第10話「女子棟、日朝点呼ー!」

 朝六時に起床ラッパが鳴り響く。

 昨晩の風子は消灯ラッパが鳴り響いて電気を消えていく様を見て、軍隊生活を実感する余裕があったが、これは違った。

 寝ぼけているから、何が起こったかよくわからないのだ。

「ふーこちゃん、ほら起きて!」

 風子の目の前にユキの顔があった。二段ベットだからそういう位置関係になる。

「あ、え?」

 風子はわけのわからないまま二段ベットの梯子を降りる。鉄の冷たさが裸足に伝わり、声を上げそうになった。

「ほら、点呼行くよ」

 そう言って、純子はダサジャーのチャックを首までキュッと上げる。

 とりあえず、ユキに手を引っ張られるようにして、風子は靴下も履かず素足で白いシューズを履きふらふらしながら廊下に出た。

 すでに並んでいる部屋の住人もいる。

「動作急ぎなさい」

 赤い腕章――学生当直の印――を付けたジャージの女子が叫ぶ。

「ふーこちゃん、私の後ろ、ユキの前に並んで」

 風子を縦に純子とユキが挟むようにして並んだ。

「あ、緑ちゃん」

「おはよ」

 隣を見ると眠そうな顔の緑がいた。

 右から部屋番号が若い順番で並んでいるので、部屋が隣の緑は点呼の列も隣になるのだ。

「気をつけ!」

 赤腕章の女子が号令をかけると、風子も緑も見おう見真似で気を付けの姿勢になる。

「女子棟、日朝ニッチョウ点呼ー!」

 これは男性の声だった。

 女子だらけの中に、唯一の男。

 彼は少尉の階級章のついた制服を着ており、その右腕には当直の腕章をしている。

 それぞれの部屋の一番前に並んでいる三年生の女子が「三〇九号室異状なし!」などと言っている。純子も「三一二号室異状なし!」と報告。

 風子は昨日のはしゃいでいた純子とは違うハキハキした報告を見て、かっこいいなと思うと同時に、自分もこういうことをできるようになるのか、と少し不安になった。

 一通り報告が終わると、当直の将校に対し、赤腕章を付けた女子がおじぎの敬礼をして「女子棟、日朝点呼異状なし!」と甲高い声で報告する。

 こんなに気合を入れる必要はあるのかと、風子が思うぐらいの声だ。

 点呼。

 もっと簡単に「異状なーし」で終わる気もするんだが。なんだか無駄な時間のような気もする風子だったが、軍隊だからこんなんだろうと自分に言い聞かせる。

 まあ、強制的に目覚めることはできる。

 物事のネガティブな面しか見れず、批判的なことしか思えなかった彼女。中学の頃の自分に戻りそうになったが、なんとか食い止めた。

 ――郷に入らずんば……よね、先生。

 そう言い聞かせる。

「おはよう!」

 当直の少尉が挨拶というよりも叫びに近い大きな声が廊下に響き渡る。

「「「おはようございます!」」」

 タイミングをそろえるように、女子達も挨拶を返す。もちろん挨拶と言うよりも叫び声に近い。

 風子なんかはその発声のタイミングがいまいちつかめず「おはわぅぅ……」などと意味不明の声を発していた。

「しっかり飯食って、歯磨いて、ボサボサ頭をなんとかして出て来いよ、以上、点呼終わり解散!」

 なんともデリカシーというのがないのだろうか。

 軍隊と言うところは、と風子は思った。

 この位は批判的になってもいいと思う。

 そうしている内に、廊下はざわざわと挨拶や雑談が始まった。当直の少尉がいなくなると同時に、緊張が緩んだ空気に包まれたからだ。

 欠伸をする者、背伸びをする者に溢れる。そのうち、当直の少尉――頭山トウヤマ少尉に対する話も始まった。

「頭山少尉って彼女いなさそーよねー」

「やだ、日之出中尉とできてるとか」

「噂じゃ同じ中隊の伊原イハラちゃんらしいよ、少尉同士、お似合いって思わない?」

「そう? 同じ中隊って言ったら、あそこの副長の野中ノナカ大尉って聞いたけど」

「野中大尉って、おっさんじゃない」

「おっさんとイケメン……」

「何、涎垂らしてんの」

 なんて、無責任な会話が広がっていく。

 野中大尉という声が聞こえた時に、ユキがビクッとするが、純子も風子も気づかない。

 風子はそういう会話を聞き流しながら部屋に戻ったが、さっそく後ろ向きなことを考えてしまった。

 軍隊ってところは、朝早く寝起きのすっぴん女子高生集めて、そんで男がずかずかその空間に入ってきて「飯食え」って叫ぶ……何、この変な世界。

 嫌だ。

 最低。

 と。

 一度、インプットされたら、頭の中を埋め尽くす。

 ……前向き前向き、と呪文のように頭の中で唱えていた。

 そういうことを頭の中でやっているものだから、端から見るとボケッとしているように見える。

「ほら、ふーこちゃん。目を覚まして。時間ないからね、眉毛ぐらい描いて、ほら最低限の手入れをして、朝ごはんに行かなきゃ」

 と、純子さんに引っ張られるようにして洗面所に連れられた。

 彼女は先輩たちと共同洗面所でごしごし顔を洗いながら、最低最低と文句言っているだけじゃだめだと頭の中で繰り返す。

 ふと、顔を上げると隣に緑がいた。

「おはよー緑ちゃん」

「おはよう……」

「緑ちゃん、元々化粧っ気ないし、寝起きも、普段もあんまり変わらないからいいよねー」

「そう、かな?」

「もう、そのすべすべのお肌、はぁ……たまらんのぉ」

 素直になるのもいいが、影響されるのも早くなる。きっとこのおっさん的発言は純子の影響を受けているのだろう。

「風子ちゃん、昨日寝れた?」

「うん、ぐっすり」

 そりゃ緑も心配になるだろう。さっきからなんともエロい目で風子が自分に視線を送っているのだ。

「わたし、ちょっとだめだなあ、枕とか環境変わると、ちょっと」

「そうなんだ、私、そういうとこ無神経だから、全然平気、緑ちゃんやっぱりかわいいなあ」

 風子はそう言って緑を見ながらニヤニヤする。

 ただ、彼女は小さな嘘を付いていた。「そういうとこ無神経」なはずはないのだ。だから、夜中に目を覚ますし、いろいろ考えてしまう。

「風子ちゃん、あんまり そういうこといっていると誤解されちゃうよ、ここ女の子ばっかりだし」

「ふふふ」

 風子はそう笑うと、タオルで顔を拭いた。

 ――うらああ。

 洗面所の窓の向こうからむさ苦しい男たちの叫び声が聞こえる。

 ――四十二! 四十三! 四十四!

「何あれ?」

 そう風子が声のする方向を覗き込みながら独り言ちに呟いた。

 緑は異様な光景に首をかしげる。

 そして、二人はまじまじとその光景を見つめて目をぱちぱちさせた。

 その光景は確かに異様だった。

 上半身裸の男たちが、綺麗に列を作って、大声で叫びながら腕立て伏せをしているのだ。

 風子が唖然として見ていると、彼女の頭に柔らかい感触が触れる。純子が彼女に乗りかかるようにして外を見たのだ。

「純子さん、なんですかあれ?」

「あれ? ああ、男子バカね」

「ば、馬鹿ですか?」

「あんなこと、毎朝やるんだから、馬鹿以外の何者でもないでしょう」

「は、はあ。馬鹿なんですね」

「そう、馬鹿」

「私、女の子に生まれてよかったと今思いました」

「あらそう? 私は男に生まれて、あんな馬鹿な男達を下僕にしたかったけど」

 と、満面の笑みで答える純子。

「馬鹿だから簡単でしょうね、下僕にするには」

 と言っているのを聞いて風子はポロリと出そうになった言葉を飲みこむ。

 ――今の純子さんでも十分できそうな気がしますけど。

 と。

「やだ、私そんな変な目で見ないで、女王様とかそういう目で見ないでよ」

 やばい表情に出てしまったか……と風子は慌てるが、意外と純子がうれしそうなので、あまり気にしないことにした。

 純子は「図星かあ、ふーこちゃんは驚いた顔がそのまま出るからかわいいなあ」とニヤニヤする。

 風子は、気持ちが顔に出てしまう性格を褒められたことがなかったので、ドキリとした。

 何気ない一言でも、すごくうれしく感じた。

「ま、いいや、二人とも、あんまり見ていると、馬鹿が感染するから」

 純子はそう言うと、風子も緑も驚く速さで洗面や軽い化粧を終わらせたのだろう、踵を返すというのか、きれいに回れ右をして歩き出した。

 振り向いた顔は大人びた顔で「キラッ」とまぶしく感じるくらいだ。

「そろそろ食堂にいきましょう」

 風子は眉毛を描くことは諦め、くるっと振り向いて「はい」と答え、彼女の後を追った。

 まあ、元々普段は化粧なんてしていないしと言い訳をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る