第55話「次郎の拳」

 風子は休憩のため外に出ていた。

 一番忙しい時間帯を過ぎたが、人混みを避けて新鮮な空気を吸いたかったからだ。

 ふと、自分が冥土喫茶の服装――ゴスロリ――のままだったことに気付く。

 彼女は赤面してきょろきょろとまわりを見た。

 少し自意識過剰と言ってもいい。

 一般客が入れない通りということもあり、まわりに人はいない。

 安堵した瞬間、建物の壁際を這うように怪しい動きをするサーシャが目に入った。

 巫女服の彼女に声をかけようとした時だった。

 一瞬血の気が引く。

 背後から口を塞がれたからだ。

「しーっ」

 風子は脱力する。

 声の主が緑だったからだ。だが、心臓はいまだにバクバク音を立てていた。

「だめだよ、ふーこちゃん、ばれちゃうから」

「え? 何が」

「あの二人」

 緑がそう言って指差す方向には、サーシャと甲冑姿の次郎の姿があった。

「怪しい」

 緑の目がキランと光る。

 風子は嫌な予感がして一歩下がる、だが、彼女にがっしりと捕まった。

「跡をつけよう」

 緑がそう宣言する。

「別にあの二人がどうなろうと、それに緑ちゃんがお店を離れたら……」

「大丈夫、宮城君ががんばってるから」

「じゃ、じゃあ私も宮城君手伝わないとね」

 風子はそう言って踵を返そうとしたが、ぐっと緑はつかんだ腕に力を入れる。

「サーシャと上田君が逢引しようとしてるんだよ」

「わ、わたしは興味ないし」

 そう言って風子は緑から目をそらす。すると緑は風子の両肩に手を置いて、その瞳を覗き込んだ。

「私があるの」

 その迫力に仰け反る風子は声がでない。

「三角関係とか美味しすぎる!」

 有無を言わさぬ緑。

 こうしてふたりの少女は巫女服金髪女子と甲冑男を尾行することになった。

 


「だから、単独行動は、やばいって」

「うるさい」

 サーシャはズンズンと先に進む。

 後を追う次郎には彼女の背中に『怒』という字が浮かんで見えた。

「中隊長は教場にいろって、狙われているんだろう?」

「は? どうして? このサーシャ・ゲイデンがならず者に対してコソコソと媚を売るような真似を」

「いや、そういう問題じゃなくて、相手は飛び道具とか、すごくやばそうだし」

「私ひとりでそんな奴はぶっつぶす」

 到底貴族とは思えない言葉を使うサーシャ。

 ロシア語の場合、上流階級の言葉と発音をしているらしいが、日本語の方は覚え方を間違えたようだ。

 一方、大人たちは教場付近で騒いでいた。

 サーシャが消えているからだ。

「あの、お転婆娘」

 佐古少佐は死語とも言える言葉を呟きながら、自分の甘さに怒りを覚えていた。

 あの敵はやばい。

 そう肌で感じていたからだ。



 風子と緑は訓練場にある林縁沿いの獣道を進んでいる。すると、彼女達の尾行のターゲットが足を止めた。

 何をしているのか目を凝らすと、二人のシルエットが重なりあったのだ。

「え、うそ」

 風子がかすれた声でそう呟くと、緑は隣で女の子とは思えない「うほっ」という奇声を上げた。

 その瞬間だった。

 ターゲットが猛ダッシュ。

「ち、ばれたかっ」

 緑は袖をまくり走り出した。

 五分ぐらい走ってみたが、元々追われる方に比べ体力のない二人。完全にまかれてしまった。

「はあ、はあ、はあ」

 肩で息をする風子。

「や、やられた、ちくせう」

 緑はぜーぜー言いながら、言葉を吐き出す。

「今頃二人は……巫女と武者がしっぽり……ああああ、美味しすぎるのにっ」

 悶絶緑。

 美味しいらしい。

「でも、大丈夫だよふーこちゃん」

 息も途切れ途切れなのに、ずっとしゃべっている緑。

 不思議と一方的だがふたりの会話は成立していた。

「じーぴーえすぅー」

 青色の猫が言いそうな口調――しかも古い方――で彼女がスマフォを取り出す。

「こんなこともあろうかと、あの巫女服にGPSの子機を仕込んでいるから」

 満面の笑みの緑。

「な、なんでそんなものを」

 風子ドン引き。

「中学生の時、親が心配して、何かあってもどこにいるかわかるように持たせてくれていたから……」

 今の言葉だけならとてもいい話に聞こえるが、用途外で使っている時点で親に謝った方がいいと風子は思った。

「はっけーん」

 なぜか、うれしそうな緑。

 部隊実習訓練の時、モフモフネズミを見た時の目と同じだった。



 GPSを頼りに彼女たちはサーシャと次郎を見つけていた。

 ターゲットのふたりは何やら警戒したように動きを止めている。

「なあ、逃げよう」

 次郎は少し焦った声でそう言った。

「フフ」

 彼女は不敵に笑う。

 能面の男達が二人を囲んでいた。

 警棒やナイフを持った男が四人。 

「我が大和民族の団結を妨害する夷狄イテキめ」

 警棒を持った男が一歩前に出た。

 民族統一派。

 帝国国内で活動する過激派の一部だ。

 東西の分裂は外国勢力の陰謀だと主張する一派で、主にビラをまいたりヘイトスピーチを行ったりするような団体である。

 テロリストというほどではないと言われているが、裏で事件にならないほどの嫌がらせをしているという噂もある。

「貴様らが、我が民族の分裂を利用……」

 能面が悠長に演説をしている途中に彼女は動いていた。

 彼女は相手の都合に合わせるような性格ではない。

 一瞬で間合いを詰めた彼女はしゃべっている能面の懐に飛びこむ。そして、左手で警棒を制しながら右手で顎を強打した。

 右足のふくろはぎ同士をぶつけるようにして足払いをしながら、彼女は器用に左手首を回転させるようにして、相手の手首関節を捕った。

 受身を取らせないように倒す。

 彼女は華麗に相手の顔を踏みつけながら警棒をぶん捕った。

 驚いて硬直しているもう一人の顔面と鼻の下あたりを、ぶんどったばかりの警棒で突き込んだ。

 短い警棒を両手で持ち、男に比べ軽いとはいえ彼女の全体重をかけたそれの威力は凄まじい。

 能面は後ろに倒れそうになるのを必死に堪えようと、一歩、二歩と下がる。

 サーシャは追い詰めながら、全身の力を抜くようにして姿勢を低くした。そして、警棒を縦回転させながら、相手の股間を強打する。

 目の前で、容赦ない動きをするサーシャに見とれてしまい、次郎は身動きがとれていなかった。

 あんぐり口が開いている。

「野蛮人め! ロスケめっ!」

 外野の能面は意味のない言葉をギャーギャー喚いている。

 もちろんサーシャは完全に無視。

 彼女が一歩前にでると、能面二人は一歩下がった。

 ナイフを持って圧倒的に有利な態勢だというのに、能面達は劣勢に見えた。

 それでも男達は諦めない。

 じりじりとした間合いの詰め合い。

 そんな中、悶絶して倒れていた一人が不意に立ち上がり奇声を上げた。

 手には刃物の怪しい光。

「サーシャ!」

 悲鳴に近い声を上げたのは風子だった。

 その声に次郎が反応していた。

 ナイフを腰だめにして突進してくる能面。

 次郎は真正面から能面を受け止めるように見せかけて、かさなる瞬間に体を少し引き、相手のナイフを握った両手をふんわり押さえる。そして、後ろに引きずるようにして地面に押し込んでいった。

 相手の力を受け流しながら、自分の思う方向にもっていく。

「せいっ!」

 気合一閃、ある程度相手が前のめりになりバランスを崩したところを彼は狙った。

 右手で相手の後頭部を押さえ、そして顔面に膝蹴りを入れる。

 彼は能面を割った感触、それと同時にその奥にある鼻の骨を折った感触も膝で味わっていた。

 

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