18 カレンの不在

 警報が鳴りっ放しの王都は、夜も遅いと言うのに混雑していた。ほとんど皆が大きな荷物を持ったまだ避難途中の人々だ。

 幾つもの通りは凱旋パレード時のような混雑ぶりで、王国指定の避難シェルターやギルド本部、ギルドの提供する耐久性に優れた建物などに向かっている人々がぞろぞろと列をなしている。ラルークス家も自分の所のシェルターに王都民を続々受け入れているらしい。

 しかし中には王都外へと避難しようとする者、何日続くかわからない危機に家の中で息を潜めていようという者もいるようだ。

 とにかく王都のメイン道路は人で溢れていた。レベル80未満は避難なんて王都の冒険者のほとんどだし王都の一般人の全員と言っていい。混雑しないわけがない。


 ――ド、ドラゴンが今にも出てこようだなんて、この王都は終わりだあぁっ。

 ――恩恵が災いに……。やはりダンジョンは魔物の巣窟の恐ろしい場所でしかないのだわ……っ。


 人々は恐怖と絶望、嘆きなんかを口にしていた。

 確かに、ドラゴンの尋常でなく高いレベルもそうだが、魔物が棲息域から出てしまうかもしれないなんて前代未聞だった。


 実は、何故か世の魔物たちは自らが棲息する領域からは出ない習性がある。


 AダンジョンならAダンジョン、BダンジョンならBダンジョン、AフィールドならAフィールドと言う風にきっちり住み分けがなされている。縄張り意識にも似ているかもしれない。

 連綿と続いてきた世界の不思議の一つだ。だから世界各地のダンジョンじゃ、壁や天井を破壊できる強さを秘めていてもそれをやって他の地に逃げ出すような真似はしない。


 わざわざ魔法障壁までが必要なコーデルダンジョンがおかしいだけだ。


 それでも、これまでは壁を破られる心配はなかった。


 今回の異常種ドラゴンが例外なんだ。


 唯一人の手で管理されているが故に、コーデルダンジョンは世界の在りようからすると何かが歪なのかもしれない。

 不安定で不確かな足場の上に敷かれた薄氷を、俺たちは気付かずに踏みしめていたのかもしれない。

 きっとそれはいつ崩れてもおかしくなかったんだ。






 親父も帰って来ない借家の中、俺は明かりもつけず一人ベッド端に腰かけて項垂れていた。

 俺もアシュリーさんもリリアナさんも揃ってギルド本部に避難する事にした。支度をしに各自一旦帰宅ってわけだ。

 さっきからずっと俺はこうしている。荷物の準備を終えたんだし早く家を出ないといけないって思うのに、体は動かない。疲れてはいるがそのせいじゃない。まだどこにも行かない、行けないんだ。気持ちが。

 もう時間的には真夜中で、どうしてこんな時間に帰宅したのかってのはさ、当初の意気込みのまま俺たちは事務所にいたからだ。昼間の外広場でのように、もしかしたらカレンが息を切らせて帰ってくるかもしれない、あと一分いやあと十分待てば……と期待していたからだ。

 しかし埒が明かないからとウォリアーノさんは俺たちの退社を社長命令とした。


 彼は彼で急いでどこかへと出掛けていった。行き先はわからない。


 本当はダンジョンに行きたかった。


 だがダンジョン前にはギルドからの依頼で、一流冒険者が何人か見張りに立っているらしい。蛮勇に駆られた未熟な冒険者がダンジョンに入らないようにするためだろう。


 テーブル上のランプ光一つだけで心許ない室内で一人棍棒を握り締めて見つめ下ろす俺は、後悔ばかりしていた。


 どうしてこれまであらゆる方法でレベル上げを試みなかった? 友情交渉に固執しないで共闘でのお零れ経験値を積み重ねていたらもっとずっと望むように立ち回れたかもしれない。

 護りたい誰かを護れるくらい強くなれていたかもしれないんだ……。


 カレンは今一人でいるんだろうか、他の冒険者たちと力を合わせてドラゴンから逃げて息を潜めているんだろうか。お腹を空かせていないだろうか。携帯食は少し待っているはずだが、いつもモリモリ食べるから物足りないだろうな。昼間のワッフル、全部一人で食べれば良かったのにな。次は一個全部食べろって促してやろう。


「次、か……」


 もしもその機会が来なかったら? 棍棒を握る手に力が入って指先が白くなった。


「カレン、無事でいろよ」


 どうしようもない無力感に苛まれる。俺は弱いと今まで何度も思ったが今日ほど辛く悔しく感じた日はない。

 ぐぐっと握り締めた硬い棍棒が更に掌の肉を圧迫する。


 あの時――真空刃攻撃した時みたいな感覚が持てれば、或いは俺でも……。


 ぼんやりとそんな風に思って眺めていた棍棒が、微かに像を揺らめかせた気がした。


 ――イド、これ以上は……駄目です。


 頭の中に声がした。

 気付けば俺の懊悩を止めるように白髪の少女の白い手が伸ばされていた。棍棒を握る手の上に重ねられ、少しひんやりとした彼女の体温が伝わってくる。


「…………カヤか」


 驚きはなかった。

 案の定彼女は俺の傍にいた。

 薄々思っていた、彼女は俺をどこかから見ているのかもって。理由はわからないが。

 それに、今日のカヤの樹木魔法、あれは魔法であって普通の魔法じゃない。魔法って言葉を当て嵌めて表現するのが妥当だが、しかしカヤのあれは俺たちの使う魔法の気配が少しもなかった。


 魔法とは別系統の何か。


 きっと人間には縁のない類の力だ。


 俯く俺の顔を気掛かりそうに覗き込む不可思議な程に綺麗な紅。底光りする人間じゃない証の一対。

 彼女が何者かはっきりとした答えはまだ得ていない。それでもダンジョンの根本に関わる存在なのだろうとは思う。どうしてか。

 ……どうしてかって、どうしてだ?

 緩慢に思考が疑問の中に埋没しそうになった時だ。


「イド! おい中にいるんだろイド! イド・ラルークス!! 返事しろよ! 天窓から覗き込んでお前の姿は確認済みだ。だから観念してさっさと出てこい!」


 ハッと我に返って顔を跳ね上げた。

 俺は直前まで何を考えていた? 室内を見回したがカヤの姿もない。あー、もしや俺寝てた? カヤは単に俺の夢だったのかそれとも本当に目の前に居たのか確信が持てない。ただ、手を添えられていた感覚だけは妙にリアルに残っていた。


「……はは、イマジナリーフレンドならぬイマジナリーカヤ?」

「聞こえてんだろイド! 出てこいよ!」


 ドンドンドンとうるさくしつこくドアが傷むかもなんてお構いなしに人の借りている家の玄関を叩きまくる迷惑者。

 俺は完全に想定外が起きたのもあって暫しこっちも幻聴かもしれないと本気で思った。


「おら返事しろや! 坊っちゃんが折角迎えに来てくれたんだ、感謝して出てこいや!」

「そうだぜ、居留守を決め込むなんざよう、男の風上にも置けねえな。堂々と面を見せろや!」


 おお何と、ダイスとその取り巻きたちがやってきたらしい。

 親父とダイスは腐ってもさすがは叔父と甥。はた迷惑な行動がこうも被るとはな。

 ったくどういう風の吹き回しだよ? ぶっちゃけ本当に居留守を使いたいが半地下の部屋の天窓から姿を確認されてるんじゃあ不可能だ。カーテン閉め忘れてたのが悔やまれる。

 ダイスたちとは彼らが地下1階広場で逃げて以来会っていなかった。その後ドラゴンが出たりもしたし、てっきり怖がって家かどっかの安全な場所で丸まっているんだと思っていた。

 実際の詳しいところは別にどうでもいいが、この危機的状況下で出歩くとは正直思わなかった。

 まだ騒がしくしている彼らが冗談抜きにドアを壊しそうだったのもあって、俺はやや慌てた動作でドアを開けた。


「ダイス、何か用? 早く避難しなくていいのかよ?」

「はあーっ? だからわざわざ迎えに来てやったんだろうがよ! 父上がお前もラルークスの人間だからラルークスの避難場所に避難させてもいいって言ってくれたんだよ」

「……はい? 話がよく見えないんだが? 避難許可云々もだし、どうして俺がダイスに迎えに来られてんの?」

「どうせお前は怖くて家からも出られないでいるだろうって思ったからだ。フハハまさにその通りだったようだしな。避難先だってわかんねえだろ。だから年長者の俺らが情けで来てやったんだ」

「……え、俺はこれからギルド本部で仲間と落ち合って避難する予定なんだが?」


 ダイスが何故か固まった。取り巻き二人はそれには気付かず驚いた様子を見せている。


「うっそだろ? マジかー。こいつに一緒に避難する相手がいたのかよ。友達ゼロだろって坊っちゃんは言ってたし、連れてってやらなきゃなーって感心にも言ってたのに、予想外も予想外だぜ。親しいダチがいるなら最初に言っとけよー」

「いや友人じゃなくて、世話になってる会社の仲間だよ」

「あー、その仲間ってダンジョンで一緒にいた子か。まさかそこまで仲良しだったとは。しかも何気に可愛い子だったしちょいジェラシー」


 避難はカレンとじゃないが、え、何この状況? 俺が悪いみたいな目で見てくる。理不尽な臭いがするんだが。

 ここでようやく気を取り直したダイスはふんっと顔を背けた。


「だったら勝手に避難しろよな!」


 回れ右でズカズカ去っていく。残りの二人も。

 え、そんなあっさり帰んの? 本当に俺を案じて迎えに来ただけなの? ……は、誰よお前? 別人……?


「あっ、ダイス君、ちょい待ってくれ!」

「んだよ!?」


 あ、本人そのものだな。


「ラルークスの避難設備は確か結構しっかりしてるんだよな。ギルド本部よりも安全とか聞いたことがある」

「ああ、で?」

「俺と、俺の仲間もそこに避難させてほしい」


 ダイスはじっと俺を睨むように見つめてきたが、視線を外して踵を返した。


「なら付いてこい。待ち合わせはギルド本部だったな。途中でその仲間を拾っていくぞ」

「ああ、助かる。サンキューなダイス」

「けっ、礼を言われる程のことじゃねえよ! 気持ち悪い奴だな」


 何だとおお? ピキッときたが堪えた。アシュリーさんとリリアナさんが少しでも安全な場所で過ごせるなら俺のプライドや体面なんてどうでもいい。

 俺からは背中しか見えないからさぞや嫌そうにしてるんだろうダイスの表情は見えないが、何故か取り巻き二人はどこか和んだようにしていた。

 そんなわけで急いで荷物を取りに行ってから、俺はダイスたちとギルド本部へと向かった。


 この時点で俺はすっかり忘れていた。


 以前俺がダイスたちに奪われた巾着財布を一体誰が返してくれたのかを。


 先に着いて待っていてくれたアシュリーさんへと俺が駆け寄ると、彼女の姿を見たダイスたち三人は見事に蒼白な顔色になって凍り付いた。


「――ぬああっ!? あんたは……っっ!!」


 それきりダイスは言葉を失くして立ち尽くした。他二人も同様だ。

 アシュリーさんにこそりと訊けば、俺は今になって真相を知った。しかも財布を取り戻してくれてから三人とは道端でバッタリ遭遇し喧嘩を吹っ掛けられたらしい。冒険者間の私闘は禁止なのにホント好き勝手する奴らだよ。で、結果は言うまでもない。三人の様子を見たらわかる。

 恐怖に身を竦ませていた三人はだがしかし、ちょうど遅れてごめーんと一番最後にやってきた我が社の小悪魔リリアナさんを一目見るなり「女神……っ!」ってな言葉を叫んで昇天した。めろめろになって人が蕩けたりふやけるところを初めて見たよ俺は。

 アシュリーさんとリリアナさんは避難先変更に気を悪くしたりはしなかったもののダイスたちは複雑そうだ。加えて俺の仲間がカレンだけじゃなかったのに突っ掛かってくるかと思ったが杞憂だった。俺への不満が浮かばないくらいに動揺していたんだろう。まあ、天国と地獄の間で精々足掻くがいい。


 ラルークス家へと混雑する街路を歩いていると、やけに周囲の人々のざわつきが大きくなった。


「ヤバいぞ! ドラゴンがまた動き出してとうとう空を飛んだらしい!」

「何だって!? もうダンジョンから出てきたってわけかい!?」


 誰かの悲鳴のような台詞を別の誰がが聞いて連れに伝えて、たまたま聞こえた更に別の誰かがそのまた別の誰かに伝えていく。あっという間の伝言ゲーム。その情報は当然。俺たちの耳にも届いた。


 冗談だろ。まだ王都民の避難も不完全なのにもう出てきたのかよ!?


 親父たちが入って戦ってくれてるんだ。あの二人がそう易々と脱出を許すとは思えない。


 だが万一本当に出てきたとしたら、この街は火の海になる。


 だとすれば、俺はこのまま避難してもいいのか? たとえ勝てなくても最後まで残ってこの街の人々を護るのが冒険者の役目じゃないのか?

 ……呆気なく死ぬかもしれないのに?

 ドラゴンのあの赤い眼を思い出してゾッとした。手が、足が、震える。


「おい、早く逃げるぞ!」


 青い顔のダイスが訴える。俺はどうすればいい。残っても役立たずだろう。なのに足が動かない。

 より混乱度を増す人々はダンジョンから少しでも離れようと駆け出す者が続出した。知らない人から肩をぶつけられよろけ、またぶつかられ今度は邪魔だと怒鳴られる俺は、ぐるぐると思考が上手く纏まらないままに尚もその場に突っ立った。


「イド! ボケッとするのは全部が済んでからだよ! こうなったら避難は取り止めだね、リリアナ」

「アシュリー、さん……?」

「だねえ。事務所に保管してあるレア防御アイテムで少しでもこの街の皆を救えるようにしなくちゃだもんねえ」

「リリアナ、さん……?」


 アシュリーさんとリリアナさんの肩や手は微かに震えていた。

 ああ、だよな、二人だって俺と同じなんだ。怖くて仕方がない。……それなのに。


「二人は、それでもいいんですか?」


 もしかしたら死ぬかもしれないのだと俺は暗に含めた。

 愚問だった。

 どこか晴れやかな笑みを作る二人は直接ドラゴンと戦うつもりこそないが、ドラゴンがここを火の海にしようとしたら全力で炎を阻止するつもりなんだ。それくらいなら二人にも可能だから。言葉にはしなくても彼女たちの顔付きから一目瞭然だった。

 ははっ俺の先輩たちはどこの誰よりカッコいい。


「イドはどうする? 私らと行くかい? あんたはまだまだひよっこだし私の本音を言えば避難していてほしい。けどね、こんな状況だからこそあんたの意思を尊重したい」


 足手纏いになるからとか疎まれたわけじゃない。純粋に俺を案じての言葉だ。

 俺の迷いは晴れた。

 誰に愚かと言われようと俺はきっと俺の無謀を止められない。生来そんな性分なのかもな。


「俺も二人と一緒に行きます。まー、やっぱり駄目って言われても付いて行きますが?」


 少しおどけてみせると二人は目をぱちぱちとさせてからふっと苦笑した。二人には本当に迷いがあるんだろう。何せ俺は弱いから。何かあったらと危惧しているのは当然だ。しかし俺の決意を受けて二人はきっと葛藤を押し込めた。

 彼女たちも冒険者なら、俺も冒険者だ。


「わかった。こっから先は一蓮托生だね」

「でも無謀なことはダメだからねえイー君?」

「わかってます。俺だって命は惜しいですからね」


 早速と俺たちは事務所組三人で道を引き返した。

 明らかに尻込みしていたダイスたち三人とは別れた。俺たちの手前気まずそうにしていた彼らは最後まで俺を引き留めたそうにしていたっけ。これまでの仲を考えると意外過ぎて、三人に背を向けた直後思わず苦笑が浮かんでしまった。

 皆それぞれどう生きるかは選択の連続で、後悔するもしないも自分次第。何で後悔するも自分次第。


 俺は冒険者としての俺の信念に背く事を、ダイスは万一命を失う事を、後悔すると判断したに過ぎない。


 そりゃ俺だって人並みに死ぬのは恐ろしい。ほとんど当時の記憶はないとは言え一度死にかけたから本当はもう親父に心配をかけるのは気が引けるんだ。

 五年前は外傷そのものは治癒魔法で綺麗に塞がっていたが暫くは死にかけた弊害なのか熱が続いて調子が戻らず臥せっていたからな。

 現在はその親父の安否もハッキリ無事だと自信を持って言えないのがまた辛い。カレンにしたってそうだ。

 何か一つでも多くの状況を把握したい。それも二人と一緒に行く理由だ。


 ここから最短で事務所に戻るには、ダンジョン前広場を突っ切るしかない。その際には避けようもなくダンジョン塔が見えるだろう。


 予想通り広場方面に近付くにつれて人は疎らになった。


「そろそろダンジョンが見えてくるね」


 駆けながらのアシュリーさんの言葉に無言で頷く俺とリリアナさんは、ごく自然に建物が途切れて開けた石畳の広場とそこに聳える白い塔を見やった。


 驚きの声は俺たちの誰からも出なかった。少し前から俺たちは皆異変に気付いていた。


 塔の真上で赤い炎がぱっと広がって消えたのが視認できた。


 その一瞬の光源に照らされるぬらりと光る赤いボディも。


 遥か上空と遠目でも明らかだ。


 ――レッドドラゴンが空にいるのは。


 天さえきそうな紅蓮の炎が弾ける凄絶な光景に俺たちは思わず足を止め、息さえ忘れて見上げた。

 一瞬にして夜空を赤く染め上げる爆炎とドラゴンの大きな咆哮。

 嫌な汗が掌と背中を濡らす。

 灼熱の炎が王都を嘗め尽くすのもこれじゃあ時間の問題だ。


「と、とりあえず急ぎましょう」


 どうにもできない悔しさを奥歯で噛みしめ視線を外そうとした俺は、ふと違和感に気付く。


 ん? あれ? あのドラゴンは空を飛んでいるのに、他の場所に飛んで行かないのか?


 その時、ドラゴンが見えない壁にぶち当たったように空中で跳ね返された。


「そうか! まだダンジョンの魔法障壁は有効なんだ! ドラゴンは屋上庭園になってる塔の真上は飛べても、その外側には一歩たりとも出られないのか!」


 だがそれも時間の問題だ。ドラゴンが魔法障壁を破る可能性が大だからこそのこの避難指示だ。障壁の有効高度だってわからない。


 やはり外側に出たいのかドラゴンが体当たりした障壁にヒビが走ったのが見えた。


 仄かに亀裂が光ったから俺たちの目でもわかった。

 げええっ! マジで時間の問題じゃねえのあれ!

 固唾を呑んで眺めている暇はない。


 その時耳に入った小さなざわつきに、俺はふと周りを見回した。


「あ……」


 上ばかりに気を取られていて見えてなかったが、何と広場には俺たち以外にもちらほらと冒険者の姿があった。


 単独だったりパーティーだったりとまちまちだ。俺たち同様レベル制限に引っ掛かった者たちだろう。しかも少しずつだが次第に人数が増えている。彼らも何もできないままじゃいられないと使命感に駆られたに違いない。真剣な眼差しに俺の心も熱くなる。

 ダンジョンの前で見張っていた数人の一流冒険者たちは戸惑ったように顔を見合わせていたが、ヒビに気付いたらしく切迫感を露わにした。


 すると、たまたま複数いるパーティーのうちの一つの会話が聞こえてきた。


「私たちでも障壁の強化なら手伝えるかもしれないわ」

「なるほど、よし常日頃のダンジョン修復の腕の見せ所だな。全力でトライするのみだ」


 障壁の強化?

 あ、もしや俺たちと同じく裏方業務担当のダンジョン修繕師たちか? その節は大変お世話になりましたー…………って、そうだよ障壁だよ!

 俺は希望を宿した目で傍にいた二人に向き直る。


「アシュリーさん、リリアナさん、あのヒビを見るに事務所に戻っている時間の余裕はなさそうです。なので俺たちも彼らに協力しましょう!」


 ダンジョン修繕師たちを示すと、向こうも俺に気付いて「あ」と声を上げた。初めて顔を合わせたリリアナさんたちはキョトンとして瞬いた。

 その後俺は二人を修繕師たちの所へ案内して手短に方針を説明してもらった。


 修繕師たちに少しでも魔力を送ってより強固な障壁強化魔法を発動してもらおうって考えだ。魔力を多く使えば魔法も自ずと強いものになるからな。だからよく大規模魔法の発動では複数の魔法使いが駆り出されるそうだ。


 他の冒険者たちにも急ぎ協力を呼び掛けたら、何と広場にいた全員が全員賛同してくれた。見張りの一流冒険者たちもだ。


 それだけ最悪の危機は差し迫っていたし戦うのは論外だし、魔物がダンジョンの外にさえ出さなければ万万歳だから、誰がどうシンプルに考えても障壁の強化が最善だった。


 俺たちは修繕師パーティーを中心にして大きな輪を作り各自の魔力を送る。修繕師たちが主導し宙に出現させた魔法陣から魔法がダンジョン塔へと注がれた。

 思った通りダンジョンの魔法障壁のヒビはどんどん薄れていく。皆の顔により一層のやる気が満ちる。

 ドラゴンは依然として飛び回って見えない壁に体当たりを繰り返し暴れまくっているものの、その都度できる新たなヒビは修繕師たちの魔法が継続している間は同時進行で薄れ消えていく。


 ただ、正直いつまでこっちの体力がつのか不安がある。


 だって空気はそこまで沈んではないとは言え、広場の冒険者たちは額に汗して皆必死だ。俺なんてほとんど足しにはなってないだろうが、この場にいる二十人ちょっとの力を加算しても危ういのがレベル90のドラゴンなのかって改めて怖さを実感していた。


 と、それまで滞空していたドラゴンが炎を吐きながら屋上庭園だろう場所に急降下した。


 屋上からも誰かが見えない足場を駆け上がっていくようにドラゴンに迫るのが見えた。


 人影はドラゴンの炎に明るく照らされる。


 あの銀の大剣は……。


 見間違えようもない。


「――ジェード・ラルークスだわ! 元勇者の!」


 俺の意識とシンクロしたかのように冒険者のうちの誰かがそう叫んだ。


「元勇者。そうか、元勇者が居るんだった。彼が戦ってくれてるなら大丈夫だ!」

「ええ、きっと! こっちも障壁の維持を頑張りましょう!」


 おーっ!と歓声が上がり冒険者たちの士気が弥が上にも跳ね上がる。

 ここから見上げる先ではちょうど親父の大剣がドラゴンを打ち据えて屋上に沈めたところで、ドラゴンの姿が一時的に見えなくなった。屋上の花壇の土なのか塔の縁から土埃が舞う。親父はマジであのドラゴンと互角にやり合えている。

 ……やっぱあんたは勇者を辞めるべきじゃなかった。そうだよ、今からでも復帰しろ。そう叫びたかった。

 一旦良い方に風向きが変わると他の物事にも連鎖的に影響するのかもしれない。


「――カレン!」


 唐突にアシュリーさんが叫んだ。

 え? 今何て……?

 反射的にある可能性に思い至って俺は上級ダンジョン入口に注目する。


「あ……ホントだ、カレンちゃんだぁ、カレンちゃんだああ~っ」


 リリアナさんが今にも泣きそうな声を出す。俺は……俺も泣きそうで声を出せなかった。


 ダンジョン入口から一人走り出てきたのは、紛れもなくカレンだった。


 金髪ツインテールの俺の相棒。


 アシュリーさんとリリアナさんが輪を抜けてカレンへと駆け出した。俺も遅れて二人を追いかける。

 無事だった。ちゃんと無事だった。全身に広がる安堵。じわりと眦に涙が浮かぶ。だが恥ずかしいとかそんなのはどうだってよかった。


「カレン!」

「イド、あなたまで居るの……?」


 だいぶ汚れているし疲れてもいそうだが、こっちを向いた驚きのエメラルドの瞳は思いもかけず鮮やかだった。

 俺は歓喜を胸に地面を蹴って仲間たちの輪に飛び込んでいた。


「無事で本当に良かったぁ。今までどうしてたのカレンちゃん? ドラゴンに食べられちゃったかと思って心配したよお~」

「ホントにね。五体満足で良かったよ。朝になってもあんたが出てこない時はマスターが助けに行く手筈だったんだ。怪我はなさそうだけど、魔物に足止めされたとかすぐに出てこれない事情があったのかい?」


 リリアナさんとアシュリーさんからむぎゅっとハグを受けて目を白黒させるカレンは、二人の胸に押し潰されそうになりながらも何とか脱出した。……あの見事な包囲網は俺だったら脱出不可能だな。もしかすると現在のコーデルダンジョン以上の厳しさかもしれない……。


「ドラゴンが色々暴れて崩したせいで道がなくなって暫く閉じ込められたのよね。何とか瓦礫を少しずつ崩して脱出したけど、その後はドラゴンから離れた場所を回らないといけなかったりじっとして様子を見てたりしてたら思いの外時間がかかっちゃったってわけ。心配かけてごめんなさい」


 そ、そんな大変な目に遭ってたのか……。


「しかしまあ、無事で何よりだな!」


 茶化したように聞こえたのかカレンはじっと俺を見た。


「イドのお父さんには感謝しなくちゃ」

「へ? 親父? あ、中で会ったのか?」

「うん、慎重にしてもたもたしてたら、あたしまた動き出したドラゴンと遭遇しちゃったのよね。その時に危ないところを助けてもらって、更には逃げられるようにしてくれたのがイドのお父さん。と、もう一人のバンダナの人」

「それ、ソルさんだ。俺が世話になってる質屋のおじさん。二人はどうだった? 怪我とかはしてなかったか?」

「そこは大丈夫そうだったわよ。とにかく二人のおかげでやっと出られたってわけ」

「そっか」


 半分だけほっとして胸を撫で下ろした。親父たちはまだ戦闘の真っ最中だし、魔法障壁もどうなるかわからない。破壊されればこの王都の命運にも関わる。だから半分だ。


「ところで、ダークハウンドの方には遭遇しなかったのか?」


 カレンの顔付きが俄かな緊張を帯びた。


「カレン?」

「……この目で見たわ」

「え、遭ったのか!?」

「ええ、再び動き出したドラゴンと遭遇した時に」

「は? それってイレギュラー二体が同時に同じ場所に居たってことかよ!? 凄い偶然っつーかカレンって実は運が悪いな」


 ちょっと俺を睨んだカレンだが、睨んだだけで続きを口にする。


「だけどそいつ、――ドラゴンに食べられちゃった」

「え……?」


 一瞬、カレンが何を言っているのかわからなかった。


「えーとカレン、魔物が魔物を食べたってのかい?」

「そんなの初めて聞いたよお~」


 俺だけじゃなく他の二人も不可解そうにする。

 あいつらは魔物同士の殺生つまり同族殺しは基本しないとされている。共食いは本能的な禁忌なのかダンジョンでもフィールドでも見た記憶がない。これは冒険者の一般常識も同然だ。

 俺は我知らずごくりと咽を鳴らした。


「なあ訊くが、ドラゴンはモンスターストーンまで食べたのか?」

「たぶんね。大きな口で頭に噛みついて瀕死にして、そのまま丸呑みしたから」


 その圧倒的な暴虐を思い出したのかカレンはぶるりと自身の両腕を抱き締め小さく震えた。


「じゃあドラゴンはダークハウンドを取り込んだのかよ……」

「イド、取り込むって……?」


 カレンは疑問顔で、リリアナさんとアシュリーさんも同様だ。

 俺は知っている。魔物は他の魔物の存在を屠って強くなれるんだって事実を。


「魔物は魔物の核を、魔石を食べるとレベルが上がるんだ。現在のドラゴンはレベル90よりも更に上だろう。早く障壁魔法を手伝いに戻った方が良さそうだな」


 伝わってくる激しい音や光から屋上での戦闘は続いているんだってわかる。

 ドラゴンも魔法障壁にぶち当たってはいるが、カレンが加わったのもあって修復速度は上がっていた。

 このまま親父たちが倒してくれれば――……。


 だが、そんな地上で稀に見る強者は、やはり予想の上を行った。


 無情にも。


 いい加減出られないのに本気でキレたのかもしれない。一際高く鳴いたドラゴンは親父たちの攻撃の間隙を見てなのか勢いを付けて激突した。


 無論、魔法障壁に。


 ガシャーン、とまるでガラスが割れるような高い破砕音が広場に響き渡った。


「……え?」


 砕け散った魔法障壁は物理的な物じゃないからか空気に溶けるようにして消えていく。


 ――グゴァオオオオオオオオオオアアアアアアアーーーーッッ!!


 広場を揺るがすような大音声が超新星のように爆発する。

 声の振動でパラパラと塔の白い外壁の一部が剥がれて落ちてくる。


 赤きドラゴンが王都コーデルの夜空に解き放たれた。

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