第69話「海、特訓」
「で、なんであんなのがいるんですか?」
ジト目の中村風子に対し、真田鈴は大人の笑顔で対応しようとしたが、失敗していた。
「海だ! サマーだ! 恋せよ
大音響で叫ぶ筋肉。
鈴の顔は笑顔だが、どこか虚無感があった。
「女子達よ、なかなかキューティーだぞ! 素晴らしい! はっはっはっ! サマーはいいなあ! サマーは!」
黒ブーメランパンツの小山は、筋肉を響かせ豪快に笑っている。
一応ではあるが、彼は日本史の先生である。
風子は何がそんなに楽しいのかわからないけど、とりあえずどうでもいいから夏って言え、夏って、と思うが、面倒くさいので口には出さない。
「小山先生がどうしても来たいって言うから」
てへっ、ごめんね。
という仕草を鈴はしてごまかそうとする。
――くっそー。
いい歳――二十八歳――なんだから、そういうごまかし方はないだろうと風子は毒づいた。
「これ、水泳の特訓でしたよね」
「うん、ついでに海水浴を楽しもうって企画」
オレンジのブラに白のショートパンツタイプを身に着けている鈴。そんな彼女に風子は疑わしい目を向けた。
特訓とは違うところで気合が入っているんじゃないのかと。
「さーいしょは、ぐ! じゃんけん、ぽん!」
「くっそお!」
「うっしゃああ!」
少し離れたところで、ゴツイ体の男たちが水着姿でじゃんけんをしている。
いい大人達が、バカみたいにはしゃいでいる姿。
勝負が決まるために、オーバーアクションで喜んだり、悲しんだり、悶絶したりしている。
これも風子のテンションを下げていた。
勝負が決まりピョンピョン跳ねながら最もオーバーに喜んでいるのは、無精ひげのおっさん――綾部軍曹――だ。
「じゃ、運転よろしくー」
パーで勝ったのだろう。その形の手をヒラヒラ振りながら缶ビールをグビグビと一気に飲み干していた。
じゃんけん負けたら帰りの車の運転手。
そんな勝負だったようだ。
「教官、本当に特訓ですよね」
「うん」
笑顔の鈴。そして、口の端がひきつった。
「はあああ、この一杯の為に生きてるわー」
綾部は泳ぐ気配もなく、どっかり椅子に腰を下ろし、クーラーボックスの上にツマミを並べている。
完全に呑む態勢だ。
「真田中尉ー、どーですかー、もう飲んじゃいましょうよー」
そう言いながら鈴に向けぶんぶんと缶ビールを握った手を振る綾部。
ぴくぴくっと彼女の顔全体がひきつった。
「……水泳の、特訓……ですよね」
眉間に皺をよせる風子。
鈴はこくんこくんと笑顔を凍らせたままうなずいた。
その時だった、風子が綾部の後ろに、恐ろしい空気をまとった影が立っていることに気付いたのは。
ごんっ。
「ぶひゃひい」
ビールを勢いよく吐き出す綾部。
「バカっ!」
実力を行使しながら叱責し、仁王立ちで彼を見下ろしているのは晶だ。
ベージュとブラウンの柄が入ったワンピースタイプのパレオ着ている。
「あああ、何てことするんですか、ビール様がもったいないもったい……」
ごぶっ。
二発目。
「ちゃんと準備運動してから飲め」
――問題はそこかよ……。
風子はツッコミを入れながらパレオの上からでもぼよんと揺れる胸に圧倒された。
ああ、あの裏切り者のおっぱいと彼女は思う。お風呂での一件、その逆恨みである。
すうっと風子は視線を鈴に戻した。
「副官も……ですか」
気合が入っている。
特訓以外で。
「特訓のついでだから、海水浴満喫するのはついで」
満喫って単語がある時点で、いろいろずれている気がしないでもない。
そんな彼女はもうひとつ気になることがあった。
隣に立っている、妙齢の女性のことだ。
「あら、おばさんをじっと見ちゃって、何か変?」
学校の関係者でもない女性が、当たり前の様にこのコミュニティー内に存在していた。
目をパチパチさせながら驚いた顔をする彼女は一度サーシャを狙ったが、心変わりして今は護衛役になっている女性――瓜生絵里――だ。
挑発的なビキニを着ているくせに、なぜかとぼけた顔をしている。
「娘は別の用事があるって来てないけど、ちょっと浮いちゃったかなあ」
浮いてる浮いてる。
現役兵隊達が遠慮なくキラキラした視線を向けるぐらいに。
「いえ、お仕事……ご苦労様です」
風子はため息をつく。そして、海辺の方に目を向けた。
「あれも……ですか?」
鈴は笑顔を崩さない。
「呼んでないけど、来たみたい」
着かず離れず。
黒い軍用ゴムボート。
その中にひときわ目立つ金髪の男性。
手には望遠鏡。
さっきからサーシャが海の方を見るたびに、低い姿勢をして隠れている。
「しかも、あれで隠れてるつもりなんですよ」
不思議とサーシャは気付いていないことも気になる。
「シスコンなんじゃないかな……」
鈴は笑顔のまま答え、言葉を続けた。
「賑やかでいいんじゃない?」
ものすごく無責任に言い放った。
泳げない学生を泳げるようにする特訓海水浴企画。
早くも暗雲が立ち込めていると思ったのは風子だけではないのかもしれない。
「バディーはくじ引きで決める」
どーん。
わざわざこのために作ったのだろう。小山は棒くじが数本入ったカップを二セット突き出した。
勢い余って砂浜に棒がこぼれる。
「男子はこっち、女子はこっち」
「いつも練習している子と組みたいんですが」
風子が意見すると、ギロリと小山は睨む。
「サマーというのがわからんのかっ! もっとドキドキせねばならんのだ」
そう宣言して、風子を封じる。
もう一度確認するが、小山は日本史の先生である。
体育教師ではない。
風子は困った顔をして鈴に目を向けた。
「今日はどうしても小山先生が学生の面倒を見たいというから」
だから、他の大人たちは学生は放っておいて、海水浴を満喫しているんだろう。
彼らにとって、願ってもないことだった。それに小山がやることに下手に口を挟むと、面倒くさいというのもある。
くじ引き、男女別。
その意味するものは……。
一瞬にして風子は『もっとドキドキせねばならん』の意味がわかってげっそりした。
女子の方が多いが基本的には女子と男子が一組になるように仕組まれていた。
そういうことで、黄色のサーシャには次郎。
同じく黄色の大吉に風子。
女子同士は白色の緑と幸子が組んでいた。
「よおし、特訓せよ!」
ぱあああん。
両掌を思いっきり合わせた破裂音とともに、地面に響く大声は開始の合図だった。
キラン。
無駄に小山の白い歯が光っていた。
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