19 想定外の連続

 レッドドラゴンに突破されただけでは留まらず、コーデルダンジョンの魔法障壁は全消失した。

 開けられた穴から瞬く間にヒビが全体に拡がって、終には全てが砕け散ったんだ。

 上空は上空で歓迎できない展開になっているが、こうなると地上の方でも嬉しくない展開が起きてくる。


 え? ダンジョン内の魔物が出てくるって?


 いや、ドラゴンの存在に萎縮して出て来ない。

 それに、修繕師たちが応急処置的にではあるが新たな魔法障壁を拵えるための魔法詠唱を始めている。これならドラゴンが倒されても魔物逃走の懸念はなくなるだろう。

 で、嬉しくない展開ってのは何かって?

 これには冒険者たちもどう対処すべきか判断がつきかねているようだった。ハハハ俺なら逃げるの一択だがな。


 バウバウしてる~って言ったらわかるだろうか。バックンバックン、パカッ、とかのオノマトペ表現でもいい。


 そうだよ、空の宝箱たちがさ、何でだかさ、出てきたんだよなあああ~っ。あはははマジで涙出るっ。


 何でどうして何でどうして何でどうしてっ……ってああそっか、無機物には恐怖心とかないんだな。だから好奇心のままに未知なる大海原よ~って感じで広い世界に出て来たんだろう…………ってあれ? あれあれ? どうして俺の方にダイレクトに近付いてくるんだいベイビーたち~?


「ふんがっ!」


 俺は腹に力を込め踵を返して脱兎の如く逃げ出した。案の定宝箱たちは追ってくる。周囲はいきなり始まった俺たちの鬼ごっこにきゃっきゃうふふな夕日の沈む浜辺を幻視したかどうかは知らないが、一様に唖然とした面持ちで目で追うだけだ。無情にも誰一人助けようとはしてくれない。

 カレンたちもやや離れた場所から呆れたように見てくる。チクショー他人事だと思って。


 そらそうだわな、宝箱は宝箱であって魔物じゃあないんだからな。人畜無害だからな……俺以外の人には!!


「くっそ何でだあああーーーーっ!」


 俺はダンジョン塔に沿ってぐるぐると回るように走った。ダンジョンだけあって一周するだけでも結構かかる。

 嗚呼、こんな超絶シリアス展開にあって何と間抜けな光景か。


「お前ら追いかけてくんなっ、今は素なんて持ってないんだよっ!」


 もう塔円周の半分くらいは走った。カレンたちの姿は塔を挟んだ反対側だ。

 こんな姿を親父には見せられない。後で絶対ネタにされるから見せたくないっ。


 あ、そう言えばドラゴンは……なんて考えたのが悪かったのか、視界の端が急に明るくなった。


 塔の向こうの方からきゃああっとかうわあって悲鳴が聞こえた。


「え、何――」


 ――ドガーンッ、ドガガーンッと何度か派手な音がしたかと思えば、見える所の石畳に小さなクレーターができていた。


 高熱の名残りなのか抉られた石畳からは湯気が上がっている。一部は真っ黒く焦げまた一部は溶けていた。


「げええっまさかドラゴンの火球か!?」


 ヤバいだろ。あんなのが王都の市街地になんぞ着弾したら、まだ人々は避難中なんだ、大惨事じゃないかよ!

 俺は急いで街の方を振り仰ぐ。

 今まさに火球が飛んで行くのが見えた。距離があるから火球は皮肉なくらいに緩やかに下降しているように見える。

 どこかの建物に落ちるのも時間の問題だ。


「何てこったあれじゃあ街の人たちがっ」


 親父たちを責めたところで無意味だ。凶悪過ぎる魔物を相手に王都の未来のため懸命に戦ってくれてるんだし、周囲にまで気を配れってのは難しい。

 それでももう少しどうにか、と歯噛みした直後、視線の先の火球がバリアのようなものに当たって弾けた。

 建物に落ちたんじゃない。ダンジョンにある魔法障壁と同様のものに阻まれたように見えた。


「もしかして、街の上にも障壁が展開されてるのか?」


 そうだとしか思えない。王都全体の防衛システムの一つなんだろうか。リリアナさんたちはおそらく知らなかったんだろう。知っていたら安心して今ここには来てない。

 だがまあ何であれ良かった。どの程度の強度なのかはわからないがとりあえず親父たちがドラゴンを倒してくれるまでてばそれで。


 なーんて、良い子の冒険者はこんな風に警戒を怠ってはなりません。


 ――イド、上!


 カヤの警告声に反射的に上を見上げれば、ドラゴンが落ちてくる。天を衝くなんて言うがそいつは地を衝く勢いだ。


「なあああああっ!?」


 幸い俺の真上にじゃないが、そこまで離れてはない地点に轟音と共に激突した。砕けた石畳が高速で弾け飛ぶ。

 親父の姿は見えない。まだ上なんだろう。

 そしてドラゴンは腐っても異常種ドラゴンだった。30階建てのダンジョン塔よりちょっと上の高さから落下したくらいの衝撃じゃ大したダメージにはならないらしい。こっっっわ!!!!

 元来ドラゴンってのは硬い鱗もあって防御力には長けているからもあるだろう。異常化したらステイタスがトータルより強くもなるしな。厄介かつ脅威だ。

 よって、のそりと体を起こしたそいつはギラ付く目で距離的に最も近かったからなのか俺を睨むとあぎとを開く。咽の奥についさっき上空を飛んでいった火球と同じような色と陽炎が見え解き放たれる。


 ほあああーッ!? いきなりですかあああーッ!!


 その間ドラゴンが落ちてきてからは五秒と経ってなかった気がする。直撃コースまっしぐらに度肝を抜かれた俺は情けなくも突然の金縛りにでもあったように動けない。


 嘘だろ、俺まだ死にたくねえええーーーーっ!


 咽が引き攣って声なき声で絶叫した、刹那、黒い影が飛び込んできた。

 いや――黒い影たちが俺と火球の間に突っ込んできた。


「う……あ……?」


 恐る恐る目を開いた俺は、痛くもないし焼かれてもいない自分の体を不思議に思うより先に仰天した。


「えっ、おおお前ら……!?」


 何と俺のすぐ前には世にも硬い四角い愛犬たち……いや違うダンジョンの宝箱たちが、あたかも俺の盾になるかのような陣形で重なっていた。


 宝箱って組体操できんの!?って声を大にしてツッコミたかったが、俺もそこまで空気を読めない男アホじゃない。


 こいつらのお陰で火球は防がれ俺まで届かなかったんだ。

 その代わり宝箱たちは全員高温を浴びたせいでひしゃげたようにしてぐにゃりと変形していた。

 これじゃあもう蓋が閉じられない。宝箱たり得ない。


「い、今まで俺、邪険にしてたのに、お前らはそんな俺を助けてくれたのか……」


 無機物に瀕死状態があるのかは知らない。だが宝箱たちは歪になってしまった体で弱々しく開閉の動作を繰り返した。パ……カ……みたいな感じで。早く逃げろなのか早く素をくれって訴えかけているのかはわからない。


 たださ、もしダンジョンに良心とか善意ってのがあるとすれば、それはまさにこいつらなんじゃないかと思った。


「ありがとな。この件が終わったらどうにかしてお前らが元に戻れる方法を探してやるからな。何なら一回全部溶かして鋳型に入れるのもありだ、だから――ああっお前らぁっ」


 ダンジョンの構成物だからなのか、パタリと最後には動かなくなった宝箱たちは魔物と同じようにして塵になって消えていく。根本的に魔物じゃないからだろうジェムは残らない。俺は無念に目を閉じた。


「本当に、ありがとうな」


 折角護ってもらった命だ、無駄死になんてしてられるか。生き延びるためにも気合いを入れろイド・ラルークス。しみじみとして感傷に浸っている暇はないんだ。

 ドラゴンは今にも次の攻撃を繰り出しそうだ。

 俺にできる事、それは即ち安全な避難。つまりこのドラゴンからの確実な逃走だ。

 しかし、その時またもや異変は起こった。


「ぁぁ~~~~ああ~~~~~~~~っ!」


 ジャングルを太い蔦で移動する原住民族みたいな声が降ってくる。あの暑苦しい声は間違いなく親父の声だ。え、どんな下り方してんの?って疑問に感じていたら、何と塔の外壁をロープか何かで勢いよく下降してきた。


「こ、腰みのだけしか穿いてない!?……わけじゃあなかったか。ふう……」


 幻覚に目を擦った俺が変なところで胸を撫で下ろしている間に、親父はロープから手を離してとっくにドラゴンに肉薄していた。


「俺の息子に何かしてんじゃねええーーーーっ!」


 大剣を両手持ちして振り下ろす。

 落下速度を利用した強烈な一撃は、一対の大きな翼を付け根辺りから両断した。

 鼓膜が破れるような絶叫が上がりドラゴンはのたうち回った。正直見るに堪えない気持ちにはなったが、これで厄介な能力の一つたる飛行能力が無効化されたのは素直にナイスだと思った。


 地上でもまた親父との戦いになるなこりゃ。邪魔にならない場所まで下がってるか。


「――って何でえええ!?」


 背から血を撒き散らして暴れるドラゴンは俺を見失ってはいなかった。赤い眼をくわわっと見開いたかと思えば地面スレスレをこっちに飛び付くように接近して太く長い尾を鞭のように振りぬいた。巨体ドラゴンの尾は当然太い。食らえば大木に直撃されるのと一緒だ。


「避けろイド!」


 この動きは親父も予想外だったようで防げなかった。

 そりゃ避けたいに決まってらあっ。ただ後ろに回避つっても俺の脚力じゃ足りない、尾が届く。俺レベルだと一撃でも食らったらアウトだ。これはもう新品の防具たちの底力に期待するしかない。せめて全身骨折くらいで助かれば何とかポーションで回復できる。

 俺は後ろに跳びながら棍棒を構え、来る衝撃に身を固くした。


「イドはホント危なっかしいわね!」

「――ぐええっ!?」


 俺の首根っこを掴んで引っ張って跳んだ誰かが毒づいた。


 カレン!?


 マジか、助けに来てくれたのかよ。

 同時に硬い鱗と棍棒が擦れる金属質な音がしてその勢いの強さに手を放してしまった。遠くまで飛ばされた棍棒がカランカランと甲高い音を立て石畳を跳ねていく。

 生憎バランスを整えている余裕もなかった俺は地面にしたたかに尻を打ったが、おかげでギリギリで攻撃を回避できた。因みにカレンは見事な着地を披露した。十点満点だ。


「……うっ、げほっ……ごほっ……サンキュ、カレン」


 詰まった空気を苦しみながら吐き出して、よろよろと身を起こす。

 次の攻撃が来る前にもっと離れないと、と焦った俺の視界ではいつの間にか親父が俺たちを庇うように立ちはだかってくれていたが、


「ぬおわっ!?」


 と、反射的に体を捻ってドラゴンの前から居なくなった。

 疑問に思うより早く、直前まで親父が立っていた場所をゴオオオッと風を切る何やら恐ろしげな音と共に大きな熱い何かが高速で飛んで行く。


「……火球?」


 現実離れした不思議なものでも見たように呟く俺の目の前で、ドラゴンのものよりも遥かにでかいそれは何とドラゴンを直撃した。


 グギャアアアアアアアグォオオオオオンッ!


 炎に包まれるドラゴンは全身を焼かれる痛みに悲痛に鳴いたがその悲鳴は遠ざかっていく。

 超特大の火球はドラゴンを吹っ飛ばしたんだ。勢いは中々衰えず、最終的には広場の端の方まで飛ばされて行った。

 

 は……? 一体何が起きている? 火属性のドラゴンを奴の得意な火で炙って明らかにダメージを与えるだなんて、あんな超級の攻撃誰が放ったものなんだ? 


「おいこら俺まで燃やす気かあっ!? しかもあれ可及的速やかに葬るって意図か!? 速い火球なだけに!」


 親父……。あんたが居るとシリアス続かないよなーホント。

 そんな空気クラッシャーな親父がぶちギレて唾を飛ばす相手、それは――……。


「――よくもうちのイドに……。精々、自分の大好きな炎で踊るです。はい、イド。イドの大事な武器です」


 ドラゴンへと突き出していた細腕が脇に下ろされる。長い白い髪が揺れて細い指先が落ちていた棍棒を拾うと、流れるような歩みで俺の目の前に来たのはカヤだった。


「イド、はいこれ。……イド?」

「へ? あっ! ど、どうもな」


 ついついポカーンとしていたら棍棒を受け取り損ねていた。慌てて受け取ってふと気付く。硬い鱗が当たったのに棍棒には傷一つない。驚きを禁じ得なかった。歪むとかへっこむまではいかなくとも擦った跡くらい付くと思ったのに。

 やっぱこれって結構いい武器だったりするのか……って今はそんな疑問後回しだ。


「まさか、あれ、ドラゴンは倒された?」

「一時的に、ちょっと撃退しただけ」


 カヤは左右に首を振る。ちょっとって軽くって意味か? あれで!?


 ギグルルルルルゥゥゥ……ッッ。


 一方、魔物は苦しげな唸りを上げ遠目に見てもわかるくらい全身から湯気のようにシュウシュウ白煙を上げていて、鱗ごと燃え落ちた表皮は焦げて焼けただれて無残な有り様になっていた。

 あ、あれがカヤの軽い一撃の程。


 たぶん彼女が本気になればあいつは一瞬で消滅していたに違いない。


 なのに、それをしなかった。


 黒毛魔犬の時だってそうだ。


 まさか――本当にカヤも魔物を殺せないのか?


 いやそんなわけはないよな。

 だが、俺はまだ見た事がない。

 カヤが魔物を倒す場面を。


「ジェード、トドメです」

「あいよあいよ~助力どうもなー。まーったく骨の折れる相手だぜ。イーラルの毛がなくなるはずだこりゃーってもうないんだったっけ」


 レベル90超えの魔物を難なく火達磨だるまにしたカヤはしれっとした涼しい顔でいる。親父は親父でソルさん本人がまだ上だからか酷い言い種だよ。


「イド、あたしたちはもう少し離れていた方がいいと思うわ。邪魔になったらあれだもの」

「だよな。親父、後は任せてもいいんだよな?」

「もっちろんだ。ああカヤールもまだ残れ。イーラルが上だからサポート頼むわ。こいつのためにもさっさと片を付けたい」


 親父が俺を目で示すとカヤはこくりと頷いた。

 ええと、俺のためって名分なのか? 何故に?


「イド、早く安全な所まで下がってです」

「あ、ああうんわかった。宜しくな」


 理由を尋ねたいが適した時じゃないってわかるだけに従うしかない。


「何か、イドの周りって結構凄い実力者が多いのね」

「はは、そうみたいだよ。カヤがあそこまで強いなんて知らなかったが……」


 カレンだって俺に訊きたい事はあるんだろうが質問を呑み込んだようだった。その彼女から手を引かれて足を動かす俺は、今の自分の言葉に違和感を覚えた。


 本当に俺はカヤの強さを知らないんだろうか?


 ドラゴンとだいぶ距離のある所で待機していたアシュリーさんとリリアナさんと合流しようと走る。他の冒険者たちも固唾を呑むようにしてこの戦闘の結末を見届けようとしている。

 きっともうすぐ決着を見る。

 だが時に、寸分の気の緩みが戦闘中は取り返しのつかない事態を引き起こす。


 ――頬に風を感じた。


 ほんの小さなごく僅かな追い風を。

 本能的に立ち止まり振り向いた俺は、総毛立った。


 ポゥ、とすぐ傍の石畳に禍々しい暗赤色の光の幾何学円が出現していた。


 テレポートの魔法陣だ。ここはもう実質ダンジョンの外側だからできるんだ。


 しかもこの唐突な感じ、デジャブ感がある。


 俺は失念していた。異常種ドラゴンは同じく異常種だった黒毛魔犬を取り込んでたんだって。

 黒毛魔犬そいつは妙に瞬間移動の得意な個体だったんだって。

 言い知れない不気味さに、俺はただただ目の前の空間を見つめるしかない。

 その間は一呼吸にも満たない。

 急激に増大した存在感。爆発的に風圧が強まり足が浮きそうになる。


「イド? どうして止まったり――!?」


 繋いだ手が突っ張ってたたらを踏んだカレンが振り返って大きく目を見開いた。


 グガアアアアアアアオオオオオオオオーーーーッ!!


 逃がすものか。

 まるでそんな意思表示のように、紅蓮のドラゴンが高らかな咆哮と闘気をほとばしらせた。

 顕現したその爬虫類のような赤の眼は、言葉を失くしたように唖然となって見上げた俺たちを、俺を睨み下ろす。

 こんな至近距離じゃ見上げないと先が見えない程に長く太い首、全身の赤い鱗は所々焼け落ちているが、それでも尚筋肉質な巨体。

 圧倒的な異彩を放つ赤きドラゴンに無意識に片足が一歩後退した。強者に対する根源的な畏怖と恐怖が腹の底から競り上がって全身を駆け抜ける。胃の捻くれるような不快感。吐き気にも似たものを伴いながら、震える俺の本能が直感した。


 ほふられる、と。


 グガアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーッッ!


 ドラゴンが二度目の高らかな咆哮を上げ、大きなあぎとの奥に灼熱色が灯る。俺へ向けての攻撃の。


 ああ、今度こそ俺は逃げられない。逃げたい逃げなければとは思う。

 しかし俺の背後にはカレンがいる。


 避けたらカレンに直撃する。


 その一点が俺の足をこの場に留めさせた。


 カレンを護りたい。


 決断は一瞬。


 相手との力量差を把握しジャストな隙を見て逃走するのも高みを目指す者には求められる資質だ。だが、逃げるばかりで終わるところだったと、自分のレベルだけじゃない弱さを痛感する。

 たとえ一矢も報いられなくたって、めげず投げ出さず強者に立ち向かおうとする冒険者の誇りだけは失いたくない。


 手足が燃えようと少しでも仲間を護れるなら本望だ。


 咄嗟に棍棒を真一文字に両手で構えて突き出して、血の気が引いて冷えた指先を握り込んだ。防御一徹と魔力も体力も投入するつもりだ。


 先のドラゴンからの攻撃で俺のこの武器は存外防御方面にも使えるんだと悟った。


 故にドラゴンの鱗で無傷なら或いは炎にも多少は対抗できるかもってそんな不確かな打算もあった。


 死んでやるつもりなんか、毛頭ない。


 チープな主張だがギリギリの戦闘での生死は強固な意志で繋がるって信じてる。耐え抜いて瀕死でも生き伸びれば回復魔法やアイテムを使える。仲間が使ってくれる。俺は助かるんだ。


 ……それが1%の奇跡でも、諦めない。


 迫る火焔。膨大な熱量に呑み込まれる確信。

 ふと感じた視線に目をやれば、親父だ。踵で石畳を砕いて超人的な跳躍でこっちに向かってくる。


「イドーーーーッッ! 間にっ、合えええーーーーっ!」


 何だか笑いそうになった。

 泣きそうになった。

 何でそんな必死な顔してるんだよ。


 俺なら大丈夫、じゃないが大丈夫。これが俺の選択だから――……けど、ごめんな。いつも心配かけて。


 直後、視界は灼熱と光で埋め尽くされた。

 きっと盾にくらいはなってみせ……――――イド、と呼ばれた。


 ――ホント手の掛かる相棒よね、と耳元を過ぎる風の中に呆れたような声が聞こえた。


 カレ……ン……?


 熱く白い視界の中で、眩しい程のツインテールが翻った。






「――カレン!?」


 一人王宮の門を出たところでウォリアーノは硬直して大きく目を瞠った。

 常時発動している遠隔魔法が彼にある危機を知らせたのだ。


 特定の相手の命の危険を。


 彼は血相を変えて即座にテレポートした。


 ――この時より彼の時間をやや遡る。


 とは言っても、同じく深夜の時間帯ではあったが。


 ウォリアーノは一人王宮でとある相手を待っていた。


 王都上空の魔法障壁はギルドがきちんと発動させたようで、発案者そして構築者として一先ずは安堵したが、障壁が障壁の役割を果たす機会がない事を願った。


 来客のための応接室の豪華な長椅子で、彼はクッション性に優れた部分を避けるように椅子の手前にだけ腰かけている。待つ間寛ぐ事すら自身に戒める空気を漂わせていた。

 事前の訪問の約束はしていない。


 だが今王都は非常事態、案の定彼の待ち人は取り次ぎを頼んで程なく姿を現した。


 是非に取り急いでほしいとの旨を頼んだので、その願い通り足を運んでくれたようだった。

 対面した相手は緊急時にはいつでも動けるようにとの配慮だろう、寝巻き姿ではなく公務時の服装でいる。


 お付きと護衛に部屋の外での待機を命じると、その相手――コーデル国王はウォリアーノの向かいの椅子にゆっくりと腰を下ろした。


「貴族たちとの緊急会合でバタバタしていて、ろくに茶も出さずにすまぬな」

「いえ、アポもない私が無理を言ったのですから」

「ふむ、そうか。だが珍しいこともあるものだ。そなたが自らこの城を訪れるとはな」

「そうですね。ご無沙汰しておりました」


 ウォリアーノは座ったままで深々と頭を下げる。

 顔を上げた彼には、既に真剣以外の眼差しは宿っていなかった。


「気の利いた口上も用意せず、このまま本題に入る無礼をどうかお許し下さい。加えて通常時であればこのような夜分に御前に失礼する失態などなかったのですが、事は急を要するのです」


 国王が緑の瞳を細めた。


「聞こう」


 敬意と謝意を込めて頷いたウォリアーノは、密かに呼吸を整えて口を開く。


「陛下の力ですぐにでもコーデルダンジョンの機能を一時的にでいいのです、どうか止めて下さい。……まあ私としては永遠にでも構いませんが」

「いつか、言われるとすればそなただろうとは思っていた」


 思ってもいなかった言葉を返され僅かに目を瞠ったウォリアーノへと、ふっと短く老王は溜息をついた。


「余とて、ダンジョンの現状の報告を受け、この先の算段はしておる。だが今すぐとは随分と性急に過ぎる、その理由は何なのだ?」

「……うちの従業員が一人、上級ダンジョンから戻らないのです」


 国王は何も言わない。訝りも叱責も窘めの言葉さえも。

 この真面目な男が従業員一人を如何に大事と思おうと、深夜に自分に会いに来る理由にはならないと承知しているからだ。彼をよく知る故の確信だった。

 護衛とお付きを室外に下げたのも、用件の内容が普通ではないと察しての事だ。


「何者だ、その従業員というのは」


 国王の問いに、ウォリアーノはやや目を伏せて僅かな間を置く。

 急を要すると言っておきながら、彼自身で時間を無駄にしている点を国王は指摘しない。躊躇う程の重要な何かが秘められているのだ。

 やがて、意を決したように瞼を上げて、ウォリアーノは静かにしかししっかりと聞こえる滑舌で真実を暴露する。


「その子は……カレンは、――ミラ様の娘です」


 息をするのも忘れて、老王は大きく目を見開いた。


「何……だと? 今何と……? 今一度申せ! 偽りなら承知せぬぞ!?」

「こんな時に嘘偽りなど言うほど、私はまだそこまで捻くれてはいませんよ。ミラ様は、王宮を出ていた間に一人の女児を産み落とされました。それは彼女の旅に当時同行していた侍女に預けられ密かに育てられた。ミラ様が王家と無縁な人生を望んだからです」


 それは順調だった。


「カレンはその侍女を実の母親だと思い、平民として暮らしてきました」


 王都から離れた地で平和に平凡にお転婆に冒険者をするくらいなら問題はないと許容していた。

 だが予期せぬ異常種イレギュラーとの遭遇が起き、遠隔地でも異変を察知できる高度魔法を使えたウォリアーノだからこそ危機に駆け付けられたのだ。

 カレンには偶然を装っていたが真実はそうだった。

 そうして知り合ってしまった都合、そしてカレン自身の意思を尊重した結果が今に至っている。

 加えて、今のところカレンに命の危険は迫っていないとウォリアーノは遠隔魔法で把握している。バイタル転送魔法と称せる魔法で、カレンが危険な時には即座にわかる。だからこそ彼は職務や立場上必要な作業や手続きをこなしていられた。そうでなければ何をも顧みずダンジョンに突入していただろう。


「カレンは間違いなく、あなたの孫娘なのです。しかも独りで今の危機的状況下にあるダンジョンにいます。申し訳ありません。私が浅はかでした。さすがは血は争えないとは言いましょうか、そんな風に思う部分もあり私は甘かったと痛感しています。何を……信頼を犠牲にしてでも冒険者を続けること自体を、止めるべきでした」


 椅子の上でよろけるように額を押さえて、国王は上目遣いにウォリアーノを睨んだ。


「まさかそなたが父親なのか? 王女の騎士としていつもミラに付き従っていただろう」


 ウォリアーノは思いもかけない言葉にキョトンとした。おかけで国王は自分が見当違いも甚だしかったと悟る。


「それこそまさかですよ。私ではありませんし、私にも察しがつきません。ただ、おこがましいですが、娘のようには思っております」

「……そなたも面の皮が厚い男よの」


 国王は鼻の奥から低く唸った。


「そなたのミラへの忠義は知っておる、これまで伏せていた件でそなたを責めはせぬよ。冒険者を辞めさせるのも大人の勝手な考えの押し付けだと反発して、ミラのように家出しかねんからやめておけ」


 確かに、とうっかり気を抜いて口に出しそうになったウォリアーノだが、そこは本心では激しく同意していようと辛うじて堪えて咳払いする。


「寛容なお心に感謝致します。陛下、最後にもう一つだけ宜しいでしょうか」

「何だ、言うてみよ」

「コーデルダンジョンは限界のようです。一刻も早く手を打たなければなりません」

「……」

「冗談でも嘘でもありません。他の、ダンジョンの守護者から聞いたのです」


 他の、という部分に国王は明らかに驚いた。しかしゆるりと左右に首を振る。


「なるほど、やはり世界は広い。安心せよ、そなたの事情は詮索せんよ。しかし限界、か。わかっておる。いやわかっておった。異常が頻発しておるのがいい証拠だ。余とて解放の時を模索していた。潮時だと思うてはいた」


 国王は両拳を握り締める。


「最早我が王家は多くの罪を重ね、穢れを背負い過ぎた。ミラを失った時、余の中では何かが崩れてしまっていた。今までかかったのは愚昧としか言いようがない。余は、もっと早くに余の代で全てを清算するべきであった」


 顔を上げたコーデル国王は青年時代に戻ったような眼差しで微笑んだ。まだ背負う重荷に堪え、希望を忘れていなかった頃の。


「我が血に連なる愛しき者に、負の遺産は継がせぬ。もういい加減ミラの死を認めて民にも公表すべきよの」

「陛下……」

「ウォリアーノ、これから沢山の準備は必要だろう。万全は期すつもりだ。そしてそれを経ていつかダンジョンが無くなったこの地はきっと新たな時代を迎える。当面は厳しい時期が続くかもしれぬが、歪みは正され真実人間の国となろう。その時余はミラの、娘の遺志を尊重したい。だからなウォリアーノ、何が起きようともしかと孫娘を護ってやってくれ。そこはよろしく頼むぞ」

「陛下……はい、御意に」


 腰を上げ、背を向けた国王の足取りはしっかりとしていた。

 彼はすぐにでも行動を開始するだろう。

 ダンジョンは一時的に止まり、カレンを迎えにも行ける。

 王家の騎士を辞してからはもう国王の直接の臣下ではなくなったが、ウォリアーノはその場で立ち上がると深々と腰を折る。

 彼の頭の先で控えめな扉の開閉音があり、静かな足音は王宮の夜気に溶けて消えた。






 護衛の入れない、王族のみに許された長い長い王宮奥の廊下を進みながら老王は追想する。

 娘と最後に会った日を今でも彼は鮮明に思い出す。深い悔恨を伴って。

 あの日、久方ぶりに王宮に帰ってきた王女は、全く臆する様子も悪びれもしていなかった。単に昨日も一緒に夕食を摂って就寝のキスを交わした父娘同士のような気安さで一人国王の執務室へと入ってきた。旅の冒険者たる格好をしていても生来の上品さは損なわれてはいない。


 自分と同じくエメラルド色の鮮やかな瞳に、長くしなやかな金の髪の持ち主の王女ミラを、国王は初めぼんやりと見つめたものだった。


 自分の見ているものが転た寝でもしていて夢の中の光景なのか本物の現実なのか暫し判断しかねたからだ。ややあって現実なのだと理解した。


『………………ミラ、か。これは随分とまた珍しい者の来室だな』

『ええ、お久しぶりですね、父上。ご健勝そうで何よりです。この分だとわたくしもあと五十年は放浪できそうですよ』

『数年ぶりに姿を現したかと思えば何を戯けたことを。もう冒険も程々にしていい加減王宮に落ち着け、ミラ。余は百歳を超えてまで老骨に鞭を打たねばならぬのか?』


 かつて密かに城を出奔したこの国の王女は、その事実を伏せられたまま名ばかりの存在となって久しい。まあ本人は世間の評判など全く微塵も気にしていなかったからこその出奔だったのだが。


 王女ミラにはそもそも国を継ぐ気がなかった。


 彼女はこの王宮を、自らの生まれた王家を、心底嫌っていたからだ。


 王家の暗部を彼女は知って反発し、この国の全てを否定するように冒険者となったのだ。そこは国王も知っている。


『しかし、戻ってきたということは、王族の義務を受け入れる気になったのか? そう解釈して良いのだな?』

『義務? アハハ物は言い様ですね。強欲、の間違いでは? それに早とちりをされては困ります。わたくしの方こそ訊きたい。父上のお心はお変わりないのですか?』


 国王はくくっと笑う。苛立ちと娘の無事な姿に愉快さが込み上げたのだ。


『失望させるな娘よ。王国の繁栄にコーデルダンジョンは不可欠だ』

『そうですか……本当に何も変わってはおられないのですね、父上は』


 変化を嫌う父王に王女は残念そうに小さく横に首を振った。


『では、己で直接変えるまでです。あの方に会いに行って参ります』


 国王は血相を変えた。


『ならぬ! 勝手に会いに行くなど断じて許可できぬ! これもお前の将来の治世のために必要なことなのだぞ。余とて沢山辛いことを呑み込んで耐えてきたのだ。ミラ、おまえもどうしてそれができぬ? 誰かっ誰かおらぬかっ、王女を止めるのだ!』


 執務机に背を向けた王女は狼狽して騒ぎ立てる国王を憐憫を込めて一瞥した。


『ふふっ、父上、暫くは誰も来やしませんよ。護衛たちには眠ってもらいましたから。本当にこの王宮は守備防衛が手薄ですね』

『戯け者がっ、ええい待て待つのだ! 当代は余なのだ、お前では無理だ、ミラ!』


 国王の癇癪のような叫びを背にする王女は、見せつけるかのように高度なテレポート魔法を行使するとあっと言う間に掻き消えた。


 ――あの日以来王女は居なくなった。この世界から。


「……ミラ、赦してくれ」


 ほとりと、老人の眼から後悔の涙が零れて落ちた。

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