22 本当の危機

「カヤール!! 何でイドを無理にでも止めなかった!? きちんと話をしてからってのが筋だろう!? 紙一重で俺のが早かったから良かったものを!」


 金の鬣を逆立ててズカズカ歩いてきた親父は誰もが圧されるだろう剣幕でカヤを睥睨する。片手には大剣を握りしめている。親父、あんた……まるでナタを持った殺人ゴリラだよっ。

 させねえって叫んだのは、俺には殺させねえって意味だったらしい。

 もう目と鼻の先にいてカヤに今にも襲いかかりそうだ。


「待て親父! 俺は俺の意思でああしたんだよ。責める先が違う」

「何だと……?」


 庇うようにカヤの前に出た俺の主張に、親父は明らかに狼狽した。


「まさか、記憶が戻ったのか?」

「ああ、そうだよ」

「……っ、何でだ!? 事情を知ったなら尚のこと魔物を殺せない理由がわかるだろ! どうして倒そうとしたんだよ!? 心臓狙っておいてドドメを刺す気がなかったとは言わせねえぞ!」


 親父は俺の胸ぐらを掴んで激昂した。


「ジェード!」


 今度はカヤが俺を庇って手を外させた。

 親父の気持ちはわかる。


 実を言うと、俺は命の危険を孕んだハイリスクな賭けに出ていたからな。


 記憶が戻って、カヤとリンクしている関係でなのか、ある程度のカヤの情報ってのは俺も知った。

 彼女がダンジョン守と言う存在なんだって知った。

 人間じゃないのは薄々感じていたとは言え、その正体を理解して驚きがなかったとは言わない。いやもうハッキリ言って目玉が飛び出るかと思ったね。

 だからと言って俺の気持ちは何も変わらない。カヤが何であれ大切な友達だ。


 で、親父が何でここまで神経質に気にしてくるのかってのは守独特の生態……って言って適当なのかは知らないが、その有り様のせいだ。


 基本的にダンジョン守同士は互いの領域に干渉しない。殺し合わない。


 同族殺しは禁忌だ。


 それプラス、他の守の支配下にある魔物を殺せない。


 攻撃によるダメージは与えられても消滅まで行くとアウト。こちらももれなく禁忌に当たる。


 それらを犯すとペナルティーがある。


 死ぬ。


 ――死ぬっ!!


 すぐなのか時間差があるのかまではわからない。

 古代覇王って奴が生きていたカヤたちの時代、ダンジョンはもっと密集していたらしい。故に相手を喰らって強くなろうと野心のある守同士で全面戦争なんてのは日常茶飯事だった。そのせいで魔物の数や守の数は激減した。現代にまで残るダンジョンが点在しているのはその激戦のせいだそうだ。とは言えその数は決して少ないとは言えないが。

 彼らの生みの親たる古代覇王は世界の知能、技術、人材なんかの無駄な喪失を嘆いた。

 結果、彼によって守同士は同族殺しができなくなったってわけだ。

 ぶっちゃけ、マジかッ!……って感じだよ。


 冒険者なら例外なく倒している魔物を殺したら人生終わりとか、めっちゃ厳しいだろ。そこはやっぱり俺たち人間とは大きく異なる理で生きる者なんだろう。


 カヤはコーデルダンジョンの魔物を殺せない。


 倒せるくらい強いのにそうしなかったのは、できなかったからだ。まあ自殺願望があるなら話は別だが。


 だからこそ、カヤは俺にも殺させなかった。


 カヤと俺は表裏一体だからこそ、俺も魔物を殺すと同じペナルティーを食らう可能性が大だった。カヤは全力でそれを防いでくれていた。攻撃が何度も寸止めになったのもそこに起因していた。


 だが、トドメを刺しても俺が人間側なら問題はない。


 さっきは王都を救いたいって気持ちの他に、俺は人間なんだって証明したい気持ちも心のどこかにはあったのかもしれない。


「親父に心配をかけたのは悪かったよ」

「全くだぜ」


 広場じゃ既にジェードコールまで起きてるってのに珍しく完全無視な親父が案じるような目になった。因みに俺は無名の赤毛の少年と思われているようで「ナイスファイトだった!」とか労いの掛け声をもらっている。まあ、戦闘場所から距離もあるし会話まで聞こえてないだろうからそうなるか。


「イド、その……全部思い出したんなら、大丈夫か? 痛かった記憶とかを急に思い出しただろ、だから……堪えるのはキツかったはずだ。あの時はお前を護れず不甲斐ない父親でマジに済まなかった」


 何だよ結局あんたは一番そこを懸念していたわけか。確かに死ぬような噛み付きを受けた記憶は衝撃的だった。


「親父のせいじゃないだろ。俺の考え無しが招いた不運だったんだよあれは。幸いこうして生きてるし、俺はあんたに似て図太いからそう気にすんなって。あと、ドラゴン討伐お疲れ。凄かった。さすがは俺の自慢の親父だよ」

「じ、まんの……おやじ……?」

「繰り返すなよっ」


 照れ臭くて口を尖らせたら思い切り涙ぐまれた。う、そのリアクションはちょっと予想してなかったよ。羨ましいくらいに逞しくて太い腕を目元に当てて男泣きまでし始める。


「そ、そんな風に思ってくれてたのか。お、お前と素直に向き合えなくて、あ、愛情の裏返しで色んな悪戯もしたっけなー……マジに悪かった」

「あー……もうエロ本勝手に息子の荷物に忍ばせるのは止めてくれよ。女子からどんな目で見られたか」 

「ああ、ああ。男子からは勇者扱いだったろ」

「んな勇者御免だよ!」


 全く反省してないだろこれ。親父は穏やかな眼差しで見つめてくる。子を思う親の顔だ。とんだ不器用な男だよあんたは。


「おーうジェード忘れてんなよこれ!」


 内心の呆れとこそばゆさが俺の顔に出たところで、タイミングを見計らってくれていたのかソルさんが忘れずドラゴンの魔石を拾って掲げながら俺たちの所にやってくる。

 真っ赤なルビーもかくやな輝きで、サイズはカカオ豆くらいある。

 わぁお凄く綺麗ででけえ魔石! 魔宝石! あんなの初めて見たよ。後で換金すりゃ丸々親父たちの懐に入るな。その額は正直ちょっと予測できない。

 カレンも結果的に無事で、これで王都には平穏が戻るだろうな。


「何にしろ、今は体を休めることが先だよな、親父」


 一度安堵を胸にカレンの方を眺めていた俺は改めて親父に向き直った。


 フリーズした。


「――あ?」


 目の前で親父がパタリと倒れた。


 前のめりになってそのまま石畳に。顔面強打コースだ。


「おや、じ……? 親父!?」

「ジェード!」


 ほんの直前までピンピンしてたのに何でだ? まさかドラゴンとの戦いで怪我を? そうだよ、どうしてまずそこを気にしなかった俺、あり得る事だったのにっ。


「親父、しっかりしろ、どこが痛いんだ!?」

「おいジェード聞こえてるか? ジェード!」


 青い顔のソルさんがすぐさまおやじを仰向けにして抱き起こす。


「ジェー――」


 ソルさんは何故か急に黙った。

 俺から見た俯きの角度が陰影をより濃く見せて深刻さを告げるようだ。

 まさかそんなに状態が悪いのか?

 呆然となる俺の横に駆け寄ってきた誰かが膝を突く。


「どうしたんですか!? 私が診ます!」

「ウォリアーノさん……」


 ああそうだった、彼がいるならもう心配ない、と俺は感動にも似た心地で期待を浮かべる。


「――いや、必要ない」


 その妙に耳に残る声と共に小さく首を横に振ったのはソルさんだ。


「え、ソルさん? ですがっ……」


 彼は親父をゆっくりと地面に寝かせた。真面目な眼差しが俺を見る。


「イド」


 ごくりと無意識に咽が鳴った。ドクンと胸が嫌な感じに鼓動する。


「ソル、さん……?」


 次の言葉を待って動けない。

 手が我知らず震え出す。隣のウォリアーノさんもが息を呑んだ。


「ソルさん、お、親父はっ」

「イド、落ち着け――――マジ寝してる」


 マジ寝してるマジ寝してるマジ寝してる……と少なくとも五回は脳内でリフレインした。


「……ええと、へ? はい? そのー、ただ寝てるだけなんですか親父? 本当に? 怪我とかじゃなく?」


 ソルさんは無言でしっかと首肯してみせた。確認したウォリアーノさんも「そのようだね」と駄目押しに俺に頷いてみせる。

 俺は身を屈めた。


 スコー、スコー、スコー、スコー。


 間違いなく親父の爆睡時の寝息だ。何度も聞いてきたからわかる。


「いやいやいや、ですが、何で、ここで、急にマジ寝っ!? なっ何かの毒の影響とかじゃないんですかこれ!?」


 どう見てもマジ寝にしか見えないが余りにも状況にそぐわないせいで信じられない。


「イド、こいつはな、激しく体力を消耗すると大体こうなるんだ。心配掛けるのとプライドの問題なのか、お前の前では決して晒さなかった姿だけどな」

「そうですね。これはまさにその通りですよね。久しぶりにジェードさんのこれ見ましたよ」


 ウォリアーノさんまでそう言う。じゃあ、心配は要らないのか? 俺の心許ない表情を見かねてか、二人は苦笑する。


「心配要らねえぜ。今日のは稀に見る激戦だったからこうなったんだよ」

「思い切り寝させてあげれば、そのうちけろりとして起きますよ」


 二人のお墨付きの言葉にようやく俺は安堵できた。


「そうなんですか。よかった……」


 改めて親父を見れば、なるほど確かにこれ以上はない健やかな寝顔だ。顔面から倒れた割には全然平気そうなのがまた小憎たらしい。

 小さな苦笑が浮かんだ。


「お疲れ様、親父」


 返事じゃあないだろうが、偶然にも「んがっ、んぐう」と寝息が変に詰まった。

 後はもう収拾はギルドの方でつけるだろうし、ソルさんを労ってカレンの事でウォリアーノさんに感謝を言って骨が折れそうだが親父を家まで運んで……なんて漠然と算段を付けた時だ。


 小刻みな振動を靴裏に感じた。


「……地震?」

「のようだな。けど珍しいな。王都で暮らしてて初めてな気がするぜ。しかも結構長い」

「そうなんですか?」


 ソルさんと顔を見合わせた直後、その揺れは格段に大きくなった。

 ズン、とあたかも地面ごと下がったみたいな揺れに驚いてか広場のあちこちから悲鳴が上がる。

 親父は完全にエネルギー切れなのか全く起きない。どこまでも図太いなおいっ!


「……なあ、マジにこれ地震か?」


 ソルさんがウォリアーノさんに疑問を呈する。ウォリアーノさんは考え込むように眉間を寄せた。

 俺も親父たちと各地を回っていた時に地震を経験した事はある。この五年いた田舎でも時々あった。ただ、いずれもここまで大きくはなかった。

 だからこそおかしいと感じている。それは俺だけじゃないだろう。

 何て言うか、揺れるってよりもどこかが崩壊崩落するための序章って感じがしてならない。


「ソルさん、ウォリアーノさん、何でしょうこれ!?」

「さてなあ、けどまずい気しかしないな」

「ですよねえええ!」

「――イーラルさん!」


 珍しくもウォリアーノさんが突然声を大にした。加えて、彼の顔付きは見た事のないくらいに切羽詰まっている。

 ……ウォリアーノさん?

 一瞬カレンに何かあったのかとヒヤリとして彼女の方を見たものの変わりはなさそうだった。

 じゃあ何が彼の血相をここまで変えさせたんだ?

 考えられるのはこの揺れに対してだ。

 彼はこの揺れが何か察している、とか?

 そしてその読みは当たった。


「オーウェン……何か知ってそうだな」


 顔を見ただけで察する辺りさすがはパーティーを組んでいただけはある。そんなソルさんは険しい面持ちだ。

 一度呼吸を整えてウォリアーノさんは自らを落ち着かせるようにした。冷静な判断をと自分に言い聞かせているんだろう。一体何が彼をそうさせている?


「事は一刻を争うかもしれません。陛下は守の所へと出向きました」

「守の……? 一体何をしに――」


 言い差して、何かを悟ってハッとしたソルさんが即座にダンジョン塔を見上げた。まさか、と声にならない声で呟く。


「そうです、陛下はコーデルダンジョンを王家の血の楔から解放するおつもりです。陛下の孫娘……ミラ様の忘れ形見がダンジョンから出られなくなっていましたから。幸いもう大丈夫ですけれど」


 ウォリアーノさんがちらと離れたカレンたちを一瞥し、安堵だけじゃなく心が痛そうな顔をした。俺はまだよく呑み込めなかったがソルさんにはわかったらしい。……うーん? 国王の孫娘?


「本来ならばダンジョン消失だけが成るところをこうも穏やかでないのは、陛下と守の間で何かあったのかと」


 ですから、と彼は無意識にか一歩ソルさんへと近付いた。


「一緒に守の所に行きましょうイーラルさん。生憎ジェードさんはこの通りですし。このままでは取り返しの付かないことになる気がしてならないのです。ミラ様の時と同じように。……いいえ、あの時とは比べ物にならない悲劇が起きる前に何とか手を打たなければ!」


 話に付いて行けない俺はしかし、記憶を思い出した今ならわかる。

 このコーデルダンジョンにもカヤみたいな守がいるんだって。

 傍に立ったカヤが俺の手をぎゅっと握り締める。


「コーデルダンジョンの守――アルジュの所に行くなら、うちも行くです。彼女は……もう正気じゃない」


 空気が冷えた。

 ええと、ダンジョン守が正気じゃないのはヤバいんじゃないか?

 カヤをダンジョン守だと知るソルさんたちに、その言葉を疑うべき点も要素もなかっただろう。

 揺れは強弱を繰り返している。まだ建物が崩れる程に強くはないがこの先はわからない。それどころか小さくても長時間続けばいくら頑丈な造りでも確実にどこかに歪みが生じるだろう。


「カヤ、俺も行く」


 ん、とカヤは頷いた。ソルさんたちは止めない。本当は止めたいんだろうが俺の顔付きは決して制止を容れないと察したんだろう。きっとカヤの存在も大きい。


「ところで、行くにしてもどこに行きゃあいいんだ?」


 ソルさんの疑問はもっともだ。

 ダンジョン守はダンジョンボスとは異なるが、普通はかつてのカヤみたいに自らのダンジョン内にいるはずだ。

 しかし冒険者たちの前に姿を現すのは極めて稀で俺にも見当が付かない。


「王家の人間にしか入れない場所があると聞いています」

「ならオレらじゃ行けねえってわけか?」

「そこですけれど、守がいる場所自体はその限りではなく、そこまで通じる経路に王族専用の魔法が施されているらしいんですよね。なので、場所が特定できれば我々でも辿り着けるとは思うのですけれど……」

「そこがわからねえんじゃ元も子もねえだろ」

「ですよね。面目ないです……」


 ウォリアーノさんはしょんぼりしたが、焦りは余計に募った顔でいる。俺も同じ気持ちだ。


「守なんだし、居るとすればコーデルダンジョンのどこかに隠し部屋があるとしか……」


 ぶつぶつと独り言を呟いた俺は言葉を切った。

 ん? 隠し部屋……隠しスペース?


「――あ!」


 閃いて顔を跳ね上げたのは俺だけじゃなかった。ソルさんもウォリアーノさんもほぼ同時に思い至ったようだった。


「地下の底。ドラゴンは地下ダンジョンのもっと下、地下深くから上がってきた。そこにアルジュもいるです」


 俺たちの誰かが考えを口にするより先にカヤがきっぱり断言した。

 だよな! 今俺もそう思った。ちょっと悔しい気分で同意する。


「じゃあドラゴンの開けた大穴を辿って行けばいいわけか。しかしまあ未知の地下空間があったなんて驚きだよ。カヤは元から知ってたんだ?」

「もちろん」


 へえ、さすがは守だな。


「あ、そうだ、イド、ジェードはどうする? 一旦家に置いてくるか?」

「いえ、そこに放置で」

「え……?」


 塩対応過ぎるとでも思ったのかソルさんから二度見された。


「ただ寝てるだけですし、この人は実は生まれも育ちも野生のゴリラなので全然平気です」

「……あ、あー、そうだったよなー」


 俺と親父の(あってないような)確執を知るらしいソルさんは無難に過ごすと決めたらしい。ウォリアーノさんは微妙に気の毒そうな顔を親父に向けたが何も言ってはこなかった。カヤに至っては我関せず。


「こほん、場所がわかったことですし、急ぎましょうか」


 的確なウォリアーノさんの促しに、俺たちは各々しかと首を縦に振った。

 背中に親父の健やかな寝息が聞こえて、こんな時なのに和んでしまった。何にも脅かされず、安眠できる。

 いつも世界がそんな風だといい。






 やや時を戻る。

 コツリ、コツリと暗いほらを歩む老王がいた。

 彼は供も連れずたった一人で漆黒でできたような道を歩いている。所々時短のための空間移動魔法が施された魔法陣が仄かに光る中、彼の手には乏しい光を放つ手燭以外ない。一歩でも踏み外せば即刻奈落の底に落ちると錯覚してしまうような闇だった。


 そこは王宮ではない。


 そこから通じているとは言え、転移魔法と歩いてきた時間的に王宮敷地からはかなり離れたはずだ。


 下り坂を一歩一歩踏み締める彼が向かうのは罪深い、王都の核とも言うべき場所だった。


 最後の転移魔法陣を経てコーデル国王の足が止まった。

 彼が凝視する前方には闇しかない。

 その先にも闇しかない……と、思われた。


「久しぶりだのぅ、当代王よ」


 どこか向こうからの女の声にコーデル国王は恭しくこうべを垂れる。鎖の音も微かに聞こえた。


「ええ、お久しぶりに存じます盟主様」


 すると、闇の声の女――アルジュは不愉快そうに鼻を鳴らした。


「盟主じゃと? そのような無粋な呼び方はやめよ。最早盟主たり得る同盟などなく、わらわはただただ搾取されるのみの奴隷も同然ではないか。人間とはかくも形式や欺瞞が好きじゃのぅ。そう思わぬか、老いた王よ」

「……。では、アルジュ様とお呼び致します」

「それでよい。して、今更何用じゃ? 奇しくも地上では愉しい崩壊の宴が始まっておるというのに、くくくっ、国王が悠長に姿を消していてもよいものかのう?」

「崩壊の宴……?」

「ああ、魔法に護られた通路にいたそなたはまだ知らぬのか。であれば朗報を聞かせてやろう。ドラゴンは既に塵となった。元勇者とやらに倒されてのぅ」


 隠し切れずにホッとする国王を見逃さず、女はほくそ笑んだ。


「だからわらわはのぅ、もう自らの存在を諦めることにした」

「どういう、意味です?」

「何、簡単な話よ、この王都ごと滅びてやろうと思っての、くふっ、感じるじゃろう? この揺れを」


 国王は意識して、そして愕然と瞠目する。


「ま、まさか王都は崩壊するのですか!? 何故です! あなたはダンジョンを、この地を愛していたはず!」


 女の美麗な面から表情が抜け落ちた。


「愛? 愛じゃと? ああふふふ、わらわは愛していた。確かに心から。アーネストも愛を誓ったのじゃ、そう、愛、愛じゃ。はは、くくくハハハハ。嗚呼、アーネスト愛している。愛愛愛愛愛愛愛きゃはははわらわを愛しているじゃろうアーネスト?」


 踊るようにその場でくるくると回り出す女は恍惚の表情だ。

 国王は無念そうに両の瞼をぎゅっと閉ざした。

 この女は歪んでいる。狂っている。

 だがそうさせたのは人間だ。

 この国の歴史たちだ。

 女と比べれば長くもない人生で、その大半で真実を知りつつ黙認してきた自分にも責はある。

 この事態の片棒を担いでいたと言われても否定はできない。

 そして、いやだからこそ、過去から続いて来た負の遺産を今清算すべくと、それが最後の王の責務だと心に決めここへ足を運んだのだ。

 かつてから血に塗れ多くの命が食われたこの凄惨な場所へ。


 娘――ミラ王女の行方と、そして命が途切れたこの悲劇の現場へ。


「あーははははははは愛ぃいいいい!」


 壊れた心のままに歓喜に叫ぶ姿は慟哭しているようにも見えた。人間の裏切りと欲望に使い潰された人ではない者の末路がそこにはあった。


「ハハハハハハハハハハ! ――しかしだから何だと言うのじゃ?」


 一度ピタリと言葉を切って女は心底不思議そうにする。何も知らないが純粋な子供のように。それが逆に異質で見る者には鳥肌を立たせる。老王は自らの腕を擦った。


「……フフ、ふは、あはは、憎きこの地と人間共など全てが塵となればよい、愛しい愛しい狡猾なアーネストの理想ごとな!」


 女はようやく我を取り戻したようにして国王を鋭く睨んだ。


「くははは、わらわの暴挙を止めに来たのじゃろう? それも、ようやく」

「……ええ」


 老王の潔いとも言える静かな声に、さしもの女もピタリと笑声を止めしばし押し黙った。皮肉が堪えていないのが面白くなかったのだ。

 言葉を続けよと言う促しと取った王は震える唇を開く。


「幼少よりの王家の倣いに従って、私はあなた様を尊崇しております。同時に、――酷く憎んでもおります。そして、もう限界を超えたのです」

「……」

「この先、私は多くの民に憎まれ疎まれ蔑まれるかもしれません。それでも国全体に危機が広がるよりはマシでしょう。あなた様にとっては青臭い人間の愚見なのかもしれません。ですが私は決めたのです」


 コツリコツリと彼は爪先を進め、蛇のように床に広がる鎖を超えていく。人には触れようとも触れていないその魔法の鎖を。

 辿り着いた最奥。

 掲げた手燭に照らされるのは、朽ち果てようとしている一人の人外の女。コーデルダンジョンの存続を左右する存在、守のアルジュ。


「アルジュ様、我が一族との血の契約の解消を」


 そして、と彼は深く息を継ぐと光源を床に置いた。

 懐から鞘の装飾の美しい短剣を取り出すや引き抜き、抜き身の刀身を女へと向ける。

 その剣は自らで仄かに光り出し、何らかの魔法剣である事が知れた。


「――そして、あなた様の永劫の消滅を」


 諦めか余裕か、女が嘲笑うように唇を歪めた。

 刹那、闇に白刃が閃いた。






 迫る短剣を見つめながらアルジュは思い出す。

 それは十年以上前の過去の一幕。


『守のアルジュよ。もうあなたに王家の命運を握らせているわけにはいかない。私は王家をあなたから解放する』


 王女は、決然とアルジュに向かって言った。

 何とも生真面目で誠実そうな姫だった。

 そもそも自由を奪われ姑息な血の契約で拘束されているのはこちらの方なのだが、とアルジュは溜息をつきたい気分になった。

 だが彼女は何も弁解をしなかった。

 もしもここで情報の訂正をしていたら、結末は違っていたのかもしれなかったが、アルジュ自身、自分の終焉が秒読みで見えて来たこの頃は思考に怠惰になり、全てを無に帰す方法以外の人間たちの些事はどうでもよかった。まあ秒読みとは言え人間の感覚からすれば決して短くはないが。

 これと言って感情を見せないアルジュに王女は訝しそうにした。


『……どうして、無反応なのです?』

『どうでもよいからじゃ。そなたこそ何故にここまでする?』

『愛する者たちの未来のためです。元凶さえ無くなればこの国はより良くなるでしょうから。見て見ぬ振りを続ければ私の代になるでしょう。ですが代替わりを待っている気は更々ありません』

『はっ、愛する者のため、のぅ。愛した所でその相手がいつまでも変わらぬわけがないと言うにのぅ。お主も裏切られぬようにな』

『……』


 王女はじっとアルジュを見つめた。


『――悲しいのですね』


 思いもよらない言葉を掛けられ、アルジュの嘲りの空気が途切れ訝しげなものに変わった。


『何、じゃと……?』

『あなたはとても傷付いているように見えます。愛によって。初代があなたを騙してあなたの力をほしいままにしたのは知っています。だからと言ってこの時代の人々にまで敵意を抱くのは間違っている』

『……黙れ、人間風情が』


 アルジュは王女を睨みつける。


『そなたがここで大人しく帰れば見逃してやろう。これ以上この話を続けるなら容赦はせぬ』

『これは失礼しました。あなたを怒らせに来たわけではないので口を噤みます』

『……』


 殺そうとしているくせに気を遣うとは何とも調子の狂う相手だと、アルジュは思った。


『ですが、こちらも譲れませんので帰るわけには行きません。かといって長居をするつもりもありませんので、どうぞお覚悟を』


 王女は知らなかった。血の契約者以外、いかに王家の人間と言えどもアルジュを害する事はできないのだと。

 実に惜しい、とアルジュは素直に感じていた。

 代替わりしていれば良かったものを、と。

 彼女のような者が契約者ならば、この滑稽な王都の物語も早々に終わっただろうに、と。


 しかし、いつもアルジュの願いは叶わない。


 少しして、血溜まりに沈んだ王女の姿を暫くぼんやりと感情のない眼に映し、アルジュはとうとう目を背けた。

 何故そうしたのかはよくわからない。

 きっと近年では珍しく見ていられなかったからだろうか。

 血に集まった魔物たちによって食い散らかされるその様を。


 だが、今度は違う。


 老王の浅慮かつ稚拙な決断に嘲りながらも、心のどこかでは今度こそは終われるのかもしれないと微かに笑みが浮かんだ。


 守はその強大な力故に自死できない。


 その力を使い切らなければ消滅もできないのだ。


 だからこそ、ダンジョンを混乱に陥れた。

 一つ葛藤をして、百の葛藤をして、とうとうこの地を見限ろうと腹を決めたのだ。

 それが、叶う。







 暫く続いている揺れが刺激になったのか、カレンはようやく意識を取り戻した。

 覗き込むアシュリーとリリアナの心配そうな顔を見て、ハッとして即座に上体を起こす。


「イドは無事なの!?」

「全く、第一声がこれかい。無事だよ。カレンのおかげでね。それよりカレンこそ平気なのかい? マスターが治癒魔法を掛けてくれたとは言え瀕死だったんだ。全身ボロボロで並みの治癒魔法じゃ完全回復も難しいと正直思ったくらいだよ。両腕の調子はどうだい?」


 カレンは何でもない両手を見下ろしてキョトンとする。


「あたしの腕がどうかしたの? 痛みのせいか感覚はなかったんだけど」

「そうかい。炭化してたんだよ」

「そうだよぉ。本当に酷い怪我だったんだからぁ」

「え……炭に……」


 あの時は夢中で炎の前に立ちはだかったのでその後の自分を想像していなかったカレンは、さすがに血の気が引いたように頬を引き攣らせた。


「死んじゃうかと思ったんだからね~!」


 涙目のリリアナに抱きつかれて気まずいやら照れ臭いやらだ。

 しかも執拗に頭を撫でられて、その感覚に違和感を覚える。

 自分でも手をやって「あ……」と声が掠れた。

 理解して、気遣うリリアナに一度ぎゅっと抱きついた。


「カレンちゃん……」

「カレン……」

「…………ん~~~~まっ、髪なんてほっときゃまた伸びるわよ、うんっ!」


 泣きたい。鏡なんて見なくとも大体は触ってわかる。自慢の長い髪がこんな風になってしまい冗談ではなく泣きたい。毎日トリートメントは欠かさなかったというのに。

 だがそんな暇はないのだ。イドの無事な姿を探せば、何故かいない。

 彼の父親ならいる。地面に。


「え、あそこのイドのお父さん大丈夫なの?」

「大丈夫なんだろうねえ」

「うんうん、だってそのまま置いてったから」

「……?」


 二人の言葉からではいまいち状況がよくわからないカレンは片眉を上げた。その反面、イドたちかどこかに移動したのだろうとは何となくわかった。


「あ、ねえところでドラゴンは?」


 そちらも見当たらない。しかし疑問はすぐに解消された。広場では何故かジェードコールが起きている。……放置されているのにだ。よくよく聞けばドラゴンを倒した万歳なんて声が聞こえてきている。……誰も傍に寄っていってやらないのにだ。


「あ、イドのお父さんが倒したのね」

「そうだよぉ」

「じゃあこの揺れは何?」

「私らにもわからないね。でもマスターやイドたちがダンジョンに入ってったから、それと関連してるんじゃないかい?」

「え、ダンジョンに?」


 もう倒すべき魔物はいないだろうにどうしてなのか。

 わからないながらも焦燥が胸に込み上げる。

 慰めるように頬ずりまでしてくるリリアナを引っぺがして、カレンは大慌てで立ち上がった。居ても立ってもいられなくなったのだ。

 本当に体は何ともない。むしろダンジョン入り前よりも溌剌はつらつとしているように思う。

 瀕死を経験すると幾つかの能力値が底上げされるとは、冒険者の間では通説だ。

 大幅なレベルアップのように急に強くなると言うわけではないものの、自分の中の確かな上昇を感じるのは確かだった。


「ちょっとカレンちゃんどこ行くつもり~?」

「決まってるじゃない。あたしもダンジョンに行くのよ。イドが心配だわ」

「やめな。折角マスターが助けてくれたってのに、あんたじゃまた危険な目に遭うかもしれない。それにイドは、よくわからないが急に強くなった。ドラゴンを圧倒する程に」

「イドが?」


 俄かには信じられない。

 しかしまさかと一笑に伏す事はできなかった。

 一度だけ少年の不可解な力を目の当たりにしたカレンだからこそだ。


「とにかく、私らじゃ足手纏いは間違いないよ」

「アシュリーちゃんの言う通りだよ~カレンちゃん」

「それでも、行くわ。二人はここにいて」

「カレン」

「カレンちゃん」

「――理屈じゃない。今のあたしの相棒はあいつなのよ」


 だから行かなきゃ、と二人の制止を振り切って、カレンはもう靡かない金髪の先を微かに揺らして駆け出した。

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