21 記憶の蓋
「カヤ! 放してくれ!」
俺は動けないのを疑問に思うよりもまずは焦った。戦闘中だってのに隙を与えるだけだ。反撃を食らいかねない。
「カヤ!」
「駄目です!」
存外に強いカヤの言葉にはやや気圧された。だが悠長にしてはいられない。
俺はあたかも全身に絡み付いた頑丈な蔦を引きちぎろうとするように目一杯力を入れて進もうとしてやった。体が徐々に動く。
「イド! やめて! 何も知らないままで禁忌を犯さないで!」
「禁忌?」
「今のまま魔物を殺したら、そうしたら、イドの願いが叶わないっ」
俺の願い? 勇者になりたいってやつか? それが叶わない……。
ふと、苦笑が浮かんだ。
だからってここで手を止めるなんて自己中も自己中な人間が……。
「冒険者のひいては人類の希望の星になれるわけがない!」
懸命なカヤには悪いが全力を込めて振り切った。ドラゴン目掛けての跳躍。同時にそいつの心臓に真っ直ぐ突き刺すつもりで剣先を定め両手で固く柄を握る。
ラッキーにもこれまでに相当ダメージを食らっていたドラゴンに反撃してくる気配はない。
さっきから一体何のチートなのか、まるで俺だけの力じゃないみたいな溢れる戦闘力のお陰で、このまま行けば俺のトドメは確実に届くだろう。
「っらあああああああ!」
「駄目ですーーーーっ!」
「うぐっ!」
突然雷にでも撃たれたみたいに何らかの衝撃でドクリと心臓が大きく跳ねた。と同時に急激に様々な情景が脳内に流れ込んでくる。拒みたいのに何一つにも抗えない。
何だこれは、やめろやめろやめろ苦しいぅああああああああああああっ。
流れ込む膨大な情報に思考が圧迫されて瞳が錯乱したみたいにランダムに揺れる。情報に侵食される恐怖が爆裂する。
しかしだが奇妙にも体はまだドラゴンへと突っ込んで行っていて絶叫なんて上げてもいない。きっと一秒だって経ってないんだ。
なのに精神は何日も何年もねじ込まれた感じだ。心と体が分離しているのに無理矢理鎖で連結されているようなちぐはぐなこの上ない気持ち悪さ。
知っているのに知らない親父やソルさんやカヤや景色たちが怒涛のように俺を翻弄していく。
いつのだよ? どうしてこんな光景がある……っ。
と、激痛の記憶があった。まるで全身を叩かれて木っ端微塵にされていくような受け付け難い感覚に呑み込まれる。
ああああああああああああああああああああああああっ。
「大丈夫落ち着いてイド! 戻るだけっ、これは今じゃないっ!」
狂いそうな中、カヤの必死な声が頭の中に降る。
これはきっと彼女も意図してなかった状態なんだろう。
戻る。何が?
――記憶が。
答えたのは俺自身。
何の事だろうと問う無知な自分がいる半面、全てを解している自分がいる。
鏡面を境に対面している自分が自分を見ているような、奇妙な気分だった。
そして向こうの自分は少し包帯を巻いている姿だって漠然と思った。全身ぐるぐるじゃなくてもうほとんど治りかけの。
だだ、全ての情報が俺の中には揃っているのに、まだ頭の中が整理できずにぐらぐらして痛みにも似た苦しさで思考はのたうち回っている。
鏡面の先の俺が俺に手を伸ばす。
重なる掌。
あああああああああああああああああああああああああああああああ――ああ、そうか。俺は、カヤは…………。
俺の終わりと始まりの地、そこはコーデル国から遠く離れた砂漠の中の巨大なダンジョンだ。
そこでカヤに出会った俺は、夕方、不安な予感に駆られて戻ったジャングルダンジョンの走って走った末のどこか奥で、親父とその仲間たちをようやく見つけた。
彼らは何やら強そうな魔物と戦闘中だった。
ほとんど大半のダンジョンには通常ボスと呼ばれる手強い魔物がいて、その類いの魔物だ。
中ボスか大ボスかは不明だが一点物よろしくの一体物なそいつを倒すなりして排除すれば、冒険者はそこに眠るレアアイテムを手に入れられる。まあそうは言ってもまた再びボスは出てくるしそのボスを倒してもレアアイテムがもらえなくなるだけで他の魔物だって普通に出没する。
因みにジャングルって雰囲気にピッタリなボスは巨大な蛇だった。
とぐろを巻いて首をもたげた姿は大人の背丈の倍以上ある。一口で人間を丸呑みできる事間違いなしだし牙に毒まであったら最高に厄介だ。
巨蛇との戦闘は激しく、俺は親父たちの集中力を切れさせるといけないからと物陰から盗み見ようと思っていた。いつもみたいに終わるまで大人しくしているつもりだったんだ。
だが、そこには親父たちと魔物の他に予期せぬ人物がいた。
白髪赤眼の少女、カヤだ。
しかも彼女は巨蛇のごく近くにいた。何であんな危ない所にいるのか、しかも怯えも見せずに佇んでいるじゃあないか。
今にも襲われるかもしれないってのにどうして平然としていられるのか俺にはわからなかったが、俺の見た限り危機感の乏しい性格っぽかったのもあって、居ても立ってもいられず俺は駆け出していた。
『カヤそこから逃げろ! 危ないって!』
『イド……危ないとは?』
カヤはこてんと小首を傾げた。別段驚いた様子はなかった。予想もしない
『なっ、イド!? お前テントで留守番っつっただろ!?』
しかし俺は彼らに取り合うよりもまずとにかくカヤを安全な場所に連れるのを優先しなければと焦っていた。
だから、その場のおかしさに気付かなかったんだ。
普通魔物はすぐ隣にいる人間を放置しない。
カヤに攻撃をしないのは極めて尋常じゃないんだって。
しかし友情交渉が当たり前の俺はそこに違和感を覚えなかった、不幸にも。
カヤに駆け寄った俺は巨蛇から庇うようにして彼女の腕を引っ張った。
『何してんだイド! そいつから離れろ! 危険だ!』
どうしてかカヤを睨む親父は蒼白になって訴えた。大剣を下ろさず構えたままなのは警戒を解いていないからだ。
『だから、そうしようとしてるだろ! 俺だっておっきな蛇に食べられたくない!』
初め、俺はてっきり巨蛇を指してるんだと思っていた。しかし親父は悪態を我慢したような顔付きで頭を掻いた。
『そっちじゃねえ、お前の横の奴だ』
『横……ってカヤのこと? 危険なんかじゃないよ。友達なんだ』
『どもだちいいい~?』
疑問顔をすれば、親父も親父で目一杯疑問を表して片眉を持ち上げる。俺が今日ダンジョンで迷子のところを助けてもらったって言ったら、それはもう盛大に変な顔をされたっけな。信じられないって思っていたようだった。あと、これは二度目の出歩きなのかと知ってちょっとすぐにでも俺を叱りたそうな顔をした。テントに戻ったら大目玉だなって思ったもんだった。
まあ親父にとっちゃ重要度はカヤ関連の方が高かったのか、説教を後回しにしてこう言った。
『イド、その子は――人間じゃねえ。だから関わんな』
努めて声を落ち着けようとしていたように思う。
『人間じゃない……? どう見たって人間だと思うけど?』
怪訝にしたが親父の表情に嘘はなかった。本気でそう思っている顔だ。しかしどういう事かよくわからなかった俺は親父からカヤへと視線を転じた。
見た事のない珍しい色合いの子だが人間にしか見えない。
『なあ、カヤは人間じゃないの?』
……俺、結構直球だったな。
そして人間じゃないカヤも誤魔化しってやつを知らなかった。
『うん』
もうホントあっさりだった。
『へえ。そういえば俺ってさ、昔から動物とか虫とかたまに植物とか、あと魔物とか、人間じゃないやつとよく友達になるんだ。カヤもその仲間になるな! けどそうすると、カヤはじゃあ何に入るんだろ。人の姿の魔物?』
無邪気に問いかけた俺は、そう、物心が付かないうちは親父が目を離した隙に魔物と一緒にお昼寝……なんて事もあったらしい特殊な体質だった。
ダンジョンでもフィールドでも親父が目を離した隙に魔物と馴れ合ってるなんてざらだった。いつも魔物たちは俺に優しくて命の中から力を分けてくれる。
誰に教えられずともいつしか経験と無意識が俺に悟らせてくれていた。経験値と呼ばれるそのエネルギーは魔物を殺さないと手に入らない物じゃない。彼らから認められて初めて友情の証にくれる彼らの誠意そのものなんだって。
だから俺にとって人外の存在と親しくなる事に疑問の余地はなかった。
カヤが何者であろうと、迷った俺を助けてくれたのは事実だ。恩人を敵視するなんて考えもつかなかった。
『イド! 言うことを聞け!』
親父は尚も大剣を構えたまま主張を取り下げない。
『…………カヤは友達なんだっ』
意地と困惑。親父は人に無意味な強要をしない。強く言うのは何かしらの理由があるんだろう。正直どうするのがいいのか判断が付かなかった俺はちらりとカヤを見た。カヤは敵意を隠さない親父たちを温度のない目で見つめている。
『うちは、人間が嫌い』
親父たちの態度もあってカヤはそう言ったんだろうが、元々興味はあったんだと思う。迷った俺の前に現れて助けてくれたのが何よりの証拠だ。
『え、俺も人間だけど!』
めっちゃショックって顔をしたらカヤはたじろいだ。
『む……確かに。でもイドは、他とはちょっと違うから、イドは好きです』
『んー、そ? へへっ俺が好きなら人間が嫌いってことにはならないよな!』
『む……確かに。だけど、嫌いです』
『えー』
頑なさがあって俺はポリポリと指で頬を掻く。
『初めは嫌いでもさ、俺はカヤに人間をたった一人からでもいいから好きになっていってほしい。世の中には色んな人間がいるんだよ』
『……善処する、です』
俺は笑顔を輝かせて親父を振り返った。
『な! カヤは危険じゃないだろ!』
『う、あー、何だかなあ……』
結局親父もこんな短いやり取りからカヤの性格を把握して俺に害が無いとわかると折れた。
それでも俺たちとカヤとは根本的な生きる理が違うという事実を、親父たちは元から理解していたようだった。
何も知らない俺は単に嬉しくなってすっかり気を抜いてしまっていた。きっとおそらくは親父たちも。カヤでさえも。
巨蛇との戦闘途中なんだって事をうっかり忘れていた。
コーデルダンジョンの魔物とは違って、
だが、身の危険に晒されている場合は例外だ。とりわけ戦闘中なんて状況は特に。
加えて、先から動かずにいた巨蛇はカヤの味方だが、彼女に敵意を向ける相手には容赦なく牙を剥いていた。
――そう、つまりは俺たち「人間」って存在に。
故に終に戸惑いを捨て己本来の役割を全うしなければと本能的に攻撃を再開した巨蛇が、例えば最も近くにいた人間から排除しようと動くのはごくごく自然だった。
カヤからも明確な指示を受けていなかったのも災いした。
『イド!』
親父が叫んだ時にはもう遅く、俺は魔蛇の大きな牙で胸を貫かれていた。丸呑みこそされなかったが前後から胸部を噛み挟まれたんだ。
俺にもこれまでに稼いだ経験値があって、正確に測った事はなかったがそれなりのレベルだったらしく、並の魔物相手なら防御力で致命的な怪我は負わなかっただろう。
だが無防備な時を高難度ダンジョンのボスに襲われた。
しかも人体にとって極めて重大な怪我になるリスクの高い胸を。
『ガッ……カハッ……ァ、ゥアアアアアアァッ……――』
この上なく痛かったが痛いと叫ぶ事はできなかった。
急激な暗転が訪れたからだ。
心臓や肺の一帯に致命傷を負ってしまっただけじゃなく、牙には猛毒があったからだ。空気を吸い込んでも抜けて根本的にもう息ができなかった。
『止めるです!』
咄嗟のカヤの命令のおかげかそれ以上は噛み砕かれたり呑まれたりはしなかったが、あぎとから解放されるも無様に地面に倒れ込む。
景色が流れる途中、大きく眉尻を下げたカヤが目を真ん丸に見開いた顔が視界を過ぎったっけ。
怒り爆発した親父がカヤの言葉で動きを止めていた巨蛇を躊躇いなく斬って倒した。
イド、と口々に俺の名を呼んで駆け寄って覗き込む皆の姿は既に霞んでいて、声だけで識別するので精一杯だった俺はもう回復薬すら飲み込めない、いや飲んでも効き目の望めないだろう状態に陥っていた。
多くの血を失い全身を回る毒は多臓器不全を引き起こし俺のちっぽけな命を蝕んで、ぽろぽろと崩していく。
死に瀕し過ぎている人間には回復薬も治癒魔法も功をなさない。自分の体だからこそもうその領域なんだとわかった。
俺は俺が塵のようになくなっていくのを感じていた。
どうにか治療を、と親父が半狂乱に叫んだのが薄れる聴覚が捉えた言語として理解できた最後の言葉。
力尽きて瞼を下ろすと叫び声が鋭く掠れた気がした。
光とも闇とも知れない知覚の中、意識の底の底を突き抜けて沈んでいってそのまま何も感じなくなる。
寸前。
――待って。
白い手がどこかへと沈む俺を掴んだ
意識の中で、どうしてかそれがカヤの手だとわかった。
彼女の手だけがこの世界で唯一俺の命を繋ぎ留めている。
――うちの力をあげるから。だから頑張って、イド。
響く声に俺は緩慢に首を振った。
カヤの力、それが何かはまだ知らなかったが、きっと人の身には異質なものだ。
きっと俺には過ぎるもの。
ほとんど失われた命を元に戻す。
大英雄だろうと俺みたいな子供の命だろうとそれには等しく膨大なエネルギーが必要で、それを実行してしまえばカヤの方も一線を超えてしまうと、そう思った。
いかにカヤが膨大な力を秘めていたとしても。
――でも、このままじゃ、イドが死んじゃうです。
意識だけで俺は苦笑した。
俺は、人間だよ。人間はいつか死ぬんだ。俺は死ぬまで人間で……いたい。
――イドが死んじゃうのは、嫌です!
俺が人間じゃなく、なったら、カヤの人間の友だ……ちが、いな……くなる。そしたら、また人間が……嫌いになっちゃ……う、だろ。だから、俺は、人間で……いるよ。
ちゃんと言えただろうか。
意識なのに上手く呂律が回らないなんて不思議だ。
疲弊し擦り切れた俺は、もう落ちてもいいかな、なんて思った。
どこに、なんて自分でもわからなかったが。
――――やだ、やです、これきりはっ、……、…………ごめんです、イド。
最後の最後に聞こえたカヤの声。
それは悲しげで、罪を背負うような、自責にも似た謝罪だった。
ふぁっっっっ!?
突然大海原に放り出されたような急速な自意識の転回。
意識と景色が掻き混ぜられる生卵のように目まぐるしく回転する。
ヴィジョンに、広大な砂漠の中のダンジョンが飛び込んだ。
ここは――――……。
永久に続くような蒼穹の下でそれは確かに青々と鎮座していた。
端々からそれは見る間に塵になっていく。世界から消えていく。
その意味を正確に理解して俺は嘆いた。
ああああぁっ、何て事をっ。
カヤは一昼夜かけて自分の力を俺の命に注いでくれたんだ。夕方だったのが一晩過ぎて日が高く昇ってしまうまで絶えずにずっと注ぎ続けてくれたんだ。
――ごめん、イド。うちはわがままです。わがままに、なった。
泣き笑いのような声だった。
当たり前だが、死して散った魂は戻らない。
俺のは半分既にそうだった。
よく棺桶に半分足を突っ込んだなんて言うが足どころか首まで入っていたなあれは。
とにかく、失くした半分を新たに補わなければ俺は確実に駄目だった。
カヤはそんな俺に生きるチャンスを与えてくれたんだ。正味一日も経たずに広大なダンジョンが例外なく塵に還ってしまうまで、そのポテンシャルの一滴一欠片までを注いでくれたんだ。
だから俺は生きている。
失った半分をカヤの力を借りて埋めて支えてもらって。
人間の理とカヤたちの理の狭間で生きる者として。
全てを思い出した。
俺は人間だ。何者でありたいかと問われても人間と答える。
だが人間の力だけじゃあの時の俺は助からなかったから、カヤは友達を裏切る苦渋の選択をしてくれたんだ。
「イドから『また明日』をもっと何日も聞きたくて……ただイドといたくて……だからイドを繋ぎ止めたです」
カヤは、その決意と引き換えにダンジョン守の役目を喪失した。
古代から連綿と続く時間の中で確かだった唯一無二の彼女の居場所を犠牲にしてくれた。
そしてあの場で延命に同意し全てを見ていた親父たちこそ、当時巷でミステリーと騒がれた砂漠の巨大ダンジョン消滅の真相を知る者たちだったりする。余談だが。
俺は人間でありながら人の理ではない部分へと踏み込んでしまった。
それじゃあ俺が悲しむと思ったんだろう。
だからカヤは俺の記憶を封じ能力を封じ、カヤの領域にリンクしないよう自分の事さえも遠ざけたんだ。彼女にはそれができたから。
正確には五年間ずっと蓋の重しのように俺の傍にいたのに決して姿は現さなかった。
一つの疑問から芋づる式に全部を思い出してしまう危険を避けたんだ。
そう言うわけだったから俺には記憶のおぼろげな部分があった。
全てを知ったのに何も知らない俺が目を開けた時、カヤが大粒の涙を俺の顔に落とし込んでいたのを不思議に思って見上げたっけ。
あれはカヤと俺だけの精神世界だ。力の共有は精神的な部分でも共通する場所ができるらしいからな。最近またそこで見てぎょっとした手首の鎖も俺たちの繋がりが具現化したようなものだろう。
そうだ、俺の鎖はカヤに繋がっている。
加えて、一度人間から逸脱しかけた俺を人間の括りにねじ込む労力は理を捻じ曲げるのと同義で簡単じゃない。
加えて度重なる友情交渉で積み重ねた俺の経験値は膨大で、まだ親父程とは行かずとも結構なレベルだったせいか、俺の中じゃ常に力は元に戻ろうと足掻いていた。それをカヤは普段から封じてくれていたんだ。
怪我で経験値リセットと思っていたのは実はカヤの封じの効果であって実際に消えた訳じゃなかったんだ。
剣への記憶が薄かったのも、剣の腕が上がらなかったのも、そこに原因がある。
全ては俺の人間でいたいという願いのためにしてくれた事。
「剣を握ったイドの天与の才はうちの制限の壁に干渉する。隙間から少しずつ力を引き出していく。うちは大きな流れを抑えるので手一杯だったから、小さな流れまでは完全に抑えていられなかったです。それが続けば……遠くないうちに力が解放されてしまう。だからイドにこれ以上剣を教えないでと、うちがそうジェードに頼んだ」
だけど、とカヤは俯いた。
「イドには辛い経験をさせたです」
カヤは俺が落ち込んで苦しんできた姿を近くで全部見ていたんだな。
そっか。親父が剣の才能はないとしたのも、剣が覚醒の鍵になり得ると知っていたからか。現に下級ダンジョンでは棍棒を剣と思っただけで俺の封じは解けかけた。
更には俺と深い所でリンクしてしまったカヤの力まで引っ張ってしまえば、人間の範疇を超えてしまう。
ドラゴンを圧せている今の破格な力は彼女の力を一部使っているに違いなかった。死にかけた以前の俺でもさすがにここまで強くはなかったからな。
危惧したカヤは釘を刺すのもあって俺の前に姿を現したんだろう。今の俺がいるのはカヤが尽力してくれたお陰なんだ。
そう言えばと思い出す。
出会った時、カレンは俺を「気配が薄いわね」なんて評した。
魂が欠けているんだって、感覚が鋭い者には何か感じるものがあったのかもしれない。
体の傷は塞がるように、魂の傷もこれ以上はほろほろと砕けないようには塞がった。まだほんの少しかさぶたみたいなとこがあるからカヤは未だ寄り添うようにして支えてくれている。
だがな、ずっとそうしている訳にはいかない。
俺は自分の足だけで、魂で言えば半分魂だけで自立しないといけないんだ。
もうそれができるから。
もしかしたら何らかの障害は出るかもしれない。それでも自分の足で歩いていく。それがこの先の展望だ。
俺が冒険者をしなければ、きっと普通の人間としての平穏な人生を送れたのかもしれない。何も知らないままに。
だがそうはならなかった。
今からでも冒険者を辞めればそれも可能だろう。
だがそうはならない。
俺はやっぱり勇者を目指したいんだ。
カヤ。
囁くようにその名を呼んだ。
そして乞う。
――もう背負わなくていい。
俺は世界から敵視されても、もうカヤにだけ負担をかけるのはしない。今までありがとうな、カヤ。
たださ、今だけはまだ少しズルをさせてくれ。
「イド、それがどういうことを招くのか、わかっているです!?」
ああ、その上で力を貸してくれ。
カヤはもの凄く動揺した。
されど、葛藤しているのか許諾も却下も示さない。
なら結末を見ていてくれ。もう俺は決めたんだ。
――意識の世界にあった意識が根底から現実世界へと戻る。
ドラゴンの心臓に合わせた切っ先は微かにブレたのみで俺は嘘みたいに依然ドラゴンへの跳躍の中にいた。
自分でもほとんど時が進んでいなかったのには驚きはしたが、改めて定め直す。
全部理解した上で俺は選択した。
このドラゴンを倒すって。
「るああああああああああああああああああああああ!」
「させねえええええええええええええええええええッ!」
――親父っ!?
いつの間にかドラゴンに接近していた親父が、怒声染みたものを上げて大剣を大きく横一閃と振り抜いた。
その軌跡の上を跳んでいた俺の剣は鱗からドラゴンの心臓までをドリルのように削り貫く。
……ただし、僅差で親父が致命傷を与えた後の塵になる寸前のところを。
つくづく怒髪天の勇者、あ、元な元……の会心の一撃ってのは恐ろしい……。
親父の剣はどう見ても剣長の十倍以上だろってドラゴンのぶっとい胴体中枢からを綺麗に切断、見事に上下真っ二つにしたんだから。
見ている前で赤い鱗も筋肉質な図体も翼も、ドラゴンに属する全てがほろほろと塵になって消えていく。さっき俺の手に付いたそいつの血も。
はっ、はっ、はっ、はっ、と肩で浅く息を繰り返す。
「マジ……かよ……」
間近でバッチリ見た俺は無意識に溢すように呟いていた。
呆気ない程に呆気なく、王都壊滅の危機は消え去った。
元勇者ジェード・ラルークスの手によって。
暫しその場は水を打ったように静まり返っていたが、凝り固まっていた空気は数秒だけぎこちない困惑を以て動き出したのち、急激に膨れるようにしてどっと大きな歓声が沸き起こる。さすがは元勇者だとかジェード・ラルークスだとか何とかの大絶賛の嵐。強敵を排したんだから無理もない。
これでもう親父は最低勇者だとか臆病者だとか身勝手だなんて言われなくなるだろう。これまでのマイナスの印象は悉く総消しになってむしろプラス方向にぐんと突き出た感がある。また英雄視されるのは間違いない。
親父は、この場の冒険者たちに大いに称えられ持ち上げられて調子に乗るかと思いきや、意外にも歓声を無視するようにこっちに突進してきた。
その顔付きは頗る険しい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます