第99話「大人と子供の距離 下」

「松岡もなあ……あいつは中村のことが……ほら、桃子さんところに道具借りに来たおかっぱの女子」

 うなずく桃子。

「風子ちゃんね」

 よく覚えているといった表情だ。

「その中村を松岡が好きらしいんだが……それで今回の件で彼女がアンチ体育委員になったと思っていてな、そんなこんなであいつは無駄に焦っていたみたいで」

「お前よくその顔で恋愛相談なんて受けてるな」

 佐古が茶化すが小山は無視。

「で、あいつは上田が中村の意見を聞いて曲げたんじゃないのかって勘違いしてたようだ……好きな女を取られた気分にでもなったんだろうな……それでついつい松岡も喧嘩腰で上田につっかかったそうだ」

 小山はグラスの中の茶色い液体を口に含ませた。

 もちろん筋肉に悪いのでアルコールではなくウーロン茶である。

「どうして?」

 色恋沙汰でもめた者同士なのに、そんな安易に解決していいのものかと桃子は思ったから、自然と疑問が沸いた。

「上田は中村のことが好きとかそういうものではないと説明していた、あの子は松岡のことを引き続き応援すると言っていたからな……それで、二人は友情を再確認できたんだ」

 この筋肉教師。

 学生同士の恋話については敏感で、裏でコソコソ調べたり、アドバイスしたりしていた。

「なにそれ、変ね男の子って」

「男の友情ってやつだ」

 したり顔の小山である。

「風子ちゃんの気持ちが入っていない」

「あの子の気持ちねえ……上田の事を好きなんじゃないかと思っていたがどうも違う」

「どうして?」

「もしそうなら、もうくっつんこしててもおかしくない距離だからだ」

「……男の子の方がヘタレとか……」

「それもあるかもしれんが、あの留学生のゲイデンもいる」

「あー、サーシャちゃんって、えーあの二人そういう関係」

 顔を横に振る小山。

「どうも三竦み状態かどうか知らんが、そういう気も感じない」

「それは面白いわ」

 ぐいっと顔をよせる桃子。

「ねえ、あの子達、他に付き合っている子とかいないの?」

 ごほん。

 大きな咳ばらいをしたのは佐古。

 どうも不機嫌な顔になっている。

 自分の学生なのに話題に入っていけないからだ。

「クズが恋愛禁止とか喚いているからハブかれるんだよ」

 小山は嫌味ったらしくそう言った。

「誰だと思ったらお前か、部内恋愛を推奨しているやからは」

 佐古は小山の顎の下に拳を入れてぐりぐりしはじめる。

 彼は『部内恋愛禁止』を学生に宣言していた。

「ばっかじゃねえの、お前みたいなクズがいるからなあ、青春ってなんだ、恋だろ恋!」

「やかましいわ! 学生の本分は修行だ! そんなことにかまけている隙わない」

「このクズ」

「うるせえバカ」

 スコン。

 テーブルに突き刺さる銀色の棒。

 しゅんと縮こまるふたり。

「はーい」

 彼女は授業で質問するかのように手を挙げた。

「はい、橘桃子さん」

「女子といちゃいちゃ付き合っていたのはだれですかー? 学生のころ、わたしとちゅーまでしたのはだれですかー?」

 反応したのは小山。

「な! ちゅうだと!」

 そんな小山を腕を伸ばして制する佐古。

「ちゅーはしてない! させてもらえなかった」

「そーだっけ、そうだったなあ」

 ヘヘヘと意地悪く笑う桃子は言葉を続ける。

「ヘタレだったもんね、佐古君は」

「……」

 小山は佐古の腕をはねのけて「ヘタレめ」とバカにする。そして、ニヤニヤしだした。

「学校で色恋していた奴が、偉くなってそんなことをよく言えるわ」

「立場があるの」

 また口を尖らせる佐古。

「ほうほう」

「もういい」

 ボコッ。

 ボコッ。

 肩パンチの応酬が始まる。

 そんなふたりに冷たい視線がまた刺さった。

 ついでにアイスピックもサクッとふたりの目の前に刺る。

 コツコツ。

 突き刺さったアイスピックの頭の部分を叩く桃子。 

「出入り禁止にしてほしい? あなたたちいちいち興奮すると声が大きいの、まったく軍人が声がでかいのはわかるけど、なんで教師まで声がでかいかな」

「静かにします」

「静かにいたします」

 そんな桃子もよく通る声である。

 軍人一人に元学生軍人の二人。

「あなた達がウザがられる理由がよくわかる」

 子供の躾に困った保育士のような、そんな気分で彼女は額に指を当てて頭を抱え込んでいた。

「部下にウザがられるなら本望」

 エッヘンという感じで言ってのける佐古。

「ウザイほど熱い指導と言って欲しい」

 胸筋をこれでもかと張りながら小山は言った。

 第二ボタンがプチンと落ちる。

「違う、あなたたちの奥さんと子供」

 ふたりの配偶者はどちらも旦那がウザイと口をそろえて桃子に言っていた。

「……」

「……」

 目を見開いた男二人は互いに向き合う。

「またまたー、それは小山の家で」

「ほらほらー、そりゃ佐古んちだろう」

「二人とも」

 しばらく沈黙する二人。

「自覚した方がいいわ……あなた達、存在がウザイから、このお店でも私にとっても」

「……ひどい」

 テーブルに額をつけるぐらいがっくりする佐古。

「……どいひー」

 泣きそうな顔で肩と首をうなだれる小山。

 桃子はそんな二人を無視して、グラスを洗い出す。

 ……。

 洗い終えたあと、ちらっと彼女は二人を見るが同じ格好のまま魂が抜けたままだった。

 ……。

「わかった、わかったから元に戻って、訂正するから、あなたたちのそのウザさがないと寂しいから、ほら、少なくともここではウザイままでいいから、あるがままのウザさで」

 面倒くさそうに、彼女ははいはいと言いそうな感じに二人に声をかける。

 だが、動かない。

「素敵よ、二人ともウザイぐらいにエネルギー使って学生と向き合ってるんだから、ほんときっとそのウザさも好かれてるわ、学生達に」

 まだ、動かない。

 うなだれたままの小山が小さな声で「家庭……家庭……」と催促する。

「はいはい、奥さんたちもきっとそういうところが好きなのよ、お子さんたちもなんだかんだで愛情っだって、いつか感じてくれるし気付くと思うわ、あなた達が老衰して死ぬ直前ぐらいには」

 むくりと再起動する二人。

「小山、そうだろう、ウザイウザイ連呼されたのは気になるけど、いいんだよ、これで俺たちは」

「佐古、ウザくはないが、いいんだ、これぐらいがいいんだ俺たちは」

 そしてまたくだらないことで言い合いをはじめる二人を見ながら、桃子は少し笑っていた。そして、なぜかそんなふたりを見て、暖かい気分になってしまう。

 彼女は自分も変な人間だな、と思った。

「で、学生さんたちは大丈夫なの?」

「大丈夫、大丈夫、後はなんとかなるんじゃないか? 同期だし」

「ま、こんな馬鹿が中隊長だから、逆に部下は賢く育つっていうし」

「馬鹿は余計だが、こどもの喧嘩に口出しいちいちしすぎるのも良くないし、ま、みんな仲良くなんて、小学生じゃないんだから、小学生じゃ」

「この馬鹿が言う通り、いじめの種さえ、ポツポツ抜くのが俺らの仕事」

「そうそうツボよツボ、そこんとこだけしっかり」

 ジト目の桃子。

 汗がタラりと落ちる佐古

「人にその芽を抜かせたのはどこのどいつだ」

 仏頂面で言った桃子は、佐古の困った顔を見た後に表情を崩した。

 目の前にいる無責任な大人達。

 学生の頃と同じぐらい責任感がない。

 桃子は口元に手を当て、こみ上げる笑いをこらえきれなくなってきた。

 二〇年経っても、子供のままの二人。

 いや、三人かもしれない。

 そう思ったから。

 同期は同期のままだからしょうがないけど……と。

 じゃれあうおっさん男子二人の姿を見て、彼女はうなずいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る