛もない馬鹿な話をしていた記憶なのかもしれない。

 いや、まだまだこの男子達には近くて遠い未来の話なのだが。

 まだ、思い出になるには早すぎる時期だった。

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