第39話「海軍少尉大川一貫と陸戦隊の愉快な仲間たち」

 海軍と言えばカレー。

 色とりどりの立て看板や旗に『駆逐艦春雨名物焼きカレー』『ミサイル巡洋艦金剛名物カレーうどん』など、多くの出店が立ち並んでいる。

 サーシャはこういうお祭りが珍しいのか、少しはしゃいでいる様子だった。

 次郎は、彼女の表情がいつもの外行きの笑顔ではなく彼に見せるような高飛車な笑みでもなく、どちらかというと子供みたいだと思った。

 なんにしても高校一年生。

 まだ十五歳の彼ら。

「上田次郎……じゃない、下僕」

「今、ちゃんと名前で呼んだ」

「日本語、難しい」

「下手な日本人より日本語知ってるだろう、あんた」

「そんなことより、あれ」

 彼女は指差した先には『りんご飴』という看板

「食べたい、買ってきて」

「了ー解」

 立ち食い大好きロシア娘。

 次郎がびっくりするぐらい、さっきからバクバク出店の食べ物を口に入れていっている。

 はしまき。チョコバナナ。クレープ。カキ氷。そして、途中で飽きたといって彼に渡すのだ。

 もはや下僕というよりも、犬やネコのような扱い。

 次郎もカキ氷だけは喉も渇きに抵抗できず食べていた。

「どうぞ、お嬢様」

「うん」

 次郎はうやうやしく二百円のりんご飴を差し出した。

「次郎、これはきれいな食べ物だな」

 艶やかな真っ赤な飴がたっぷりかかったりんご。

 それに無粋にぶっさしてある割り箸。

「よくもそんな毒々しいものを」

 彼女はペロっとなめると。

「甘い」

「でもりんごの味がしない」

 と感想を言っている。

 次郎の内心びくびくしていた。

 今はまだ、上機嫌なのでお買い物のパシリで済んでいる。

 この性悪女のことだ、機嫌が悪くなるとどんな重労働を課せられるかわかったものじゃない。

「それと、こんな物もらった」

 さっきの飴屋はくじ引きがあって景品を引いてきたのだ。

 出店のおっちゃんが「二等賞、おめでとう」なんて言っていたので、どんなものをもらえるかと思えば単なるトンボ玉だった。

 水色を基調としたガラスに、赤や緑や黄色の縦じま。

 その中に白い花のようなものが散りばめられている。

「貧乏くさいガラス」

 ペロッと舌でりんご飴を嘗めたあと、サーシャは興味なさそうな反応をして受け取った。そして、それを胸のポケットに入れた。



 二人は基地の中を一通り回り終わっていた。

 未だ人の出入りは激しい。

 人ごみに疲れたので、建物と倉庫の間の人通りの少ない道路で休もうと歩みを進めた。

「おい、外国人」

 如何にもチンピラ風。

「お声をかけてあげてるんだよ、聞こえねえのか」

 後ろの方から声をかけられているが二人はそのまま歩みを早めることもなく、悠然と無視していた。

 小走りで男たちが詰め寄る。そしてその内の一人が横からサーシャの顔を覗き込んだ。

「おいおい、ロシア人だよ、敵国のロシア人だよ」

 と喚きながら周りの仲間をはやし立てる。

「ぼんじゅーるだっけか」

 げらげらと汚い笑いが沸く。

「敵国のスパイが、のうのうと帝国海軍の基地内を歩くとはいい度胸じゃねえか」

 また、チンピラ達がドッと沸いた。

 海軍の制服を着た水兵、それにしてはガラが悪い。

「お前ら、北方の島だけじゃなくて金沢までぶんどる気か?」

「市民は飢えているのに、貴族様はお留学か、だいたいお前らは遊びで戦争してるんだろ? 貴族の矜持なんて言って」

「早いとこ、あんたの国の革命軍さんをなんとかしないと、お国つぶれちゃうよ」

「なんか、能登半島のゲリラも活発化しているし、お前らが操ってんじゃねえか?」

 子供に対して、大の大人――と言っても、彼らも二十前後の若い水兵であるが――が寄ってたかって汚い言葉をぶつけている。

 それに内容もひどい。

 サーシャのロシア帝国はモスクワを中心に勢力を保っているが、その東側のシベリアと中央アジア、そして極東方面はソヴィエト連邦の勢力下にあるのだ。

 だから日本帝国と同盟を結んでいる。

 ただ、一部の民族主義者達からは陰謀論的に黒幕はロシア帝国などと囁かれていたりする。

「おい、お嬢ちゃんに坊ちゃん、大人の話はちゃんと聞きなさいって、お前らの学校で教わってねえのか?」

「陸軍は外国女にホイホイするのかよ、日本人の矜持はねえのかよ」

 珍しくサーシャは表情を変えず、あの笑顔のまま歩き続けている。

「おい、俺たちは海軍陸戦隊なんだよ、そこらへんのお船の水兵さんと違って、気が短けぇしお行儀が良くないんだよ!」

 男がサーシャの腕を掴んだ。

 掴んだように見えたが、スルッと抜ける。

 また、無視して歩き続けた。

 彼女にとって、このチンピラ達は雑音が多い空気ぐらいにしか映っていたいのかもしれない。

 だが次郎はそういうわけにもいかず、一人一人を確認した。

 最初につっかかってきたのが若い少尉、そしてその周りには何もしゃべらない二等兵曹が一人、ずっとぺちゃくちゃしゃべっている兵卒が四人。

 ――面倒くさいことになる前に、逃げるか。

 サーシャのことだ。

 今は奇跡的におとなしくしているが、いつ牙をむくかわからない。

 そうは言っても相手は六人。

 たった二人でなんとかできる人数でもない。

 サーシャの腕を掴んで走り出す。

 だが、すぐに止まった。

 二人ほどに先周りされてしまっていたからだ。

「あの、すみません……彼女、日本語がよくわからないので、返事ができないんです」

 彼は頭をぺこぺこ下げた。

 六対二。しかも一人は女の子。

 逃げるのも難しい。

「うそつき」

 サーシャは次郎の手を振り払いそう言った。

「違う、私はちゃんとした日本語しかわからない、この馬鹿達の汚らわしい言葉は聞こえないだけ」

 サーシャの顔は、あのふてぶてしい顔に戻っていた。

「ロシア帝国海軍は紳士しかいない、国に帰ったらこの国の海軍は野良犬ばかりだって教えたら喜びそうね」

 ふと、サーシャはロシア海軍士官の制服を着た兄の姿を浮かべる。

 ――お兄様。

 あの人が見ていたら、きっと制裁しろと怒鳴っているだろう。

 海の男の恥は許せんと。

 一方次郎は慌てていた。

 まるく収めようとしたのに、空気も読まず挑発するサーシャを見て口をパクパクさせる。

「俺は、金沢海軍陸戦隊の海軍少尉で大川一貫オオカワイッカンというものだ」

 路地の壁に背中を預けながら、白い海軍士官服を着た男はしゃべりだした。

「威勢のいいお嬢ちゃんに、少し悲しい話を先にしておく、あれだ、俺ら陸戦隊ってのは愛国心と団結心が他の奴らより強くてよ、しかも、教育好きときたもんだ」

 サーシャは挑発的な目を向け口の端をぐいっと引き上げた。

「お前らみたいなやつらに、ちゃんとお灸をすえるってのが大人の勤めだろう?」

 長々と丁寧に説明するのは、彼らの戦意を喪失させるためだろう。

「大丈夫、日本の男は優しいから、ちゃんと、お灸をすえた後、身だしなみも整えて返してあげるから、でも、こっちも教育の記録ってのはちゃんと残しとかないといけない、撮影するけど、まあ気にするなよ」

 大川少尉はだんだんと声が大きくなっている。

 自分で悪ぶって、そういう台詞で高ぶるタイプなんだろう。

「ああ、撮影したものはな、もちろん君がこのことを他言する場……」

 サーシャが跳んだ。

 彼女は瞬間的に間合いを詰めて、大川の股間を蹴り上げる。そして、うずくまる首をクルッと回して、引き倒した。

 次郎は、とっさに近くの水兵に掴みかかって、大外刈りの変形、相手の顎を突き上げるようにして、一人を地面に転がした。

 彼女はもう一度跳ねるように飛んで、もう一人の男の顔面にその華奢そうな指先を撫でるように振る。

 次郎も一回やられた目潰しだ。

 あの時とは違い指の入れ方が深い。

 続いて次郎の方は、ガタイのいい二等兵曹が立ちふさがって動けずにいた。

 彼が動こうとするとタイミングを合わせ、回りこむようにして動くのだ。

 ――やばい。

 サーシャは一対三になっているのだ。

 情けない姿だが、金髪の女子高生に二十前後の男三人が、金的と目潰しを警戒して股間を手で隠すようにして構えている。

 なんとも滑稽な構えだと次郎は思う。

 そう思っているうちに、目の前の二等兵曹がおもむろに掴んできた。

 先ほど投げ飛ばした男も起き上がっている。

 彼は後悔していた。

 男を投げたとき、受身を取れるように投げてしまったのだ。

 彼は人を倒すことにはなれていない。

 つい癖で、道場でやるような投げ方になってしまったのだ。

 彼はその甘さを悔やんでいた。

 男達が、サーシャへの包囲を狭めている。そのうち一人は目を抑えているが、それでも相手が三人となれば多勢に無勢だ。

 次郎はとにかく目の前の二等兵曹を倒したかった。だから間接を狙おうと動く。

 筋でも痛めつければ、そうそうは動けなくなる。

 打撃の中で隙を探した。

 ジャブ程度のパンチが次郎の顔面に入った。彼は顔色を変えず、二等兵曹の大降りの右フックをじっと見てそれをスカした。そのまま左手でその右の肘を強打し、右手で襟首を掴み引き落とす。

 地面に叩き付け、相手の首を死なない程度に足で踏み込む。

 頚動脈の付近を狙っていた。

 げほげほむせかえり投げた相手は転がっていた。

 間に合わない。

 彼がサーシャに駆け寄ろうとした時には、彼女を囲む三人の水兵は一斉に動いていた。

 信じられない光景だった。

 サーシャは逆さまになっていた。真ん中の男の頭の上に左手をついて、器用に逆立ちをしている。

 右手はスカート。サーシャもパンツは守る乙女なのだ。

 彼女はそのまま、男の首を曲がってはいけない方に引っ張りながらその背中の方に着地しようとした。

 そうして囲みの外に出るのだ。

 だが、そうはならなかった。

 サーシャが男を後ろに倒そうとした瞬間だった。何をを思ったのか、手を離し、きらっと光る何かを掴もうとしていたのだ。

 それは逆立ちした時に、彼女の胸のポケットから落ちたものだった。

 なんとかその光る物を掴むことはできたが、着地は失敗しバランスを崩して転がった。

 片膝をついているが、その露にしている膝は擦りむけている。

 だが彼女は、膝の痛みに気をとられることなく、手のひらの中にあるそれを確かめて安心した顔になった。

「なにやってんの!」

 次郎はつい叫んでしまった。まだ、敵と対峙しているのになんでそんなガラス細工に気を取られるのか信じられなかったからだ。

 彼女は立ち上がろうとして、バランスを崩して転んだ。

 足を何かに引きずられたのだ。

「クソガキがあああ」

 吠えるような声、大川がサーシャの足首を掴んでいるのだ。

 次郎は横合いから別の男にタックルをくらい足止めされた。

 彼女は容赦なく大川の顔面を踏みつけるようにして蹴りを入れるが、彼が手を離さない。そして、彼女は他の男たちにもう一度囲まれてしまった。

 ――ちくしょう。

 次郎は奥歯がギリギリ鳴りそうなぐらい、それを噛み締める。

 ――体を鍛えていても、ちょっと相手の人数が多いとどうしようもなくなる、正義の味方ぶって守ろうとしても、また失敗かよ。

 その時だった。

 サーシャを囲んだ男の一人が正面から倒れたのだ。

 潤だった。

 男の後頭部に絵に描いたようなドロップキックが炸裂した。

「せーぎーのみーかた! 参! 上!」

 そう言って、次郎にVサインを送る。

 囲んだ他の男のうち、一人がよれよれと足から崩れる。

 振り向き様に顎に対して固い拳の一発を食らったのだ。

「落合さん、ジュンさん!」

 次郎が泣きそうになりながら声を上げる。

「せっかく、人様のデートを観察してたのに、もうすぐいい雰囲気なるってときにお前ら大人の癖に空気も読まず邪魔しやがって、だいたい、子供二人に六人でかかって恥ずかしいとか思わないの?」

 潤はそう言いながら大川の手首を踏み込み、それに掴まれていたサーシャを解放した。

「ちくしょう! ガキ共、お前ら全員の顔を覚えたからな! 街でもどこでも次に会ったらぶっ殺す! くそったれ」

 大川は手首を押さえながら、捨て台詞を吐いた。

 そして、倒れている男を引きずるようにしながら逃げ出した。

 次郎と潤は、あまりにも間抜けな大川の姿を見て「はははは」と声を出して笑った。

 無口な落合は口の端を曲げただけだが、同じ気持ちだろう。

 次郎はサーシャを見る。

 彼女はバツが悪そうに不機嫌そうな目つきで睨んでいた。

 恥ずかしさを紛らわしているのかもしれない。

 


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