23 カレンによる知らないって最強!説

 慎重に地下30階層分の大穴を下りていく。


 俺、カヤ、ソルさん、ウォリアーノさんの四人で。


 途中魔物は見掛けたが俺たちの下降速度から追いかけてはこれないようだった。各所に捕まりながらもあたかも飛び降りるようにしていったからな。

 最底部に迫る辺りから嗅覚には決して愉快じゃない臭いが弱い上昇気流に乗って上がってきていた。

 埃と土の他に何かが腐って饐えた臭いと微かな錆っぽい臭い、動物やなんかの排泄物系の臭さも混ざってこごったようになっている。本能的に不快になるのを息を止めたり腕で鼻を覆ったりして堪えた。まあ嗅覚はすぐに慣れたが。


 あと数階分下りれば着くって辺りで誰かの笑い声と話し声が聞こえてきた。


 内心ちょっとギョッとする。ダンジョン守がいるから下ってきたんだが、心情としてはやっぱりこんな地下深い暗闇に居る相手へは言い知れない不気味さを感じてしまう。

 接近に気付かれているのかもしれないとも思えば緊張感が余計に増した。


 それまではなるべく音を立てないよう音消しスキルを使っていた俺たちだが、一番先を行っていたソルさんが舌打ちして急に武器を構えたのが見えた。


 えっソルさん!?


 彼はダンジョンの底、実質地下31階空間へと既に突入している。俺の位置からじゃ見えない何かが見えていると思って間違いない。


 内心驚きの声を上げた俺の聴覚は刹那、彼の銃からのけたたましい発砲音を捉えた。


 それが何か硬質な物に当たった音も。

 距離のせいでか微かにだが何者かの強張ったような呻き声も。

 ソルさんは一体何を撃ったんだ?


 未知の暗闇に銃声がこだまする間に俺の足は地面を踏んだ。


 ついにダンジョンの本当の底に辿り着いた。

 反響音の長さから結構な広さのある空間が広がっているんだとわかるものの、暗視スキルを駆使していても自分のそこそこ近く以外は闇が深過ぎるのか先は見えなかった。

 空の檻があちこちにあるのに中には何もいない。嫌な感じしかしないがゆっくりと周囲を観察している暇はない。

 俺より一足先に下りていたソルさんとウォリアーノさんは人影二つと向き合っている。


「なっ……ウォリアーノ!? どうして、いやどうやってここに!? 王族以外は入れぬと言うのに!」


 カヤと共に大人たち二人の背中に追い付いたところで、ちょうど対面している何者からの片方から驚愕の声が聞こえた。その人は手燭を持参していたらしく地面に置かれた光源に薄く照らされる顔は男性で老人のそれだ。

 何故か自分の手を押さえている。

 怪我でもしてるのか?


「……まさか、今さっきのソルさんの発砲で?」


 聞こえた呻き声はあの人のだった?

 それよりも、ソルさんはあの無力そうなじいさんを撃ったのか? マジに? 魔物と間違った……わけはないか。いやしかし、彼が何の理由もなく撃つとは思えない。納得できる理由があるはずだ。


「イド、あれ」


 カヤの促しに視線をやれば、やや離れた場所に短剣が落ちている。ここからでも装飾が凝ったものだってわかるし、錆もなさそうだし現役で使われているものだろう。

 ピンときた。


 そうか、あの老人が例のコーデル国王で、彼は短剣を手にしていたんだろう。もしや守を襲うつもりだったとか? あはは、なーんてな。


「あと少しで殺せたと言うに、よくも余計な邪魔立てをしてくれたっ」


 そう老人は苛立たしげにする。

 あーははは……は、マジ!?

 なるほどだからソルさんは危ないと判断して短剣を狙って撃ったんだ。幸い流血はしていないようだから短剣が銃弾に弾かれた衝撃に痺れただけだろう。

 いや、しかし、ぶっちゃけ王様撃っちゃって反逆罪とか大丈夫なの?


 一方で俺は件のダンジョン守に意識を向けて、大きく目を見開いた。






 女――守のアルジュを害さんとしていたコーデル国王の短剣は、どこからか飛んできた小さな何かに弾かれ、闇の中に跳ねて見えなくなった。音から判断するに銃弾だ。

 だが短剣の行方よりも重大な事態に国王は直面していた。


「ふー、命中して良かったぜ」

「ですねえ……なんて言ってもイーラルさんが外すわけないでしょうけれど。まあともかく間に合って良かったですよ」


 薄暗い中近付いてきたのは、安堵した様子の見慣れないバンダナの男と見知った男だった。他にもいるようだが、国王には暗くてそこまでは見えなかったし気に掛けている余裕もなかった。

 予期しない者たちの登場に驚き手の痺れも一時的に吹き飛んで、わなわなとして震える。


「もう一度訊く、どうやってここへと来たのだウォリアーノ」

「え? ふつーに上からだぜ? 別に道を作れば王族じゃなくても来れるようだな」


 詰問に答えたのはウォリアーノではなくバンダナの男ソルライチだ。彼は銃を片手に真上を指差した。

 やっとの事でここまで来た覚悟を台無しにされて神経を逆撫でされたのは否めない。国王は声を荒らげた。


「ウォリアーノ、余の問いに答えぬか! それに何のつもりで余を阻んだ!」

「陛下、まずは落ち着かれませ。手の方は大事ないですか?」

「心配するふりなどするな! そうであれば仲間を止めていたはずだ」

「……その件の処罰は私が後程しかと受けます」


 弁解はしない代わりにウォリアーノは慇懃に頭を下げた。


「何じゃ、急に騒々しくなったのぅ」


 癇癪を起こしたその様が可笑しかったのか国王の近くにいた女がくふふと肩を震わせる。

 小馬鹿にされてより激怒するかと思われたがそれがかえって我に返るきっかけになったのか国王は苦虫を噛み潰したようにした。気を取り直し、咳払いする。


「改めて問う、ウォリアーノ、何故ここに来た?」

「陛下をお止めするためです」

「止める? そなたはダンジョンの消滅に同意していたではないか」

「はい、害になるならばそこは変わりません」

「であれば何故邪魔をした?」


 ソルライチには一瞬ウォリアーノが半眼になったように見えた。


「私は憐れな老人に大切なものを抱き締める機会を失ってほしくありません。まさか捨て身とは存じませんでした」


 しれっと冷ややかな声音から、見間違えではなかったようだとソルライチは悟った。


「なっ、憐れとか言うでないっ。昔から思っておったが時々そなたは口が悪いな!」

「そうですか、忌憚ない意見を述べたまでですよ」


 ウォリアーノは極上の笑みで空とぼけたように言ってから、表情をやや険しくする。


「陛下、守を不当に害すればダンジョンが消えるだけでは済みません。陛下のお命もございません。当代契約者のあなたがそれを知らないとは言わせませんよ」


 当代契約者と守の命は不平等に繋がっている。

 契約者が死んだだけでは守には何事もないが、守が死ねば契約者も同時に死んでしまうのだ。

 しかも、契約者は誰に殺す事も可能だが、守を殺せるのは契約者しかいない。

 これは初代国王アーネストが定めた契約項目で、守の力の使い方とは異なり、彼よりも後の世代は決して変更はできない決め事でもあった。


「は、そう言えばそのような決まりじゃったのぅ。実にややこしい契約じゃ」


 思い出したのかアルジュは興が失せた顔で密かに呟くが、本人にも未だにこのアーネストが定めた契約の真意がわからないでいた。


 彼女の億劫な視線の先では変わらず人間たちのドラマが続いている。


「陛下、何故彼女と共に滅ぼうと? やけになったところで何も良いことはありませんよ。血の契約の解除と同時にこの地に彼女の力を解放すれば全ては丸く収まりましょうに」

「ふん、それでは時間が掛かる。その間に善からぬ者が余の思惑を覆さんとも限らぬだろう? ……分家筋の王族どもは腐った輩ばかりだからな」

「それは……ですが……」


 ウォリアーノも国王の懸念は理解できる。

 アルジュと新たに契約を結べる血の持ち主は皆無ではないのだ。

 万一密かに取引されてしまえば、王都の危険は根本からは無くならない。


「機を逸すればこの地の完全たる自由は叶わぬ! さすればこの先も暗黒の習慣を引き摺ることとなろう! 顔も知らぬ孫娘までもが醜悪の犠牲になるやもしれぬ、いや、必ずやなろう。周囲が放ってはおかぬはずだ。それは耐えられんのだ! ……ミラの、忘れ形見なのだぞ?」


 声を震わせる老人の目に浮かぶものに、ウォリアーノはハッと息をのむ。


「アルジュ様が本心から破滅を望めば何らかの形で悪影響が出るのは最早疑うべくもなく実証済みであろう。しかも危惧していたことが現実になった。今も地上は揺れているそうではないか。ウォリアーノ、そなたには感謝している。知らずに手遅れになるところだったのをこうして余はこの場所に来られた。これはかねてより心に秘していた悲願でもあるのだ。全てを始めた王家の者として、そしてミラの復讐者として、余がこの命を懸けるのは運命とも言えよう」


 悲痛な胸のうちを吐露した国王は懐から別の一振りの短剣を取り出した。

 ウォリアーノとソルライチは血相を変える。


「くそっ、予備のがあったのか!」

「お止めください陛下!」


 死を覚悟して臨んだ彼に抜かりはなかった。これも魔法短剣なのか鞘から抜いた刃が淡く光る。切っ先はアルジュの胸の上へと定められた。


「即刻この場を立ち去れウォリアーノ。ここも崩れ去ろう。命で以て責を負うのは余一人で十分だ」

「あなたがお一人で背負う必要などないのですっ。陛下にも私たちにもこの地で等しく生きる権利がある。いいえ、あなたは後悔や自責の念を背負ってでも生きなければなりません! そうでなければミラ様はただの無駄死にです!」

「――っ、ではどうせよと言うのだ!? アルジュ様はこの地を滅ぼすつもりなのだぞ!」


 王女の名を出されて明らかに動揺した国王はこのままでは埒が明かないと思い詰めたのか、とうとうウォリアーノたちから顔を背け短剣の柄を握り直すと正面を向いた。

 角度的に国王の体が遮って、ソルライチの銃で短剣を再び弾くのは難しくなった。


「陛下っ!」


 ウォリアーノが懸命に手を伸ばすも、切っ先はあっさりとアルジュの胸へと吸い込まれた。

 彼女は一寸たりとも回避の動作を見せなかった。






 その少し前、俺は見ているものが半ば信じられなくてその場に突っ立ってしまっていた。

 見知らぬ顔の、裾の擦り切れた白い布を纏った若い女性。

 その彼女と会話をするソルさんたち。


「カヤと同じ、白髪と紅い目? あれがここの守か。……だが、どうして……」


 俺は依然驚いて目の前の女性を凝視していた。

 ソルさんたちはまだ気付いていないのか、何の驚きも疑問も持たないで会話をしている。俺にはその光景がシュールでならない。

 俺も初めは地面に擦りそうな白布に隠れていて気付かなかったが、動くのに合わせて靡いた布に違和感を覚えた。


 白布の内から伸びる鎖は見えるのに、どうしてか彼女の体があるようには感じられなかった。


 半分以上が欠けていて、鎖骨辺りから下がない?


 仮にもしダンジョン守だって認識がなかったとしても、あの人が人じゃないものなのはわかっただろう。

 全く以て自分の感覚が馬鹿げているとは思う。ホラーな予想をしたせいか、大っぴらに指摘していいものかと躊躇いのようなもので自然と声が小さくなった。


「なあカヤ、あの人……いや、人じゃない守か、とにかくあの守の体って……」

「そう、イドにもわかるですか。うん、アルジュはもう本当に限界。守の力を使い過ぎた。だから欠けてしまったです」


 カヤは憂えるように瞬いた。

 そう言えばここに来るまでも何度か耳にしたアルジュって名が、あの守の名か。

 各地のダンジョン守には固有の名があるらしい。


「だが、ソルさんたちはわかってないのか?」

「たぶん。布のせいでイドのようには見えていないです。イドはうちとまだリンクしているから、アルジュの状態を感じ取れるのだと思う」

「カヤも力を使い過ぎるとああなるのか?」

「わからないです。アルジュみたいに欠けるのじゃなくて、単に幽霊みたいに薄くなるのかも」

「へえ、そういう方向もあるのか」


 前方で交わされる会話内容は俺には踏み込めないもので、どこか慎重に傍へと寄っていきながらも人には人の秘密があるもんだなー、なんてしみじみと思っていた。


 こっちはこっちでカヤとの会話を持っていたし様子見をしていたんだが、そんな折、想定外にも国王が別の短剣を取り出して守に突き刺したってわけだった。


「無駄だ。あ……」


 うっかり無意識に口にした自らの言葉に俺は慌てて口元を押さえた。

 もう近くに居たせいで俺の声が聞こえたのかソルさんが驚いた顔で振り返る。

 反対に、ウォリアーノさんは国王へと伸ばした腕を脇に下ろして不可解な顔をした。ただ、ウォリアーノさん以上に強い不可解さを表しているのは国王だったが。


「何故、刺さらぬ?」


 彼の凶器は何を貫く事もなかった。強いて言えばボロい白布を少し裂いただけだ。

 短剣は空気を斬った。

 その下にはもう何もないんだから当然だ。

 腕を引いた国王はハッと息を呑む。


「なっ、何と体がない!? ど、どうなっておるのだ!?」


 愕然とした声を受けてウォリアーノさんもようやく悟ったようだった。


「はて? お主ら急にどうしたのじゃ?」


 アルジュはキョトンとした顔で小首を傾げる。

 その表情は国王たちが何に戦慄しているのか全くわかっていないようだった。


「くくく、はははは、怖じ気付いたとは言わぬじゃろ?」


 大人たち三人の顔は強張って、何か言葉を返せる雰囲気じゃない。


「なあカヤ、あれ本気で自覚ないのか?」

「うん。アルジュは自分の体がまだ普通にあると思い込んでいる。……もう、正気じゃないから。たぶん時々まともなだけ」


 俺はカヤにこそっと尋ねたが、カヤの方は気を遣うつもりがなかったようでその声は絶妙に反響する。


「えーと、それって何だかボケ老人みたいだな」


 カヤから物凄く睨まれた。え、何で?


「おいイド、それは同じ守のこの嬢ちゃんも同じ括りかもって思う発言だぜ」


 ソルさんが耳打ちしてくれて慌てた。


「いや、違うから!」


 長い長い時間を生きている彼女たちに俺たち人間の老齢期なんてものを当て嵌めるのはやめよう。うん。女性の年齢は人でも守でも尋ねたらいけません。


「そこな少年よ、アルジュ様は狂っていると?」


 声の方を見れば国王陛下だ。彼はこれ以上ない深刻な面持ちでいる。少し空気が弛んで忘れかけたが、そうだよ深刻な状況なんだった。震源地っつか地下だから余り感じないが今もまだ地上は揺れているはずで、一刻も早く止めないといけなかったんだ。


「……は、はい」


 俺はぎこちなくも深く首肯する。

 だってアルジュは狂っているとか正気じゃないなんて言われてるのにまるで他人事みたいに気にしていない。微笑を浮かべて不気味に佇んでいる。

 あと、初めて国王陛下を見たが、目が合ってちょっとドキリとした。言っとくがジジ専じゃあないぞっ。


 カレンと同じ色だったから。


「……ってそれよりも王都だろ王都。国王様この揺れはどうすれば止まるんですか? 俺たちはそのために来ました」

「それは……」


 方法がないのか国王は口ごもる。自分のとは違って国王の契約については部外者でしかないから何をどうすればベストなのか俺にはわからない。俺だったらカヤに頼むが、国王には単純にそれができないんだろうか。ずっと随分と難しい顔をしている。まあそもそも殺そうとしたくらいだから関係は宜しくないんだろう。

 この地下空間の異様さとアルジュの状態から考えるに、俺の想像力なんかじゃ到底想像し切れない非道や残酷が行われてきたに違いない。


「くははは、無駄じゃ。仮にこ奴がわらわに契約変更を命じようと、最早わらわの全ては崩壊へと傾いておる。この身が尽きるまで揺れは止まらぬのぅ、このままなす術もなく無と帰すのじゃ! カヤール、その少年と共にこの最高の饗宴を見届けるがよいぞ。……時に、滅ぶ姿は美しいからのぅ」


 カヤにそう話しかけながらもアルジュの視線は俺に向けられている。目は全く笑ってない。いわば同胞とリンクしている俺が気に障るのかもしれない。


「アルジュ、もういい加減にするです。目を覚ました方がいい」

「あはっ、人間の肩を持つかカヤール。まあそれもお主の勝手だがのぅ。だからこそこの地のことはお主には関係のなきことじゃ。煩わしい諭しなど要らぬ。余計な口を慎め」

「駄目。イドが巻き込まれる、ううん、アルジュの思惑通りにもう巻き込まれているから、イドが嫌がることはうちも許容できない」

「くくく、それも愛ゆえかのぅ? 人間は裏切りが大好きな生き物だと言うに」

「裏切り……。裏切られ絶望しているのは、アルジュが初代国王を未だに愛しているからです」

「たわけっ!」


 激怒したがアルジュは否定の言葉を口にしない。

 おそらく図星だ。


「最早過去など蒸し返そうと変わらぬ。わらわは消える、この王都ごとな! ああどうせなら即刻崩れ落ちるようにいっそのこともう一気に力を解放してしまおうか!」

「なっ! アルジュ様は初代とこの地を愛しているのではないのですか!?」


 国王は縋るように訴えたが、アルジュは嫌悪さえ浮かべて顔を歪めた。


「愛していた。しかしアーネストは愛を囁いておきながらわらわを文字通りのこんな奈落に突き落とした。契約が成った後は一度たりとも会いにも来ず、さっさと代替わりしおった。小賢しくも最初からわらわの力を利用するだけのつもりじゃったのじゃ、はは、あはははははは、わらわは何と馬鹿な女であったのか。わらわを捨て、好きに女を抱きながら高みの見物とほくそ笑んででもいたんじゃろう」

「……」


 国王は何か言いかけたが、躊躇いが勝ったのか口を閉ざした。


「なあカヤ、今の言い様だとまさか守の力を爆発的に最後まで燃焼させるつもりなのか。ヤバくないか?」

「ヤバいです。すぐに崩れる」

「ぎゃーっマジかよ! カヤの同胞だろ、殺すのはタブーだからできないが、何とか他の方法で止められないのか!?」

「……ないことはない、です……けど」

「そうなのか!?」


 喜色を浮かべた途端にこの地下の地面までが地上のように揺れ出した。

 待て待て待てーい! このままだと冗談抜きに王都が崩壊する。親父はまだ寝てるだろうし、他の冒険者だって広場だろうし、魔法や腕力で危険を回避するには無力な人々が王都にはまだ沢山いるんだ。その人たちは確実に犠牲になる。

 お願いだ、やめてくれ。


「ドラゴンを放たずとも、初めからこうしておればもっと楽にことは運んだかもしれぬのぅ、あの世から精々悔しがって見ているがよいアーネストよ。貴様の裏切りの代償じゃ。貴様の愛して夢見たこの地が水泡となる様をとくとのぅ、はははくははは!」


 思い止まってくれ。


 アルジュは哄笑しながらくるくると回る。踊る。回る回る回る回る回る回る回る回る。


 頼むから、やめてくれ。


「……――ああ、アーネスト……ようやくわらわも……」


 ほとんど生首が恍惚として笑んで踊っている。ぞっとする。確かに彼女は狂っている。

 なのにどこかとても痛々しい。何だか胸を打たれるような、切なくて、不器用で、とても綺麗な微笑だと感じた。


 だが同時に、ざわざわと、背筋を薄ら寒い感情が這い上がる。


 もう修正が利かない。


 最後のトリガーが引かれる。


 俺には皆を救えない。

 やめろっ。やめろやめろやめろやめろっ。


 アルジュの唇がこの上なく幸福を描いた。


 やめろーーーーーーーーーーーーっ!!


「――やめるですっアルジュ……!!」


 俺の代弁のようにカヤが叫んだ刹那、風を感じた。


 王都に来て知った、ミルクみたいな優しいそれを。


「乙女の髪の恨みいいいーーーーっ!」


 突如発生した竜巻のようだった。


 俺の横を駆け抜けた誰かが大きく平手打ちをかました。

 アルジュに。


 金色の髪は肩より短く長さは揃っていなくてボーイッシュを飛び越えた感じだ。


 毛先が焼き切れたようにざんばらだし。


「カレン……?」

「……あたし以外に誰がいるわけよ? ん?」


 その人は振り返ってさっぱりとした笑顔を浮かべた。


 俺は呆けたようにその少女を見つめ、凝視し、観察し、そして――――……、


「こ、この声ってやっぱりまさか……――カレンンン!?」

「だぁからあたし以外に誰がいるってのよ、お馬鹿イド! それとも何よこの長さは似合わない?」

「い、いやそうじゃなくて」


 ……ってああそうか、髪の毛は回復アイテムや治癒魔法でも包括範囲外なんだっけ。しっかし心底驚いたなー。立って歩いてるだけでなく俺たちを追いかけてきたってんだから。

 暗い中でも顔をよくよく見れば本当の本当に紛れもなく相棒のカレンだった。


 服も装備も焼け焦げボロボロだったが、彼女は実に悠然とした佇まいでいる。武器を失ったからか素手でくるとは豪胆だなホント。


 絶句していた俺は何とか声を絞り出した。


「だ、大丈夫。その長さも、似合ってる」

「そ、ありがと」


 彼女はホッとしたように破顔した。

 くるりとアルジュへと向き直す。


「大体は聞いたわよ。あんたが元凶なわけよね。よくもこれまで散々してくれたじゃないの、ええ? ――あんたが何者でもどうでもいいわ。今すぐ揺れを止めて謝りなさい!」


 謝りなさい謝りなさい謝りなさい……とカレンの一喝が場違いなように大きく闇に反響した。


 え、ええー……。どうするよこれ……。


 ビンタしてあまつさえアルジュに説教を垂れ始めたカレンの大胆さに、この場の誰もが絶句してぽかーんとした。


 それは責められているアルジュ自身も例外じゃあなかった。

 カレンはアルジュの胸ぐらを掴んでメンチを切っている。まあ胸ぐらっつっても体はないから白布がさらさら揺れるだけだったが。カレン的にもいまいちカッコが付かないのかやりにくそうに何度も握り直している。


「追いかけてきているのはわかっていたです。けど、これは頗る……予想外」


 カヤが表情こそは変えないまでも半ば感心したような声を出す。

 ええ、ええ、俺も大変に度肝を抜かれましたよ。カヤと違って俺たちを追いかけて来てたのも知らなかったから余計にな。


「ちょっと聞いてるの!? 早くこれを止めて!! 止めなさいよ!!」


 カレンは怖いもの知らずなのか今度はゆさゆさと胸ぐらを乱暴に揺さぶっている。

 アルジュは、何と見えない糸にでも操られるように揺さぶられていた。

 呆然とした顔のまま、なされるがままだ。彼女も相当驚いたんだろうな。

 誰も止めるべきか判断が付かないでいる。


 するとくくくっと小さな笑い声が聞こえた。


「あーっはははははははは! くーっははははははははははっははははははははははははははは!」


 それは直後には大笑になった。

 アルジュだ。

 ない腹をあるように抱えて笑っている。

 カレンは不愉快そうにしたものの手は放さない。


 そのうち揺れが収まってしまった。


「――え、あ? 揺れが、止まった……?」


 少しの安堵と大きな困惑と驚きの中で俺は辺りを見回した。他の皆も同様だ。


「カレンの大喝で止まった、とか?」


 そうとしか思えない。俺の相棒は凄いなおい。

 カレンはふんと鼻を鳴らした。


「揺れを止めたのはいいけど、何が可笑しいのよ?」


 ようやく手も放して怪訝にする。


「ところで、これでもう王都やダンジョンは大丈夫なわけ? よくは知らないけど本来はあんたが全部を管轄してるんでしょ? また通常状態に戻せないの? 何か物資が必要ならギルドとか、そこの――国王様に頼んで揃えてもらって何とかしてもらってね。ダンジョンが正常に機能しないと、あたしたちには死活問題なのよ」


 カレンは補充業務を念頭に置いてだろう文句をぶつける。


 アルジュに……ダンジョン守に。


 時に知らないってのは強いなー、ははは。


 他方、国王はカレンに振り向かれてビクッとなってたじろいだ。挙動不審にウォリアーノさんの横に寄ってくとボソボソと何かを問いかける。


「あの破天荒な性格、まさかのまさか、あの娘がミラの……?」

「ご名答です」


 ウォリアーノさんはゆるりと頷いてみせた。国王は涙目でふるふると震え出す。

 カレンはカレンでウォリアーノさんにも視線を向ける。


「怪我治してくれてありがとうマスター。マスターからもこの人にしっかりダンジョンを運営するように言ってくれないかしら?」

「はは……。もうどこも何ともないようで良かったよカレン」


 完全にウォリアーノさんもたじたじだ。それができたらここまで事は危機的に拗れていない。


 この場の主導権を握るのもムードメーカーなのも、間違いなくカレンその人だった。


「わらわが何者でも構わぬ、か。はは、あはは。よもやあ奴の子孫から同じことを言われるとはのぅ」

「何の話よ?」

「何の因果か、お主は過去五百年の中で最もアーネストに近いものを持っているようじゃ」

「アーネストってもしかして初代国王のこと? それこそ何の話よ?」

「うむ? わからぬのか?」


 アルジュは国王たちに目をやってその目を細めた。


「……そうか、知らぬのか。まあそれもまた一興だのぅ。お主に免じて王都は見逃してやろうかのぅ」

「何かわからないけど、もうダンジョンは大丈夫って思っていいのよね?」


 一瞬、アルジュは黙った。


「――いや。ダンジョンは消滅する」

「ええーっ何でよっ!?」

「わらわの砂時計は最早何にも止められはせぬのじゃ。王都はダンジョンを基点として物資が運ばれ栄えたものじゃから消えはせぬが、ダンジョンはそうもいかぬ」

「何それ何それ冗談じゃないわよ! あたしたちの職場を無くすなんて許さないんだからーっ!」


 王都を全力で滅ぼそうとしていたラスボスに食って掛かるとか、カレン、あんた……何か瀕死になって物凄い強くなったよな……。


「ダンジョンが無くなるのは嫌か?」

「当ったり前でしょ! まだうちの新米で相棒のイドをきちんと一人前にしてないのよ」


 へっ!?


「……お主、それが理由なのか?」

「うーんまあ、一番はそれね」


 アルジュはやや呆れたようにした。

 俺は言葉もない。

 俺のためが、理由の一番って、それは何かあれだ、かなり偏っててヤバいだろ。


 ホント、マジで、どうしよう――――メチャクチャ嬉しい。


 こんな時なのに不謹慎だが、感激して止めようもなく頬が熱くなるのがわかる。


 俺は世界一良い相棒に恵まれた。


 感動して泣きそうだったが辛うじて涙は堪えた。

 だってまだ問題は解決してないんだからな。

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