第8話「揺れるトラックと乙女の一大事」

 蒸気が吹き出るぐらいに赤面した大吉が崩れ落ちる。そして頭を抱えて四つん這いになり、いわゆる反省のポーズをとっていた。

 彼はピュア過ぎた。そして、大人のお姉さんに弱かった。

 大吉撃沈。

 そんな大吉を尻目に、彼女は次の標的に向かう。ベンチに座っている男の前に仁王立ちになり、それを見下ろした。

 この男、まじめに仕事をする気概はあるのかと言う目。

 綾部はその目を見て、遊びすぎた、あちゃー、こりゃだめだと観念した。

「綾部軍曹。この騒ぎについて説明」

 二回目ともなると、さすがに怒り心頭。彼女の目は充血し、唇が痙攣している。

「いやー、つい、きのいい坊主を見ると」

「ああ?」

「可愛くて、からかいたくて」

 ゴン。

 座っている綾部が背筋を伸ばし縮こまる。思いっきり打ち付けるようにして彼女の左手がベンチに置かれたからだ。

「いいかげんにしろ」

「す、すんませんっしたっ」

 その後、彼は新入生を目の前にして、彼女から説教を受けることになる。

 羨ましそうに見る数人の男子と、恐怖を感じている数人の男女、そして関わりたくないような顔をする女子の目が痛い。

 大吉なんかは、その後姿を呆けた顔で見つめ「モチモチ……いい……」なんて呟いている。

 だいぶ後遺症が残ってしまったようだ。

 説教は十分ほど続き、その間に本日到着予定である最後新入生がやってきた。

 長身眼鏡の彼は無言でその光景を見た後、何事もなかったかのように新入生の列に入る。

 彼は宮城京ミヤギキョウと名乗った。

 プンスカしていた日之出もさっきの十分間で綾部に出し尽くしたのだろう。

 さっきまで尖りに尖っていた険のある声も取れ、穏やかなハスキーボイスで点呼をとっていた。そして、全員がそろったのを確認して、駐車場の方へ誘導する。

 先頭の日之出達が駅の外に出た時だった。

 まぶしい日差しが彼女たちを包む。

 北陸にしては珍しく晴天の今日。

 春だというのに日差しがまぶしい。

 次郎は手をかざして、日光を遮ぎった。

アキラー、遅ーい、こっち、こっちー」

 軍用トラックの前で日之出と同じ中尉の階級章をつけた女性将校が、右手を高く上げてぶんぶん振っている。

 晶とは、日之出中尉の名前である。

「真田中尉ー、遅くなりました、すんませーん」

 その真田中尉にヘラヘラしている綾部が手を振り返した。

 カツ、カツ、カツ。

 晶は普段よりも靴音を響かせながら早歩きで進む。

 もちろん不機嫌な顔をして。

 途中、手をひらひら振っている綾部の手を蝿叩きのようにして叩き落した。それからずんずんと彼女に近づいていく。

 そして、至近距離で止まった。

 すぅ。

 晶が息を短く吸った。

 そして振り下ろされるチョップ。

 次の瞬間頭を抑えながら真田は後退アトズサりした。

スズ! 新兵が来ているんだから! 最初ぐらいは陸軍軍人らしくしないか!」

 鈴とは、真田の名前である。

「痛ったぁ……晶の意地悪、オニ」

 涙目で鈴が抗議する。 

 この二人は陸軍士官候補生学校での同期、一般大学から入った鈴に対して、晶は軍隊の大学――統合士官学校――出身であるが、陸軍士官候補生学校で二人は意気投合し、こういう仲の良い関係になっている。

 一般に統合士官学校出身の者はお硬く、一般大学出身者は柔らかいイメージが強い。

「今日ぐらいはぴしっとしてよ」

 口を尖らす晶。

 それは喧嘩しているような雰囲気ではない、お約束の漫才を見ているような光景だった。

 軍用トラックの周りがほんわかした空気に包まれる。

 さっきまで威勢のいい事を言っていた大吉なんかは尻尾を振る犬みたいな目で日之出を見ている。同様に次郎も少し緩んだ顔をしていた。

 そんな男子の姿を尻目に風子は心から呆れた表情で、声を出さず『お子様』と呟いていていた。

 どいつもこいつもいつまでたっても年上のお姉さんから離れることができない男子達に対してため息をつきたい気分だった。

 ふと、変な気分になる風子。

 一瞬、クラッとした。

 すごい違和感。

 なぜなら、今からいくところは軍隊なはずなのに、何かが違うからだ。

 ――この雰囲気……本当に軍隊? 違わない?

 と疑ってしまう。

 風子のイメージは映画とかで見たことがある軍隊だった。

 ――行くであります!

 ――そうであります!

 ――了解であります!

 ビシィィィッ!

 という感じだ。

 想像していた環境とのギャップが激しぎて、少し混乱していた。

 ――軍隊でしょ……軍人でしょ……もっとこう、ビシッバシッで一切余裕のない緊張感がないといけないんじゃない。

 そう勝手に思いこんでいた。

 もちろん映画、テレビと本から取り入れた知識で作りあげた勝手なイメージというのは本人も重々承知している。

 でも、それにしても違いすぎませんか、と。

 だから、呆れる。そしてイライラするのだ。

 不真面目そうな軍人たちとほんわかする雰囲気に包まれたこの場が。

 私たち軍人になるのよね。

 ちゃんとした軍人にしてくれるのよね。

 と、風子は思うと同時に、自分の適応力の凄さに驚いた。なんだか、入る前から軍人というのに染まってきているではないかと。

 彼女はなんとも調子がずれる不安を胸に、軍用トラックの後ろの荷台に近づいていった。

 


 新入生達はそのまま軍用トラックの荷台に乗せられ、学校に向かっていた。

 トラックの荷台は、両サイド向かい合うように座席――木製のベンチのようなもの――があり、周りは布幌布に囲まれている状態だ。

 後ろがポッカリ開いているのでそこから、遠のいていく風景を見ることができる。

 風子が外を見ていると、生まれ育った舞鶴よりもずいぶんと都会な金沢の風景が流れていった。なんにしても、都会に住めるというのは、うれしいことだと思った。

 香林坊とか金沢の繁華街でぶらぶらと歩きたいところも事前に調べている。

 そうだ、これだ。

 この町には私の高校生活の楽しみが詰まっている。

 今日から三年間、この金沢の風景に詰まっていた。

 憧れの都会。

 その希望が流れていく。

 あれ? どうして?

 時間が経っていくと『あこがれ』が流れて行ってしまった。

 気づけば田んぼ。

 川。

 田んぼ。

 のどかな風景が続く。

 ま、バスに乗れば行ける距離だから、と風子は自分に言い聞かせる。

 そうでもしないと、とてもじゃないが、こんな動物園みたいな軍人や同級生がいるような学校で三年間も過ごせるとは思えなかったからだ。

 不安になる彼女は、隣の緑に視線を動かした。

 彼女は目を伏せながら、隣を気にしているようだった。ちらっちらっと隣の男子――上田次郎――を見ている。

「どうしたの?」

 そう風子が尋ねるが、緑は言葉を濁して返事をするぐらいだった。

 風子が訝しげに緑の方を観察していると、その理由が判明した。

 次郎が緑の肩に寄りかかっているのだ。

 風子は「乙女の柔肌にその汚い頭を乗せるとはっ」と激高しそうになるが、緑がじっと耐えてる姿を見て、言うのをやめた。

 また、こんなところで騒ぎを起したくない。

 これ以上、あの日之出中尉を怒らせると、大変な事になることは想像できた。だから、なるべく穏便に済まそうと思ったのだ。

 とりあえず状況を再確認。

 次郎が寝ている、無意識に頭を緑の肩に乗せている。そして緑は起きている。

 風子はチーンと頭の中で音がしたと思った。

 アイデアが浮かんだのだ。

 そう、寝てるのを起せばいい。なーんだ単純じゃないかと。

 さっそく緑に「頭が乗ってきている肩で頭を突いて起こそうよ」と耳打ちする。

 手で肩を叩いたほうがいいんじゃないだろうかと思うが、女子が男子の体に触れるなんて恥ずかしくてできないと思う風子なのである。

 さっき、十分次郎と触れ合ったばかりであるが……。

 緑はコクリとうなずき肩を揺らす。

 すると、眠りこけた次郎の頭はその揺らしにより肩から抜けて、そのまま横に倒れるようにして緑のひざの上に頭が乗りそうになった。

 これはいけない、乙女の一大事。

「あちょー!」

 風子の気合一閃。次郎の脳天にチョップ。

 はっと目を覚ます次郎。

 何が起こったのかよくわからないが、頭が痛いのでそこをさする。きょろきょろするが、緑も風子もそっぽを向き、完全に無視した。

 次郎は一瞬だけ考えるが、何事もなかったかのように眠る。

 今度は右隣の眼鏡をかけたクールそうな学生――宮城――にもたれ掛った。

 そんな風景で小一時間

 トラックは揺れる。

 クッションも何もない、板だけでできている荷台の座席。そのせいで、少年少女達のお尻は痛くなっていた。

 こんなトラックに乗るのは初めてだから。

 得体の知れな不安があふれそうになる。

 そして、不安を抱えながらも、なんとなく、何をやっても、なんとでもなる予感がしていた。

 よくよく考えるとお堅い世界だろう思っていたのに、思ったよりも楽しそうな世界じゃないかと。

 あんな変な大人達がいる学校。

 けっこう楽しめるかもしれない。風子はそう思いなおした。そして、自分の心境の変化にびっくりしていた。

 ずっと後ろ向きだったあの町、あの中学校から離れただけで、こんなに前向きになれるとは思っていなかったからだ。

 新しい生活。

 少しだけドキドキしていた。 

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