第8章 霜月「演習場へようこそ! 大人だって大変です」

第115話「夕食の準備もひと苦労」

  

「許さない……」

 かすれた声。

 睨みあげる三白眼。

「あんたたちが俊介を……」

 楓はそう言ったまま目を伏せた。

「……」

 次郎は何も言わない。

 言い訳なんて口にしても意味がない。

 何もしていなかった。

 体育祭の時の様なことはやっていない。

 だから。

 だからこそ、俊介はここから居なくなった。

 消えてしまった。

 いや、逃げ出したのだ。



■□■□■


 ――ドナドナドーナードーナー。

 ――荷馬車がゆーれーるー。

 そんな曲が似合いそうな軍用トラックの荷台――左右に木製のベンチの様な椅子が設置されている――に学生達はぎゅうぎゅう詰めの状態だった。

 荷台のほろがバサバサと大きな音を立てながら揺れている。

 彼らが乗ったトラックは高速走行をしていた。

 金沢から出て、秋の北陸自動車道を南下中。

 峠付近になると、容赦なく冷たい風が入ってきていた。

 座席の下にはヒーターがついているとともに、その上に茶色い毛布が敷かれているためお尻は暖かい。

 学生達はもこもこした防寒服に身を包んでいる。そして、トラックの荷台は男子だろうが女子だろうがすし詰め状態なので、左右の人に挟まれているおかげで傍から見るよりは暖かいのだ。

 だが、荷台の彼らは乗る以外に何もできない状態だった。

 荷台の学生達は分厚い幌に囲われているため、中は薄暗い。そして、彼らは外の風景を見ることもできずジッとするしかない。

 彼らは高校一年生。

 とにかく若い。

 若さというのはとにかく睡魔との闘いである。

 そんなわけで男子も女子もそろってぐっすり眠っていた。

 荷台の中はトラックのエンジンと幌のバタバタという騒音でスピースピーという寝息もかき消されるぐらいに最悪な環境であった。

 でも気にせず眠る。

 学生たちはこの学校に入ったおかげもあって、図太くなったのだろう。こんなのは普通の世界であった。

 それでも数人は眠れない子もいる。

 そのひとりが上田次郎ウエダジロウだった。

 騒音の中でも微かに聞こえる寝息。

 彼の肩にこめかみを預けられた頭。次郎の視界に入る金色の髪。

 ――俺の気も知らずに……。

 やきもき。

 そんな感じの次郎。

 失踪事件の後だった。

 次郎が彼女に告白したのは。

 告白……。

 世間一般の告白と言うには程遠いものなのかもしれないが。

 あの夏休みのキス以来、サーシャにそういう気があるものだと思っていたが、いっこうにそういう気配がないことに戸惑いがあった。

 そして体育祭後の失踪未満事件。

 彼は彼女の気持ちがわからなくなっていた。だからこそ、キスの責任はちゃんととる必要があると思っていた。

 だから彼女とちゃんと話をしたのだ。

 キスしたのは彼女の方なのだが、彼にはそういうことを考える余裕などない、

『ちゃ、ちゃんとお付き合いしよう』

 勇気を振り絞って出した言葉がそれである。

 やっぱりこの少年に余裕などない。

『違う』

 きっぱりサーシャは断言した。

『違う?』

『とにかく違う』

『だ、だってキ、キスしたしっ』

 真っ赤な顔の次郎。

『キ、キスしただけだしっ』

 そう言いながら同様に赤くなるサーシャ。

『じゃ、じゃあ』

『違う、ジロウ、それは違う』

 ここまではっきりと拒否されると、さすがに次郎もしつこくはできない。だから、すごすごとその場を離れるしかなかった。

 一方彼女は彼女で、自分の日本語の語彙力のなさに戸惑っていた。

 なんと言ったらいいかわからなかったからだ。

 ただ、次郎を傷つけてしまったんじゃないかと、終わった後にオロオロしていた。拒否したわけではない、彼女も彼を嫌いではないのだ。

 なんにしてもこのふたり。

 メンドクサイ少女と少年であった。

 サーシャはこの短い留学生活をあの日本の漫画のように楽しみたいと思っていたが、想定したよりも次郎のことを気にするようになっていた。

 あのラブコメ少年漫画のようにびっくりどっきりした日々を送りたいのに、なんだか違う気分にもなっていた。

 どちらかというと日本の爽やか系の少女漫画の主人公に近いものになっていた。

 まあ、日本の文化を漫画で理解し、自分の生活を漫画に投影することが、このロシア娘のそもそもの間違いではあるが。

 そして次郎はただただ男としてきっちり責任を取らないといけないと思っていた。

 そんなふたり。

 重なるはずがない。

 そんなことがあった後に、このサーシャの仕打ちである。

 もちろん彼女に悪気はいっさいない。

 ただ、何もすることがないので居眠りしているだけなのだ。

 次郎はサーシャを起こすわけにもいかず、彼女がもたれかかっている首を動かせないので、視線だけ目を落とす。すると、瑞々しく柔らかそうな唇が少しだけ開いているのが目に入る。

 ようはアホ顔なのだが、年頃の男子は生唾を飲み込むしかない。

 しかも、触れたことのある唇だ。

 次郎は慌てて実家で素読していた論語の言葉を思い出し、断片的だが口をパクパクさせている。

 ――剛毅木訥ゴウキボクトツ、仁に近し。剛毅木訥、仁に近し。

 念仏のように唱える次郎。

 ――くっそーー!

 そんな叫びたい気持ちを抑えながらトラックは揺れている。

 一学年秋季野営訓練。

 学生を乗せたトラックは滋賀県、琵琶湖の北側にある饗庭野陸軍演習場に向かっていた。




 馬小屋のような建物の前、教官の林少尉が飯盒を片手にもった学生達に対し夕食の説明をしていた。

「夕食」

 彼がそう言うと地面に置かれている米袋を指さした。

「米はここにある、調味料はこっち」

 そしてうっそうと木々が茂る林の方向を見る。

「むかご、山芋……山菜はあそこにある」

 学生達は嫌な予感がした。

「蛇には気を付けろ、マムシは触るな、青大将は捕まえてもいいが美味しくない」

 林の胸にはダイヤモンドのき章――遊撃レンジャー――が縫われていた。

 ぐいっと差し出される、プリント。

 学生長の宮城京ミヤギキョウが受け取る。

「……一年生でもわかる山菜の取り方」

 いぶかしげな表情の京は、表紙にある手書きの題名を声に出して読んでいた。

「読めばわかる」

 京はパラパラとめくるが、その手書き感あふれるページの中身が不安を増大させる。

 誰が描いたか、かわいらしいキャラクターが山芋掘りをしている挿絵などがある。

「ねずみ……」

「さきっちょネズミ、ゆるキャラで有名だが、知らないのか? ああ、こっちはリクちゃん」

 二足歩行の巨大ネズミキャラと帝国陸軍マスコットであるリクチャン。

 聞いてもいないのに、林は緑色のブサイクを指さした。

 林は仏頂面のままである。

「現在時1300ヒトサンマルマル1700ヒトナナマルマルまでに食事を作れ、以上、かれ」

 自分の描いた絵が少しでも学生にうけたと思ったのだろうか、林は口の端を少し曲げて喜んでいた。

 もちろん、傍から見ればそんなことは微塵と感じさせない表情である。 

 


 サーシャは材料さえあれば得意のロシア料理でも作るのにと嘆いていたが、あの貴族のお嬢様がそんなものを作ったことがあるはずがない。

 虚勢と見ていいだろう。

 中村風子ナカムラフウコ山中幸子ヤマナカサチコは別のグループでパンフレットを見ることもなく、さっさとむかごを見つけて採取していた。

 舞鶴といえば港町だが、その反対側は山である。

 母親とよく山菜取りに行っていたくちだろう。

 もちろん幸子も北海道の大地で鍛えられている。

 このようにスタスタ歩く田舎育ちと何かと躊躇している都会育ちの学生に行動が二分されていた。

 そんな状況で次郎、徳山俊介トクヤマシュンスケそして京のグループはスタスタ林の中を歩いていた。

「ここらへんに生えてそうだけどな」

 そう言ったのは京。

「むかごはよく採ってたけど、山芋は掘った事ない」

 次郎はそう言いながら、目印となるそのハート形の葉っぱと茶色い丸い粒を探している。

「宮城くんがそんなに詳しいなんて思わなかった」

 俊介が後ろからトコトコついていっている。手にはさっきのパンフレットが握られていた。

「岐阜の山の中で育ったから」

 京はキリットしたシャープな眼鏡をクイッと上げた。

 片手にはスコップが握られている。

「あ、これ」

 俊介がはしゃいだような声でハート形の葉っぱを指した。

 すると次郎が間髪を入れず「それは偽物」と断言する。

「……ごめん」

「謝る必要ないよ、俺だってさっきやった見つけた……って思って、がっくししたばかりだったからさ」

 次郎はそう言って笑った。

 偽物。

 葉っぱがよく似ているオニドコロという植物だ。

 山芋と生えているところが同じなのでたちが悪い。

「山芋の鉄板焼きとむかごの炊き込みご飯かな」

 京がにんまりする。

 彼らは与えられた時間を山芋取りに専念することにしていた。

 あれの美味さをよく知っている二人がごり押ししていた。

「ごめん、僕、料理とかしたことがなくて」

「いいって、切るぐらいはできるでしょ」

「……ごめん」

「あ、いや気にするなって、俊介は都会育ちだもんな」

 次郎はそう言って笑った。

 帝都生まれ帝都育ちの俊介はそれでも申し訳なさそうな顔をする。

「ま、こういうことは田舎者に任せろ」

 京はそう言うとスコップをザクッと地面にさした。

「見っけ、俊介、この茶色の豆粒みたいなやつをむしって」

 彼は目当てのモノを見つけたようだ。

「根っこ、探すんだっけ」

 ぽりぽりぽり、次郎はおもむろにむしったむかごを口に入れていた。

「……え? ナマで食べれるの?」

 俊介が目をまん丸にして聞く。

「うまかよ」

 子供のおやつにしていたことを思い出したのかもしれない、次郎は九州の言葉がでていた。

「う、うん」

 おそるおそる俊介がそれを口にする。訝し気だった表情がぱっと晴れる、そして美味しいと呟いた。

「子供のころ、よく山でおやつにしていたな」

 京は山芋のつたの根元付近をゆっくりと掘り出す。

「……ツツジの花はちゅっちゅしてたけど、こういうのは食べたことがない」

 俊介がそう言うと次郎が「あれ、甘いよな」とうなずきながら、言葉を続ける。

「グミの木とか、近所にあったからよくとってたな」

「グミの木?」

 俊介には、あのキャンディ未満の柔らかいお菓子のパッケージが目に浮かぶ。

 ぶどう味、みかん味、りんご味……あれって木があるんだっけという感じに考えている。

 するとそんな俊介の思考に感づいたのだろうか、次郎が笑いだした。

「妹はグミキャンディーって木からできるの? なんて言ってたけど、もしかして俊介もそう思ったくち?」

「……ち、違……わない」

 顔を赤くする。

「田舎者自慢してどーすんだ」

 京は次郎をたしなめるような声を出す。

 彼は黙々と穴を掘り進めている。

「……あ、なんか哀しくなってきた」

 次郎はしょんぼりしたふりをしながら、もいだむかごを京に渡した。

 ポリポリと京が食べる。

「山芋の鉄板焼きだな」

 ザクっ。

「でかいのが当たればこれ一本で終わるんだけどなあ」

 次郎が穴をのぞき込む。

 土にまみれて、根っこの全容がまったく見えなかった。

「たぶん、俊介が知っているスーパーの山芋とは違って自然薯ジネンジョとか言うものだから、めっちゃ形は悪いけどねばねばがすごい」

 京はそう言いながらザクっ、ザクッと掘り進めていた。

 その時だ。

「マムシだ、うひょー」

 気の抜けるような声。

 彼らから百メートルほど離れた場所から聞こえた。

 マムシ発見で一般人なら悲鳴を上げるはずなのに、その声の主は喜んでいる。

 綾部軍曹だった。

 彼は他の遊撃課程卒業者と同様、マムシを見ると捕獲する習性があった。

「おらあ!」

 そう言ってマムシに蹴りを入れていた。

 林少尉が言ったように、学生達のみで山菜取りをさせている。

 もちろん、それは建て前でところどころ安全面の確認のため、危険な場所には教官陣を配置したり、山菜がありそうな場所は敢えて立って学生を誘導するようにしていた。

 そして、中には綾部のようにマムシ危険区域に立ちあわよくば食材を手に入れようとする人間もいる。

「綾部軍曹、あれ、好きなんですか?」

 マムシ対策係として林も同行しているのだが、おもむろに嫌な顔をする。

 彼は遊撃課程で蛇を生でしか食べたことがない。

青大将アオよりうまいし、炭焼きにすると、めちゃいけますよ」

 そう言って思いっきり蹴ろうとすると空を切って、そのままずっこけた。

「いてええ! こんちくしょう!」

 自業自得を絵に描いたような姿だ。

 マムシ君はその隙をついてそそくさと逃げる。

「ああああ、かば焼きいいいい」

「……」

 林がほんの少しだけ顔を傾けた。

 一応呆れて笑っている顔をしているのだが、やはり傍から見ればわからないほどの無表情である。

「静かにしなさいっ!」

 ハスキーボイスが響き渡る。

 教官のまとめ役である日之出晶ヒノデアキラが騒いでいる綾部を一喝した。

「現役がわーわー騒ぐな」

 そう一言いって立ち去った。

 彼女は巡回して学生達の安全を確認しているのだ。

 その途中に騒がしい綾部バカを見つけていた。

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