第6話「腹筋おっぱい」

 さっきの騒ぎから十五分ほど経った今も三人は気まずく黙っていた。

 見かねた綾部が三人の頭を「自然体、自然体、青春、青春」と言いながらポンポンと叩いて、離れて行った。

 喫煙室に行ったのだ。

 きょとんとする風子と緑。

 そして目が合って、互いに笑った。

「あの人変」

「うん」

 風子の言葉に緑が笑う。

 その顔を見て、風子は意を決した。

「三島さんの名前、みどりってどういう字を書くの?」

 どうしても緊張気味の声になる。

 たった一言、それだけで緊張してしまう。今までの彼女はその一言が出ずに苦しんでいた。

 その一言のために凄まじいエネルギーと勇気を必要とした。

 言葉に出すことを躊躇っていた。

 ――自然体。

 その言葉を聞いた時、彼女は肩の力が抜けた気がした。

 すでに恥ずかしいことをやってしまい、捨てるものがなくなったのも手伝った。 

「絵の具とか木とかに使われる緑、糸辺のリョクとも読む、あの普通の緑……です」

 彼女は少し恥ずかしげに言った。

 緑はあまり自分の名前が好きではない。どうして翠、碧といった可愛らしい漢字を親が選ばなかったのか、そんなわだかまりもあった。

 一方風子は普通に緑と聞いて心がときめいた。なんか、すごく良いと心から思ったのだ。

 素朴でかっこつけていない、自然な感じ。だから素直に声が出た。

「かっこいい、なんか緑って漢字落ち着く」

 その言葉を聞いて、緑は赤面して俯いた。そして少しだけ口元が緩んでいた。

 今まで名前についてそんな風に言われたことがなかったからだ。

 すごくうれしいと思っていた。

 風子は誰にも気づかれないように深呼吸をした。不安が一気に取れていた。

 短いやり取りだが、彼女が前もって準備をしていた言葉はぜんぜん出てこなくて、しゃべりながらハラハラしていた。

 自然に思ったことをそのまま言葉にして話してしまった。

 そして、それがすごく清々しいことだと実感した。

 慣れていないのだ。

 初対面の人と仲良くなる事が。

 だから彼女はこのまま自然に任せて話そうと思った。準備していた言葉なんか忘れて。

 風子は少しだけ息を吸った。

「私のこと風子でいいよ。ねえ敬語もなしで。せっかくここで会ったんだし」

「……うん、私も緑でいいよ」

「ありがとう。緑さん」

 風子がそういうと、緑は少し困った顔をする。

「あ、さんもやめようよ」

 少しためらいがちに緑が言う。

「う、うん、わかった、緑ちゃん」

「よろしくね、風子ちゃん」

 意気投合した二人。

 次郎はとても置いていかれた気分に浸りながら彼女達を見ていた。そして、二人を見比べどちらかといえば大人しそうな緑ちゃんの方が好みだな、と思う。

 中村風子は絶対にないと思った。

 ふと、あの手の感触を思い出す。

 次郎は右手を見つめお椀を握る形をしたあと、バッと手を開いた。前者は姉、後者は風子だ。

 ――あれは違う。おっぱいじゃない。おっぱいは掴めるし柔らかいものだよな、姉ちゃんのは、もっとこう……。

 もやもやとした気分になりそうになったため、頭を振って妄想を追い出す。

 シスコンだからしょうがない。

 ついつい、姉と比べる性格は直したほうがいい、そう本人も思っているが、幼いころから植えつけられたものはなかなか払拭できていない。

 後日、彼はこの出来事について、ラッキースケベの称号を友達から与えられる。

 その時の感触についてこう感想を言った。

 ――腹筋。

 と。

 もちろん、その言葉は風子の耳に入り、ぶん殴られることになるのだが、それは後々の話である。

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