第7話「いいかげんにしなさい!」

「お、坊主、うちの新入生か?」

 ベンチに腰かかけてニコニコ顔の綾部はそう手招きをしながら声をかけた。

 栗色に近い茶髪の男子、陸軍少年学校新入生の松岡大吉マツオカダイキチは少し首を傾けながら綾部にガンを飛ばした。

「あ? 誰だ? 坊主って」

 綾部は一瞬だけ目を細めた。そして、ヘラヘラした顔に戻った後、手を叩きながら爆笑する。

 ひと通り笑いの発作が収まると、未だ笑いを堪えて耐えているのだろう、苦しそうな表情で大吉を見上げた。

「すまん、ごめん、笑いすぎた……いや、その反応がかわいくてかわいくて」

 そう言ってペコリと頭を下げた。

 謝っているが、既に口元が緩みだしている。

「なんだ、てめえ! 喧嘩売ってんのか、コラァ!」

 大吉は精一杯凄んでいる。

 そんな恫喝にはまったく動じない綾部。

 むしろ笑いを堪えるのが精一杯という顔のままペコリペコリと頭を下げた。

「いや、違うんだ、喧嘩は売ってない、ははっ……いや、もうツボなんだよ、その態度とかその目つきとか、うははっ……ごめんごめん」

 と言って綾部は胸の前で両手を合わせた。

 『許してちょうだい』のポーズだ、だが笑いを我慢できず、すぐに吹き出してゲラゲラ笑い出してしまった。

 大吉はこめかみに血管を浮かせながら怒りの表情を見せる。

 初めが肝心。

 それが彼が十五年生きてきた中で学んだ処方箋。

 こういう反抗的な態度が彼にとっては自然な対応だった。

 ある意味綾部の方が大人気ない対応と言えるだろう。

 十五の男子に対していい大人が挑発しているのだから。

「くそがっ」

 とは言ったものの何もできる立場ではない。

 大吉にしてもムカつくからと行って「はい帰ります」なんて言える状態ではない。

 彼は彼なりの事情がある。

 どうしても、この学校で三年間を過ごさなくてはいけない。

 このちょっとした騒ぎに学校に関係ない通行人もじろじろ見だした。他の新入生達は大部分がひそひそ話すか見て見ぬ振りするような状態である。

 誰も関わり合いたくない。

 学業についての成績優秀者が選定されて来た学校である。

 あまりこういう『不良』的な学生に免疫がある子は少ない。

「くそっ、見世物じゃねえんだ!」

 大吉が、周りの新入生を威嚇する。

「いやー、いいねえ、面白い」

 ますますうれしそうな綾部。

 その時だった、その遠巻きに見ている新入生を掻き分けて一人の女子が彼の横に立っていた。

 風子だ。

「ピーピー、ピーピー、うるさい」

 はっきりとし、そして低い声で彼女は言った。

「なんだとっ!」

 大吉はぐいっと風子に近寄り、睨みつけた……と、言うよりも見上げるような状態だ。いかんせん、風子の方が背が高い。彼は小柄で一六〇㎝ぐらいなのだが、彼女は五、六㎝高い。そして、綾部の方をキッと睨んだ。

「綾部軍曹も、子供に喧嘩吹っかけるとか、子供じゃないんですから、やめてください」

「あー、そだね、ごめん」

 素直な綾部はペコリと風子に謝った。

「お前、生意気」

 声を震わせて怒りをあらわにする大吉。

「や、か、ま、し、い」

 風子は淡々と威圧する。

「くそがっ! てめーには関係ねーだろ」

「あんたね、その人にからかわれてるだけって分かんないの? ガ、キ……見てて恥ずかしいの、この空間にいることが耐え切れない」

「うるせえ! てめえ痛い目みたいのか」

 風子は呆れた顔で、ため息をついた。

「ほんと、男って最低、子供ガキ、こんなのといっしょに学校生活を送らないといけないなんて、不憫、ほんと不憫すぎる……」

「っだと、こらぁ!」

 その光景を見ていると、誰もが大吉の悲しい姿に同情する。

 完全に口では負けているのだ。

 だが、彼も不良のはしくれである。

 周りに見られている中で、完全に馬鹿にされていることは認識していた。

 見栄も恥ずかしさも悔しさも、そんな感情が彼の中で渦巻いて、頭に血が上ってしまった。

 だから、普段は女子に対して絶対にしないこと――暴力――を選んだ。

 彼が左手を伸ばして風子の肩に触れ、掴む。

 そして右手を振り上げた。

 風子もまさか女子に手を挙げるとは思っていなかったから、ゾクッとして血の気が引いた。

 中学校でも不良たちに一目――どちらかというと、惚れられていた――置かれていたから、決して手を挙げられることはなかった。

 振り上げられた右手に目がいった瞬間、彼女は怯えの表情に変わる。

 が、その右手を打ち付けるような音はなかなか響かない。

「まあまあ」

 大吉にしてみれば何が起こったかわからなかったのだろう。

 目の前の「まあまあ」言う男子をキョトンとして見ている。

 なぜなら、風子を掴んでいた左手を不思議なほど自然に外されたのだ。そして、振り上げた右手がくるりと後ろに回転させられ、拳は太ももの位置に固定された。

 次郎だった。

 彼は一瞬にして大吉の間合いに入った。

 古武術特有の上下運動の無い間合いのつめ方だ。

 大吉からすると彼が一瞬にして短い距離を飛び込んできたように見えた。

 さすがに大吉も度肝を抜かれ、動揺してしまい間が抜ける。

 次郎はその瞬間を狙った。

 大吉の右腕を絡み取るようにして、力の入らない方向にスルッと円の力を加えて、それを無力化した。

「この女の子に関わっちゃだめだ」

 真顔の次郎。

「な、な……」

「俺も痛い目見たから、それにあんな大人を相手にしちゃいけない」

「うるせえ!」

 次郎は一七〇㎝半ばあるぐらいの背格好なので、兄と弟の喧嘩のように見えなくも無い。

 大吉はその背の低さでだいぶ損をしている。

 どんっ。

 彼は次郎に体をぶつけるようにして間合いを詰め、息がかかる距離でガンをとばした。

 それに対し、次郎は笑ってごまかすようにして両手を肩の位置に開いて『何もしない』という合図をした。

「落ち着こう、ね、えっと、俺、上田次郎」

 困った顔をして笑いかける次郎。

 それを見て益々イライラして声を荒げる大吉。

 そりゃそうだ、馬鹿にされているとしか思えない。

「うるせえ! 馬鹿野郎、俺は松岡大吉だ! 地元の中学じゃ、番張っていて、市内の他の奴らも俺に……」

 次郎が間に入ったため、文字通り間が抜けてしまった風子は、未だピーピー言っている格好悪い男子を呆れ顔で見ている。

「えっと大吉君、この女子は、まじ性格悪いから、関わったらすごく面倒になるから、うん」

「はあ!?」

 今度は風子が声を荒らげる番だった。

 すごく騒がしい。

 この三人ともに手も届くような位置で座って観戦――本当にプロレスでも見ているような態度――している綾部軍曹はすごく楽しそうだ。

 風子はちらっと彼の態度と表情を見て、今度はジト目で、この大人を見る。

 まったくどいつもこいつも男子という生き物はお子様過ぎて疲れる。

 そう思った。

「あ」

 次郎の困った顔の笑顔が凍りついた。

「ああ?」

 その変化に自然と呼応して脅すように怒鳴る大吉。

 次郎が引きつった顔で『後ろ、後ろ』と指を刺す。

 それに大吉が気づき後ろを振り向こうとした時だった。

「いいかげんにしなさい!」

 キリッとして、そしてハスキーな声が響く。

「だ! こらっ!」

 大吉は威圧に対して、反射的に動く癖がついている。

 すばやく体をくるっと回し体を一八〇度回転させた。

 後ろに立ていた長身の日之出中尉の胸が目の前に現れ気負される。それも一瞬のことで、大吉は負けてたまるかと、逆に一歩詰めよろうと足を踏み出した。

 が、それは結局できなかった。

 バランスを崩したからだ。

 何かに躓いた。

 足。

 一瞬だった、ニヤける綾部が、サッと足を伸ばし彼の足をひっかけたのだ。誰にも気づかないぐらいその動作は一瞬のことだった。

 そして何食わぬ顔のまま、楽しそうに目の前のショーを観戦し続ける。

「うわあああ」

 大吉は情けない声を出した。

 転ぶのが怖かった訳ではない。

 今の体勢に対して叫ぶしかなかった。

 顔がとても柔らかいものの間にうずもれていた。

「で、何?」

 その光景を見ている他の新入生も凍るような冷たい声が大吉の頭上から降ってくる。

「え、あ、いや」

 彼は耳まで顔を真っ赤にしている。

 早く顔をどけなければいけないと頭では分かっている。わかっているが、パニック状態のため、そこから動こうにもどうすることもできない。

 彼はつま先を伸ばしたままなんとか倒れないようと、日之出に寄りかかっていた。

 結果、彼女の胸に顔を挟み込むような形でしがみ付いてしまった。

 日之出がため息をつく。

 怒ると言うよりも呆れた顔をしていた。

 彼女はばたばたする大吉の頭を持ったまま、ひざをつくようにして姿勢を低くした。

 彼も同様にひざをついて、やっと体のバランスを取り戻す。そして彼女からなんとか離れることができた。

 さっきまでも威勢はどこに行ってしまったのか、赤面し呆けた顔をしている。

「いい?」

「え?」

 いい、と聞いた日之出は笑顔だった。

「口を閉じる」

「は、はい」

 まだ顔が赤い大吉は素直に頷く。

「歯を食いしばる」

「え?」

 小気味のいい音だった。

 見事な平手打ちが炸裂し、彼の顔に手のひらの型が作られた。

 うわぁ……痛そう。

 そこにいた新入生や綾部軍曹、みんなが声を出さずに呟いた。

「これは暴力じゃない、報いを与えただけ」

 と、日之出がぶたれた頬を抑えたままの大吉を見下ろして言い放った。

 そして少し体を屈めて耳元に口を近づける。

 ――えっち。

 と囁いた。

 

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