第2話『そもそもスイジョーって何?』
「あっ、あの……」
緊張して乾く喉で、なんとか声を絞り出し、凛太は首を傾げた。
「スイジョー……って、なんスか?」
「あっ……そっか。そこから、だよね……」
傷ついたように目を伏せる少女は、凛太の手を離して、胸に手を当てる。
「私の名前は、
そう言って、先程の涙目ではなく、今度は力強い眼差しで、凛太を見つめ直す。可愛いと思っていた顔に滲んだ迫力に、思わず目を反らしそうになる。
「スイジョーっていうのはね……二〇年くらい前に生まれたまだまだ新しいマイナースポーツで……」
■
『スイジョー』
それは、地球温暖化に伴う海面上昇、将来的なエネルギー不足を打開するべく生まれた技術、
WCSとは、水に特殊な粒子を混ぜる事により、水を硬質化させる事で、建造物の材料として扱うことができたり、クリーンなエネルギーとして水を活用できたりするという夢の技術の事。
そして本来、スイジョーに用いるライドブーツは、そのWCSで海の上に建造物を作る際の作業用ブーツだった。
――その作業員達の内、一人がふと呟いたのだ。
『このブーツで海の上を走って、レースしたら面白いんじゃないか』と。
その現場で流行ったレースは、現場だけでは済まなくなった。
動画サイトに動画が投稿されると、ジワジワとブームになり、現在では全世界で競技人口が一〇〇〇万人を越えるほどの人気なのだ。
しかし、ただ水の上でレースするだけでは、今まであった競技と何も変わらない。
では、スイジョーが他の競技と違うのは何か。
それは、相手を妨害する事が許されている事。勝敗が、ゴールだけでは決まらないという事だった。
相手に直接触れない限り、大抵のことは許される。
■
「――陸上とは随分違う、ってことすか?」
頷く硝子。
ふぅん、と顎を擦り、海をちらりと見る凛太。興味はあるが、やりたいかと言われれば微妙、そんな気持ちである。
しかし、それはそれ。
この際、自分がやりたいかどうかなど、凛太にとってはどうでもいい。
大事なのは、目の前で硝子が困っているという事実だけ。
彼は胸を叩き、歯を見せて笑った。
「まっかせてくださいよ! 俺にできることなら、なんだってやります!」
「ほっ、本当ですか!? 水浸しにしちゃったのに、そんな協力まで……」
「大丈夫、大丈夫。俺の人の良さったらもう、ガンジーレベルって評判ですからね」
胸を張って、「あっはっはっは!」と高笑いする。
だが。
「それは残念ですが、認められません」
間を置かずに、教頭の冷たい言葉がピシャリと降ってきた。まるで先程空から降ってきた海水を思わせる冷たさだった。
「もう高森さんは、こちらの倉島くんに負けているんですよ。水上部は約束通り、廃部です」
あんなボロ部室でも、欲しがる部室はありますからね。
そう言って、踵を返して、砂浜から出ていこうとする教頭。呼び止めようと、硝子がその背中に手を伸ばそうとする。だが、予想外にも教頭を呼び止めたのは、バンダナをした、先程まで硝子とレースをしていただろう倉島だった。
「あーっ、すんません。いいんですかね、この新入部員とレースしなくても」
「ええ、大丈夫ですよ。時間を使わせて悪かったですね。あなたは御崎高校に戻っても――」
「へえ? んだって、教頭さん。言いましたよね? 『水上部は徹底的に潰してください』って。今新入部員入ったんだし――、徹底的に潰すんなら、こいつもやらないと、ですよねえ?」
ニコニコと調子のいい笑顔を浮かべる倉島。
何か面倒そうに、眉間にシワを寄せて、倉島と凛太を見比べる。だが、すぐに溜息を吐いて
「――いいでしょう。では、今すぐ……」
「ちょーっと待ってくださいよ、教頭さん。俺にも、御崎高校水上部の部長として、プライドってのがあるし――。そうさな、一週間、そいつに時間をやれませんかね?」
「……ふう。倉島くん、君の気持ちもわからないではないですがね……。それで条件は最後ですよ」
と、教頭はそれだけ言って、今度こそ砂浜を去っていった。
状況がさっぱりわからない凛太だったが、頭を掻きながら、倉島を見た。
「なんだかよくわかんないけど、いいのかよバンダナさん?」
「――ん? あぁ、いいんだよ。俺だって別に、ここの水上部潰してえわけじゃねえんだ。ただ、ちょっと練習試合ができるっつーから、話に乗っただけで。プライドがあるから、ワザと負けるとかはできねえが、まあ、これくらいはな」
「あっ、ありがとうございます。倉島さん」
頭を下げる硝子。それに釣られて、一応凛太も頭を提げておく。
「頑張れよ。――えっと、お前、名前は? あと学年」
「鯨馬凛太。一年生! 彼女百人作るのが目標!」
「彼女作りたいんなら、その目標掲げるのやめたほうがいいぞ。――俺は
倉島は、海へ歩いていき、水面に立って、軽く手を振った。
「じゃーな。頑張れよ、鯨馬。一週間で俺に勝てるほど、スイジョーは甘かねえけどな」
「フッ。見とけよバンダナ先輩。俺はこう見えて、ルールも知らない脱衣麻雀でコンピューター全員脱がしてやった男よ」
「……それとスイジョー、なんの関係があるんだ?」
海の上を滑っていく倉島の背中を見ながら、なんとなく溜息を吐いて「あれを俺もやんのかぁー」と頷いた。
「ありがとうございます、鯨馬くん。無茶なお願いだっていうのに、受けてくれて……。改めて、私は高森硝子。二年生です」
また、凛太に頭を下げる硝子。その肩を掴んで、頭を上げさせる。
「大丈夫っすよ。俺もなんか部活やろっかなぁーって思ってたし! あ、それと俺のことは凛太でいいっすよ。後輩だし、タメ口で」
「そ、そう? じゃあ、凛太くんで」
二人同時に、何か物思いに耽るように天を仰いだ。
凛太はというと、
(すげえー……。もう俺のことを名前で呼んでくれる女子が……これが都会マジック……)
そんな感動を味わっていた。
対して、硝子はというと、
(ついに念願の後輩かぁ……。去年は誰一人として入ってくれなかったもんなぁ……)
互いに、ある意味邪な考えを浮かべながら、同時に首を振ってその考えを振り払う。
「えー、と……」
指を組んで、親指をくるくると回しながら、気まずそうに凛太を見たり、海を見たりと目を泳がせる。
「あっ、そうだ……ウェイトスーツ脱がないと……。とっ、とりあえず着替えてくるね」
と、部室を指差す。
「てっ、手伝いましょうか」
上ずった声で、そう言ってみる凛太。言ってから失敗したー、と後悔して頭を抱えそうになったが、しかし彼は引かない。まだ信じているのだ。一%でも手伝わせてくれるという、可能性を。
「てつ……? あぁ、大丈夫だよ! ウェイトスーツは、ウエットスーツと違って、揮発性と撥水性に優れてるから、すごく脱ぎやすいの。凛太くんも安心だよ」
「へっ? あ、そ、っすね……」
なんだか、リアクションが浮世離れしてるなぁ、などと思いつつ。
凛太は硝子についていく。当然だが、部室内まで入るわけにもいかず、ドアの前で、硝子から借りたタオルで体を拭きながら、彼女が着替えるのを待っていた。
「――で、なんかタイミング逃しちゃったんスけど。ウェイトスーツってなんスか?」
中から、着替えの衣擦れ音が聴こえてくる。このままでは理性に負けてドアを開けてしまいそうだと思った凛太は、そんな話を振ることにした。ドアノブを握って、今にも開けそうな自分を誤魔化し、かつスイジョーに興味を示していると硝子にアピールできる。
そんな一石二鳥の会話であった。
「あぁ、うん。スイジョーは、先にゴールするかっていうのも当然、勝敗を決める方法の一つなんだけど、もう一つ、「沈んだら負け」っていうのがあるの」
「しず、む……? だってライドブーツとかいうので、水の上歩けるんじゃないんスか?」
「スイジョー用のライドブーツはね、競技中に体重が一〇キロ増えると肩まで沈む様になってるの。
これをスイジョーの用語で『サラシ』って言うんだけど、こうなると走れないから負けが決定するのあっ、さらし首から来てるんだけどね。
そもそも、ライドブーツが浮くのは、特殊粒子を靴の裏に使ってて、その特殊粒子が起こす超微小振動が水の粘性力と慣性力によって、水を硬質化させてるからなんだよ。
凛太くんも、プールに飛び込んだら水面が硬かった、とかあったと思うんだけど、理論的にはあれと似たようなモノで――」
「ちょ、待って待って! そもそもどうやって沈むんスか? なんで競技中に体重が十キロも増えるハメに?」
そうしていると、ドアに向かって歩いてくる音が聞こえたので、凛太は急いでドアノブから手を離し、ドアから距離を開いて、出て来る硝子を待った。
「それが、スイジョーの面白いところなの。スイジョーは別名、水上の格闘技だから」
ドアノブが回り、中からセーラー服に身を包んだ硝子が出てきた。
「先輩、制服似合ってますね!」
微笑み、首をかしげる。なぜいきなりそんなことを凛太が言い出したのか、硝子にはさっぱりわからなかったのだろう。凛太が何か考えて発言することなど滅多にないのだが。
「まあ、それはいいんだけど……。凛太くん、明日って予定ある?」
「ないっスよ。さっそく練習っすか?」
「うん。付き合わせることになっちゃうけど、放課後になったら、この部室まで来てくれるかな? 一週間で素人の凛太くんが倉島さんに勝つ為には、ちょっと厳しい練習になるけど……」
「き、厳しい……」
ごくりと、つばを飲み込んで、怯えたように硝子を見る。運動神経には自信があるけれど、凛太は本格的にスポーツをやったことなどない。大抵は恵まれた体躯とセンスでなんとかしてきた。
しかし、硝子の小柄な体躯や接してきた性格から、そんなに大変なことにはならないだろう、と高をくくった。
■
鯨馬凛太、一五歳。
山に囲まれた小さな田舎町の出身であり、モテる事だけを考えて生きてきたような少年である。
その願望は、小学校低学年にして既に芽を出しており、父親に「どうやったらモテるようになるか」と尋ね、その結果「小学生時代は運動ができるやつがモテる」と言われたので、それを鵜呑みにしてトレーニングを重ねた結果、クラスでどころか学校で一番足が速い少年になった。
体育の授業や体育会では、経験者や部活に入っているクラスメイト達を上回るほど活躍したりしたのだが、凛太がモテるという事はなかった。
何故か? 自分より顔がいいクラスメイトが居たから。
そんなクラスメイトに勝ってしまうと、まさに当て馬である。女子達はそのクラスメイトを慰めて好感度を稼ごうとし、凛太を褒めてくれる女子というのは一人もいなかった。
「運動してもモテないんならやってられっか!!」
最後にはそうブチ切れて、彼は体育の授業以外で運動することはなくなった。
中学時代、父親に「運動以外でモテる方法教えろ」と尋ねたら「中学のときはオシャレなやつがモテるんだよな」と言われたので、かっこいいオシャレを模索した。
ちなみに、彼の趣味は映画と散歩である。休日は適当にぶらついて、いつもの映画館に入るというのが常なのだが、そこで見た昔の不良映画に影響されて、彼は頭を金髪にした。
しかし田舎でそんなことをすると、目立つ。特に凛太は中学一年生にして身長が一七〇を越えていた。女子からは恐れられ、先輩ヤンキーたちには目をつけられ、先生達からは怒られるという事態になってしまった。
結局は先輩ヤンキー達と喧嘩をするだけの中学三年間を送り、先輩達に気に入られるというだけに終わったのだが。
そうなると、流石に今度は凛太も『親父の言うことを信用するとモテないな』と学習し、しかし一人ではどうやって高校でモテるかがわからない。
中学最後の日々を悶々と過ごしていると、彼は一つの映画に出会った。それは『少年が都会に出て、そこで成功するというサクセスストーリー』である。ありがちなテーマではあれど、その時の凛太にとってはまさに天啓と言ってよかった。
これこそ、田舎少年が都会――巨大人工浮島、アクアフロートへとやってきた理由である。
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