第4話「ドウテイには気をつけろ」
綾部が招き寄せた男女二人の新入生は顔を合わせるなりお互いに固まった。
「げ」
「げげ」
中村風子は「げ」と言って顔を仰け反らせた。そして眉と口の端をひきつらせた。
同じく上田次郎は「げげ」と言って顎を引きながら肩を寄せる。そして、深い皴を作るようにして眉をしかめた。
「お? 知り合い? まさか、元カノ元カレの関係とか」
綾部軍曹が囃し立てる。男女二人、出会った瞬間にお互いに顔を引きつらせて「げ」である。
何かの因果が二人の間にあったとしか思えない。
「そんなんじゃありません」
と風子が声を荒げて否定する。
「そんな訳ありません」
と低めの声で次郎は否定した。
その態度を見た綾部はますますニヤけた顔になる。
かわいいのだ。
こういう青少年を見ているとうきうきしてしまう。だから彼は「青春だねー」とか呟いて二人をからかった。
「ま、とりあえず、ようこそ陸軍少年学校、第一〇九少年学校へ、歓迎しちゃうよ」
綾部はそう言って次郎の頭をポンポンと叩いた。
「この辺でちょっと待っててくれ、まだ他にも来る子達がいるから、この時間帯は」
ヘラヘラ笑っている綾部と、それに対面している男子と女子はむすっとしたまま別の方向を見ている。
端から見ると、不思議な光景なのかもしれない。
「あー、俺は人事係の綾部軍曹、軍曹ってのは階級な、どうだ? 軍隊っぽいだろう、ま、軍隊に来て、ぽいはないよな、ぽいってのは」
と自分で言って自分で笑っている。
「あー、軍曹ってのはあれだ、下士官の階級、下士官ってのは平たく言えば、分隊長クラス……そうだな七、八人くらいの部下を持つぐらいかな。ま、ぶっちゃけ下っ端なんだけど」
そしてチラッと日之出中尉が立っている方に目配せをして、急に小声になった。
「あの人は中尉な、将校さんってやつ、まあ将校の中では下っ端になるんだけど、俺よりずっと偉い、しかも怖いんだよ、あの人、気をつけてな」
次郎も風子も軍服を着た女性を目に捉えた。
二人には『目の前の軍曹に比べたら数段まともな感じの人』『けっこう綺麗な人』と思った。
「ま、おいおい階級とか覚えていくと思うから慌てなくていいよ、あーそうだ、用事があってちょっと行ってくるから、はい看板、ちょっとおトイレ、留守番よろしく」
綾部はそう言うと次郎に看板を押し付け、さっさと喫煙所に向かって歩き出した。
もちろん便所ではない。
ぽつりと残された二人は、適当人間としか思えない綾部に呆れていた。
彼が居なくなると呆れた顔をお互いに向け合いそして苦笑する。
同時にはっとした。
そして、互いにそっぽを向いて不機嫌な顔を作った。
ちら。
次郎は気まずさから、ちらちらと体の向きを変えるついでに風子を見てしまう。
そういえば良く顔を見ていなかったし、だいたい名前も知らない。
気になる。
一方風子はそんな視線が気になり、そして気持ち悪いと思った。
母親がよく言ってたことを思い出す。
――ああいう、チラ、チラ見る男は、だいたいドウテイ。経験がないから意識したくなくても、意識しちゃうのがもろバレなのよ。
なるほどと、彼女は思った。
確かに目の前の男子はなんとなく童貞っぽい。
風子も経験は無いが、理不尽に上から目線で見ていた。
――ドウテイには気をつけるのよ。基本がっつくし、女の子をちゃんと扱えないし、雑だし、ちゃんとすることしないから。
――とはいっても遊びなれてる男もやめたほうがいいわ、見分け方? そんなの、勘よ、勘。
なんて偉そうに母親が講釈しながら風子に植えつけていった言葉がどんどん蘇ってくる。そして、昼間っからやるとかやらないとかそういうことを考える自分が恥ずかしくなってきて顔を伏せた。
母親みたいになりたくはなかった。
――だいたいお母さんだって、まともな男の人連れて来たことなかったじゃない。
彼女にとっての母親は反面教師だった。
それでもその経験とやらで、男を見分けるための言葉を繰り替えし刷り込まれている。
影響されていた。
つまり彼女にとって次郎は『女と見れば誰にでもがっついて、とにかくやることしか考えない、雑な男だ』と、この短期間でレッテルを貼りつけていた。
第一印象恐るべし、そして次郎は不憫である。
そもそも人付き合いは得意ではない。
風子は中学校では浮いていた。
彼女は
中一の時、クラスでいじめられていた女の子に味方をしたため、いじめグループの標的になってしまった経験がある。
最初は無視から始まった。
残念な事に、いじめられている子もいじめる方にまわって、何かに付けて班を組むときは一人ぼっちになった。
彼女も黙ってはいない。
物理的な行動に出てくるのをじっと待っていた。
そして机の落書き、教科書への落書きが始まった時、しっかりと小型カメラでその姿を録画した後、ずかずかと教室に入り一人一人を張り倒していったのだ。
もちろん、いじめグループの親が「暴力だ」と言ってきたが、彼女が録画した動画を見せると相手の親は黙った。
――やっぱり、血は争えないわねえ。
母親は娘の話を聞いてそう言ったという。
小型カメラは母親が経営するスナックに置いてある『何かあった時の備え』として置いていたものを借りて来たのだ。
それからはいじめグループだけでなく不良グループからも一目を置かれる存在になってしまった。
そのため、一匹狼の不良――本人は至って品行方正に生きているつもりだったが――として恐れられ『姐さん』『スケバン』という、とても恥ずかしいあだ名を付けられる三年間を過ごすことになった。
だから、新高校生活では、人間関係だけはうまくやろうと思っていたのだが……。
――さっそく失敗とか笑えない……。
風子は不機嫌そうな顔をしている次郎に目をやる。
そういえば、よく顔を見たことがなかったからだ。
見た目はカッコいい部類なのかもしれないと思った。しかし風子は所謂イケメンという生き物は好きではない。
母親が連れてくる若い男がそのイケメンだったし、中学でも言い寄ってきたのはそのイケメンと言われる人間だった。
カッコいい顔というのはあまり信用できないと思っている。
風子の好みは目力があって素敵な表情をする男子だった。小学生の頃の初恋も、そういう男の子だった。
そんな考え事を中断させる声。
「あ、あの」
消え入りそうな女の子の小さな声が聞こえた。
「陸軍少年学校の新入生……ですか?」
風子よりも背が低く、前髪ぱっつんショートボブ、垂れ目でおっとりした感じの顔が特徴的な女子。
「俺、陸軍少年学校の新入生の上田次郎。九州から来たんだけど、君は?」
がっつくように次郎が話しかける。彼は風子にさっきまで向けていた表情とは一八〇度違う笑顔を女の子に向けていた。
風子は返事をしようとしたところを次郎に邪魔されたため、口の中でもごもご話そうとした言葉を飲み込んでいる。
「
ぺこりと頭を下げる。
「静岡、あ、俺の親戚が……」
次郎の言葉が途中で遮られた。
風子がぐいっぐいっと捻り込ませるように彼と緑の間に入り込んだからだ。
風子は次郎に向けていた表情とは天と地の差の笑顔を緑に向ける。
「私は中村風子、風の子と書いて風子、京都から来ました、京都って言ってもぜんぜん京都らしくない町なんだけど、舞鶴って聞いたことある?」
右腕を次郎の体の前に伸ばし、彼が前に出ないようにガードする。
風子は必死だった。中学生の頃とは違う。
私はこの子と友達になるんだ、と熱くなった。
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