第74話「こじらせた少女達」

 遠泳訓練の夜。

 露天風呂には、その日の疲れを湯浴みで癒す教官と学生達がいた。

 湯船では『今日はよくがんばった』という会話だけでない。

 『胸が大きくなるにはどうすれば』とか、そして学生が教官に対して『教官は彼氏がいるんですか』などと聞いていた。

 学校の外、しかも露天風呂という開放感もあって学生だけでなく教官もそういう会話で盛り上がっていた。

 体のラインとか肌の艶とかいう話になってしまうのは仕方がない。

 なにせ訓練で来たとはいえ、夏の夜しかも海と温泉付きである。

 そんな中、はしゃいでいるのは学生でなくひとりの女性。

 教官の真田中尉――すず――だった。

 彼女は若い女子達の体に触れては、悲鳴を上げさせて楽しんでいる。

 ただのセクハラオジサンと化していた。

 童顔で歳相応には見えない彼女であるが、二十八歳は伊達じゃない。

 少しでも十代の肌に触れて、その恩恵を受けたかった。

 そういうわけでサーシャは鈴に羽交い絞めにされ、いつもは出さないような悲鳴を上げていた。

 そんなことが落ち着くと、今度は気になる男子の話。

 これは学生主体。

 三島緑は日之出中尉――あきら――を捕まえていた。

 鈴とは違い、歳相応で美人なお姉さんだが、浮いた話はまったく聞こえない。

「素敵な彼氏さんとかいらっしゃるんですよねー、ああ、その体をくねったりこねたり……」

 緑、大人しそうな顔に似合わず、もう欲望むき出しである。

 妄想が多少含まれた言葉を晶は無視。

 会話の輪から一歩ひいて逃げようと必死である。

 逆に鈴はひくことなく話題の中心に入っていた。

「あんまり経験ないからよくわかんないんだよねー」

 なんて完全に猫を被った言動を吐いていた。

 そんな同期をあきれた顔で日之出中尉は見て、口元が『どの口が言ってるんだ』という動きをしている。

 ニコニコしたまま鈴は『だまれ』と口を動かし、中村風子に話題をふる。

 彼女と上田次郎との関係について。

「むかつくんです」

 口を尖らし、彼女は鈴に答えた。

「何か、癇に触るんです、あいつは別に相手してないような素振りをするんですが、それがまたムカムカしてきて、ねえ、サーシャ」

 サーシャもコクリと頷きながら「うん」と言う。

「あ、でも学校祭の時は暴漢からかばったんでしょ」

 あの後夜祭の場に彼女達といた鈴。この学生達のちぐはぐした関係も見ている。

 こんなに面白いネタはない。

 鈴は悪い顔をしたお姉さんになっていた。

「そうです、でも……なんか後夜祭に来ていた別の学校からきた女子高生とチューしたんです」

 目をぱちぱちさせた後に鈴はポンッと手を打った。

「あ、思い出した、ねえ、あれなんだったの?」

 金澤中央女子高校の制服を着た左右にお下げがある女子。

 彼女はその女子高生と次郎のチューを目撃していた。

「わっかんないんです、せっかく……ここだけの話ですが、私に気がある素振りみせて、ちょっとだけいいなーって思っていたんです、そしたらあの馬鹿、目の前で女の子がチューしてるんです」

「え、ええ、ふ、風子、気がある……って?」

 急に慌てたそぶりを見せるサーシャ。

 風子は軽くそれを受け流して話を続ける。

「あの時、すぐにサーシャが飛んできてとび蹴りしたからいいものの」

「あ、うん」

 頷くサーシャの顔は、やはり焦った顔をしていた。

「大丈夫、別に特別な意味じゃないから、気があるってところは」

 風子はサーシャに『特別な意味』のところをを強調して念を押す。

 そういうやり取りを見て、満面の笑みを見せるのは鈴姉。

 美味しすぎた。

「サーシャはどう? 上田のこと」

 口を尖らせる金髪娘。

「ジロウは実力を隠している、それがムカついた、勝負しようとして投げたら、はい降参って実力出さずにふらりふらりとよける、日本の例えで、カーテン、カーテン……」

「暖簾に手押し……」

 鈴がそう付け加える。

 相変わらずこの子はロシア人なのに、わざわざ流暢に外来語を使って表現している。そのことが少し面白く感じたせいか、彼女の言葉には笑いが含まれていた。

「そう、その癖、逃げる時は私のブラのホックを外すとか、私の不意を付くとか……思い出しただけでも蹴りたくなってくる」

 少し離れて話を聞いている晶。

 サーシャが淡々と話す言葉にギョッとして真剣な顔を向ける。

 ――ブ、ブラを外す。

 絡み合う金髪娘と男子の妄想。

 諸事情により晶の妄想は、その男子の下半身はもやもやとぼかしが入っていた。

 ――は、破廉恥!

 鈴はケタケタと笑いながら「なんか、上田って小学生の男子みたい」と感想を言っていた。

 そうしているうちに夜のミーティングがあるということもあり、鈴と晶といった教官陣は申し合わせたように、風呂をあがっていた。

 学生たちの話はまだまだ続く。

「山中さんと大吉君の動向が気になる、つうか美味しい」

 湯船の真ん中で仁王立ちしてそう宣言する緑。

 大人しそうな見た目よりは少しギャップのある胸をグイッと張る。

 美味しいとはなにか。

 山中幸子はその姿を見て唖然とした。

「確かに美味しい」

 と風子。

「うん、美味しい」

 とサーシャ。

「な、何?」

 状況がうまくつかめない幸子。

 まさか、こんな話が自分に振って沸くとは思っていなかったのだ。

 真面目一徹の彼女、は極東共和国にいた頃も色恋の話には決して混じることがなかった。

 だから、つまらなそうにして湯船の端の方にいたのだが。

 西の情報収集をしなければならないという使命感が少しと、そういう話題を聞きたかった好奇心が彼女をそうさせていた。

 何気ない顔をして、やっぱり気になる色恋話。

 でも、まさか自分が話題の中心になるとは思わなかった。

「あの大吉君の態度、あれは恋! まさに! 恋!」

 緑はそう断言する、口調が小山先生のようだった。

 『あの大吉君の態度』とは、海軍陸戦隊と大隊が格闘の試合をやった時の話だ。そこで隣同士で幸子と大吉が話し込んでいたことは噂になっていた。

「え、松岡君の態度って、そんな態度はとったことはない、いったい何時いつの事を言って……」

「ほうほう、いつといいましたね、いつのかってね、いつの、ふふん」

 ニヤける緑。

「幸子ちゃん、いつのかって言うぐらいに、大吉君とあるんだ、いろいろ」

 不敵な笑みを浮かべる風子。

 幸子、一生の不覚であった。

「せっかく留学してきたんだから、思い出づくり、うん、美味しい」

 緑はだんだん悪人顔になっていく。

「は、破廉恥」

 満面の笑みの風子と緑。

 そっけない顔のサーシャが口を挟む。

「サチコは、ダイキチと破廉恥なことをしたい?」

「な、ななっ」

 体中真っ赤にして幸子はバシャンと派手な音を立てて湯船で立ち上がる。

 風子よりも大きけれど、小ぶりな胸に女子達の目が行く。

「大吉君、やっぱりこういうのが好きなんだ」

 風子がそうぼやく。

 こういうの、つまりおっぱいが小ぶり。

 緑は仁王立ちのまま風子の胸を指さす。

「そう、副官の胸にごっつんこした時よりも、風子ちゃんにごっつんこした時の方が、喜びレベルが高かった、すなわち大吉はひんぬー好き!」

 喜びレベルとは、性的興奮のレベルらしい。

 風子が盛大に吹く。

「そ、そんなんじゃないって!」

 緑の手にかかれば、彼女たちの心を乱すのはいとも簡単である。

 風子が慌てたのを見て幸子が反撃に出た。

「だ、だいたい大吉君は中村さんのことが」

「やっぱりダイキチはふーこが好きなんだ」

 サーシャがぐいっと輪の中に体を入れる。そして口を挟んできた。

「大吉とふーこもお似合いじゃないかな」

 サーシャはにっこりした顔を風子に向ける。

「もてますね、もてますね」

 これが悪人顔だ、と誰も思う表情で緑が囃し立てる。

「そ、そんなんじゃない。それよりも、幸子ちゃんが大吉君をどう思っているかって」

 風子がそう言った時、壁越しの男子風呂から『ぎゃー』とか『でっけー』なんて叫び声や悲鳴が上がっている。

「だ、誰があんなケダモノ達に」

 もちろん、叫び声は大吉ではない。

「大吉君、結構いい男だと思うけど、ガキだけど、かっこつけだけど、不良未満で中途半端だし、背も低いし、いや性格も小さいし」

 おすすめしながら、ボロボロに言う緑。

 こくんこくんと風子もうなずく。

 大吉が聞いたら、寝る前に枕を濡らすような言葉だ。

「サチコ、ダイキチとお似合いだと思う、でもふーこに譲ってやって」

「サーシャ! だから、私と大吉君は関係ないって」

「もういいじゃない、幸子ちゃんと大吉君がくっつんこすれば」

 そう言った緑も湯船から立ち上がり、幸子の肩をポンポンと叩く。

「だから! 松岡君は中村さんのことが! ……本人からそう聞いた」

 少し大きな声を幸子は出してしまった。

「え、な、なんで、私、大吉君とそんなに接点ないよ」

 ファーストコンタクトが喧嘩とごっつんこ、そして先日の海水浴特訓で泳ぎをマンツーで教えた仲だというのに、接点がないと言われる大吉はかわいそうである。

「いいから、ふーこ……ダイキチと」

「サーシャは黙ってて、くそーいいおっぱいしてるからって」

 風子はそう言うとサーシャの後ろから羽交い絞めにして、両手で胸をもみもみした。

「うひゃひょい」

 さきほど、鈴にもまれたときと同じような悲鳴を上げる。

「ああ、いい、それ、想像力が掻き立てられるぅ」

 興奮する緑。

「ふーこ、無駄な抵抗はやめにして、今日は大吉と夏の思い出をっ!」

 反撃するサーシャの言葉に幸子が反応して、風子に視線を移す。

 夏の思い出。

 確かに、この夏ははじまったばかりだか、お風呂の後は花火大会の見物なのだ。

 そういう思い出づくりには事欠かないシチュエーションであることに、風子も気付いた。

「(素敵な男子――大吉ではない――との)な、夏の思い出も、悪くないかな」

 その言葉に幸子はびくっとする。

 ――え、中村さん、本気で松岡君を……。

「あ……」

 つい、幸子は声が出てしまった。

「中村さんダメ、女子がそんな、簡単に夏の思い出とか……松岡君とはダメ」

 一斉に三人の目が向くと、幸子は自分が口走った内容に気付いて更に顔を真っ赤にして俯いた。

「うひょっ、三角関係どころか、二つの三角重なってるとか美味しすぎるぅっ」

 緑は天を仰いで喜んだ。

 さっきから彼女は別の意味で興奮している。

 それだけでなく、女子達の異様な熱気も手伝い、風呂場は熱い空気に包まれていた。

「ここは西だから……」

 幸子は小さな声でつぶやくように言ったが、じゅうぶん他の三人には聞こえた。

 スンと落ち着く熱気。

「共和国の人間が、帝国の人間とは……」

 ちゃぷん。

 彼女は湯船に首までつけて体操座りをして自分の体を抱きしめた。

「たった一年しかいないのに、付き合うとか、思い出とか、そんなの……」

 今年初めて受け入れた極東共和国から留学生。

 他の留学生とは別扱い。

 幸子は一年限定のお試し留学だった。

 国交だけでなく人の行き来、情報のやりとりが断絶しているこっちの国で彼女が人間関係をつくったとしも、そんなものはすぐに失われるはずだった。

 友情も。

 緑との間にできた密かな交友も。

 もし、男子に恋をしたとしても。

 もちろん、そのことを緑たちもわかっていた。

 だが、なんとなく、それぐらいの気持ちだった。

 実感はない。

 でも幸子の言葉を聞いて、実感みたいなものが湧いてきた。だから、彼女たちは神妙な顔つきになった。

 幸子に習い、他の三人も体操座りで湯船につかる。

 彼女達の周りの女子達の声が遠くに聞こえた。

 サーシャが湯船に口をつけ、ブクブク言っている音が妙に大きく聞こえている。

「帰ったら、連絡……とれない、よね……」

「うん」

 緑の言葉にこくりと頷く幸子。

 壁の向こうの風呂達がくだらないことで騒ぎながら大声をあげている。

 彼女達四人には、さっきとはうって変わって、遠くの声に聞こえていた。



「ほーほほほほほほ」

 腰に手を当てたサーシャは、斜め四五度上を向いて声高らかに次郎と大吉に宣言をした。

「奴隷であるジロウとその舎弟の大吉は、いっしょに花火を見なさい」

 後ろで頭を抱える風子。

「サーシャ、帝国のお嬢様もそんな高笑いしないって」

 小声で風子がツッコミを入れるが、キョトンとした顔でサーシャは振り返った。

「だって、こういうのがこの国のお嬢様の好感度が高いって」

 そういえば、サーシャの荷物に『シラサギ霊子でございますが』なんて少女漫画が入っていたことを思い出す。

 完全に影響されている。

「それ、二〇年以上前の漫画だって」

 風子は母親の本棚に入っているのを読んだから知っている。

 呆れた顔の男子二人。

 彼らは彼らで、晶からサーシャ達を花火研修にエスコートしてくれと頼まれていた。

 ――サーシャって、貴族のお嬢様と言っても、お堅い軍人家系、だからロシアでも打ち上げ花火はあるけど見に行ったことはないって言うから、特等席で見せて欲しい、学生全員で見ることができる場所じゃないから、あなた達だけで行って。

 そう彼女は言っていた。

 夏の思い出作り、と。

 そういう訳で声をかけようとしたら、ほーほほほである。

「奴隷じゃねえって」

「舎弟じゃねえって」

 一応二人はそう言って否定する。

「勝負に負けたくせに」

 面倒臭い女子である。

「わかりましたわかりましたごしゅじんさまのいうとおりにします」

 大人の対応。

 すぐに暴力に訴える彼女に対しては服従しかない。

 蹴られると、なかなか痛いことを体が覚えている。

「棒読み、やる気がない」

 奴隷にやる気も何もあったもんじゃないが。

「はい、お嬢様、ちょうどいいところに特等席も準備させていただけるよう、教官からのご配慮もありまして、そちらに案内いたします」

 うやうやしく次郎は言葉を出して、サーシャを手で案内した。

 けっこうこういうことは器用な男子なのかもしれない。そして、ちらっと風子を見た。

 一瞬目があったが、彼女は目を逸らす。

「ひ、昼間はごめん」

 次郎がぼそっと言った。

「え、あ、何?」

 風子はきっとサーシャを彼がバカにした時に『誰だって弱みはあるんだから、馬鹿にするとか、最低』と非難したことに対してだということにうすうす気づいていたが、とぼけた。

 少し彼女の方も言い過ぎたと思っていたからだ。

「あ、いや、気にしていないなら、別に」

 少しバツが悪そうな顔をして次郎は視線を逸らした。

 ぐっと次郎の首に手を回す大吉。

「なんだ、夫婦喧嘩か」

 耳元で意地悪そうな目をして囁いた。

 後ろの方を歩いている緑がぎゅっと幸子の手を握る。

「こ、これはっ」

 鼻息が荒い。

「……あ、うん」

 じゃれ合う男子ふたりを見て、これはこれで美味しいと思う幸子である。

 だいぶ西のマニアックな文化、いや、緑に侵食されているのかもしれない。

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