第31話「通信は愛じゃ」
部隊実習も残すところ数日。
訓練の日々はひたすら続いていた。
――やっと癒し課目みたい。
そう思っているのは中村風子。
彼女は『通信訓練』と聞いて安堵していた。
――この前の軽歩に乗る訓練は楽勝だったから、あれはあれで良かったけど。
あのことを思い出すと、ついつい顔が揺るむ。
軽歩の訓練といえば、あのむっつりスケベ。
何かと癇に障る上田次郎の情けない姿が目に浮かぶからだ。
そもそも女の子が機械に乗ったりや鉄砲を持って走るなんて言語道断。
筋肉トレーニングにランニング、女子力を落とすばかりじゃないか。
適材適所。
女子力を発揮する仕事は他にもあるだろう、と。
――はー、スリムになりつつあるのはいいんだけど、それ以上にムキムキになるというか……。
「ふーこちゃん、あ……」
遠慮がちで小さな声。
不意の声かけに風子はビクッとする。
同時にその声を発した三島緑は空気を察して一歩下がった。
しょうがない。
ついつい、風子は鏡の前でポージング――地面に水平に伸ばした両腕の前腕を折り曲げ、力瘤を作る姿勢――をとっていたからだ。
無意識のうちに、日々の運動で逞しくなってしまったその腕を確かめていた。
「ち、違う、ほら」
風子は見られて恥ずかしいようだ。
それを誤魔化そうと、いかにも上半身のストレッチをしていたかのように腕を組んだりしている。
「ふ、ふーこちゃん、かっこいいと思うよ、うんかっこいい……あ……」
少しは気の利いた台詞で誤魔化そうと思ったが、緑はそんなに器用な子でもないのでますます墓穴を掘ってしまう。
気まずい。
しばらく沈黙。
耐え切れなくなった風子が口を開き、話を切り出した。
「通信訓練って、なんか楽そうだよね」
急に話題が変わる。
緑も一瞬なんの話かわからず、とっさに反応できない。
だが、間を置いて頷くことはできた。
「う、うん、でも私、話すのは苦手だから」
「体使うよりは、ぜんぜんマシだよ」
「うん」
二人のイメージは『オペレーターのお姉さん』だ。
どっかのロボットアニメとかで、出撃する男子に機械的な声で会話をする女子。
たまに『がんばって』とか『気をつけて』とか言うあれだ。
――かっこいい男子に言ってみたいなぁ。
通信訓練。
女子二人はそんな妄想をしていた。
世の中そんなに甘くはない。
妄想は儚くも打ち砕かれた。
彼女たちはしゃべるどころか、いつもの訓練と変わらないことに気付いていた。
汗だくになりながらひたすら歩く。
しかもお荷物付で。
カランカラン。
風子の手元でくるくる回る鉄製のドラム。
彼女は息を荒くしながら演習場の道路沿い――もちろんアスファルトなんかではない――に電線を引っ張っていっていた。
電話会社のアルバイトではない。
スマートフォンをほとんどの人が持っている時代。
通信と言えばトランシーバーの様な器材で通話をするもの……そう彼女たちは思っていた。
まさか、未だにこういう電線を地面に引っ張って、それを電話器に繋げて通話をするなんて。
そんなことは想像外の世界だった。
「いいか、通信の確保は作戦の要だ、有線、無線両方を駆使することが通信兵の使命だ」
訓練前そういう説明があって、多くの学生がげっそりしていた。
軍隊では常識。
いわゆる無線通信は、有線通信に比べ脆弱なのである。
妨害電波で不通になり、そして電波を出すことで位置を評定される。
だから、有線通信が未だに重要視されていた。
原理は昭和の初期から変わっていない。
二本の電線を電話器と電話器に繋ぐ。
それだけ。
ただ、張るのは人の力を使う。
数百メートルの電線を巻きつけている重たい鉄製のドラム。
これを一人で持って運ぶ。そして、目的地まで線を引っ張っていくのだ。
学生はそれぞれ三人一組を作り、教官又は助教が組長として指揮をする。
そして風子、緑、そしてサーシャの組は教官の伊原少尉が直接指導しながら指揮をとっていた。
「止まるな、歩け」
彼女はその長身と態度、そして言葉とは裏腹な可愛らしいアニメ声で激を飛ばしていた。
カランカラン。
風子は電線が巻かれたドラムを抱えて歩いている。
緑はその線を引っ張りだしながら、出す線の量を調整している。そしてサーシャは引っ張りだされた線を地面から浮かないように設置したり、所々で線を結んで固定していく役をしていた。
――どこが『通信は愛』だよ。
座学で教官のおっさんが『通信は愛』なんて言っていた。
通話しているお互いに置かれた状況もわからないし、電波が通じたり通じなかったりするものだから、相手を思いやる心をもってわかりやすく話をすることが大切だ。
そういう意味合いで『愛』と言っていた。
電線を引っ張るこの子たちには一切関係ないことなのだが。
はあ、はあ。
肩で息をしている。
風子がずっときつい役をするわけではない。
休憩ごとにローテーションして持つ役は代わっている。
ちなみにサーシャ的には不服だが。
彼女は常に、厳しい訓練できつい仕事を選ばなければならなかった。
だからさっきの休憩で緑と交代するとき『私が持って歩く』と言い張っていた。
だが、伊原の『組の役割に上下はない、線を正しく張るのも大切な仕事だ』と言われ、しょうがなく線を引っ張っている。
彼女はとにかく負けず嫌いである。
人よりも厳しい環境を乗り越える。それが勝つことだと教わっていた。
見た目によらぬ根性娘である。
――それを通り越して、ムキになりすぎているんだけど。
風子はそう思っている。
――なんでもできるんだから、そんなにがんばらなくても。
この前、教室の掲示物で一悶着あった。
今週の目標『一日一善』の掲示である。
誰かが適当に油性ペンで書いたものを見た小山が「こんな雑な字で書くやつがあるか、ヤル気がなくなる……誰か上手い者が書け」と注意した。
もちろん教壇をどーんと叩き教室がどーんと揺れるおまけもついて。
みんなで話し合い、上田次郎の字が一番上手いということで、彼に字を書かせることになった。
その時、なぜかサーシャも同じように書き出したのだ。
「なに、そのお坊ちゃんな字」
と蔑みながらサーシャはスラスラと字を書く。
いつのまにか筆を取り出し、墨汁を垂らし習字の勝負になり、審判が入るまでになった。
「サーシャ上手」
「サーシャが旨いな、味がある」
「サーシャちゃんが一番」
という評価、そしてこれからは『今週の目標』の字はサーシャに書いてもらうことに決まった。
勝負に勝ったサーシャは腕を組み次郎を見下し。
「たいしたことない」
と言って高笑いしながら勝利を喜んでいた。
一方小山は「貴様ら日本人としての誇りはないのか」とその結果を見て嘆いていた。
風子は思う。
サーシャは美人でクールなのに、ときどき子供みたいにムキになる。
うん。
そう。
そこがかわいい。
やっぱり今日もムキになっている。
だから、ドラムを持ったときは走るぐらいの速度でどんどん行くし、それでもきつそうな表情は一切見せない。
負けず嫌いも度をこしている。
ひたすら続く苦行。
受けた命令の内容は「三本松の台からネズミ谷まで中道沿いに有線一回路を構成」だった。
普通の言葉で言い換えると「三本松ってところからネズミ谷ってところまで線をひっぱれ」になる。
――それにしても……地名のセンス……。
サーシャのこともあるが、こっちについても風子は声に出してツッコミを入れたくてしょうがなかった。
でも伊原は無駄口を許さないタイプの教官なので、じっと我慢。
――演習場の地名のネーミングセンスのなさは、驚きを通り越して呆れるレベルなんだけど。
さっき見た地図には『中の道』の東は『右の道』西は『左の道』、そして『ネズミ谷』の近くの丘は『ネコの丘』という名前だ。
いったい誰がつけたんだろう。
ワビサビが理解できない直接的な表現が好きな人が付けたんだろうな、と彼女は断定した。
体力的に疲れてしまうといろいろ考えてしまうのだ。
あんなことこんなこと。
無駄に考える。
無駄に脳が活性化する。
カランカラン。
線を吐き出しながら、ドラムが回っている。
彼女達はもう三十分以上は歩き続けていた。
――あー、もう、足がガクガクする。
風子がそう思った時、前を歩いている伊原が足を止めた。
「止まれ。異状の
伊原がそう言って振り向く。
学生三人は自分の体をぺたぺた触って落し物がないかを確認する。そして三人そろって「異状なし」と返事をした。
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