第4話『スピードの真髄』

 しかし、先程凛太が感じた通り、ただ水の上に立つというのは以外にも難しかった。

 何もしなくても少しずつ動いていくライドブーツの所為で、直立していても少しずつ前に進んでいくのだ。


「おっ、おぉ……? ダメだ、止まってられないなこれ……」


 苦戦する凛太の前に立ち、「見てて」と、その場で立ち止まってみせる硝子。


「す、すごいっすね……。どうやってやるんスか?」

「水面をしっかり踏んで、内股気味に立つの。なんていうか……体幹を足で挟むようなイメージかな?」


  空手には、三戦と呼ばれる型がある。基本中の基本、そう呼ばれるほどポピュラーの型であり、言うなれば『何があっても倒れない様にする』型である。


 立ち技の武術は倒れてしまえば攻撃力は半減する。なので、倒れないようにすることは、当然習得すべき必須課題。


 それを可能にしたのが、三戦である。

 そして、スイジョーでただその場に静止する技術は、その三戦にかなり近い。


 当然、凛太も硝子も、それは知らないが。


「おっ……おぉ?」


 しかし、硝子のアドバイス通りそれを行うと、まだ上半身はぐらつくが、きちんと立つ事ができた。


「上手いよ凛太くん! その感じ!」


 硝子は拍手しながら、凛太の基礎体力に驚いていた。


(やっぱり……! 今まで何か、運動していたのかもしれないけど……それでも、きちんと水面で、すぐに直立できるのはすごい……!)


 しかし、対して凛太はというと、


(かなり下半身の力使うなこれ……! それをブレずに、しかもなんでもなさそうにやるなんて……。先輩、すげえな……)


 と、基礎の基礎で、スイジョーの奥深さを感じていた。


 なぜ硝子が、まず凛太をプールに連れてきたか、それは、まず立つことに何時間も掛かると思っていたから。

 水面に立つ度にコケられては、命を落とす危険性さえある。少なくとも、ちゃんと立って走れるくらいにならないと、海には出せない。


 そしてそれは、凛太に才能を感じている硝子でさえ、三日ほどかかる計算だった。


(――これなら、明日には海で練習させてみてもいいかもしれない……!)


 今まで一人で練習を重ねてきた硝子は、才能を感じさせる凛太を見て、心の奥底で燃え上がるような何かを感じていた。

 この才能を、どこまでも伸ばしてみたい。


 ワガママとも言えるそんな気持ちを、初めて感じた。


「そ、それで先輩……。走るのは、いつやるんですか……?」

「えっ? ――あぁ、走りは、最後に確かめるくらいかな」

「へ? ……だって。スイジョーって、速さを競う競技ですよね?」

「うーん……。そうなんだけどね、意外と走るのは簡単なんだよ。さっきやった歩くのを、速く力強くやればいいだけだから」

「そうなんすか。んじゃあ、さっき言ってた『オキシグローブ』ってのは?」

「それはこれ」


 と、硝子は自分の掌を凛太に見せた。正確には、その手を包んでいる黒い手袋である。


「んー……」


 硝子はその手袋を擦りながら、何かを考えているように、数秒黙った。


「……まぁ、いつかはやることだし、先に見せちゃってもいっか」


 そう言うと、硝子は腰を曲げて、膝を曲げないまま、その体の柔らかさで水面から水を掬う。


 一体それが何か、と思った凛太だったが、すぐにわかった。


 指を広げて水を掬ったのに、水がまるでボールの様に丸くなったまま、硝子の手からこぼれない。


「えっ!? な、どうなってんスかこれ!」

「オキシグローブは触れた水を固めることができるの。そしてこれを――」


 そう言って、今度はその水を捏ねる。

 すると、まるでバルーンアートの様に形を変えて、ナイフの様な形になった。


「おぉっ」

「――こうして形を変えて、武器にしたりできるんだ」

「……ん?」


 何か信じられない言葉を聞いた凛太は、眉間を揉み「すいません、もう一度言ってもらっていいですか」と硝子から目を反らす。


「ぶ、武器って、言いました?」

「へ? うん。武器って――あぁ、そっか。そっちの説明もしなきゃね。前も言ったけど、スイジョーでは『競技中に体重が一〇キロ増えたら負けになる』では、どうやって競技中に体重が一〇キロも増えるか――」




  ■



 スイジョーは別名、水上の格闘技とも呼ばれるほど激しい競技。


 直接触れる以外の妨害が許されているから――ではあるが、直接触れずにどうやって妨害するか。


 それは、トリックと呼ばれる技で妨害するのである。


 先程硝子がやったように、オキシグローブで水を固めて武器を作る。これがクラフト系と呼ばれるトリック。


 さらに、ブレーキで波を起こして相手に飛ばすのがウェーブ系。

 自らの加速に使うのがアクセル系。

 そしてその三つの内どれかを複合して行うミックス系。


 これをレース中、相手に勝つため絶え間なく行い、相手にぶつける。


 ウェイトスーツは、本来であれば水を完全に弾くことができる。しかし、それをあえて競技用にデチューンする事で、水をある程度吸う事ができるようになる。


 このウェイトスーツが相手のトリックを受け、その水を吸い取る事で、吸い取った分体重が増え、最終的には水に沈んでしまうのだ。


 なのでレース中に転んでも、水面の水を吸い取ってしまい、ウェイトスーツの重量が増加。沈んで、負けとなる。



  ■



「――というわけで、トリックで相手を妨害することは、足の遅いランナーにとって生命線。コースを利用して、相手にトリックをぶつけて、走行不能にする。ちなみに、私もそういうトリック多用系の走りが得意かな」


 と、考えこむように、口元を隠して言う硝子。


「倉島さんもそういうタイプだったんだけど……。対人経験の差が出ちゃって、負けちゃったんだ。トリック多用同士が戦うと、経験の差が大きく出ちゃうから」

「ふぅん……。難しそうっすねえ……。俺にゃそういうの、なんか無理っぽいし」


 さすがに、慣れない水面での直立で疲れたのか、凛太はプールサイドに腰を下ろした。


「でも凛太くんは、多分トリックよりもランに力を注いで練習した方がいいと思うんだ。もし、ランがそれなりの物になっても、覚えるトリックは一つでいい」

「……いいんすかそれで?」

「うん。多分、どれだけこの一週間で練習できても、それが限界だろうし。チャンスも、作れて一回きり」

「い、一回……すか」

「うん。私の作戦が上手くハマって、だけど……。でも、まずはちゃんと、スイジョーを楽しめるようにしないとね」


 硝子は水面を渡って、対面のプールサイドへ。そこから手を振り、


「凛太くーんっ。とりあえず、プールを何周かして、ゆっくり歩きながらの移動に慣れようね」

「はぁ……」


 いいのかなぁ、と思いつつ、先程の直立と同じ要領でバランスを取りながら、水面をゆっくりと滑っていく。

 自分がトリックが得意なタイプでないことは、なんとなくわかる。まだやっていないとはいえ、そういう器用なことが出来るタイプではない。


 で、あれば、速く走る方法を優先させて練習させるのが当然。


 凛太は素人ながら、そんなことを考えていた。


 不満そうな凛太の顔が見たのか、硝子は少しだけ微笑み、「ねえっ、凛太くん」と声をかけた。


「なんすかぁー?」


 足元を見ながら、自分がきちんとバランスを取れているか確認している為、凛太は硝子を見ずに返事をする。


「凛太くんは、速いってなんだと思う?」

「は? なに、って……。そりゃあ、相手より先にゴールに着くこと、でしょう」

「まぁ、それも大事なんだけど……。大事なのは、制動力だよ」

「制動力……?」


 そこで初めて、凛太は顔を上げて硝子を見た。


「確かに、相手より先にゴールへ着くっていうのは大事だけど、そのスピードを制御し、いつでも止まれるのが最も大事なんだよ。速すぎて曲がれない、じゃあ話にならないしね」

「そうかもしれないすけど、それとこの練習、どういう意味があるんスかぁ」

「走るのは、意外と結構誰でもできるモノなんだよ。もちろん、速さは別だけど。その練習は、スイジョーの体捌きをきちんと覚える為のモノ。地味だけど、かなり効果あるから頑張って!」


 右足を水面に乗せ、残した左足でそれを押し出す。逆もまた同じように。普通はこんな歩き方などしない所為か、足の筋が変に伸び、鈍く痛んできたのを感じていた。


 これを速く繰り返せば、走るという行動になる。


 凛太はまだ走っていない所為でわかっていないが、実際スイジョーにおいては、走る方が歩くよりも、体の負担が少ないのだ。

 強く蹴り足を使えば、その分速く、長く滑る事ができるし、足に体重が乗っている時間も少ない。


 しかし、逆にゆっくり滑って体に負荷をかけ、自らの体がどういうバランスで水面に立っているのか覚えさせる。


 この練習はそのためのものだった。


 凛太は、その下半身に蓄えられた強靭な筋肉で、まだ上半身こそふらついているが、しっかりとスイジョーの歩行をマスターしていた。


「うん……じゃあ次は、プールの端から端まで、二五メートルを、全力ダッシュと歩行、交互に十回ずつやってみよう!」


 パン、と手を叩いて、笑顔で凛太に指示を飛ばす硝子。


「マジすかぁ!? もう下半身すごい痛いんですけど!」

「大丈夫! 痛くなってからが練習の本番だよ!」


 がっくりと肩を落とし、凛太は痛む足を軽く叩いて、スタート地点へ向かった。

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