第38話「下僕のくせに」

 金沢海軍記念日。

 春らしい陽気。

 陸軍少年学校の学生たちは、軽装甲歩兵補助服――軽歩――を操縦し、一糸乱れぬ行進を終えたところだった。

 学生はもとより大人たちも、パレードが大きな失敗や事故がなく終わったことに対し一安心といったところだ。

 大人達の方がピリピリしていたと言ってもいい。

 学生たちとはいえ、失敗は陸軍の威信を傷つけることになるからだ。

 そもそもなんで陸軍が、海軍の記念日に参加しているのか。

 そんな素朴な疑問を抱いた中村風子は、パレードの前に彼女達の引率者の一人でもある綾部軍曹に聞いていた。

「お手伝い、といってもぜんぜん脇役、刺身でいうと、わさび乗ってる『花形のにんじん』ってとこかな」

 と笑いながら答えてくれた。

 ひねくれたおじさんだな、と風子は思ったが声には出さなかった。

 なぜなら、彼の一歩後ろにはいつの間にか現れた中隊副官である日之出中尉が、かなり怖い目で睨んでいたからだ。

 後で彼が彼女にクドクドと怒られた事は言うまでもない。

 金沢海軍基地の歴史は浅い。

 金沢港はもともと軍港ではなかったが、あの戦争の時に改修され、舞鶴、佐世保に次ぐ日本海側の軍港の一つになっている。

 一方金沢の陸軍は帝国創設以来の歴史がある。

 この町が軍都たる由縁は、その歴史ある陸軍にあると言ってもいい。

 兄貴分の陸軍が縄張りを分けて『弟分の海軍に、記念日ぐらいは手伝ってやろうか』そんな感じだと表現したらわかりやすいかもしれない。

 もちろん、海軍側はそんなことを毛頭思ってはいない。

 そもそも海軍金沢基地は広い。しかも、海軍は金があるから祭りも盛大。そして、艦艇等見るものが多彩なので客も多い。

 海軍にしてみれば、陸軍のアピールの場を与えてやっていると思っているのだ。

 そんなどうでもいい張り合いが、大人達の間で繰り広がっていた。

 子供たちには関係ないことだが。

「研修の心構え、しっかり聞け、そして厳守せよ」

 伊原少尉がその口調とギャップのある可愛らしい声で説明をしている。

 学生たちは、海軍基地研修という名目で、正午をまたいで自由時間が与えられる。

 研修という名前のお祭りを楽しむ時間だ。

 もちろん学生達もそれは承知していることなので、改めて気を引き締めようとわざわざ時間をとって教育をしている。

 内容は『一般立ち入り禁止の船や建物に入らない』『ごみは拾え』『海軍でも上位者――上位者というと、制服着ているひと全員になる――にはすべて敬礼』『海軍の女性は制服効果もあって可愛く見えるがジロジロ見るな』など。

 あと女子には『海軍の若いのが必ずナンパしてくるので、単独行動はするな』という注意事項。

 硬派な軍人さんがナンパなんて恥ずかしいことするわけないだろうと風子は思っている。

 もちろん風子は生まれ故郷の舞鶴で海軍は見慣れていた。

 基地の外と内では水兵たちの印象はずいぶんと違うことは知っている。

 気を付けないといけないだろう。

 そう考えながら風子は次郎を探していた。

 バディとして軽歩でのパレードが上手くできたことをネギラおうと思っていた。

 まあ、がんばったし、ジュースの一杯はおごってやりたい気分なのだ。

 風子にしてみても、人と協力してあんなにがんばったのは初めてだったから。

 ――出店にでもいっしょに行って、何かお礼をしよう。

 彼女はそう思っていた。

 一方次郎は、ベンチに座ってお祭りの風景を見ていた。

 あちらこちらで、出店や出し物がされている。

 艦艇見学なんかもある。

 最初は松岡大吉といっしょうに行こうと約束していたが『急に用ができちまったぜ、グッパイ、あいつのこと、頼んだぜ』なんてよくわからない台詞を残してどっかに行ったのだ。

 そういう訳で急遽一人になってしまった。そして、単独行動禁止と言われているから、動くこともできず途方に暮れていた。

 これだったら、同部屋の先輩である落合や潤といっしょに行動すれば良かったと後悔している。

 ちょうどその時、風子は次郎を見つけていた。

 よくよく考えると、女子が男子を誘うなんて相当ハードルが高い。

 それがバディであっても。

 でも、労いたい。

 ――よし、声をかけよう。

 なんで、『よし』と、気合を入れる必要があるんだろうと、風子は自分にツッコミを入れていた。

「お、次郎ちゃん奇遇だねえ」

 二年生の渡辺潤ワタナベジュンが次郎に声をかけた瞬間、一歩踏み出そうとしていた風子はバッと人ごみに隠れる。

「ジュンさんっ」

 次郎の目がキラキラする。

 これで退屈な時間が終わると思ったからだ。

「落合さんともはぐれちゃって、うろうろしてたら部屋っ子の次郎ちゃんがいるからさー、ほら自由時間を満喫しながら団結の強化ーってのも悪くないでしょ、あれ? 次郎ちゃんもひとり?」

 部屋っ子とは同部屋の後輩という意味である。

「はい、大吉がさっきなんか急用があるって」

 潤は考えるそぶりを見せてニヤっとする。

「ははーん、そうか、だから泣いてたのか、男の友情かー」

 潤はニヤッとして隠れている風子の方に視線を向けた。

「え? なんの話ですか?」

「教えたら男が廃るから教えなーい」

 楽しそうに潤は笑っている。

 大吉は風子に淡い恋心を抱いていた。だが、先日のイチャイチャ騒ぎにより大吉は恋より友情を優先して身を引いたのだ。

 お祭りイベント。

 そんなところで邪魔するわけにはいけない。

 そう思った彼は『頼んだぜ』の言葉に力を入れていた。

 もちろん次郎は何の事かわかっていない。

 残念な友情である。

 それはそうと、潤が誘う前に次郎に近づこうとして近づけない、もやもやしている女子が一人。

 風子は様子を伺いながら念仏のように『お礼を言うだけだから』を脳内で再生している。

 一方潤は風子の応援をしようとしていたが、背中に殺気を感じ身を引いた。

「渡辺先輩、こんにちは」

 そう声をかけたのは、風子ではなかった。

 金髪おかっぱ頭が揺れる。

 満面の笑顔に流暢な日本語。

 殺気のぬし。

 次郎は咄嗟に潤の袖をひっぱり「いきましょう、早く行かないと祭りが終わります」と顔を引きつらせながら言う。

 嫌な予感しかしない。

「あれ、上田君もいっしょなんですね」

 にこにこ。

 外行きモード、いい子モードを炸裂させているサーシャ。

 目は笑っていない。

「こんにちは上田君」

 にこにこ。

 表情が動いていない。

 ぎゅっと、おびえた子供が母親の袖を引っ張るかのように次郎は潤の制服の袖を引っ張る。

「……ゲイデンちゃん、今日もかわいいね」

 顔を引きつらせながらも、いつもの軽い口調で潤が声をかける。

「当たり前です、先輩」

 にこにこ。

 表情に動きがないまま、潤の背中に隠れる次郎を見る。

「上田君、話しよ」

 にこにこ。

「……」

 潤が一歩引いた。

「ジュンさん、部屋の団結は……男の友情は……お、俺を見捨てるんですか」

「ごめんね次郎ちゃん、落合さんと約束があるんだ、うん、装備品とか、あの人マニアだから好きでしょ、あんまりしゃべんないけど、ね……三年生の命令は絶対だから、ほらあの人、無口だし、力めちゃ強いし、けっこう怖いからさ」

 急がなきゃ、とワザとらしいことを言って手を振りながらその場を離れる。

「ジュンさーん」

 手を伸ばし次郎は助けを求めるが、振り払うかの様に潤は走り去った。

 しばらくして、途方に暮れた次郎はゆっくりと後ろを振り向く。

 ――いなくなっていればいいんだけど。

 そんな願いはかなうはずもなく、いい子モードの笑顔のままサーシャは次郎を見据えていた。

 その白い肌、可愛い笑顔、まるで人形の様で怖いと次郎は思う。

「あら、上田次郎、こんなところで奇遇ね」

 白々しい。

「そして、この私を避けようなんて、百万年早い」

 さっきの笑顔のまま、こめかみに血管が浮かしている。

「下僕のくせに」

 あれ、奴隷じゃなかったけ。

 どちらにせよ、次郎のことを言っているいうのは理解できるている。

 パレードの前に「この勝負、私の勝ちね」なんて宣言していたのだ。

 確かに次郎とサーシャは初日に軽歩の操縦で、どっちが上手くなるかを競い合って――無理矢理次郎は巻き込まれた――負けたら奴隷にするとか胸を触らせるとかで賭けをしていた。

 次郎は彼女も軽歩の操縦が下手だったため、この賭けはご破算になったとばっかり思っていたがそうではなかったらしい。

 続いていたようだ。

 トータルで私が上手いとサーシャは胸を張って宣言した。

 次郎もさすがに、あれだけ風子に迷惑をかけたのだから、軽歩の操縦に関しては上手にできるなんて言えなかった。

「なら、今日から下僕ね」

 高笑いしながらサーシャは笑う。

 そうなれば、次郎もたまらない。

「俺の方が上手だ」

「あ、そう、じゃあ私の胸を揉んだら、はい、どうぞ」

 ぐいっと突き出される、サーシャのおっぱい。

「勝ったというのなら、はい賞品、どうぞ」

 詰め寄られる次郎。

「勝ったと思えないから、触れない、はい、どうぞ」

 ぐいっ。

「は、恥ずかしくないのか」

「勝負に恥ずかしいとか恥ずかしくないとかあるかっ!」

 サーシャ一喝。

 なぜか次郎は叱られる始末。

 もちろん、ヘタレの次郎が胸に触れることもできず、彼が負けたことになってしまった。

 滅茶苦茶だ。

 まったく、理不尽である。

「エスコートさせてあげる」

 サーシャは高らかに宣言した。

 ジト目の次郎。

「じゃあ、デートしてあげる」

「言葉でごまかすな!」

「ふん、負け犬のくせして偉そうな」

 サーシャはすっとスマフォを取り出し、ささっと操作をしたかと思えば、画面を次郎に突き付ける。

 軽歩の動画だった。

 こけてじたばたしている姿。

 外スピーカーで情けない声で助けを求める次郎に対してうんざりした声で返す風子。

 ぱっと次の画面に移る。

 次郎と風子が軽歩でなく、生身で重なりあって訓練している風景だ、あの大勢の人に馬鹿にされた時のもの。

『痛い』

 意外と色のある風子の声。そして端から見るとずいぶんと体が触れ合っている姿に次郎は赤面し、自然とサーシャのスマフォを奪おうと手を伸ばす。

 それに対して彼女はピョンといった感じにステップを踏みそれをかわした。

 そもそもサーシャが乱入する前から、動画を撮っていたなんて。

 そこまで次郎も頭は柔らかくない。

 ほーほっほと高笑い。

「情けない、ほんと情けない、私の下僕のくせに、ほんと情けない男」

「やめろ、動画はやめろ! 音も止めろ! いや、ごめんなさい、すみません、もう勘弁してください、お嬢様、痴女様、申し訳ありません」

「あら、やっと自分の立場をわきまえたようね」

 痴女様は聞こえなかったらしい。

「ははあ、もう下僕でも奴隷でもなんでもいいです」

 次郎はベンチの上で正座をする。そして頭をベンチにこすり付けるように土下座した。

「道端の団子虫のように丸くなっちゃって、それが日本人のもっとも恥らしい姿、土下座ね」

「はっはー」

「情けない、本当に情けない」

 ほーほっほ、とサーシャは笑いながら、スマフォの動画を消した。

「じゃ、下僕、奉仕しなさい」

 満面の笑みで彼女は宣言する。そして、次郎から視線を外す。

 その外した視線先に風子がいなくなっていることを確認した。

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