第6話『どこでもできる』
女性のサイズが一般の男性よりも体の大きい俺に入るのかと、凛太は少し不安だったが、ウェイトスーツはフリーサイズになっていて、基本的にサイズを気にしなくても着られるようになっているのだ。
これって先輩も着たのかな、と凛太は一瞬胸が空打ちしたような感覚に陥ったが、そんなわけないだろうと思い直して、オキシグローブも腕に填める。
その時に気づいたのだが、ウェイトスーツの左手首部分に、何かデジタル時計のような物がついていた。
「それはダメージメーターだよ」
浜辺に遅れて到着した凛太は、さっそく腕の時計みたいな装置について硝子に訪ねてみると、そう言われたのだった。
「まぁ、見てて」
硝子は波打ち際に行くと、ビー玉サイズの水玉を拾い上げて、それを凛太に投げた。その水が胸を濡らすと、左手首が震えた。
「ん?」
見れば、左手首の画面に『1%』と表示されていた。
「はぁー……。なるほどねえ……これが100%になったら、沈んじゃうってことですね」
「そうそう。今日はとりあえず練習だから、水を完全に弾くプラクティスモードで」
硝子が自らの手首にあるダメージメーターをタッチで操作する。
わけもわからずそれを見ている凛太だったが、操作し終わった硝子がすぐに「大丈夫、やってあげるから」と微笑んで、彼の腕を取って凛太のダメージメーターを操作する。
そうしていると、身長差の所為で凛太の視界には硝子の後頭部だけが写る。
(なんか……いい匂いがする気がしてきた)
正直潮の香りでほとんどわからないのだが、凛太の女性に対して敏感な嗅覚が、何かフェロモンのようなものを感じていた。
きっと毎日のように海に出ているだろうに艶やかな黒髪と、後頭部にまとめあげられている髪のせいで露出しているうなじを凝視していると、硝子は顔を上げて
「はいっ! 終わったよ凛太くん。ちゃんと操作方法覚えた? レース前にはちゃんと、吸水するレースモードに切り替えないといけないんだからね」
「え、あー……はいっ! 大丈夫です!」
ほとんど見ていなかった凛太は、愛想笑いを浮かべながら『あとで検索しよう』と肝に命じた。
「ん。じゃあ、海に立ってみようか?」
一足先に硝子が海に立ったので、凛太も意を決し、昨日の感覚を頭の中で繰り返しながら、一歩踏み出す。
さすがに昨日プールで予行演習していただけあり、立って、その場に止まる事はできた。波と微小振動で多少のコツがいる海での直立ではあるが、凛太はすでにそのコツを会得しているようだった。
「ここじゃあ浜辺に誰か来ると危ないから、もう少し沖の方に出よう。凛太くん、歩ける?」
「まだ普通のスピードで歩くのは無理っすけど、ゆっくりなら」
「わかった。それじゃあ、少し早めに歩くのを意識しながら、ついてきて」
先を歩いて行く硝子に置いていかれないよう、凛太はできるだけ速く歩く様に勤めた。そして、少しばかり陸地から離れた沖合にたどり着き、そこで一〇メートルほど離れて二人は向かい合う。
「とにかく、今は速さとか基本的なことよりも、倉島さん対策を徹底的にやってくからねー!」
手でメガホンを作り、凛太に向かって叫ぶ硝子。沖の方が立ってるの楽だな、と足元を確かめながら、凛太は手を振って「了解です!」と返事をした。
「今からワイドワインダーを見せるから、受けてみて!」
「……え?」
首を傾げる凛太だった。
――しかし、そこからは、そんな暇もなかった。
硝子の右足が持ち上がったかと思えば、その足に海水が纏わりついていて、それをミドルキックの要領で打ち出したのだ。
まるで三日月のような形をした水が、空を裂いて飛んでくるその様に、凛太は「いっ!?」と腰が引けてしまい、躱すという事ができなかった。
腹に突き刺さった水の刃は、皮膚をムチで叩かれたような痛みを凛太に叩きつけて、その場に落ちた。
「うっ、げえ……!!」
その場に四つん這いとなった凛太は、腹の中でグルグルと何かが暴れている感覚をなんとか押さえ込み、腹を押さえて立ち上がる。
「だ、大丈夫凛太くん!?」
「ちょ、ちょっとしんどい……」
駆け寄ってくる硝子を見て気が抜けたのか、その場に腰を下ろす凛太。座ってみると、なんだかその場に波を感じず、本当に地面にいるような気がしていた。
「え、っと。今のがワイドワインダー。やろうと思えば、多分今の凛太くんにもできるくらい簡単だけど――ショットの大きさと、多少トリックの精度が荒くても使える手軽さから、けっこう有用なトリックなんだ」
「あ、あれが簡単……?」
あんなのどうやってやるんだよ、と凛太は渋い顔をする。それがわかったからか、硝子はいきなり片方のライドブーツを脱ぎ「見てて」と足の指を握り込む。
「足を使ったクラフト系のトリックも、手を使ったトリックも、基本は同じなんだ。指で粘土みたいに水を操ること。ワイドワインダーも、まず水面から水を足の指で掴み取るイメージで握り込んで、それを蹴り飛ばす。実際に握れてるわけじゃないけどね。足の指先や体重移動で微妙に振動を操作して、可能にしてるの」
「なるほど……」
先輩の足綺麗だなぁー、という事を考えながらではあるが、凛太は真面目に話を聞いていた。
「しっかし、あのワイドワインダーっての、すごい威力っすね……。あれで初心者向けっすか」
「ああいう単純に飛ばす系は基本あんな感じだよー」
と、にこやかに笑う硝子を見て、凛太は楽しそうだなあと思うが、それと同時に、一つの疑問があった。
「……つか、先輩。一つ聞いていいっすか?」
「ん、何かな?」
自分の前にしゃがみ込む硝子を見て、口に出したはいいが、本当に聞いていいのか躊躇うように一瞬目を泳がせる凛太。
しかし、ここまで言ってやっぱりやめた、では結局硝子にも自分にもモヤモヤが残るだろうと、凛太は意を決して言うことにした。
「先輩って、なんで二柱高校に入ったんスか? スイジョーをマジでやりたいんなら、御崎高校のがよかったんじゃないスか?」
「あぁ……。中学の時は、第一志望はそうだったんだ」
「ならなんで……」
「両親が反対したから。御崎高校より、二柱高校の方が偏差値とか進学実績がいいんだよ」
「……先輩のご両親って、厳しいんすか?」
「まあ……普通より、ちょっと勉強しろって口うるさいくらいだけど、そうだね。御崎高校に行って、スイジョーに熱中されるより、水上部の無い高校に行ってほしかった、ってとこだったんだろうけど……」
グッと、拳を握って、それを見つめる硝子。
「その程度で諦めなかった。高校がどこだろうと、スイジョーはできる。その面白さを伝えられる。だから、この部活がなくなってほしくないの」
凛太は、いままで基本的に笑顔だった硝子の真剣な表情を見て、「うっし!」と立ち上がり、頬を叩いた。
「すんません。くだらない事訊いちゃって。さっ、練習練習!」
「あれっ、もういいの? もうちょっと休んでてもいいんだよ。初めてトリックが当たると痛いもんね」
「男の子はタフが基本、ってもんスよ。時間も一週間しかねえ……って、後五日か。初日と、次の日と、今日で。時間ねえし、もっと密度高めていきましょう!」
クスクスと笑う硝子を見て、いつもの顔に戻った事に安心する凛太。だが、先程の真剣な表情も、スイジョーにかける情熱がわかって、なんだかいいと思っていた。
あの表情を見ているためには、笑って、真剣な顔をしてもらうには、勝つしかないのだ。
「よーっし! んじゃ、やる気になったところで、トリックを使ってワイドワインダーを躱す練習に移ろう!」
「おぉ! 俺もトリックを使えるんですか!」
「もちろん、初心者用の簡単なやつだけど……。その名も『フロッグ』」
「ふ、フロ……」
なんて意味だっけ、と空を見る凛太。
凛太からどういうリアクションが来るか、想像していたが違っていた硝子は「カエルって意味だよ」と補足を入れた。
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