12 王都警報発令
ダンジョンの数階層に一つの割合で現れる広場で俺とカレンは昼食を摂っていた。
手持ちの素が無くなったタイミングと被れば、ダンジョンを出て王都の飲食店で済ませる日もあるが、大抵は昼食も時には早めの夕食も携帯しダンジョン内でさらりと済ませる方が多い。
もぐもぐとカレンが横で咀嚼する音を聞きながら、俺自身もごっくんと自分の嚥下音を立てて次の一口へと移行する。
こうしてカレンと食事を共にするようになって一つ意外だったのは、彼女が細い見た目に反して良く食べる子だった点だ。思えばよくおやつを食べていたっけな。ぱくぱくと美味しそうに食べる姿は見ていて飽きない。
俺が興味深く見ているのに気付いてか、それまでもりもり食べていたカレンは狼狽のようなものを浮かべた。
「ぼっ冒険者やってるとエネルギー消費半端ないでしょ!」
彼女も普通女子の食事量は心得ているらしく、自身の食欲旺盛さを恥じらうようにそっぽを向く。ややあってチロリと視線だけを寄越す。
「…………やっぱり、大食いは駄目とか思ってる?」
は? 急に弱気になんの!?
……何だよそのギャップは。反則だろ。あーもー何だろうなこれ、どこかむず痒くてにやけそうになる。
「いや、駄目とか全然ないし。そこは俺だって同じなんだし、変に気にされると逆に気まずいからいつも通りにしてくれよな」
「……そう? なら遠慮なく」
気を取り直した彼女はパンに肉と野菜を挟んだだけの簡素な昼食にパク付いた。こういう部分でカレンって素直だよな。
バーガー一つにかぶり付くだけでも不思議と所作は洗練されている。
「カレンって食事の仕方とか綺麗だよな」
「こっ今度はいきなり何よ」
まじまじと見つめていたのが悪かったのか、カレンは食べる姿を俺から隠すように背を向けてしまった。
「実は良いとこの出だったり?」
まさかまさかの身分を隠した王女様とか?
ま、それはないか。現コーデル国王には確かに王女が一人いるが年齢は俺たちよりだいぶ上らしい。
しかももう何年と人前に姿を見せてないって話だ。
ならどこかの貴族の令嬢とか?
なーんて、普通やんごとないお家の方々は娘に危険と隣り合わせの冒険者をやらせたりはしない。蝶よ花よと深窓で大切に育てるに決まっている。
カレンの方を見つめながらつらつらと考えていたら、最後の一口を飲み下してこっちを向いた。
「母親が
思い出したのかカレンはうんざりしたような顔をした。
「で、性に合わなくて半ば家出同然で逃げ回って友達と冒険者してたんだけど、あの前に話したイレギュラー事件後、あたしは余計に地元には居られなくて王都に来たの」
「……カレンも家出なんてするんだな」
「まあ、昔は今より考えなしだったし。そう言うイドはどうなの?」
「ぉ俺?」
いきなり水を向けられて挙動不審になりながらも気まずげに答えた。
進路問題で親父と揉めた末の家出だと。
「イドのお父さんって、勇者だったのよね?」
「……やっぱ知ってるよな」
「まあ名前で……。事務所の皆も知ってるけどお父さんはお父さんイドはイドだし、その点はあたしも皆も気にしてないわよ」
もしかしたらと薄々思ってはいたが、親父の件を知っていた。だがダイスたちのようにその事実を引き合いに出して心ない言葉を投げてくるなんてせず、俺自身をきちんと見てくれている。……そういやダイスたちはどうしているだろうか。いや、どうでもいいか。
俺はいい相棒のみならず、いい仲間にも恵まれた。
それぞれがそれぞれ個性豊かで、巷のパーティー編成を見てもこんな濃い集まりは中々お見かけしない。
「それにしても家出する気概はあったのね。まあ、冒険者無理なんて決めつけられたら無理もないかも」
共感の意を示してくれるカレンはからからとしている。
「――イドは、結構冒険者に向いてるんじゃない?」
「え……?」
「あなたくらい熱心で真面目な冒険者はそういないわよ。……最初は決めつけて勝手に酷いこと言って悪かったと思うわ」
……きっと彼女にとっては何気ない言葉。
だが、俺は初めて救われた心地がした。
今までの足掻きは無駄じゃなかった。
俺は、冒険者でいていいんだと認めてもらえた。
「ありがとうな、カレン」
思わず小さな子供に戻った気分で破顔したら、カレンは咽に物でも詰まったみたいな変な顔をした。咳払いをしていたが。
親父と話してみようかという気持ちが湧いた。
今なら何を言われても、俺の芯は揺らがない。
どことも知れない闇の中、一体の魔物が咆哮を上げた。
「くくはっ、まさかわらわにも予期せぬイレギュラーが生まれるとはのぅ。反乱分子ら愚かな者共が連れて来られるのはまだ先と言うのに。能力も中々じゃし、ふふは、まさにイレギュラーに相応しいのぅ」
くくはははは、くはははは、と魔物の前で白布の女は嗤う。どこか無邪気ささえ含ませて。
「よもや、あ奴の影響ではあるまいな?」
女の美しい囁きに、誕生間もない魔物は状況がわからず戸惑った様子でいたが、周囲にこびり付いている血生臭さにビクビクと赤い眼に怯えを露わにしていた。
魔物は体の生存機能が人間や動物とは根本が異なるだけで、必ずしも残酷を嗜好するだけの存在ではないのだと、この様子を見れば悟る者もあるだろう。
しかし、この場は向こうの見えない闇しかない。
不穏の女しかいない。悟る者など皆無。
「まあ良い、お前も存分に楽しんで来るが良い」
女はそう言うと手を伸ばして魔物の頭を撫でる。手首から伸びる鎖がシャラリと重そうな音を立てた。
触れる女の手、魔物はそれには怯えた様子はなく、むしろ赤眼を細め甘えるように体を擦り寄せる。
女の手が離れると魔物はテレポートした。
その日ダンジョンにはまた新たな混乱の種が撒かれた。
「――アルジュ、もうやめた方がいい」
魔物を送って佇む背中に少女の声が掛かった。
広い空間に可憐な声が反響する。
女は億劫そうに振り返った。驚きはない。声の相手が既にそこに居たのに気付いていて敢えて構わずにいたのだ。声の相手の方も魔物との一連を無感動にただ見つめていただけだった。
足音がひたひたと闇を進んで女のすぐ傍まで近付く。
現れたのは闇に浮かび上がるように真っ白い少女。
髪も肌も闇には決して惑わない純白の雪のようだ。
しかし一対の眼だけは様相が違う。
時に禍々しいとさえ例えられる深紅の瞳。
そしてそれは闇の女とも共通する特徴だった。
女の髪も白く、瞳は赤い。
唯一、肌だけは褐色と異なるが。
並んで立つと少女と妙齢の女性というような年齢差は見られるが、両者の容貌はそれぞれが息を呑む程の美を有している。
「カヤールか、久しいの。お主とは覇王様が身罷られて以来だったかのぅ、直接面と向かうのは。で、何用じゃ?」
「アルジュ、このまま無理を重ねれば、あなたの力が尽きてしまうです。何のためにこんなことを?」
少女のこだまが闇に吸い込まれるように消えた頃、ようやく女は口を開いて声を低めた。
「憎きこの地の人間共を滅ぼすためじゃ。そのためなら我が身がどうなろうと、消えようと構わぬ」
「憎い……? 矛盾しているです。この地の発展を見るに、あなたは人間を愛していたはず……」
「――そうじゃ、愛していた。じゃがもうどうでもよいわ」
「……嫌ならどうして未だここに留まり、守護し、力を提供しているです?」
突如、怒濤のように哄笑が上がった。
嗤いながら女は器用にも不愉快な言葉でも聞いたように顔を歪める。
「カヤール、わらわが好きでここにいるとでも?」
「どういう、意味?」
「この鎖が何かわかるか?」
女は両手首両足首から伸びる鎖を鳴らしてみせる。少女はじっとそれを見た。
「それは、昔よく使っていた……アルジュの性癖」
「わらわ自身に着ける趣味はない!」
「……ならそれは、契約の
「左様」
少女は怪訝そうに小首を傾げる。
「つまり、アルジュはその血筋と契約したです?」
「その通りじゃ。よかれと思うて契約したが、まんまと利用され続ける羽目になった! 人間を憎む理由がこれでわかったろう?」
「ん。けどアルジュ、駄目です。このままはいけないです。あなた自身を犠牲にするのは間違ってる。うちが現在の楔の契約者を連れて来れば――」
「――それこそ余計な世話ぞ!」
女はいきり立ち少女を睨み付けた。
「わらわが始めた愚かな選択の始末はわらわ自身が着けねばならぬ。お主に口を出される筋合いはない」
その眼差しは異質なまでに仄暗い。
「アルジュ!」
食い下がる少女の顔を見た女は一瞬心底意外そうに険しさを消したものの、すぐにくはははっと嘲るような笑声を吐き捨てた。
「よもやお主のそのような顔を見ようとはのぅ……。お主は先の魔物があの赤髪の少年を殺しても、まだ同じようにわらわを案じるのか? のぅ、カヤール?」
「何を、急に……。彼は関係ない。何も知らない。人間の命は短い。うちは彼には普通に生きてほしい。だから彼には手を出さないで」
「くふっ、大事なのじゃな。あの少年を見るに、お主はわらわよりも余程大胆で馬鹿げたことをしたようじゃしのぅ。……だがそれで平穏を乞うとはおかしな真似をする。経緯は知らぬが死んでいれば少年とてああも屈辱と苦労を味わわなかったろうにのぅ」
「……」
「わらわはここから動けぬが、愚かにもダンジョンに入ってきた人間を屠るくらいはできようぞ?」
「イドに手を出すなら、あなたでも絶対に容赦しない」
「ほう? 人間のためにわらわと干戈を交えるつもりか? 同胞にすら無関心だったお主が?」
カラコロとしながらも女は少し意地悪そうに笑う。
「お主がこうもムキになるとはのぅ。はは、くはは、いつか秘密が露見した暁にはきっとあの少年はお主を嫌悪し憎み忌避さえしよう。ああいや、欺かれ利用されるかもしれぬ。わらわたちの莫大な力は矮小な人間の欲を掻き立てるには十分過ぎるからのぅ。カヤールはその時になってもまだ同じように擁護する言葉を言えるのか?」
笑いが止まらないのか肩を震わせさえする女へと、少女はいつもの冷めた目を向ける。
「彼はそうならない。アルジュの相手とは違う」
刹那、少女の白髪が勢いよく弾かれた。白髪は扇のように華奢な肩の後ろで広がりバタバタとローブの裾は激しくはためく。
天井の見えない暗闇だが確実に天井が存在する証拠としてそれの欠片なのか細かな石がパラパラと落ちてくる。
そのくらい強烈な殺気だったが、少女は顔色一つ変えずにいた。
女はこの上なく憤った鬼のような形相で頭を抱えた。
「アーネストは違う、決して! わらわを裏切ったりはせぬ。アーネストは……いや違う裏切った、愛していると言っておきながら会いにも来ずこんな場所にわらわを……っ。決して彼には愛などなかった……っ。騙されていたのじゃ。最初からこうするつもりで……はは、あははははいやあれは愛だった、彼は真摯にわらわを愛していた! なのに彼はっ……ううぅぅぅ……くい、憎い……!」
女はかぶりを振って自らの顔を覆って「人間は憎い憎い憎い嫌い嫌い憎い」と繰り返し主張する。暫くの間、歪な独り言が続いた。
少女は冷静な目で黙ってその様子を見つめていたが、延々と続きそうな雰囲気にとうとう会話を諦めたのか小さく嘆息した。
「アルジュ、また来るです。うちは必要がない限り敵対はしない。面倒」
そう言って踵を返そうとした矢先、ぽつりと声が投げ掛けられる。あたかも刹那に保った正気のように。
「カヤール、当事者は無知ではいられぬぞ」
一瞬動きを止めただけで、少女は何も聞かなかったように背を向ける。白髪が精巧に計算された演出のように闇に鮮やかに翻った。
この日はサクサクと仕事をこなせて、俺とカレンは当初の予定よりもかなり早くダンジョンを出た。
空の個数が減ればそれだけ宝箱たちもバウバウと群れで押し寄せては来ないし、俺の精神衛生的には少し助かっている。
補充する宝箱がないので俺たちの本日の仕事は終了。事務所に戻ったら上級ダンジョン担当のリリアナさんとアシュリーさんも一足先に戻っていて、この日は喫茶店マスターに従事していたウォリアーノさんの提案で飲み物と甘い物を囲んで皆でほっと一息ついた。
事務所を出た頃にはまだほんのちょっと夕方には早い遅い午後時。
今日は帰宅するのねなんてアシュリーさんたちからはやや意外そうにされつつ、カレンの言葉で不思議と温かな自信のようなものに満たされて家に帰った俺は、親父が不在なのを悟った。
「また飲みにでも行ってるのか? 何でこうタイミング悪いんだよ。人が折角……」
完全に出鼻を挫かれた気分で嘆息する。
それとも、もう知らんと放り出して田舎に帰ったんだろうか。俺に一言も言わずに。
……って、いやそれはないな。自分の用事が済むまでは相手の都合なんて考えもせずぐいぐい来るのが親父の長所であり短所でもある。
「酔ってそこらに転がってないといいが……」
そこは親父の帰巣本能に期待しよう。……いや、うーん、やっぱ捜しに行くべきか? 元勇者、泥酔してドブで死んでましたなんてなったら目も当てられない。
「はー。わざわざ王都にまで来ておいて心配させるなよ」
何だかんだで喧嘩しても結局は心配になるのが家族ってやつだ。反面、そうやって案じてしまうのが悔しくて小さな憤りを抱かずにはいられなかったが。ま、捜しに行くにしても一先ずは座って落ち着きたい。
フードマントを脱いで壁に掛けた俺は部屋中央のテーブルにあった紙切れに気付いて手に取った。
「何だこれ。落書きか?」
黒いインクで文字のようなものが安いざら紙の上に書かれているのはわかるが、それが本当に文字なのかは怪しかった。魚拓よろしく新種の寄生虫を転写したんじゃない事を祈ろう。気持ち悪くて捨てたくなる。
ん? ……そう言えば親父は壊滅的に字が下手くそだった。
以上を鑑みてこれは置き手紙だろうとの結論を得た。
「うーんと何なに? 塔って文字かこれ? あとダンジョンって書いてあるのかこっちは。で、最後は……行く?」
辛うじて解読すれば、そんな風な単語が読み取れた。
塔のダンジョンと言えばコーデル上級ダンジョンだ。
そこに行く?
冒険者としてダンジョンに行ったって事か?
「は、親父が行ったってつまんないだろ」
あそこは高くてもレベル40までしか出ない。
勇者を辞めてどの程度現役時の強さを維持できているかは知らないが落ちているにしても然程じゃないだろう。親父からするとレベルが違い過ぎて手応えすら感じないに違いない。
ところでいつ出向いたんだ? 少なくとも閉場時間を過ぎても帰らないなんて事はないだろうが。
「んじゃまあ、話をするのはそれからでも構わないか」
しばらくすれば帰ってくるだろう。そう思ったら気が抜けたのか眠気を感じた。
今日は早々と寝支度を整えておくのも悪くないと、中庭の共同水場で頭から水を被って大雑把に体を洗いあとは手早く乾かすとベッドにぽふりと倒れ込む。事務所で色々と賄いよろしくご馳走になったから腹は膨れている。
「帰ってくるまで一寝しとこう……」
誰もいない部屋の中、何だか満たされた心地で眠りについた。
だが、世界は良い事ばかりに満ちてはいないのだ。
――日が落ちてまもなく、突如として王都全域に鳴り響いたけたたましい警報音で俺は目を覚ました、と言うか飛び起きた。
「え、何事だ!?」
慌てて部屋のランプを灯して玄関へと向かう。何分王都在住歴が一年にも満たず浅いので何事なのか冗談抜きにわからない。焦って表に出ると、ほぼ同じタイミングで玄関を出てきた近所のおばさんおじさんたちの姿を見つけた。駆け寄って尋ねると彼らは親切に教えてくれた。
「――すると、これ全部が鐘の音なんですか」
「そうさ。あたしもここまでのは初めての経験だね。過去に一部の地区だけ鳴ったケースはあったけど、このうるささはきっと王都全体だろうね。一体何が起きてるんだか。怖いねえ」
話によると、どうも各地区設置の鐘楼という鐘楼から一斉に鐘が鳴らされているらしい。
それは人の手で叩かれているのではなく、王都に掛けられている防衛のための魔法が発動したものだという。
初めて聞く王都警報に俺は近所の人たち同様ぶるりと両腕を震わせた。
「こんな風に一斉に鐘が鳴るのは、他国の襲撃か、コーデルダンジョンに何かあった時くらいだろうと常々教えられてきたけれどもねえ……」
他国の襲撃? だがそんなきな臭い話はここに住んでから噂ですら聞いた試しはない。じゃあその線は薄いだろうと推測する俺は、おばさんの言葉の中のもう一つの可能性を考えて、みるみるうちに顔色を失くした。
「他国とは関係良好だし襲撃の線はないだろうねえ……。まあ避難が必要ならそのうち兵士が回ってきてくれるとは思うわよ」
まさに駄目押しでおばさんの一人はそんな見解をくれる。近所の人たちもそうだねえと相槌を打った。
簡単な消去法から行くと……まさかダンジョンに何かあったのか?
異常とも言えるその兆候を、俺はこの目でしかと見ている。
しかし王都警報が鳴る程の異常じゃなかったはずだ。
背中を嫌な汗が滑り落ちた。
……更にのっぴきならない何かが起きたんだとしたら?
親父はまだ戻っていない――ダンジョンから。
「ええとありがとうございました。一先ず部屋に戻りますね俺」
挨拶もそこそこに俺は急いで半地下部屋に取って返し、ダンジョンに入る時の装備と棍棒を手に部屋を飛び出した。
その頃にはおばさんたちも家に入ったのかいなかった。
「まずは事務所に行こう」
何ができるわけでもなかったが、ただ家にいたくなかった。もしかしたらウォリアーノさんや皆がまだいるかもしれない。
少なくともここに居るよりは情報が得られるかもしれないと急ぐ俺は、混乱を増して行くまだ浅い夜の喧騒に足音を一つ増やした。
既に空は藍色に染まっている。
道両脇の家々の窓にも明かりが灯り、俺の視界の先のそれらを素早く横切るようにして通りを走る巡回兵の影が次第に増えている。
駆け付けた事務所は既に明るく、窓から通りの様子を眺めていたらしいウォリアーノさんは走る俺の姿を見つけて、待ちわびていたように玄関から出て迎えてくれた。
「ウォリアーノさん、あの、この王都警報って」
「ああ、今事情を説明するから中に入りなさい。そろそろ君も来るかなと皆で話していたところだよ」
精神安定性抜群の彼に感化されてか、焦るだけだった気持ちが少しだけ冷静を取り戻す。背中を促されて事務所に入ると、そこにはもう俺以外のメンバーが顔を揃えていた。
「時間が惜しいから手短に話そう」
俺が手近な椅子に座るのを待って、ウォリアーノさんがゆっくりとした口調で皆の顔を一巡する。
誰も、カレンもリリアナさんもアシュリーさんも、口を挟まない。
「この警報の意味だけれどね、然程緊急性は高くない。念のために鳴らしてもらったんだよ。既にギルドが一流冒険者たちに要請して必要な人員を向かわせたから、そうガチガチに緊張せずとも大丈夫だよ、イド君」
他の面子は先に話を聞いたんだろう、彼の言葉にうんうんと頷いている。
「そうなんですか。なら良かったですが、一体何が起きてるんですか?」
「うん、実はね、上級ダンジョンに強力なイレギュラーが出現した。レベルは――55」
「55ですって!?」
信じられないとでも言うような声音で言って、それきりカレンが絶句した。皆もまだそこまで詳しくは聞いていなかったらしくリリアナさんとアシュリーさんも驚いて両目を丸くした。
「ええとレベル55って、52のカレンよりも、上……」
「魔物のレベルがコーデルダンジョン全体における上限のレベル40を超したということで、ギルドでは当面入場規制をかけるつもりらしい。一流冒険者向けの討伐クエストも通常相場の三倍の高報酬で即時発信された。とは言え、ダンジョンの障壁魔法が効いているから、放っておいてもそのイレギュラーが王都に出てくる恐れはないだろう」
レベル55なら九割九分高位者が勝つと言われる10以上の開きがあるので、戦闘になれば勝敗は明確だ。
早期討伐を望むギルドは成長途中の冒険者たちの無用な消耗を避け、破格の報酬と引き換えに確実に仕留める気らしい。
もうクエスト発信済みという対応の早さには手放しで称賛を送りたい。
名誉名声加えてちょっとした財産が手に入る。一流冒険者たちはこぞって王都コーデルへと駆け付けるだろう。
なのに、ウォリアーノさんの顔には憂いがあった。
「ウォリアーノさん……? 心配事ですか?」
窺うような視線を向ければ、彼は「何でもないよ」と珍しく取り繕うようにぎこちなく首を振った。
どこか腑に落ちないものを感じつつ、そういえば親父の行き先も話題の上級ダンジョンだと思い出した。
急に光明が射したように気持ちが明るくなる。
親父なら楽勝だ。全盛期よりたとえ体が鈍っていたとしても
「そういうわけで、ギルドからは上級ダンジョンの補充作業を停止するように通達を受けた。下級ダンジョンの方は通常通りでいいそうだよ」
全体を休みにしたって良さそうなのにねえ、と残念そうに告げるウォリアーノさん。
「はあ!? ちょっとマスターそんなの冗談じゃないわ!」
座っていた長椅子を後ろに押し出す勢いで立ち上がったカレンが、食って掛かるようにしてウォリアーノさんへと詰め寄ろうとするから、俺は慌てて間に入る。
「ちょっ落ち着けよカレン。ウォリアーノさんは悪くないだろ」
「マスターなら補充者の一人や二人強引にねじ込むくらい出来るでしょ」
「え、そうなんですか?」
「うーん、まあ可能だけれども……」
「レベル55だろうとあたしやマスターが入れば問題ないわよ。第一戦闘しに行くわけじゃないもの。万一遭遇しても多少のレベル差はアイテム使って逃亡に専念するから心配要らないし、マスターに至ってはレベル自体もうイレギュラーより上だし」
「だがカレン、ウォリアーノさんも考えた上でギルドの方針を了承したんだろうし、無理に上級の方に行かなくても……」
キッとカレンに睨まれる。
「強力な魔物相手にアイテムの必然性は知ってるでしょ! あたしたちは道楽で補充業やってるんじゃないのよ。そのために居るんだから。あたしは、できるのにしないで後悔したくないの」
彼女の「後悔」という言葉には、過去を知っているだけに苦い気持ちになる。
「とにかく、マスターが立場的に無理なら、イレギュラーが倒されるまであたしが上級の方の補充全般を担当するわ」
「カレン、駄目だ。君では――拙い」
「――っ、だっからあぁ、誰もそいつと戦うなんて言ってないでしょ! ちゃんと逃げるわよ! 逃げるだけなら3つのレベル差は大した障害にならないわ」
拙いだなんてウォリアーノさんも辛辣だ。だがそれだけキツイ物言いをする程にカレンを案じているんだろう。カレンだって彼の気持ちがわからないわけじゃない。
「それでも、私は部下の安全の方が大事なんだよ」
「何でよ……っ、マスターのわからず屋!」
「あっ待ちなさいカレン!」
ガタッと音を立てて椅子から立ち上がりそのまま外に飛び出しそうなカレンを、たまたま出入口付近の椅子にいた俺は「あ、おい!」と思わずと言った感じで手首を掴んで制止する。
「放しなさいよ!」
しかし彼女は俺の手を振り払い、俺は払われた勢いで椅子から転げ落ちた。カレンは一瞬気にした風に足を止めたものの躊躇いは僅かにして、結局ウォリアーノさんの制止すらも聞かずに事務所を飛び出して行く。
補充の荷物も持ってないし、このままダンジョンに行く心配はないだろうが放ってはおけないよな。
「大丈夫かいイド君? あの子が済まないね」
「あ、いえ、とりあえず俺が追いかけます」
ウォリアーノさんが手を貸してくれようとしたが、俺は自身で素早く起き上がるやそう言って皆の反応を見る前に外に出た。
事務所前で立ち止まって左右どちらから行こうか首を巡らせていると、カレンはすぐに見つかった。
飛び出したものの行く当てが思い付かなかったのか、装備もなしに行くだけ無駄だと悟ってやめたのか、近くの建物の壁に背中を預けて俯いている。近くにいて良かった。
「カレン」
俺の存在はとっくに認識していたんだろう、驚くでもなく彼女が顔を上げた。俺に対して悪いと思ってはいるんだろう、目をしっかりとは合わせない。
ああ、それにやっぱり拗ねてるな。
「冷静になれって。ウォリアーノさんを説得したいなら、癇癪を起こして飛び出したら駄目だろ。今の上級ダンジョンでのカレンの状況は、レベルは違うが俺と同じだ。だったら逃走方法さえ何通りもしっかり講じて非の打ち所のないよう完璧にして、その上で心配無用って主張すればきっと許可してくれるって」
カレンがまた走り出さないか内心ハラハラしながらも、俺は俺なりの意見を口にした。
「……イドは反対しないのね」
彼女は俺の顔を見て何だか拍子抜けすると不思議そうにする。
「心配じゃないとは言わないが、俺もカレンと同じ思いだしな。クエスト遂行には俺たちの仕事が役に立つと思う。本当は出来るなら俺だってカレンと同じ所で役に立ちたい。皆を救う英雄たちを支えたい。だが面目なくも今のままじゃ足手まといになるだけだから、カレンを応援するしかできないんだよな」
「イド……」
未熟者ゆえに何もできない内心の悔しさを押し込める俺を見つめて、カレンは俺の握り締めていた拳をそっと持ち上げた。
そしてポンポンと力を抜けと言うように叩いてくる。
いつだったか俺が彼女にそうしたように。
「イドは、自分を見誤ってるわ」
「え?」
「あなたは強いわよ。レベルがって話じゃなくて、ここに真っすぐで太い芯がある。この先きっともっともっと強くなる。足手まといだなんて言わないで。あたしの相棒でしょう?」
ここに。心に。
心臓の上に手を当てたカレンがまっすぐ俺の目を見ている。
街灯の下、どんな宝石のそれよりも惹かれるエメラルドが俺を映し込んでいる。
不思議と元気が出た。勇気も。
挑戦的な笑みを浮かべてやる。
「ああ、なるよ。絶対カレンに追い付いてみせるさ」
「あたしだって待ってないんだからね? それで、その、さっきはごめんなさい。あと、――追いかけてくれて、ありがと」
今度は互いに砕けて笑い合って拳と拳を合わせた。
「イドのおかげで頭が冷えたわ。だけど絶対もっと強くなって今度同じようなことが起きた時は、マスターに文句を言わせないんだから。ふふっ、さてさて、戻りましょ?」
ハッとするような勇敢な眼差しを細めて壁を離れたカレン。踊るようにひらりとツインテールが翻る。
うっかり置いていかれそうになった俺はやれやれと小さな安堵の息を吐き出すと彼女に続いた。
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