第9話「風子の見慣れない天井」
風子が目を覚ますと、見慣れない天井がそこにあった。
あまりにも天井が近いのでドキリとする。
自分が何でこんなところにいるのだろう……一瞬、今置かれている環境に混乱した。そんな事を考えてしまうのは、彼女が寝ぼけているせいだけではないのかもしれない。
「ふう」
ゆっくりと息を吐き出す。
――二段ベットの二階か……。
彼女の実家は畳に布団、天井というものは遠くにあるものだったから、違和感があった。
昨日、ここについてから教官たちからいろいろ指示があって……それから坊主頭の中隊長とかいうおじさんから「
と、彼女は昼間のことを思い出した。
部内恋愛、つまり学生間の恋愛のことである。
軍隊だからだろうか。
閉鎖空間の中で堂々と男女がいちゃいちゃしていたら、目障りにもほどがあると言ってもいい。
男女共学の全寮制。
新入生の多くが恋愛に憧れている年頃だ。
その話を聞いて一気に意気消沈する者、「おっさんの言葉がなんぼのもんじゃ」と発奮する者と反応は様々だった。
そういうことにまったく興味がなかった彼女は「ふーん」で終わったが。
仰向けだった体を右横に向けた。
ちょっとの振動でギシギシと鳴る鉄製のベットが耳障りだと思う。
なぜ、私はこの天井を見ているのか……彼女はまた今の状況を頭の中で整理した。
部屋には三年生と二年生の先輩が二人。
ここは三人部屋。
三年生がシングルに寝て、二年生は二段ベットの下、一年生が上。
ここが私たちの部屋。
学校は全寮制。
男女ともに三人一部屋になっている。
先輩たちと一緒の部屋になるというから、彼女はそれなりに覚悟をしていた。
でも、拍子抜けするぐらい、後輩に対するなんらかのアクションはなかった。
とてもフレンドリーな感じで部屋に迎えられたのだ。
昨日初めて会ったところだが、先輩から彼女はさっそく「ふーこちゃん」と呼ばれている。
彼女の同部屋の三年生は
髪型はベリーショート、通称『女王』というあだ名が男子から付けられている勝気な性格。
もう一人は二年生の
今その二人は静かな寝息を立てている。
寝返りをもう一度うってみる。
パチパチとジャージと毛布の間で静電気が起きった。
部屋がとても乾燥しているのだ。
彼女は先輩たちから「濡れタオルを枕元に干して寝たほうがいいよ」という忠告を受け干していたが、今手を伸ばして触ってみると完全に乾いているぐらいに。
それに静電気。
真っ暗な部屋で、自分の着ている支給されたジャージ――通称ダサジャー――に触れると、指をなぞっただけで発光している。
これだけ真っ暗だと、静電気がこんな風に見えるので少し楽しくなった。
何度か発光現象を繰り返したあと、彼女はまた昼間のことを思い出した。
昨日、集まった新入生は先輩に連れられ、それぞれの部屋にバラバラと連れていかれた。
そうして
一番喜んだのは風子だ。
これなら気楽に話せる人間が隣にいる。
こんなにうれしいことはない。
運がいい。
彼女はそう思った。
昨日から前向きに物事を考えている恩恵かな、
と思う。
結局どう思うかはその環境に置かれて、自分が不満に思うか思わないかの差なのかもしれない。
――中学の私では、この環境自体が気に食わなくて、顔に出て、先輩たちに嫌な思いをさせて、そして……。
彼女がこんなに前向きに物事を考えるようになったのは、中学三年生の時の担任のお陰なのだ。
――中村さん。ちょっとしたコツなんです。素直になるだけなんですよ。物事は何かしら『面白い』『楽しい』ことが含まれている。そのことを『面白い』『楽しい』と思うことです。騙されたと思ってやってみなさい。思ったよりも物事がまっすぐ見えますよ。
卒業の日に担任の先生は彼女にそう言った。
彼女にしては珍しく言葉を受け入れた。
言った相手が彼女の初恋の人だったからかもしれない。
友達がいない、腫れ物のような、孤立した少女。
中学一年生、二年生で散々教師というものに不信感を持ってしまった彼女の心をうまく開いたのは彼だった。
それでも親身に会話ができるようになったのは、三年生の夏以降。
それからも何かと反発するような態度を取っていた。
彼女はそれが恋だったと自覚していなかったから。
結局何も言えず、こんなところに来てしまった。
それにしても、と彼女は思う。
先輩の二人は、後輩に対し威圧的な態度を一切取らないような人。
「かわいいぃぃ、ふーこちゃんっ!」
昨日の夜、そう言って純子が風子の後ろから抱き着いてきた。
その時はどうすればいいのか分からず、彼女は戸惑い、そして固まった。
彼女にしてみると、初めての経験だったのだ。
あの中学の三年間ではありえない世界。
だから「うひゃあいぃぃ」と奇声を上げてしまって、ますます純子を喜ばさせてしまった。
純子は胸をモミモミしながら楽しそうにしていた。
「ああ、あのおっぱいお化けのを触っていると、女として負けた気分になるから、どうしても楽しめないんだ」
と、言って行為を続ける。
「純子さん、誰がおっぱいお化けですか……ふーこちゃんが嫌がっています、離して下さい」
とユキが冷たい声で言うと。
「やーだーよー」
と、大人びた顔に似合わない子供じみた反応をした。
「私はこの変態部屋の一員なんて思われたくありません」
「くっそー、自分のおっぱいが大きいからって、先輩にそんなこと言う、ムキー」
「こんなの、邪魔なだけです、それに関係ありません、私は至極全うなことを言っているんです」
「なに、嫌味?」
そう言って純子が手を緩めて風子が解放される。すかさずユキが手を伸ばし彼女をむぎゅっと抱きしめた。
「もう、大丈夫だからね、乙女の貞操は守らなくちゃね」
と言いながら風子の頭を撫で撫でする。
その姿を見て、純子はフフンと鼻で笑った。
「ああ、いいさ、ふーこは俺のもんだ、なあふーこ、覚えておけよ、そいつはそんなおしとやかな性格ぶってるが腹黒女だからな、ハハン」
捨て台詞に対しユキは短く「はいはい」と反応した。
そういうバタバタした夜だった。
風子はまだ一日目だったので、二人の性格を全部把握したわけではないが机の上に飾っているものを見ると大体二人の趣味は把握した。
純子は、大人びて男勝りな感じもあるが、意外と可愛らしいキャラクターグッツが置いてあり、内面は乙女的なのかもしれないと思った。
一方ユキは、机の上に飾っている写真立ての中身が一昔前の映画俳優――しかも三枚目俳優――だったので、渋めのおっさんフェチだというのは把握できた。
「これ、俳優の○○さんですよね」
そう言った瞬間、風子は地雷を踏んだ事を後悔した。
「え、ふーこちゃん解る? ああ、いいよね。あの駄目っぽさ、そして時より見せる渋さがたまらないと思わない? そう、あと……」
ユキは頬を高潮させて、さっきまでの態度とはうって変わり饒舌になった。そして、三〇分ぐらいは一方的に話を聞かされた。
「はいはい、ユキ、その位にしてね、ふーこゃん困ってるから、おっさん好きなのはわかったから……うん、わかった」
呆れた顔で純子が割って入ってきた。
「おっさん好きではありません、ダメオヤジ好きです」
ピシャリ言うユキ。
「あ、そう」
何が違うんだか……。
そう呟いて呆れる純子。
「ユキは
「純子さん、ホの字とか……おっさん的な発言はやめた方がいいですよ、女子力なくなってますよ」
とユキが言う。
「フフ……フフフフ」
風子はもう耐えきれなかった。肩の力が抜け、失礼かもしれないと思いながら笑い出した。
「す、すみません。もう、ホの字、ホの字って」
そう言っていると、ユキも「ホの字はない、うん」と言ってウフフと上品に笑い出した。
――やっぱり運がよかったのかもしれない。
彼女は確信した。
昨日のことを思い出しながら風子は目を閉じた。
慣れない枕が硬く感じた。
腫れ物みたいに強がらなくてもいい。
よかった。
少し素直になっただけなのに。
本当に。
先生、ありがとう。
と。
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