第8話『スタートピラー』
まるで爆風にふっとばされたような勢いのスタートダッシュ、まず先に出たのは凛太だった。
その背後には三メートルはあろうかという、まるで鯨が飛び出したのではと勘違いしてしまいそうな水柱が立ち上っており、間近で見ていた倉島は、驚きのあまりスタートが遅れた。
「なん――だぁ……!?」
一瞬遅れてスタートする倉島。
しかし、その現象の正体がすぐにわかった。
(スタートピラー……!? バカなっ! あんな巨大なスタートピラー、あるわけねえ! どんな脚力してんだアイツ!)
凛太の背中を見ながら、イラつきを発散する為に舌打ちをする倉島。
スタートピラー。それは、ダッシュした瞬間に起こる水柱の事。これが大きければ大きいほど、そのランナーが内に秘めている脚力が大きいという事になる。
――だが、意味する事はそれだけではない。
(確かに、スタートピラーは脚力の大きさを示す指標だ。けどな、そのスタートピラーの角度が甘え!)
倉島は、すぐに凛太を抜き返した。
肩越しに見た凛太の表情は、なんとも悔しそうで、先程驚かされた溜飲も少し下がった。
スタートピラーは真上に飛べば飛ぶほど、無駄な力が使われている事になる。
まっすぐ後ろへ飛ぶスタートピラーこそが、理想とされているのだ。
つまり、大きなスタートピラーはその脚力の強さと才能をを示し、その角度は才能の成熟度を示す。
(まだ未完成のお前と戦えた事を、光栄に思うぜ鯨馬……。今後の布石にさせてもらう。俺に苦手意識を持ってもらうぜ!)
どうせ、まともに使えるトリックもないだろう、と高をくくった倉島。
確かに脚力はある。だが、それと走力はまた違う話。現状では倉島の方が速いのだ。
なら、後は先にゴールを潜るだけ。
一方の凛太も、倉島の背中を見ながら、硝子の言葉を思い出していた。
『きっと、凛太くんの脚力なら、スタートダッシュは勝てると思う。でも、その後すぐに抜かされる』
(そう言われた時ゃ、反発したくなったけど――。やっぱ先輩の言うことは正しいな……!)
でも、だからこそ、その後の言葉の正しさもわかる。硝子の作戦が正しいのだと、信じられる。
『でもね、抜かされるのはいいの。むしろ、トリック重視のタイプには、後ろを取ってた方がいい』
凛太が「なんで」と聞いた時、硝子は目の前で、またワイドワインダーを打った。今度は、明後日の方向に向かって。
『トリックは、ほとんどの場合体の前方に出る。しかも、走りながら撃つっていうのは出来ない。撃つには、ブレーキをかけて、慣性に乗る必要がある。走りながらできるのはクラフト系くらいだけど、これだって多少スピードは落ちる。――つまり、逆転する為の技がトリック。勝っている状態では出るわけがない』
そこまで聞かされて、凛太はやっと、言いたいことがわかった。
『つまり、チャンスは一回! ゴール間際。走りながら躱すとか、そういう左右へのステップはまだ凛太くんにはできないだろうし、その一回、ゴール間際に抜き去って、トリックを出す前に勝負を決める! 単純だけど、これが一番勝率高いと思う』
――そして、それを活かすのが、フロッグである。
(背中を見っぱなしってのは、レースだってのになんとも焦れってえ話だけど……。勝ちてえんだ。今は華麗に相手を抜き去って、一度も抜かされないまま勝つなんてのは夢だ)
初心者には、初心者の勝ち方がある。
勝負事に、まだ初心者だから、練習不足だからなんて通用しない。あるのは勝つか負けるかという結果だけだ。
かっこよく勝つのは上手くなってからでいい。
まずはかっこ悪くても勝つのが、初心者の仕事だ。
(夢は、いつか現実にすりゃあいい。手始めに、倉島先輩を食う! かっこよくなんのはそれからだ!)
気迫が水音となり、飛沫を上げる。まるでいつでも抜かせるぞと、倉島を威嚇する獣のようでもあった。
(狙いはわかってんだぜ。お前の狙いはゴール間際、だろ。俺が高森でも同じ事を考える。素人をチェックメイカーに勝たせようと思ったら、トリックを使えない状態を作るしかねえ。――だが、それじゃあつまらねえだろ、鯨馬)
その瞬間、倉島が急ブレーキをかけた。
慣性の力で水面を滑りながら、左足を軸に回転し、凛太と向かい合った。
「――はっ!?」
驚く凛太の顔。これが、初心者を相手にした時の醍醐味である。そしてきっと、硝子も同じ顔をしているだろう。
硝子が知らないのも無理はなかった。まだスイジョーはマイナースポーツ。情報は出回れど、真偽がわからない物も多く、誰かが考案したオリジナルテクニックという物も多かったりする。
しかしこれは、倉島のオリジナルテクではない。まだまだメジャーな技術ではないにしろ、チェックメイカーには重要なテクニック。
ただの殴り合いを技術で昇華してボクシングにしたように、
ただ水面で走るだけの追いかけっこを技術で昇華し、スイジョーにした。
そのトリックの名は、そのまま、スピナー。
「一瞬でも後ろを向けりゃ、トリックは撃てるんだぜ」
足にはすでに、
倉島の右足が、美しい弧を描いて、三日月が飛んだ。
スピナーからのワイドワインダー。遠心力で威力が増し、もともとが硝子とは比べ物にならない威力だった物が、凄まじいスピードで飛んでくる。
一瞬その場に止まっていた倉島は、ワイドワインダーを放って再び走り出す。
迫り来る三日月に、凛太はにやりと笑った。
すげえや、先輩。
内心でそう呟いた。
凛太はしゃがみ込み、まるでカエル跳びの要領で、そのワイドワインダーを飛び越した。
「ほぉ、フロッグか!」
感心して、凛太の行く末を見つめる倉島。
フロッグとは、蛙跳びの要領でただジャンプするだけのアクセル系トリック。
本来であれば、凛太はまだジャンプすることなどできないし、フロッグではワイドワインダーを飛び越すほどの跳躍力は期待できない。
しかし、ライドブーツとオキシグローブで水面を通常よりもさらに硬質化させることで、より安定したバランスを取ることができ、ジャンプが可能になる。
そして、凛太の常人離れした脚力が、フロッグの跳躍力不足を解決する。
着地した凛太は、立ち上がるというより、再びジャンプするようにして、走り出す。
膝のバネを使っての加速。先程よりも小さいとはいえ背後には水柱が立つほどのスピード。
(――なーるほど。俺が後ろへトリックが撃てるのも折込済み、ってわけか。後何回かトリックを打てば、俺がトップスピードに乗る前にゴールされるってわけか)
しかし、凛太が使うフロッグの加速力も侮れない。
本来フロッグはジャンプのコツを学ぶためのトリックであり、実用性はない。だが、まるでバウンドしたボールのように、着地からスピードが上がるフロッグも無視はできない。
だが、フロッグも一瞬スピードが殺される。
使って加速できても、その前に止まっているわけなので、プラスマイナスゼロ。
少し、スピナーからのワイドワインダーの方がマイナスは大きい。
――フロッグを使うには、倉島がそのコンボを使うのが必要不可欠。というより、そうしなくては意味がないのだ。
(それは鯨馬――というより、高森もわかってるだろう。あいつは理詰めが上手いからな。対人経験がないから裏付けができてねえだけで、あいつもなかなか伸びるだろう。――だから、もう一個仕掛けがあると見るべきか)
念には念を入れる。
普段は気のいい男である倉島四季は、勝負事に関しては徹底して負ける要素を潰していく戦い方をする男だった。
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