第2話「一期一会は大切に」
列車が駅で止まった。
通路に目をやるとコートを着た年上の女性がとことこと歩いて行く後姿が見えた。
――姉ちゃんは僕を泣いて見送ったけど、泣きやんだかな。
背格好が姉と似ていたものだから、家のことを思い出した。
シスコンである。
泣いて見送った八歳年上の姉。母、祖母そして妹の顔が浮かぶ。父親は見送りに来ていなかったから頭に浮かばなかった。
母親が父親が来なかった理由を『送り出すのがつらいからひっこんじゃったのよ、メンタル弱いからね、昔からあの人は』と説明していた。
次郎の姉は弟を溺愛していた。どのくらいかと言うと『弟に変な女がくっつくようなら、私が食べる』と平気な顔で言って、女友達にドン引かれる程度である。それが彼が自由を無くしてでも陸軍少年学校を選んだ理由の一つだった。
次の駅。
すぐに自動ドアが開き、冷気が車内に入ってくる。
止まった駅の名前は鯖江『めがねの町、鯖江』と大きく書かれた看板があった。
「鯖じゃないのか特産品」
次郎はつい独り言を声に出てしまい、すぐに口を押さえる。そして、それされも恥ずかしくなり一人赤面していた。
恥ずかしさを紛らわせるため、怒ったような表情で窓の外に視線を向ける。
だから、座席の前で「席空いていますか?」と声をかけてくる人に気づかなかった。彼女は次郎と同じように大きな荷物を持った同い年の女の子だった。
「ここ……空いてますか?」
彼女がそう何度か声をかけたが、彼は不機嫌な顔で無視――彼女からはそう見えた――している。
さすがに彼女もイラつき、顔を紅潮させてむっとした顔をする。そして、わなわなと唇が震えた。
彼女は元来、気が強い女の子だからしょうがない。
「こっちが丁寧に聞いたら無視しやがって! 席が空いていないんだから、このでかい荷物をどかして! 無視するな! そこの男子!」
その声にビクッと反応した彼はその迫力に圧倒され、口をパクパクさせていた。
姉のせいで、強気の女性に反抗できないプログラムが植えつけられているからだ。三つ子の魂は恐ろしい。
次郎は慌てて、シートに乗せていた自分の旅行鞄を地面に下ろす。そしてそれを両足で挟むようにして足元に置いた。
「い、いや、気付かなくて」
彼は情けない位うわずった声で言い訳をする。それに対して彼女はじっと睨みつけ、彼と同じように大きな旅行鞄を足元に置いた。なんとなく乱暴な仕草で。
それから通路側を睨み、決して目を合わせようとしなかった。
それはそうと、次郎は、電車の中の出会いというものに密かにあこがれていた。残念ながら彼の中学は電車通学なんてものは無かったからだ。高校生になったら、そういうところでの出会いをしてみたいと思っていた。希望に胸を膨らませていた。それだけのために、電車やバス通学するような高校を目指そうと思っていたぐらいだ。
もちろん、そんな小さな憧れも例のピンクの紙でぶっとんでしまっていたが。
――これって、憧れのシチュエーションだったのかも……
目の前の不機嫌そうな風子を見てそう思う。彼はそこそこポジティブな人間でもある。
だが、せっかく与えてもらっていたこのチャンスも台無しにしてしまったことで、彼は激しく後悔していた。
もし、気付いていれば、声も掛けやすかっただろう。
これって人生最後のチャンスを潰したんじゃないだろうか……なんて考える。
まずは、謝ろう。
誤解を解こう。
それから『どこに行くんですか?』『何年生?』『俺は九州から来たんだけど』なんて聞いてみよう」そう彼は画策したが、なかなか声がでない。
父親に似てびびりなのだ。彼は結局そのまま、ずっと窓の外を見ていた。
それでも彼は目の前の風子が気になってしまう。ちらちらと見ている。
そして自分に言い聞かせていた。
――大丈夫だ僕。
――人生最後のチャンス。
――練習だ練習、二度と会わない女の子、話しかけて無視されても、なにも恥じることはない。
一方風子は母親の言葉を思い出していた。
――いい? ふーこ、ぜったいに馬鹿な男と付き合っちゃだめよ。
さっき電車に乗る前にそう母親に言われたのだ。
陸軍少年学校に入る娘の門出の言葉である。彼女は京都の舞鶴から福井県は鯖江市にいる親戚の家に寄ってから、母親と別れ金沢に向かっていた。
――がんばれの一言もないんだろうか
そう考えるから、ますますブーくれた顔になりながらマフラーを少しきつめに締めた。
彼女は伸ばしていた髪を切って、ショートカットにしたものだから首元がスースーして気になるのだ。
いつものことだが、彼女の母の発言はツッコミどころが多い。自分自身がいわゆる『ダメな夫』をもっていたくせに。
――馬鹿な男と付き合っちゃだめ。
――軍人の男なんて、ロクなのがいないのよ。馬鹿で頭が固くて、待っていても、だまされて捨てられるだけよ。
――いや、その軍隊に行くんだけど。
――恋なんてものは大人になってからしたほうがいいわ、ちゃんとした避妊の仕方も知らないでやっちゃったら不幸になるだけ。
――三十前の男なんて、オス猫、オス犬といっしょ。やりたいだけ。
なんて、普通だったら男性恐怖症になる様な話を吹き込んでいた。
そんな訳で彼女も男に免疫が無い。
重苦しい空気に風子はため息をついた。
そのうち列車はトンネルに入った。
次郎は窓が鏡になって風子が映っていることに気づく。
マフラー。
ムスっとした女の子のマフラーに値札。
値札。
――うわ、恥ずかしい。
声に出そうになったのを慌てて抑える。
そして、彼は何を思ったのか、最大の精神力と男子の誇りを胸に「値札がついていますよ」と言ってやることを決心した。
今、置かれた状況がなんとも理不尽に感じたからだ。
彼はこの女子がいきなり「席をあけろ」と厳しい口調で言ってきたと思っている。
まさか丁寧に「ここ空いていますか?」と何度も聞かれたなんて思っていない。
密かな復讐。どうせ、一期一会――使い方が違う――二度会うことがないお付き合い。電車の中だけの出会い。
それでも彼は自分がフェミニスト――シスコンではない――と言う自負がある。たぶん、女の子は恥ずかしい思いをすると思う。だからできるだけオブラートに包んで教えてあげよう。武士の情けだ。
彼は仏頂面のままそう思った。
――マフラー、買ったばかりですか?
この程度のオブラートに包んだ表現なら次郎が気を使っているというのも伝わるし、彼女は恥ずかしさを感じると同時に、彼の気遣いに感謝するはずだと思った。あくまで、主観的に。
「あの、そのマフラー、値札付いてます」
実際に出た言葉は、ぶっきらぼうで上から目線、そしてダイレクトな文言。
彼は緊張のあまりうまく口が回らなかったらしい。
口が回るとか回らないとかそういう世界ではないと思うが。
風子は突然言われた言葉が理解できず、眉間に皺を寄せて彼を睨みつけた。そして、はっとした表情になり、それから慌ててマフラーを外して手元で値札を探している。
そして、それに触れると、ゆっくりと顔を上げ彼を上目遣いで睨んだ。
ぶちっ。
値札のタグをつなぐ、プラスチックの輪の方が強度があったのだろう。
それは切れることなく、そのマフラーに縫いこまれた布地のタグごと引きちぎった。
そして、残骸をポケットに素早くしまう。
彼女引きちぎったプラスチックの輪っかと、手の平に食い込んで赤くなってしまった状態を見た後、もう一度、次郎を見る。オロオロする男子。無性にイライラする態度だと思った。
「……何か?」
「……いえ、何も」
次郎がぞくっとするような冷たい声だったため、そう答えるしかなかった。
それから二人は目的地の金沢まで、無言。そこまでは絶対に目を合わせることはなかった。
二人とも、ま、別にあと数時間のがまんだし。と思い込んでいた。
残念ながら、中村風子も金沢に向かっている。
これから嫌でも顔を合わせることになるのだ。
陸軍少年学校の一年生として。
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