第100話「素直と思考停止の間には」
「最近寂しなあ、ジロー君、あんまり部屋にいないから」
次郎の部屋。
ひとつ上の先輩である渡辺潤がそんなことを言っている。
部屋の壁時計の針は二十二時四五分。
消灯のラッパ吹奏が鳴り響く十五分前。
この時間になると、ほとんどの学生は洗面などを済ませ部屋に戻っている。
「どーせ、知らないところで女の子とコソコソ会ってるんでしょ」
ニコニコしながら潤はしゃべっている。
次郎いじり。それが彼の趣味。
「そ、そんなんじゃないんですって」
確かにさっきまで話していたのは女子。
でも、潤が言うような意味で会っていたわけではない。次郎はなんだか悪いことがばれてしまった気になって挙動が不審になってしまった。
この学校の常識からいけば、一年生の男子がこんな時間まで女子と会っていることは非常識なことであった。
部屋の先輩からこっぴどく指導を受けても仕方がないくらいに。
それは次郎も重々承知している。
叱られる覚悟があって次郎は女子と会っていた。
解決しなければならない案件。
例の件。
野中に指導を受けて以来、彼は同期ひとりひとりを訪ねて、話をしていた。
「体育祭の……」
次郎が言い訳をしようと声を出す。でも潤はひらひらと手を振って『わかっていじっているんだからいいよ』という合図をした。
「だって、からかうとリアクションが面白いんだもん、ジロー君」
「……」
次郎はなんだか顔が赤くなってしまった。
「で、うまくいきそう?」
「うまくいっているようないっていないような……」
潤は次郎のこれまでのことがお見通しなのだ。
「ジロー君がやったこと……僕はありだと思うんだな、だから応援してるよ」
潤が言う『やったこと』とは……。
――ごめんなさい……俺、間違ってた。
野中に呼ばれた次の日、次郎は同期全員に対して頭を下げていた。
まず、彼は練習のやり方を変えると言った。
練習は強制参加ではなく自由参加。そして各人の役割分担を考えた上で練習要領を変える。
反発していた学生たちはそれを好意的に受け止めた。
だが、物事はそんなに簡単にはいかない。
焦って謝ってしまったため、事前にこのことを体育委員には言っていなかったからだ。そして、ひと悶着が起きる。
彼は瞬発力が売りだが、それが仇になってしまった。
体育委員という身内こそ根回しとかそういうのが必要だった。
梯子をはずされた状態の体育委員たち。
それはたまったものじゃない。
やってしまった後に、彼はそのことに気付いたがもう遅い。
次郎のまわりからひとが離れていった中、『またやってしまった』と反省していた。
野中から言われた過ちをまたやってしまったから。でも、彼はそこからは丁寧に動いた。
まず体育委員と向き合うことから始めた。
『勝つことが目的じゃない』ということを辛抱強く説明する。
時間はかかってしまうが、ひとりひとりと向き合って話をした。
こうして彼は体育委員の面々に今ままでやってきたことが無駄ではないことや、手段を少しかえるだけだということを理解させ、やろうとしていることを納得させることができた。
そして、風子。
彼女とはじっくり話す必要がなかった。
「上田君が本気で努力しようとしているのはわかった」
そんな彼女の一言。
「別にみんなとべったりすることが仲間じゃないって……それが同期じゃないってことはわかってもらえたようだし」
彼女はそうも言った。
前に次郎が理解できない言葉。だが、今回は彼も理解してこくりとうなずく。
次は練習に来なくなった一〇人。
今日もその内の四人と話をしようとしていた。
結局時間の関係で話すことができたのはまだ三人。
今日、その三人の中に小牧楓がいた。
消灯五分前。
すでに二段ベットの下にひいてある毛布に包まった潤が、上の階に声をかける。
上の次郎も部屋の電気を消して毛布の中にもぐろうとしていた。
常夜灯が灯った薄暗い部屋の中で声だけ響く。
「ジロー君みたいにさ、ひとりひとりと直接話す必要あるのかな、僕だったらばーんと話し合いの場を開いて、みんなで決めちゃうなあ、そうすれば早いし」
「確かに、話し合いにしてもいいんですが……」
次郎はベットを揺らさない様にそっと横になる。
「そうすると声が大きい人だけの意見で決まってしまうか、何も決まらないで終わるかになってしまうと思うんです……みんな考え方が違うから、結局不満は残ると思います」
次郎はやり方を変えると言った。
彼はみんなで話し合うとは言っていない。あくまで決めるのは体育委員長の自分自身だということは揺らいでいない。
雑にならにようにしたかった。
たった三十九人が相手だ。
国会議員みたいに帝国の国民五千万人を相手にしているわけではない。
――誰一人同期だけは見捨てるな、たった三十九人、面倒くさくてもしっかり相手を人間として見ろ。
野中の言葉。
「ひとりひとりの話をしっかり聞いていなかったから、メンドクサイって無意識に思って逃げていたことがわかったんです……今度は逃げないようにしようと思って」
「素直だねえ」
その言葉は潤の口から自然と漏れたものだった。そして彼はうなずきながら、ちらっと隣のシングルベットに横たわる三年生の落合を見る。
潤はこの先輩がいつも無口でミリタリー雑誌をばかりを見ているが、部屋の住人の話はしっかり聞いていること知っていた。
彼はこくりとうなずく。
落合も同じように思っているようだ。
「ま、落ち着くまでここの掃除は免除にするから」
潤はそう言うとベットに横になる。
「いや、それは」
部屋の掃除は一年生がやることが鉄則だ。どんなに忙しくてもそれはやるべきことだった。
「いいよ、がんばってる部屋っ子は、応援するのがお兄ちゃんたちのお仕事だしね」
軽い言葉の中に、あたたかさがある潤の声。
「で、今日はうまくいったの?」
「……どうなんでしょうか」
最初に聞かれた時と同じような回答。
来なくなったグループの一人目。
「小牧という女子なんですが……一番最初に体育委員のやり方に反対していた」
「ああ、あの性格きつそうな女の子、うんわかる」
潤はほとんどの女子をチェック済みである。
「前も話して失敗したんですが……」
雑な会話だったと自覚はしている。
今回は丁寧に話を聞いたつもりだった。だが、結果は変わらないような気がしていた。
「なんか言われた?」
「勝手にしてって」
「勝手に」
そう復唱すると潤は笑い出した。
「前は『やめろ』と言われたんでしょ、オッケーって意味じゃない?」
「まあ、潤さんほどポジティブなら、そうもとれますが……」
「……あー、今の返しはかわいくないなー、ジロー君」
「男ですからっ」
「男だってかわいいのはうけるよー」
「うけるうけない関係ありません」
「……あーあ、やっぱり次郎君は素直じゃない、ほら、もう消灯だよ、寝なきゃ寝なきゃ」
そう彼が言うと、スピーカーから電源が入った後に聞こえる独特の雑音が流れてきた。
もう少しでラッパの吹奏が流れるという予令みたいなものだった。
「ジロー君、困ったらまた話してよ」
そんな潤の声に反応して、次郎はありがとうございますと答えた。
薄暗い部屋。
天井を見つめる。
彼は楓との会話を思い出していた。
今日の彼はまず彼女の話を聞くことから始めた。
――言いたいことを言えって、バッカじゃない!
そんな風に怒られた。
――俊介は……どうするの?
適材適所で得意分野を任せる。彼はそんな回答をした。
――またあんたたちが勝手に決めるだけ、それなら意味がない。
勝手には決めない、しっかり考えて、本人の意見も聞いて決める。
みんなで話し合って決めるなんてことは言わなかった。
そんなことをしても『雑』になる。
見た目はみんなで決めたように見えるだろう。
時間も短かくて済む。でもそれはみんなの意見で決まることはない。
やっぱり誰かは納得しないことになる。
それでは今の状態と何も変わらない。
だからもっと面倒で時間がかかる……そんなやり方を彼は採用したということを伝えた。
――俊介がやりたいことだって言うなら……いいけど。
彼が彼女に俊介がそう言ったというと、そうやってしぶしぶ了承した。
次郎は楓と話す前に、俊介と話をつけていた。しっかりとこの前のことを謝り、そして俊介に二通りの選択を持ちかけたのだ。
包囲作戦するため、正面から陽動して敵を拘束するか、包囲部隊の後続にしている女子部隊――楓も入れる予定――の防護か。
前者はあまり動かないし、後者も女子と動くので体力はそこまでいらない。
最も厳しいのは包囲部隊の先頭を行く男子部隊だ。
これを基準に今までは練習をしていたから無理やりきついことばかりさせていた。
みんな同じ練習、苦しいことをいっしょにやる。
確かにみんな平等で団結できそうだが、同じ練習をすれば、やはりそこには一番体力がある人間は楽勝になるし、その逆の人間は余裕のない毎日を送ることになる。
見た目は平等だが、中身は格差がひどい状況だった。
そんな格差はお構いなしにやっていた次郎。
彼はそのことを素直に俊介に謝った。
だから新しい提案は自分の身の丈にあった選択ができて、今までみたいに無理な練習もしなくていいし、最悪練習にこなくてもなんとかなるような内容だった。
俊介は女子部隊の防護をしたいと答える。
次郎は心の中でよしと唸った。
きっと楓を守るためにそう言うと思っていたから。
――で、結局、こんなこと……何のためにやりたいの?
みんなで楽しくやりたいんだと次郎が言うと、いつもの小バカにしたような顔で彼女は応えた。
――みんなで楽しくしましょーねーって幼稚園じゃないんだから。
ああ、それいいね、幼稚園みたいにみんな楽しくわいわいできたらと次郎は返す。
――話にならない……勝手にして。
彼女はそう言うと、眉間に皺を寄せたままそっぽを向いた。
もう話しても仕方がない、さすがに次郎はそう思う。
彼女はいつも足と腕を組んで話を聞く。
勝手にしてといった彼女の足は組まれたままだったが、腕はほどいていた。
次郎はそんな楓の気持ちを理解できるほど対人関係を重ねてきたわけではない。だから額面通り『勝手にすれば』を受け取ることしかできなかった。
彼は彼女を無理やり輪の中に入れようとは思っていない。
輪の中に入りにくい壁ができたら壊すだけでいい。
あとは、気がむいてら来てくれればいい。
そのくらい、肩の力を抜いていた。
半分説得を諦めていると言ってもいい。だから、まさか彼女が一歩、いや半歩ほど彼に近づいてきたという事実に気付かなかった。
それでもエネルギーは使った。
人と真剣に話をする。
これほど脳が疲労することはない。
まだ、明日も話をする相手がたくさんいるのだ。
そんなことを思いながら、彼はいつの間にか寝息をたてていた。
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