15 停滞する王都
「何で……。昨日はそんな風な様子はなさげだったのに……」
翌日、出勤した俺は自分でも思いの外ショックでその場に立ち尽くした。
事務所内には気遣い顔で俺の傍に立つウォリアーノさんと、奥の方で補充仕事の支度をしているリリアナさんとアシュリーさんがいる。
カレンの姿だけがない。
「君に余計な心配をかけたくなかったんだろう。無論私たちにも。言えば私に止められるとでも思ったんだろうね。まあ、その通りなのだけれど」
「カレンは真面目だからね。一秒でも早く補充を完了させたいって気持ちが逸ったんだろうさ。何せうちのマスターときたら補充はいつものんびり屋だから」
「ア、アシュリー」
ウォリアーノさんはばつが悪そうに咳払いする。まあ、マイペース補充ってのは見たまんまだよな。普段はそれでもいいが今はカレン的には気を揉むんだろう。俺もまだまだ遅いから人の事は言えないが半分くらいは同意できる。
「イド君にも、下級ダンジョンをよろしくと書き置きにあったよ。できるね?」
「はい……」
返事はしつつも落ち込む俺へとウォリアーノさんは申し訳なさそうにする。リリアナさんが「これだよお」とその紙をヒラヒラと軽く振った。彼女もカレンの勝手には多少思うところがあるのかその顔は拗ねたように不満げだ。アシュリーさんの方はやれやれと仕方がなさそうにしている。だが二人は明らかにカレンを案じているのが俺にもわかった。俺だって大丈夫かよって思う。
本音を言えば、突き放された気分だった。
直接俺に言ってくれたら良かったのに。理解だってした。
今思うと、昨日の地下1階広場での出来事がおそらくカレンに心境の変化を与えたんだろう。何だか少し様子が違っていた。
俺が無力にも襲われそうになったから……。
カレンは責任を感じているに違いない。そんなお門違いで馬鹿げた責任感は要らないのに。だがそう言ってやりたい本人はこの場にいない。
昨日やや唐突にゆっくり出勤にしようって言い出したのは、皆の出勤前に自分一人でスムーズに準備をするためだ。書き置きだけでダンジョンに向かったのは、俺たちと顔を合わせるのが気まずかったからだろう。
心配と憤りと一抹の寂しさに肩を落とす俺の傍に来たアシュリーさんが励ますように肩に手を置いた。
「カレンはああ見えて私ら社員の中じゃ一番強いから、自分が前に出て頑張らないとって思ったんだよ。イドがどうとかじゃないから元気出しな」
「わかってます……」
アシュリーさんには悪いが、慰められても気分はそう簡単に浮上しない。俺がもっと強ければカレンは一人で行かなかったはずだ。相談を持ちかけてくれて共犯にしてくれたはずだ。
それに何より心配だ。通常種はともかく
「イー君のシワ~。似合わないぞお? カレンちゃんは緊急時に必要そうなアイテム類も多目に持ったから安心しろって書き置きにもあったしぃ、そんなに心配しなくてもきっと大丈夫だよ? しれっとした顔で帰ってくるんだから~、ね?」
「あ、え」
正面から寄せられたリリアナさんの小悪魔ぽってり唇にドギマギさせられていると、アシュリーさんが今度はバシバシ背を叩いてきた。
「ほら、イドもさっさと支度しな。カレンからあんたのことを頼まれたからにはみっちり指導するよ」
「え、今日はアシュリーさんが俺と組む感じなんですか? てっき下級ダンジョンを俺とアシュリーさんとリリアナさんの三人で分かれて回るのかと」
「それもありだけどね、カレンからイドのやり方でのレベル上げをよろしくともあったからね。ところであんた本当にまだ魔物を倒せてないのかい?」
薄ら唇に弧を描いてピンと背筋を伸ばしたアシュリーさんからは好奇心が垣間見える。俺ははいとやや気まずげに首肯した。
「そうかい。ま、あんま気にしなさんな。人間得手不得手はあるし、結果はともかく努力してみて何ぼだろ。少なくともイドは奮闘してるじゃないか。カレンが文句を言ってないからね。イドの頑張りは本物なんだろ」
「アシュリーさん……。ありがとうございます。今日からよろしくお願いします」
俺に同行のアシュリーさんとは反対に、支度を手伝ってくれただけで補充仕事は休みになったリリアナさんは喫茶店のメイドをして過ごすそうだ。
俺としてはまたカレンと組むまで僅かでも実力を上げておきたい。そう願い気合いを入れて本日の補充と鍛練に臨んだ……が、待ち受けていたのは想定外にも鬼のような連戦だった。
アシュリーさんはカレン以上の鬼教官だった。
武器も自在鞭だ。ビシバシって俺の尻を叩く……わけじゃないが、とにかく厳しっ!
余談だが、リリアナさんは弓が得物で、弓なら大きさや重さに関係なく何であれ使いこなせるという驚異の才能の持ち主であるらしい。
アシュリーさんは補充が済んだ後は索敵スキルを駆使して魔物を探し出し、逆に自らぶつかりに行って効率良く戦闘を重ねようって方針で、索敵のこんな使い方もあったのは盲点だった。
だがしかし、友情交渉は成功しない。魔物の攻撃を避けて何度と試しているうちに逃げられるのが落ち。
だがだがしかし、それがどうしたとアシュリーさんに尻を叩かれて(鞭で叩かれてはない)すぐに別の魔物を索敵して……失敗、を繰り返す。それらをみっちり閉場時間までやった。こっちは想定の範囲内で一度も成功しなかった。
くたくたになって事務所に戻ると、カレンは仕事を終えて先に帰ってしまっていた。
万全の体調で臨むためには休息をきちんと取らないといけないんだろう。
……喧嘩になるかもだし、俺と顔を合わせたくないからじゃあない、よな?
装備や備品置き場に見えるカレンの大きな鞄には、今日だけじゃ補充し切れなかったアイテムの素が入っている。
「やっぱり慎重にやってるんだろうね。早い時は一日で終わらせるってのに。カレンの実力を以てしてもそれだけ警戒が必要ってわけか。なるほど私らじゃ冗談抜きにサポートは愚か足手纏いにしかならなそうだ」
横に来たアシュリーさんがカレンの残り荷を見て心配そうにした。
例の未討伐の
そのコーデル上級ダンジョンは地上30階建ての白い塔だ。
階層は30階層。
だだ、1階部分はダンジョン全体の管理施設になっているのでダンジョンは2階から開始される。ゲートを入るとすぐに上り坂なんだそうだ。入ってすぐに下り坂の下級ダンジョンとは反対の造りだな。そして、塔の最上部が屋上庭園になっていてそこを加えての実質30階層ってわけだ。
俺のまだ見ぬ上級ダンジョン。異常事態にあるとは言えカレンの目にはどう映っているんだろう。
草臥れたように萎んだ荷物鞄を見ていたら、もう今朝のように責める気持ちにはなれなかった。俺はこの場にいないカレンの使い古された鞄をじっと見つめ、心の中で「お疲れ様」と呟いた。
『コーデルダンジョンに出てるクエストだけどよ、ジェードおめえちょっくら行ってサクッとカリッと倒してこいや』
『何で俺が? お前が行けよルル』
『ソルじゃ! わざとやってんだろそれ。つーか何で今や一介の質屋のオレが? おめえでいいだろ。それともあれか、もう農夫です俺は~ってんで抵抗あんのか?』
『抵抗はねえ。けどお前だって冒険者の端くれだろ。レベルだって十分だろ』
『端くれよりど真ん中にいたおめえがやれ、ものぐさ男。それ倒したらイドにも早く言え。喧嘩とか拒絶がどうした。初めはレイラさんにも散々足蹴にされてただろ?』
『……あー、その件には触れないで頂けませんかねー』
意外にも冷静な対応に、ソルライチはこれはマジな傷か……とそっと手を引いた。
――というやり取りの結果どういうわけか揃って上級ダンジョンに来ていたおっさん二人だが、何故か一週間近く通い詰めても目的の
自分の索敵スキルが衰えたのかもしれないと密かに互いに気にしているが、こいつの前では死んでもそんな弱気を見せないと互いに思ってもいた。
「ったく敵は犬系の奴だっつーし、おめえが何か変な臭いとか気でも発してるから姿現さねえんじゃねえの? ってジェード、おい聞いてんのか?」
「んあ?」
「んあじゃねえ」
そんなわけでこの日も一切微塵も一ミリも成果がなくダンジョンから切り上げた二人は、少々不貞腐れて大衆酒場で一杯引っ掛けている。何とも駄目駄目な大人たちだった。言っておくと前に割引券をもらった店だ。
「またイドのこと考えて呆けてんのかおめえは。あーもう気ぃ遣うのやめだやめ。おらこの件が終わったらマジにきっちり耳揃えて説明してこいこのぐだぐだ駄目親父が。そんなんならオレはオレの仕事すっからな。明日から一人でダンジョン行け」
「……耳揃えてって何か違くね?」
「バカがまともな指摘してくんな」
「ええ~単独じゃ寂しいだろ。イドのことはよ~今更どんな顔してどう説明すべきかわかんねえって思ったらそれ以上はもう何か無理で、世間話しかできねえんだよな……」
「おめえは何故か数年音沙汰なかった恋人に会う勇気の出ない乙女か」
「どんなダンジョンより難易度高えんだよおおおっ、なあイーラルッ、アドバイスをっ、何でもいいからアドバイスくれよおおおうっ!」
「知るかあああっ!」
今夜もジェードとソルライチは埒の明かない会話を繰り広げていた。
「はあー、おめえがいつまでもこんな泣き言と言い訳で先延ばしすんならやっぱオレが話してくるか。それこそ何か起きる前にな」
「……っ、――いや、そこは俺が話す」
ジェードは思いの外真剣な顔でしかと友人へと頷いてみせる。
「キメ顔作ってる暇あんなら今すぐ行けおら! ソッコー帰って話あるっつってゲロッちまえクソ弱虫が!」
「それは無理だってえええ! 親父と話?何それ時間にカビ生えるから無理とか無表情で言われたら……いやむしろ親父?何それ寄生虫ああ違うかゴミ虫の一種だっけ?とか言われたら死ぬ! 心がっっ!」
「……だったらいい加減どっか宿取れよ」
息子の部屋に押し掛け図々しくも居座っているのを実は気にしていたのかとソルライチは超絶驚いた。こいつにそんな神経は皆無と思っていたのだ。
「ふー。イドはんなこと言わねえだろ…………あーいや、おめえ限定で言うかも?」
「だっろおおおおお!!」
端から見ると騒々しい迷惑酔っぱらいたちの戯れにしか見えないが、彼らは現在王都にいる冒険者の中では抜きん出た存在だ。
「しっかし何で出てこねえんだろうな。おめえも
「はあ? 髪の毛は関係ねえだろ。まあ近いうち誰かが討伐するんじゃねえ? まっ俺ももう体が鈍って鈍って激しい戦闘とか多分無理だしちょうど良かった」
酒の肴を片手のフォークで突っつきながら器用に耳をほじるジェードが
「ならオレだって運動不足で土台無理だし?」
同じく肴をフォークで口に運んだソルライチが口をもごもごさせる。一応ダンジョンに通い詰めていたとは言え、二人共イドが聞いていたなら激怒するだろう冒険者の風上にも置けない発言だ。
――刹那。
ギィィィィィン、と甲高い金属音がしてジェードの耳のすぐ横にソルライチがフォークの先を突き付けていた。
二人を起点として生じた空気の揺らぎが店内の床のホコリを同心円に軽く浮かせた。
周囲は音に驚いて何事かと二人を振り返り困惑にざわついた。フォーク一つでこんな極めて鋭い音が出るとは思ってもみないのだ。しかし誰もが視認するのは打ち合わされたフォーク。まさかフォークでと重ねてぎょっとした。
「ははっ何だよ鈍ってねえじゃんジェード君は~。頸動脈狙ったんだぜ?」
「けっ、そっちこそなイーラル」
ソルライチの目にも止まらぬフォーク攻撃を防いだのもこれまたジェードのフォークだった。
のっそりした動作で互いの柄にめり込んだフォークを外して何事もなかった様子で席に落ち着いた二人は、その後は静かに酒を嗜んだ。変形したフォーク代は皿の傍に置いたので後で従業員が気付くだろう。
――なあ、あれって元勇者じゃないか?
――だよなあやっぱ。俺見たことあるしジェードって呼ばれてたから本人だよ。ここんとこ元勇者を見掛けたって話をちらほら聞くが、噂は本当だったな。
――ところで、一緒にいるのは誰だ?
――さあ? 勇者パーティーにハゲてる奴なんていたっけ?
――いなかったよな。ふさふさボンバーならいたけどな。
「……ッぺぺ!」
「ぅおわきったね! 急に何だってんだ、こっちに唾掛けてくんなイーラル!」
――元勇者がこの街にいるんならイレギュラーも安心じゃない?
――だよな。
目撃者増加で噂は信憑性を持って加速していく。
上級ダンジョンの補充再開から丸三日が過ぎた。
宝箱が満ちアイテム取得で優位に戦える状況下になってからでさえ、まだ
塔という限定された空間と決して魔物の強さとしては超高レベルでもないこのクエストに十日もかかっているのは、同程度のクエスト達成までの平均日数二日を鑑みるにかなり遅い方だと思う。
それでも今日こそはと思えば、ここ数日特にこの王都を包むピリピリした緊張感にも耐えられる気がする。
上級ダンジョンのクエスト達成が滞っているせいで実力が及ばすクエストを受けられない王都の低級から中級冒険者の中には、一流たちは何をもたもたしてるんだって苛立っている者もちらほら出始めていた。
圧倒的に敵わないから直接本人たちには言えないでいるようたが、稼ぎにもレベリングにも影響しているって現状が余計にその不満を招いているんだろう。王都がメインの冒険者にとっちゃ死活問題だからな。
加えて、およそ王都の七割八割の冒険者たちが動けないと、食堂やら酒場やらアイテム関連の業種なんかも連座で停滞するってわけで、王都の活気は目に見えて半減していた。
そんな空気を肌で感じるだけでその手の苛立ちとは無縁な俺は俺でここ三日、カレンとも顔を合わせている時間も大してないままアシュリーさんと組んで下級ダンジョンの日々を送っていた。
「ぐぉめぇんぬあああーーーーっ!」
アシュリーさんと組んで通算四日目。
俺はごめんなと言いつつも棍棒を力任せに思い切り振り抜いた。数匹の魔犬が纏めて吹っ飛んでいってキャイ~ンと痛そうに鳴いた。鳴いただけで生きている。そこですかさず俺は逃走を試みる。まだ遠くには他にも魔犬が七、八匹いたが距離のおかげかあっさり成功した。
あいつらには友情交渉を粘ったが二十回失敗して諦める事にしたんだ。こっちには補充予定がまだあって、故に進みながら次の魔物に期待しようってわけだ。
最初こそ補充後に鍛練って流れだったが、どうせなら進みながら途中でやっていこうってやり方になった。
俺とは違ってアシュリーさんは彼女の近くに来た魔物は得意の鞭で一撃必殺と引き裂いて結晶化させていた。例外なく初撃で倒しているから俺に共闘経験値のおこぼれはない。今日までのところ友情交渉も全敗だ。だから俺のレベルは変わっていない。
「さっきのといい、また群れでしたよね」
「そのようだね。ここたったの三日四日で何度大群に遭遇したかもう忘れたよ。ああいう十前後の群れは珍しいってのに」
「下級ダンジョンの方にも何か異常が現れてるんでしょうか。ギルドの方からは何も情報は来てないですが。あ、少し先に魔物がいますから」
「了解。にしても異常、ねえ……」
見えた魔物へと身構え駆け出す俺の懸念に、余裕で構えもしないアシュリーさんは難しい顔になる。上級の方とは深刻度が違うが俄かにここも騒がしくなっているのは彼女も肌で感じているんだろう。
俺たちに気付いて向かってくる
「頼む! 戦いを止めよう! 俺はお前と争いたくない!」
――ゴガアアアアッ!
しかし、何言っとんじゃボケェッてキレる感じで予想通りに泥巨人は攻撃をしてきた。ぶっとい腕が振り回され、俺は咄嗟に後方に跳んで当たればかなり痛いだろう硬い腕を回避する。スレスレを腕が通過する……はずが、目測を誤って胴鎧に僅かにだが接触してしまった。
前のボロボロだったのを中古だが買い替えて、それ程経っていない代物だ。あーくそへっこむくらいはするかもなあ。
次の瞬間、パキリと胸辺りから不穏な音がして、鎧が砕け散った。
「なっ――!?」
嘘だろ、まさかこんなに早く限界が!?
欠片が地面に落ち俺は弾みでよろけたが、素早く体勢を直してその場から更に飛び退いた。直後、ゴーレムの重量級の拳がそこを直撃、ゴウウウゥゥ……ゥンと足元を揺らす振動と鼓膜を震わす轟音が上がった。
「……っぶねー!」
胴鎧は硬い拳の下敷きだ。
ああ俺の防具があぁ~……なんて悲しんでいる暇はない。
予期しない出来事に動揺した俺を心配してくれたのか、アシュリーさんはいつもなら暫くは手を出さない俺と魔物との対決にさっさと蹴りを付けた。
振り下ろされたゴーレムの腕を足場に利用しその頭上まで駆け上がると、その脳天に力強い自在鞭が炸裂、ゴーレムの上から下までを豪快に破壊した。
思わず呆気としてしまう程にカレンとはまた違った凄さがあった。
魔物は一体だけだったので通路は静かになる。
「あーらら、壊れちゃったねえ」
「はー。中古ですが買ってまだそんなに経ってないってのに、どうして……」
ソルさんが見立てを誤ったとも不良品を売り付けたとも思わない。
元が金属なのが疑わしいくらいにぺしゃんこに潰れた残骸を拾う俺の心は、壊れた驚きと衝撃以上に、引っ越す友との別れにも似た寂しさとこれまで共にあった日々への感謝で満ちる。
「あはっ、どうしてって、そりゃあイドがかなりとち狂ったように鍛練してきたからだろうに」
「とち狂った……て、そ、そこまでじゃあないですよ俺」
「壊れたのは度を超した蓄積ダメージのせいさ。こんな短期間に壊れるなんて尋常じゃあないよ」
「あ……はは」
「あんたはあんたのレベルアップの筋を通すために、傍で見ていても恐ろしいくらいに敵から何度も攻撃を食らって、それでもめげずに友情交渉を続けてきた」
要は、とアシュリーさんはにっと口角を持ち上げる。
「イドがめっちゃんこ頑張った証左だね」
「え……っ」
手放しで褒められて本気で感激した。なるほどそうかと納得もした。
「さてと、防具もそんなだし、今日はここまでにして帰ろうか。残りは少しだけだから明日に回しても問題はないさ。私がやっておくから安心しな」
「はい……って、え?」
「明日は新しい鎧を買っといで。防御が心許ないと仕事に集中できないだろ。マスターには私から言っておくから遠慮しないでいい防具を買ってきな。これ、先輩命令ね」
アシュリーさんが自身の得物である自在鞭を肩に乗せてトントンと肩を叩きながらそう言った。
俺は胴鎧の欠片を見下ろして、申し訳なさを感じつつもアシュリーさんがそう言ってくれるならと少し軽くなった心地で彼女の言葉に甘える事に決めた。
「そうさせてもらいます。ありがとうございます、アシュリーさん」
彼女は満足そうに微笑むと、帰り道へと爪先を向けて歩き出した。俺がこんななので一応安全第一って方針で索敵をして魔物は避けた。
「そういやカレン、少し痩せたようだったね」
「あー、朝は顔色も良くなかったですよね。一日だけでも休めばいいんですが……」
カレンは連日上級ダンジョン業務で休みがない……というより俺や皆が止めても休もうとしない。ウォリアーノさんは自分が行くから休むようにって再三言ったのにカレンは聞かなかった。むしろ二手に分かれてやれば効率が良いと言い出す始末。
今日も朝一で出勤していたし、上級ダンジョンの方は閉場時間が取り払われているからか昨日は帰りが一番遅かった。補充がやや追い付いていない現状に焦りと責任を感じているんだろう。クエスト目的の一流冒険者たちは得てしてダンジョンでのアイテム取得が安全向上の一つと心得ているので取り零したりはしないからだ。
「今日もウォリアーノさんが同行してくれてますし、少し楽になればいいんですが」
「一流たちが早いとこ討伐してくれりゃねえ」
同感。それが一番の解決方法だ。
「はあ、称号持ちがいれば不安はないんだけどねえ」
「……です、ね」
思わず居堪まれなくなって足元に視線を落とす俺を見て、アシュリーさんはしまったと気まずげな面持ちになった。俺が誰の息子かを失念していたんだろう。
「ああっと、悪いねイド、他意はないんだよ」
「はは、わかってます」
ここのところ、とある噂が流れていた。
――王都に元勇者がいる、と。
大衆食堂や酒場で目撃した人がちらほらいるらしい。まあ、親父は目立つからな。
だから最近は俺の素性を知る相手からの視線に居心地の悪い思いをしていた。
従兄のダイスから親父が来ているのかを頻繁に問われて辟易だって文句を言われたのは記憶に新しい。
俺は曖昧にして教えなかったからラルークス家の人間は親父の滞在を知らないが、俺はそれが事実なのをよく知っている。
何とまだターゲットに遭遇してすらいない事も。
アシュリーさんもその辺の事情は把握していた。
外に出ると西の空低くに太陽が見えて、閉場の鐘が鳴るまではあと僅かな夕空だった。
存外上まで戻るのにアシュリーさんとのらくら歩き過ぎたのかも。色々と話が盛り上がったからなあ。
ダンジョンを後にする俺は、夕空に暗く高い影になって聳える塔を振り仰ぐ。
「カレン……無茶するなよ」
彼女があそこで頑張っているんだと思うと、微かな焦燥と共に自然と気が引き締まった。
事務所に戻ると予想通りカレンもウォリアーノさんもまだで、今日はマスター不在で喫茶店は開けていないので事務所で掃除やら書類仕事に専念していたリリアナさんが俺たちを労い迎えてくれた。
装備を片付けたらアシュリーさんたちと何か飲んで人心地つこうかなんて考えていると、アシュリーさんは素早く帰り支度を整えて玄関先に向かうおうとするところだった。
「もう帰るんですか?」
「ああ、お先するよ。イドはまだ帰らないのかい?」
「はい、まだちょっと」
「そうかい。んじゃ悪いけどマスターとカレンによろしく言っといてくれ。久々に飲みに行くつもりだからさ。それじゃあね」
「あ、はい」
アシュリーさんの「飲みに行く」はその実酒場での情報収集らしい。彼女の出ていく背中を見送っていると横に来たリリアナさんがそう教えてくれた。
「イー君はカレンちゃんを待ってるんでしょう?」
「あーまあ実は。さすがに休めって一言言っておこうと思いまして」
「そっか。ふふっイー君は優しい男の子だねえ」
「べ、別に優しいわけじゃないですって」
リリアナさんは更にふふふと意味深に笑う。はあ、彼女にはお見通しだな。
だってカレンの疲労はそろそろピークだ。見ていて危うい。今日もウォリアーノさんが同行してくれているとは言え万一ダンジョン内で倒れたら大変だ。
「カレンだけが強く思い詰める必要なんてないのに……」
「うん、そうだねえ。それじゃあ相棒のイー君からきっちりお説教してあげないとね?」
お説教するなんて言うと少し偉そうだが、俺はリリアナさんの言葉に素直に頷いていた。カレンの相棒と言ってもらえたのが嬉しかった。
その後暫く待ったが二人は帰って来ず、リリアナさんは何か用事があるらしく先に帰った。……きっとデートだな。
誰もいない静かな事務所内。馴染んだ空気ってのは何だか眠気を誘う。仕事や戦闘の程よい疲れもあってか、業務日誌をパラパラと捲って眺めていた俺は徐々に机に突っ伏していって眠りの淵に誘われた。
心配させるなよな、カレン。
そして、カヤも……。
意識の向こうにどこかの青空と白く長い髪が揺れていた。
睡魔が脳裏に引き連れてきたいつかの記憶。
カヤが泣いていた。
俺の手をしっかりと繋いで。こっちを見つめて。赤い瞳から零れ落ちる涙がああ綺麗だなって思ったっけ。
あれはいつどこでだったんだろう。
親父たちもいた現実とは切り離されていた……ような気もする。
どうして泣いていた?
大怪我をして目覚めた時は親父と違って泣いてはいなかったのに。
なあカヤ、俺は昔君を泣かせたよな?
――泣かせた、です。
夢の中に声が降る。夢だからだと不思議とそれを受け入れて問い掛けを続けた。
やっぱりか。ごめんな。ただ理由を覚えてないんだが、知ってるか?
――イドは、悪くないです。
ふうん、そうなんだ? で、理由って?
――……。
それきりカヤの声はふつりと途切れてしまった。
だがまだそこにいるような気配がする。俺が理由を覚えてなかったから怒ったのか?
俺は何とか思い出そうと気張ったが、古びた映像は途切れ途切れで繋がらない。俺のポンコツな記憶から何かを新たに思い出す事はできなかった。
眠りがより深みに没入していく。
「……イド」
赤毛の少年が眠り込む事務所内で、白髪の少女は彼の傍らに佇んで手を伸ばす。彼女の声にも少年は重い瞼を持ち上げない。すっかり寝入っているようだ。
華奢な白い指先は明確な意思で以て少年へと触れようとした。
あたかも触れてしまえば全てが変わるようなそんな緊張感すら漂わせ、近付く指先は微かに震えた。
あと3㎝、2㎝、1㎝――――……
「――ただいま~。はあ~今日も神経すり減ったあぁ~」
唐突に事務所の玄関が開かれた。
「なら今日は早く寝なさい。いいねカレン?」
入ってきたのはカレンとウォリアーノだ。
「はぁい……――え?」
「おっと、急に立ち止まってどうしたん――」
二人は黙った。ある一点を見つめる。
物音にも起きずに机で眠る少年の、その少し横の空間を。
「気のせい、かしら……?」
カレンは怪訝にしていたが、ウォリアーノは眼鏡の奥の目を僅かに細めた。
もうそこには何者もいなかった。
「――イド、イドってば風邪引くわよ」
「んー……」
「ほら起きなさいよ。疲れてるのはわかるけど頑張って家まで帰りなさいよね」
「カレ……ン?」
何度か肩を揺すられた俺が目を覚ますと、カレンはやれやれと嘆息して奥の方に歩いていく。リリアナさんが帰宅してからどれくらい経ったのか、俺はまだ少しぼんやりする頭を起こして彼女の姿を目で追った。
仕事の装備を身につけているから帰って来たばっかりか。
「ぁふっ、お帰りカレン」
「ハイハイ、ただいま」
背中でのぞんざいな返しに思わずにやけてしまった。普通に話をしているのが久しぶりで変な感じだったせいだ。
伸びと欠伸をしているとカレンと入れ違うように奥からウォリアーノさんが出てきた。一足先に装備を置いてきたんだろう。
「お疲れ様ですウォリアーノさん」
「ああ、起きたようだね。イド君もご苦労様。他の二人は帰ったのか。イド君はどうしてまだ?」
「どうせ疲れて寝ちゃったんでしょ。何も掛けないで寝てうっかり風邪なんて引かないでよ?」
答える前にカレンの声だけが飛んできた。そこはまあ否定しないが。ウォリアーノさんは微苦笑した。
「ああえっと、明日アシュリーさんからも言われるとは思いますが、明日は俺休みにして頂きたくて。アシュリーさんは気兼ねしないで休むよう言ってくれたんですが、俺としてはやっぱり自分でウォリアーノさんの許可を頂きたくて」
「何だ、アシュリーが良いと言ったんなら本当に気にしなくて良かったのに。うちは結構ユルい会社なんだし。ふふ、イド君は律儀というか、きちんとしているね」
「ええー……?」
親父のテキトーさに比べたら真面目だが、感心されるのも違う気がする。ウォリアーノさんも親父世代だろうし、その世代って皆こうなのか?
「それとあと実は、カレンのことでもウォリアーノさんにお願いと言うか許可を頂きたいことがありまして。カレン本人にも話がありましたし、それで待ってました」
「私にお願い? 何だい?」
「え、あたしにも用事だったの? 明日じゃ駄目だったの?」
向こうで話を聞いていたカレンが意外そうな声を投げてきた。……明日じゃ今日残った意味がないんだよ。
俺は背筋を正す。
「ウォリアーノさん、明日はカレンを休みにしてやって下さい。お願いします」
「はあ? あなた勝手に何を言ってるのよ! あたしはあたしの仕事があるの」
案の定カレンは抗議してきた。奥に行ったばかりだったのに素早く荷物を置いて戻ってきたらしい。
「あたしは休まないわよ。疲れてなんてないし」
「そんな目の下にクマを作って言われてもなー。ワーカホリックって言葉知ってるか?」
「……っ、最低! ひっ人の顔をジロジロ見るのがあなたの趣味なわけ!?」
「は、ジロジロ見なくても一目でわかるくらいの酷さなんだよ。毎朝鏡見ないのか? 普通女子って身嗜みとか見た目気にするだろ?」
「なっ……!」
俺の知る限り村の女子たちはそうだった。こっちに出てきてからもオシャレな装備を優先的に選んでいたり、ライトアーマー着用でも仲間に少しでも可愛く見せようとしている女性冒険者を見かけた事がある。
「鏡くらいは、見てる、わよ。……ええそうよ、あたしだってクマがあるの自覚してるわよ! でもだから何!? 仕事はできるわ!」
逆ギレしたカレンから睨まれて俺は眉間を寄せた。ウォリアーノさんは喧嘩を始めた俺たちを困ったように眺めている。仲裁に入るべきか、そもそも入れるのか判断がつかないのかもしれない。
「怒るなよ。俺はただ、カレンが心配で……」
「イドなんかに心配される程あたしはヤワじゃないわよっ」
ふん、と腕を組んでそっぽを向かれた。
俺は、カチーン。
だが堪えろ俺、ここで俺までキレたら駄目だ。
伝えたい気持ちを率直に言葉にすべきだろ。
「確かにダンジョンの現状は不安だし気にはなる。体の疲労だってポーションとか回復魔法でなくなる。だがな、気持ちの疲れは気分転換でもしないと取れないって俺は思う。意識の良し悪しが仕事効率にだって影響するだろうしな」
「だから休めって? あたしがボカをやらかす前に」
「ボカって、そうじゃない」
「なら何が言いたいのよ?」
カレンの声は明らかに刺々しい。俺の言葉が要領を得ないからだろう。その通りだ。簡潔に言おう。
「カレン頼む、――明日俺と付き合ってくれ!」
「…………え?」
カレンは絶句すると顔面を見る間に真っ赤にした。
え、何、怒った?
ウォリアーノさんが張り切ったようにポンと俺とカレンの肩に手を置く。
「よし、明日はイド君もカレンもオフだ。ダンジョンの方は私たちに任せなさい。息抜きもかねて二人でデートを存分に楽しんでくるといい」
「へ? ウォリアーノさん? デートって?」
「ちょっ、マスターッ!!」
抗議の声を上げるカレンの傍で、俺は流れが飲み込めずに直前までの自分の言動を思い返してみる。
『カレン、明日俺と付き合ってくれ!』
ん?
『俺と付き合ってくれ!』
あ?
お、れ、と。
――あっ!?
「いやっ、誤解だ! 俺と、じゃなくて、俺に、だ! 俺に付き合ってくれって言いたかったんだよ!」
瞬間、殺気をもろに食らった。カレンから。
「……乙女心を弄んだわけ?」
地を這うように声は低い。
「やっ、違っ、ただ一緒に買い物に付き合ってほしいんだって……ぎゃあああっ、ギブだってギブッ、ギブーーーーッ!」
はい、カレンにシメられて俺はもう一回寝た。
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