第3話「日之出中尉と綾部軍曹」
「その趣味の悪い看板は何?」
金沢駅の中央ホール。
股を大きく広げベンチにどかっと座っている男がいる。
陸軍の制服に軍曹の階級章を付けている彼は『ようこそ陸軍少年学校へ!』と書かれた看板を肩に担いだまま欠伸をしていた。
その彼の後ろに立ち、声をかけたのは同じく制服に中尉の階級章を付けた女性将校だった。
彼女の長い髪は首の後ろあたりで纏められていて、軍曹とは対称的にきっちりとした身なりだった。
刺のあるハスキーな声。
ベンチに腰掛けている男――綾部軍曹――は首だけ向けてヘラヘラした顔をだった。
「このまわりについてるボンボン、可愛いでしょう、あ、このりくちゃんの絵とか、なかなか上手いと思いません?」
「学生? これ作ったの」
「いいえ、現役の若いやつらですよ」
彼女――
そして、微妙な表情になってしまった。
あまり、いい光景ではない。
「二中の伊原少尉は可愛いって褒めてくれたんですが……ああ、やっぱり副官にはあれでしたね」
副官とは日之出の事だ。
中隊付副官、中隊の先任幕僚として、小隊長など中隊の将校のまとめ役である。
「あれって何よ」
訝しげな目で彼女が返す。
「それ以上は言えません」
ニヤッと笑う綾部。
それに対し、売られた喧嘩は買うのが彼女の信条。
「来月の有給は無し、言わないのなら」
へらへらしていた綾部の顔が一瞬凍る。
「でも正直言っても……いつも怒りますよね」
「怒りません、あー、有給欲しくない? ツーリング予定してるんでしょう? えっと、付き合っている年上の彼女と」
彼女は彼の顎に手をやり、クイッとそれを上げた。
そして腰を曲げ冷たい眼差しのまま座っている彼に顔を近づける。
「早く言え」
凍りついた笑顔のまま、綾部は観念して口を開いた。
「伊原少尉はお若いので……」
「死にたい?」
「滅相もない、副官は素敵な大人の女性だと褒めてるんです」
「ほうほう」
綾部は堪えきれず、そっぽを向く。
――まったくこの女、そっちの意識はねーのかよ。
彼女が上半身を倒すものだから、嫌でも目の前にその強調された胸が迫ってくるのだ。
それに、これだけ体を近づけると、彼女からほのかに柑橘類を思わせる心地良い香りに包まれてしまう。
彼は普段はまったく女性として彼女を意識していないが、ついこういうギャップにドギマギしていた。
年下の癖に、なんとも扱いにくい上司ではある。
「臭い」
日之出が顔をしかめた。
「くさい?」
「タバコ臭い、加齢臭酷い、今から子供たちを迎えるのに、そんな臭い出してたら品性が疑われる、嫌われる」
中隊付副官の日之出、それから人事係の綾部は新入生達を駅まで迎えに来ていた。
複数に分かれる新入生の到着に合わせ、受け入れ当番を中隊毎に割り振っている。
ちょうど今日が日之出たちが受け入れをする当番だから朝から夕方まで一日中ここで待ち構えていた。
駅に到着した子を誘導し、別の当番に引き渡す。そして、軍用車に乗せ、学校のある駐屯地まで輸送する。
「あ、副官この看板持っててもらえます?」
「どうして?」
「いや、もう三時間もここにいるもんですから、これが切れちゃって」
綾部はタバコを吸うふりをする。
「我慢しなさい、ねえ、さっきのこと聞いていた? あなた匂うって、臭いって」
彼は絶望したような表情をしたまま「オニババ」と口パクで抗議するが、彼女に睨まれすぐに口を閉じる。
そうは言っても彼女は今年二十八。ひどい言い様ではある。
だいたい、綾部の方が年上だし、むしろ無精髭のせいで年齢以上に老けて見える。
どちらかというと、こいつの方がおっさんである。
「髭剃ってない」
「ばれました?」
「靴が汚い」
「そこまで汚れてませんが」
「ネクタイの緩み」
「いや、暑苦しいので」
「あ?」
ギッとした表情で凄む日之出。
こんな顔をするから、浮いた話の一つも聞こえないんですよ、と綾部はいつも思ってしまう。
「いえ、なんでもありません」
彼女は胸の前で腕を組み、こめかみに血管を浮かせながらダメ軍曹を見下ろす。
ちなみに中隊では『お局様』『女王様』と言うあだ名が付けられている。
こういった彼女の日ごろの行いのせいであることは明白だ。
「ったく、身だしなみもできない人が、これから青少年の育成を担う立場に……」
言葉を遮る様にして、彼は勢い良く立ち上がった。
「あー来た来た、若いのが来ましたよ、説教は後で受けますから、ね」
説教から逃げるように彼は立ち上がり、大きな荷物を運んでいる若い少年少女に向かって看板をぶんぶん振った。
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