16 危惧すべき知らせ

「全く……。防具が壊れたから買いに行かないといけなくてあたしの意見がほしかった? それならそうと最初っから言ってよね」


 言わせてもらえる余裕ありましたかね!?……とは言わない。


「あ、ああ悪い言葉足らずで……」


 死にかけて細々となる俺の様子を見るとカレンはふんと鼻を鳴らした。


「いいわよ、マスターからの許可ももらったし、仕事にもレベリングにもすぐに必要なものだから付き合ってあげるわ。――もっもちろん買い物に付き合うって意味よ買い物に!」

「あ、ああわかってる。とても助かる」


 俺たちを眺めるウォリアーノさんがどことなく安堵して見えるのは、彼も彼でカレンを心配していたからなんだろうな。

 カレンの顔には仕事を優先したいって色がまだあるが、俺の誘いを頑なに渋るかと思いきや意外にも承諾してくれたのは俺の無残な防具を見たからかもしれない。

 本来は俺一人で買いに行くべきなんだろう。しかし以前勧められるままに変な防具類を買わされた苦い経験があって、また……なんてなっても嫌だったからその手の知識に詳しそうなカレンに付き添いを頼んだんだ。

 帰り道に考えた買い物の件は思惑通りカレンをダンジョンから遠ざけるためのちょうどいい口実になった。


「じゃあとりあえず、事務所前で待ち合わせましょ」

「わかった」

「全く、あたしと違って装備なしで無茶できるレベルじゃないのよ? ダンジョンでは本当に何もなかった?」


 俺を案じつつ両手を腰に当てるカレンの何日ぶりかのよく見るポージングと物言いに、俺はついつい笑った。


「何?」

「いや、カレンは心配してくれ方もやっぱりカレンだなって思って」

「はあ? 喧嘩売ってるの?」

「まさか。元気そうで良かったなって」


 俺の言葉の裏の気持ちに思い至ったのか、カレンは怒りを殺がれたような顔で息をついた。


「……ま、その、ね? 随分皆にもイドにも心配させてたみたいね。そこは悪かったわ。あと、ありがと」


 素直な様子が微笑ましく、俺はウォリアーノさんと一緒に優しい眼差しを浮かべた。





 昨日ウォリアーノさんが言っていたように、ダンジョン仕事の方は頼れる三人に任せて安心だ。上級ダンジョンの方は宝箱消費ペースに何か急激な増加がない限りは行かなくても平気みたいな事をカレンは言っていたが、ウォリアーノさんは一応さらっと回ると言っていた。

 そんなわけで、今後のためにも良い品をと意気込んで落ち合ったカレンには「新品がほしい」って伝えた。すると彼女はそこを一歩きすれば武具からポーションまで欲しい冒険アイテム全般が揃うと言われる通りに連れていってくれた。

 よろず通りとの名称で冒険者の間じゃ通っていて、実は俺も行った事がある。


「さあ、沢山回って品定めして、イドに一番なのを見つけるわよ。この先長く使えるようにね」


 自分の鍛え方や使い方である程度融通の利く武器とは違って防具は体に合わない物は早く壊れるし体にも良くない。挙げ句は使い辛いから戦闘にもその影響が出る。


「店主のおだてるままに、変なゴテゴテしたデザインのよくわからない防具とか買わないようにしなさいね?」

「ああ、当然」


 左右に店が軒を連ねる万通りで上機嫌に揺れる金のツインテール。彼女からの振り返っての注意事項に俺はしかと心して了解する。

 以前まさにそれをやった……とは口が避けても言いたくない。その時に買わされた物品はソルさんが親切にも買い取ってくれたんだよな。あれどうなったんだか。


『全然気にする必要ねえって。こういう形だけゴテゴテして目立つのを欲しがる奴知ってっからな』


 そう言って俺の買い値のままに引き取ってくれたソルさん。好い人過ぎて思い出すだけでも涙出る。


「いくら防御力が高くてもガシャガシャした大きな鎧よりは、多少性能が下でも動きやすくてコンパクトな方がイドには良いと思うわ。大きいと鎧に着られてる感が半端ないもの」

「あはは、そう……」

「そもそも仕事柄結構な荷物も持つし身軽に動ける物じゃないとね」


 カレンからの的確時々毒舌アドバイスをもらって、新たな防具を選んだ。少し前までとは違って懐もそれなりにあったかいから割かし自由に選ぶ事もできた。

 前と同じような胴鎧で、だがしか~し素材や防御力は格段に上の物にした。言わずもがなの新品だ。カレンもそれならとお墨付きをくれた。

 商品の入った紙袋を提げ万通りを並んで歩く。


「今日はアドバイスとかありがとうな。非常に助かった。お礼に昼飯は俺が出すな」

「うふふふ~? すっごく高くつくわよ~?」

「ぐ…………わかった」


 高めの胸当ても買ったしこりゃ当分は節約生活だなと内心泣いていると、カレンは呆れたような怒ったような顔でいる。


「冗談に決まってるでしょ。あたしをどんな人間だと思ってるのよもうっ。あそこの屋台のスイーツ三つで手を打つわ」


 カレンが指した先を見れば、通行人の食べ歩き需要を見込んでのものだろう屋台が幾つかあった。甘い物しょっぱい物辛い物までありそうだ。

 道理で美味しそうな匂いが漂って来ると思っていたら、あそこのか。カレンの言うスイーツはカラフルな着色と果物などのフレーバーを香り付けに施されたワッフルだった。


「それだけでいいのか?」

「ええ」


 しれっとしているカレンは本気でそう思っているようで俺を屋台へと引っ張った。カレンの選んだ三つの味を購入して渡すと、彼女は一つ目を半分にして俺に寄越した。思わず受け取ると彼女は手元に残った方を美味しそうに頬ばる。メニュー表通りならこのピンク色のはいちご味だ。

 カレンの顔はこの上なく幸せそうに綻んでいて何だか見つめてしまった。……屋台の安いワッフルがこの世のすっごく美味しい物に見えてくるな。

 

「うん? 食べないの?」

「へ、こっち俺の?」


 意表を突かれるとはこの事かもしれない。当然そうに半分こって。

 遠慮がちに受け取ったら二つ目も同じように半分にして俺に押し付けてきた。チョコ味だ。カレンが食べ俺も二つの半分ワッフルを食べる。お、値段の割には美味しいな。

 そして同じく三つ目も。水色はミラクル味ってメニュー表には書かれていたな。ミラクル味って何味だよ。

 じっと見つめ下ろし食べるのを躊躇していたら、カレンが俺の腕を引いた。甘い物はご機嫌剤なのかもう怒ってはいないように見える。


「出てきたついでだし、ギルドに行ってみない? 何か有益な情報がもらえるかも。あ、それ結構イケるわよ」


 カレンは鼻歌でも歌いそうな調子で得意気に俺の手の水色ワッフルを一瞥する。

 少しは気分転換になっただろ……なんて訊くまでもないか。


 コーデル王国の冒険者ギルド本部は敷地が広い。


 たまにイベント事だって開催する。

 到着した俺たちは常時解放されている大きな鉄門から敷地内に入った。両脇に花壇のある幅広の道を真っ直ぐ進むとすぐに本部建物に行き当たる。両開きの扉を押し開けて中に入ると大理石のロビーには多くの冒険者の姿があった。

 ここは冒険者登録から冒険者向けのクエスト発信、各種サービスの案内、情報交換、ギルド内の協議、各地との連絡や連携を取るなどなど、総合的な場所だ。

 大株主同然の王宮とも密に連絡を取り合っていると聞いた。

 無論、コーデルダンジョンの管理室やうちの会社とも連絡網が繋がっている。うちで使うアイテムの素の送り元もここだってウォリアーノさんは言っていた。製造方法は企業秘密だそうだ。


「来る度に思うが、クエスト掲示板ってモザイク調の抽象画みたいだな」


 クエストはロビー壁の巨大な掲示板に貼り出され、完了した案件から随時貼り替えられていく。王都に集まってくるクエストの数は膨大で、掲示板には今日も沢山の紙が貼り出されていた。紙の色によりそのクエストの難易度がわかる仕組みで掲示板は遠くから眺めるとカラフルなアート作品のようでもあった。


「あのね、ここは美術館じゃないんだから」


 隣に立つカレンが呆れた。


「何か有益な情報がないか上層部に直接話を聞きにいきましょ。うちの会社は特別そういうことも許されてるのよ」

「へえ」


 彼女はロビーを抜けてギルドの総合受付カウンターへと足を向ける。そこで用件を告げて案内を受けるんだろう。

 現にカレンが社員証を見せるとすぐに奥への案内を受けた。

 そして案内された会議室で、俺たちは良くない知らせを聞かされた。





「――実はあなた方へ本日中に通達する手筈でいましたが、我々は一旦コーデルダンジョンの補充自体を止め、様子を見ようと考えています」


 対面した男性ギルド職員の口からは深刻そうな声が聞こえた。情報のやり取りに奔走していたのかスーツはややよれている。彼の隣に腰かける同じくスーツの女性職員も表情を浮かないものにしていた。二人とも年齢は30代だと思う。

 男性幹部の説明に小さく相槌を打ちながら、今度は女性幹部が説明を引き継いだ。


「ダンジョン内部の魔物が凶暴化する傾向が強く出ており、更に状況悪化する見込みなのですよ。その原因を究明し落ち着くまでは上下ダンジョンへの入場は原則禁止とします。クエスト目的での入場は例外ですが」

「そうです。明日からは下級ダンジョンの方も閉鎖と考えているので、その旨をウォリアーノ殿にもお伝え願えますか? その他の細かな調整はまたウォリアーノ殿としたいと考えています」


 わかりましたとカレンが了承する。隣に座る俺は緊張感で一杯だ。

 俺が思うより事態は重い。

 ――と、ノックの音がしてこの場では三人目となるギルド職員か駆け込んできた。


「大変だ! 王宮から連絡があって――コーデルダンジョンが近いうちに崩壊する可能性があるそうだ。その兆候が見られたと!」


 ……は? 崩壊? ダンジョンが?


 会議室の俺たちは四人とも一様に最初は言われた言葉を呑み込めず、しかしじわじわとその意味が浸透すると表情が険しくなった。


「混乱を来すからまだ伏せておくように王宮側からは言われたが、なるべく早くダンジョン内部の人間を外に出すようにも指示されたよ」


 王宮。

 コーデルダンジョンは今でこそギルドが中心に管理を請け負ってはいるが、元々は王宮が主導で取り仕切っていたという。

 故に、王宮にはギルドもまた知らないダンジョンの把握の仕方があるんだとか。

 そこはまあ俺たちには関係ないにしても、崩壊可能性だなんて王都が蒸発するレベルであり得ない展開だろ。今日だって何人あそこに入っていると思ってるんだ。


 もしマジに崩壊なんてしたら……あいつらだってどうなるんだよ。


 バウバウ~と俺に向かって跳びはねて来るわんこ、いや宝箱たちは確実に巻き込まれる。そうなったら俺の胴鎧みたいにべしゃんこだ。

 折角俺に懐いてくれて少しだけ可愛いなって思……って待て待て違うだろ、宝箱たちなんてどうでもいいだろうが俺っ。何度も泣かされ、何度ももしゃられ絶望した時間を忘れたのか? しっかり正気になれ俺えっ!


「ちょっとイド!?」


 突然会議室のテーブルにガンガン額を打ち付け始めた俺にカレンや職員たちが何事かと顔色を変える。俺は我に返って何事もなかったように「いえ、失礼」と咳払い。おでこの痛みは必要経費だぜ。

 この情報が間違っているかどうかは別として、俺たちは最速で動かないとならないだろう。ふっ、会社の皆の心配より先に宝箱たちあいつらの心配なんてして俺は薄情な男だよ。

 俺はキリリと表情を真面目にした。


「こほん、仮に緊急避難を実施するとしても、ギルドの決定でテレポートが使えないのでしたら、ダンジョンの外に出るにはどのような方法でと? それともテレポート不可の魔法を解除するんですか?」


 やや唐突感のある俺の冷静さをどこか胡散臭そうに見る職員たちは、言っている内容はまともなだけに奇行を咎める機を逸し微妙な面持ちにならざるを得ないようだった。


「魔法の解除は少なくとも今日中は無理でしょう。明日にならどうにか以前の状態に戻すのもできますが。ですので現状では、冒険者自身の足で出てもらうほかないかと」

「なるほど、そうですか」


 ここでカレンがやや身を乗り出して矢継ぎ早に問い掛ける。


「可能性ではなく実際に崩落をすると仮定した場合、どの程度の猶予があるかは予測できますか? この情報をダンジョン内の皆にも周知させる方法などもあるんですか? ないのであれば、ルーラー作戦的に人員を投じて最後の一人までを見つけて声を掛けなければ取り残されてしまいます。それと、こちらで入ることはできますか? 今日も弊社の者がダンジョン入りしているんです」


 会社の人間の世話は会社の人間でするとカレンは言ってるんだ。

 ギルド職員二人は最後に現れた同僚を見やった。今ここでは全ての新たな情報は彼だけが把握しているからだ。


「猶予については定かではないですが、今日明日という切迫度ではおそらくないかと思われます。ただ、あくまでもこの情報を得た時点での判断ですので早めに行動するに越したことはありません。現時点でなら入場は可能かと」


 カレンと俺の顔に明るさが差す。


「ギルドでも取り残される冒険者のいないようにこれからすぐに新たなクエストを一流向けに発信する予定です」


 カレンは少し安堵したようにストンと椅子に浮かせていた腰を落とした。俺もカレンもとりあえず訊きたい事は訊いたし、職員たちもこの後各所に伝達要請したりする作業があるんだろう。そんなわけで会議室はお開きになった。

 まだ何も知らず平穏なギルドロビーを抜けて建物から出る。気持ちよく晴れた空は現実とは裏腹に何者の不安をも消し飛ばしてくれるようだった。

 どこまでも青い空、か。


「イド、一度事務所に戻るわよ。イド?」


 少しぼんやりしてしまっていてハッとした。


「あ、ああだな。誰か戻っているかもしれないもんな」


 居ないのに行ったなんて無駄足にならないためにも確認する必要がある。


 かくして到着した会社事務所には、リリアナさんがいた。


 一人で大丈夫とリリアナさんを残し下級ダンジョン入りしたらしいアシュリーさんはまだ帰っていない。上級入りしたウォリアーノさんもまだ。予想通りっちゃそうだ。


 俺とカレンはギルドで聞いてきた話をすると、早速ダンジョン入りのための準備を整えた。アイテムの素は持たないから身軽だ。新しい防具のお目見えを感慨深く喜んでいる暇もなく俺とカレンは事務所を出る。


 カレンはウォリアーノさんを、俺はアシュリーさんを探しに。


 ぶっちゃけ俺よりリリアナさんの方がレベルは上だが、今回は戦闘も補充も回避してひたすら人を探すのが目的だ。索敵能力オンリーなら何と俺の方が格段に優れているが故に、俺がアシュリーさんを迎えに行く事になった。うっかり魔物と遭遇した場合の逃走アイテムもバッチリ持ったし順調に行くだろ。

 まだまだ日は高く、石畳に落ちる影はやや短い。


「それじゃあ、くれぐれも無茶はしないようにね」

「カレンこそな」


 ダンジョン前の大広場に立つ俺たちはどちらともなく拳と拳を突き合わせ、決意の目と目を合わせた。


「「健闘を祈る(わ)」」


 互いに頷き合うと、それぞれの入口へ。






 黒毛魔犬イレギュラーを探して塔をのらくら上って下って上って下って上って下って上って……現在はちょうど下ってきての地上20階。


「ぐあーっ何回往復してんの俺たち!? 何かのお参りかよホント!」


 連日通い詰めていたせいかどこもかしこも平らな石の壁と画一化された造りに正直飽きていたジェードは、とうとう吠えた。イライラに任せたような雑な動作で銀の大剣を振り抜く。レベル40の四眼魔鷲フォーアイズイーグルが瞬時に結晶化して床に転がった。四つ目鳥とも呼ばれる文字通り四つの目を持つ猛禽系の魔物だ。

 現在ジェードは息子のイドがソルライチに買い取ってもらったゴテゴテした見た目の鎧を着ている。


「おーおー、ここにも魔ゴリラが一匹」

「うっせハゲ!」

「ゴリラ語わからなーい」


 今だけ寛容にも侮辱スルーなソルライチはその鎧姿をどこか満足気に眺めた。


『なあジェードこれいらねえ?』

『うおっ何それちょーかっちょいいじゃねえかよ!』

『まあ頑丈そうな見た目と違って防御力は低いけどな。売り主としての説明義務は果たした。で、いるだろこれ?』

『エー、決め付けは止して下さいよー。はん、見た目だけってやつを欲しがるわきゃねえだろ。大体よー、俺的には防具って必要ないんだよなあ』

『あー、おめえ野生児だもんな。どうせなら裸族で生きろよ』

『さすがにそれは嫌だ。イドから汚物を見る目をされるだろ』

『んーそうだな。あー因みに実はこれイドから買ったもんだぜ。あ~あ残念だけど他の客に回すか~』

『いくらだッッ?』

『あん?』

『俺がもらう!』


 ソルライチはイドから買い取った三倍でジェードに売っ払った。姑息に息子愛を利用した見事な誘導だった。このクエストが片付いたらイドに色々とサービスしてやろうとソルライチは考えている。自由人な親父からぼったくった分を苦労性の息子に還元する。ああ何てやりがいのある仕事だろうか、としみじみそう思いながら彼は回想を終えた。


「ま、とにかくちゃっちゃと敵倒すのが最善だな。……まずは遭遇しねえと何ともし難いけどな。ふわぁーあ」


 大きな欠伸あくびをするソルライチは眠そうな目で友人を眺めつつ、彼も退屈なのを隠さない。自分たちにしては珍しく地道に各階を捜索しているにもかかわらず例の魔犬と出くわさないせいだ。


「まーな。ところで、俺たちがほぼ根こそぎ倒してったとは言え、何か上りの時より魔物の数少なくねえ? 再出現するはずだろ?」

「そう言われるとそうだな」

「例のイレギュラーにしても、どうせたまたま互いに移動して鉢合わせしないんだろうけどよ、それにしたってなあ、会わな過ぎじゃね?」


 確かに、と同意に頷きつつソルライチは考え込む。


「……やっぱ何をどう考えてもこいつジェードに出会いたくねえ系か?」

「あのー心の声駄々漏れてますけど。酷い言いざまじゃーないですかねー」

「まあギルドが出してるクエストだから、きちんとこのダンジョンにイレギュラーがいるのは間違いねえだろうがよ」

「もしもーし? フォローなしですかあー? 俺の声聞こえてますー?」


 ソルライチは質屋だがこの五年、彼もコーデルダンジョンに通ってはいた。レベルを上げるためではなくダンジョンの情報収集と新規顧客の確保が目的だ。だからたとえ前例のない異常種が出現しようとも、コーデルダンジョンの雰囲気と言うか空気感を知っている。


「……ダンジョンがいつもと違うんだよな」

「あー俺もピリピリした空気は感じるぜ。ダンジョン入りしてる奴らもイラ付いてんだろ」

「そこもそうだが、オレが言ってんのはそこじゃねえ」

「何だそりゃ?」


 このダンジョンの纏う空気はこんなにも静かだったろうかと、ソルライチは違和感を抱いていた。このダンジョンを知っているのは王都生まれのジェードも同じだが彼は近年の空気は知らない。ソルライチの方が的確に知覚できていると言えた。


「あたかも死に近い、そんな空気だ……何故だ……?」

「だはっ、その顔でシリアス顔とかマジウケるー」

「あーまあなー」

「……?」


 予想外にリアクションが薄く怪訝にしたジェードはソルライチが思考に没頭しているのだとわかった。生返事なのはそのせいだ。少し詰まらなそうに唇をすぼめたジェードは急に何かが吹っ切れたように胸を張る。


「よし、こういう時こそ酒でも飲むか!」

「あーまあなー…………ってよしじゃねえっこの飲んだくれが! 今まで黙ってたが装備以外の荷物が全部酒ってどういう了見だごるァあああ! ダンジョン嘗めてんのか? いや嘗めとけ、ああいやそれだときったねえからアルコール消毒しとけ壁とか天井とかきれいにな!」

「うおっ唾飛ばすなって! っつかいいだろ酒は! これみたいに度数高いといざという時に燃えるからよ。それに回復とかのアイテムはお前持ってんだろ、どうせ」

「オレはおめえの荷物持ちでも女房でもねえ! 何かあっても一つとしてやらん」

「けち臭えなー」

「アイテムほしいならダンジョンの宝箱でも漁ってろ」

「そうだけどよ。全部空だったし」

「日頃の行いが悪いからだな、うん」

「ひでえな……って――あ? 宝箱が動いてねえ……ってことは入ってるやつだよなあれは。蓋も閉じてるし」

「は? 何冗談…………ってミミックか?」


 二人の行く手に置かれている宝箱は中身が入っているのか蓋が閉じている。

 行きの時は確かに空でそこらを動き回っていた。

 自分たちは空の宝箱しか見かけていなかったのでそこは確信できる。


「開けてみればわかるだろ」


 ジェードが先んじて蓋に手をかけた。


「……イーラル、回復系アイテムだ」

「てっきりミミックかと思ったが……」

「俺も。だけどよ、この状況で宝箱の補充してんのか? 社員送り込んでくるとか、鬼だな」


 ジェードの台詞にソルは意外そうな顔で瞬いた。


「あれ? そういや言ってなかったか? イドの働き先がそこだぜ。周囲には秘密にしてるっぽいけどな」

「ぬわぁああああにいいいいいい!? 今度乗り込んでってんなブラック企業なんざ叩き潰してやる!」


 今にも大暴れして若かりし頃のように壁を壊しそうなジェードにソルライチは苦笑を浮かべる。

 ダンジョンへの違和感は依然消えない。しかしだからと言って彼に何ができるわけでも、或いはすべきなのかも判然とはしない。

 騒がしくしながらも、親父組二人はまた黒毛魔犬ダークハウンドを求めてのらくらと階層を下るのだった。






 ダンジョンゲートでは対応が早くもレベリング目的での一般冒険者の入場は不可になっていた。

 裏方業特権なのか、管理室に寄って念のためアシュリーさんがまだ中に居るかどうかを確認してもらった。ゲートは冒険者証を読み取って入出を把握しているから出た記録がなければまだ中だとわかる仕組みだ。カレンも上級側でそうすると言っていた。


 アシュリーさんはまだ中に居る。


 一見、通常そのままの地下洞窟通路を進む俺は気を引き締た。

 途中何人もの冒険者たちにダンジョン危機を告げ早々の脱出を促した。俺で話を聞かない連中は後々一流たちに強制連行されるだろう。だからそういう相手は執拗には食い下がらずに無難に情報を伝えただけにした。

 索敵をしながら冒険者を見つけて説明するのを何度も繰り返す。そこにはたまたま空の宝箱もいたりしたが構わずにいたら、何でか俺の後ろをくっ付いてきた。ちらっと振り返ってみると初めは一体だったのが五体に増えてた。


 ええーと、宝箱って人の顔を覚えんの?


 餌をああいや素をもらえるかもってやってくんの?


「おいおい、今日は素を持ってないんだって。どうして俺のとこに来るんだよ? 散った散った」


 誰も見ていない所でしっしっと野良犬を手で追い払うような仕種をしたが、それをした俺自身に精神ダメージだ。

 こいつらは犬じゃないってのにな。ホント犬みたいに思ってるよ俺ってば。どうしてくれる……っ。この環境に慣れたら駄目なのに慣れを感じている自分が嫌だ。

 しかも宝箱たちは散ってくれない。蓋をパカパカしているだけだ。


「はあー、マジでアシュリーさんどこにいるんだよー」


 疲れて弱気になってついつい愚痴れば、冒険者マントをもしゃられた。


「……え、勘弁してくれ」


 更には引っ張られる。


「いやいやだからそれやめて? な?」


 無機質な宝箱には耳がないんだからこっちの言う事を聞けるわけもないよな。放してくれない。


「そんなに引っ張るとマントが破れるんですけど!? おいこら宝箱っ、いい加減放せって――ああああ行く行くわかったそっち行くからもう引っ張んなーっ!」


 僅かに繊維が裂ける音が聞こえた時点で降参した。

 その後は何がどうなったのか、俺は宝箱たちに前後を囲まれる形で歩かされた。まさか、仲間だと思われてるのか?

 俺たちを目撃した冒険者たちからは変な目で見られたっけ。だが耐えてちゃんと避難の説明はした。

 宝箱と一緒だから魔物と遭遇する心配はないにしても、こいつらは俺をどこに連れて行こうとしてるんだ? ネバー宝箱ランド? 付いて行って果たして大丈夫なのか?

 ダンジョンがこんな状況なのに些か悠長過ぎたかもしれないと俺がやっぱり隙を見て抜け出そうと決めた矢先、先頭の宝箱が停止した。


「うおっ、何だよ急に?」


 危なくすぐ前の宝箱にごっつんこしそうになった俺が抗議の声を上げると、前方の奴らがザザッと避けた。


 は? 何? 先に何かあるのか?


 即座に索敵をすれば冒険者の気配がする。退避して下さいって言わないとなあ。だから近付いてくる相手を動かず待っていた。宝箱どもも動かない。やっぱ仲間意識持たれてるんだろうか。


「あらま、イド? あんたまたどうしてここに? カレンとデートじゃなかったのかい?」

「アシュリーさん!?」


 俺はびっくりして宝箱たちを見やった。


「もしかしてお前ら、俺を案内してくれたのか?」


 宝箱たちは一斉にパカッと口を開いた。そうだって意思表示だよなこれ。えー嘘だろお、ちょっと感動なんだが?

 そして誰がどこにいるのかを把握できるのが凄いっつかある意味怖いが、深くは考えない。宝箱はそういう嗅覚に優れた存在だと思うようにする。謎は謎のままな方が良い事もあるもんな。


「あはっ、イドはまさに宝箱ブリーダーって感じだわね」

「嬉しくないですよそれ。急ぎアシュリーさんを探していたのでここまで連れてきてくれたのはありがたくは思いますが」


 アシュリーさんはキョトンとして傍に寄ってくる。


「私を? どうしてまた? ああ、カレンと大喧嘩でもしてアドバイスをくれってか?」

「違いますよっ。言っておきますがカレンとはデートじゃないですし、今カレンは上級ダンジョンに入ってウォリアーノさんを探してくれてます。因みに俺はアシュリーさんの担当だったんです」


 アシュリーさんの顔付きが引き締まる。


「外で何かあったのかい?」

「はい、正確には中でですが。現在このコーデルダンジョンでは全一般冒険者に退避命令が出されているんです。新規入場もできませんし。ここ近日中にはもうダンジョン内部は誰もいなくなるはずです。一流向けにそのためのクエストを発信するとギルド側は言っていましたから」


 前置きのように言ってから、俺は少し呼吸を整えた。


「コーデルダンジョンは崩壊するかもしれないそうです」

「何だって!?」


 アシュリーさんは大きく目を見開いた。


「テレポートができないので、こうして足を使うしかなかったんですよね。ギルドの人は今日明日にどうにかなるわけじゃないと思うとは言っていましたが、状況が刻一刻と変わる可能性も示唆していましたし、だから俺もカレンもただ帰りを待つだけはできなかったんです。早いとこ、ここを出ましょう」

「何だい何だい、私のためにわざわざ?」


 アシュリーさんは独り言っぽく呟いた。


「カレンもそうだけどね、イドも全くホントに……いい子だね~っ!! 新しい防具も似合ってるよ~っ!!」

「ぅぐぐっ!?」


 アシュリーさんは目を潤ませるとかばりと俺をその胸に抱きしめた。

 服越しにだがたわわなおっぱいがもろに顔面に当たって息をするのも忘れて絶句する。正直なところ何が起こっているのか暫く認識できなかった。柔らかな幸福に包まれて昇天しそうなんですが!?

 そういえば、アシュリーさんは胸元に防具を着けてないんだよ。余裕で強いから要らないのは理解できるが、一緒にいて目のやり場にたまに困ったっけ。……結構揺れるから。或いはカレンのみたいに普通の服に見えてその実防具でもあるのか?


 いや、実はおっぱいそれ自体が優れた防具なんだ、そうだろなああ!?


 俺、この先何でも乗り越えられそうだよ。


「んがっ!?」


 時に人間よりも冷静なのか、宝箱にマントの端を強く引っ張られて首が絞まって現実を思い出した。ああそうだ駄目だ楽園に浸っている場合じゃなかったよ。アシュリーさんからすれば俺なんてまだまだ子供で男認識じゃないのかおっぱいで包もうと全く気にならないようだしな。


「心配してくれてありがとね。さあイド、ちゃっちゃと帰るよ」


 彼女はこの場にいる宝箱たちにアイテムの素を入れてやって機嫌良さそうに先を歩き出す。良かったなお前ら俺に付いてきて。俺たちとは反対方向に大人しく戻っていく筐体たちを肩越しに見送って俺は前を向く。

 今頃カレンはウォリアーノさんを見つけられただろうか。そうであってほしいと願った。

 

 

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