10 親子喧嘩は終わらない

 どうして俺が家出して王都に居るのか?

 それは親父と進路で意見が合わなかったせいだ。

 わかりやすく言うと、喧嘩した。親父への尊敬の念とは別に、今思い出してもムカムカしてくる。


 療養のために過ごした魔物の空白地帯と呼ばれる山間いの田舎じゃ、俺はそこでおよそ五年普通の学生として暮らしていた。友達に影響されて父さんから親父呼びになったのもこの期間だ。


 親父は家の横で畑をやりながらも村の住人に請われれば近場や遠方を問わず仕事に出掛けていた。元勇者だとバレていたわけじゃなく単に力自慢だと頼りにされていたみたいだ。遠くの場合には便利なテレポート魔法具を使っていたが、基本泊まりがけはなくその日のうちに帰宅していたし、俺たちはずっとそこ暮らしだった。


 以前みたいにダンジョンを回って歩くなんて放浪冒険者生活は終わりを告げていた。


 親父の仲間たちも散り散りになっていて、長年、物心付いてからずっと賑やかな集団の中にいた俺は初めの頃は結構寂しかったのを覚えている。ただ、穏やかな田舎で暮らしていくうちに慣れはしたし田舎暮らしに馴染んだ。

 魔物に出会う機会もなかったが武芸の教養はないよりはあった方がいいってわけで、体調が戻った俺は護身のためにも親父と鍛練をするのを日課としていた。もしも誰か冒険者と戦えばレベル1なんて一般人同然の俺に勝ち目はないだろうが、勝てなくても回避ができれば次に繋がる。普通人同士の喧嘩なら仲裁にも入れるし、暴漢を撃退だって可能だ。


 レベルが低くともそういうのは日頃の訓練がものを言うケースが多いからこそ、俺は日々の鍛練に勤しんだ。


 因みに大喧嘩の日も俺は親父と手合わせをしていた。


 俺の武器は無論棍棒だ。親父の方は木剣。

 まあ親父は日によって木剣だったり槍だったりそれこそ棍棒だったりとまちまちで、つまりはオールマイティな才能を持っている。それだけでも尊敬に値する戦士だよ。元勇者は伊達じゃない。


 そんな背中を見て育った俺が冒険者に憧れるのはごくごく当たり前の流れだよな。


 なのに冒険者になりたいと宣言した俺に親父は何て言ったと思う?


『諦めろ。お前には向いてねえよ』


 と、あっさり一刀両断だった。

 親父は俺に魔物の危険のない村でのんびり暮らして欲しいようだった。

 その気持ちは素直に有り難い……が、自分だって冒険者をしていたくせに俺には諦めろとか不公平だろ。そう反論したら『そんなにお前は魔物を討伐したいのか?』って皮肉を言われたよ。

 俺は木剣に棍棒を強く打ち据えて睨んだ。


『そんなわけないだろ。俺は親父とは違うんだ。親父が魔物を倒して倒して経験値狩りまくりで強くなった百戦錬磨の勇者だとしたら、俺は不殺の勇者を目指す』


 親父は僅かに目を瞠ったものの、溜息をつかれた。


『無理だろ』

『何でだよ! 魔物から力を分けてもらって強くなるのは時間が掛かるが、地道にやってく覚悟だってある!』


 するとまた溜息をつかれた。


『不殺なんて高尚なもんを貫けると思ってんのか? 考えが甘いんだよ。お前にそのつもりがなくとも、魔物の皆が皆お前と仲良くなってくれるわけじゃねえ。それは放浪の旅でお前も十分承知していると思ってたんだがなあ』

『わかってるよ。そりゃ攻撃されたら自分の身を護るために少しは応戦するかもしれない。ただしこっちからは先制攻撃しない』

『は、何にせよ戦闘になればお前は武器を握らざるを得ない。剣才はないって言っただろ。棍棒も同様だ。お前に一流の才能はねえ。防戦一方でやられるのがオチだ』

『誰も剣だけで戦うなんて言ってないし、棍棒を専門にするつもりだってない。冒険者やってればそのうち一番得手な武器が見つかると思う。昔と違って無謀にも手に負えない相手に近付くつもりだってないし』


 信じていないのか或いは俺の無責任な言葉に言葉もないのか、親父は暫しじっと俺を見据えた。


『……いつかお前は剣を執りたくなるぜ。だから、駄目だ』

『はあ? 何だよそれ、勝手に決め付けてさ。確かに剣は好きだし憧れはあるが、才能ナシなのをわざわざ無理して使って自分をいたずらに危険に晒すほど俺は馬鹿じゃないって』


 親父は変わらず胡乱な目で俺を見ている。


『とにかく駄目だ。冒険者は諦めろ』

『嫌だね、頑固親父』

『頑固はどっちだ』

『親に似たんだろ』

『こいつは……』


 一向に諦めずしつこく食い下がる息子にうんざりしたに違いなかった。一旦木剣を脇に下ろしたかと思えばすぐに腕を振って鼻先に突き付けてきた。


『――絶対に、冒険者だけは、や、め、ろ』


 ぶつ切りで念を押して話を打ち切ると、再び木剣を俺から離した。鍛練の続きに戻ろうとする。俺はイラッときて頬がヒク付いた。

 俺のために華々しいキャリアとこれからも続いたはずの栄光を捨てた親父に俺は密かな負い目を感じている。世間が親父を何と言おうと俺は真実を知っているからこそ、親父の分まで頑張りたいって思ってるってのに。


『何でだよ! 俺の人生は俺の自由だ、親父が干渉する権利なんてないだろ。そもそも俺に相談もなく自分勝手に勇者辞めた親父にどうこう言われたくないしな。辞める必要だってなかったんだ。俺のために大事な勇者の重責を放り出すなんてどうかしてる』


 勇者や賢者などの称号を持つ者に課せられる役目は相応だが、親父のパーティーはその役目としての難度の高いダンジョンを精力的に攻略していた。そうやって後世のためにも確実に人類が立ち入れる場所を増やしていた。


『……んだと?』

『だってそうだろ。あんたには勇者としてまだまだ巡るべき場所があったんだ。どうしてこんな所で俺なんかのお守りしてんだよ。あんたじゃなくても俺の世話はできただろ。誰かに頼むなりできたはずなのに……下らないことしてんなよ』

『下らなくないぜ。お前は俺の宝だからな』


 躊躇いも恥ずかしげもなくよく言えたもんだって思う。

 だがその思いやりが俺を嬉しくもさせ卑屈にもさせたんだ。


『宝、かよ。俺が? ……母親は俺を捨てたのに? 俺、知ってるんだよ。何かそこだけ覚えててさ』

『イド、それは……っ、レイラには事情がだな……!』

『事情? 今更だろ。何にせよ俺を置いていなくなったんだ。それが大きく横たわってる事実だよ』


 母親がいなくなった幼い日、追って掴んだその手を振り払われた記憶が俺には鮮明にある。逃げるように去っていくショートの赤髪女性の後ろ姿、それが俺が母親を見た最後だ。

 あれは物心ってものがつく前だったが、余程衝撃だったのかその光景だけが切り取って貼ったように脳みそにこびり付いている。


『俺が冒険者になって怪我しようと、たとえ死のうとも、それがそもそも冒険者業ってやつだろ。それにむしろ俺がいない方があんたの足枷が取れて好都合じゃないのか?』


 親父は俺を大事に思ってくれているってわかっていたのに、親父と母親の二人を区別して考えるべきだったのに、あの時は無性に気が立って思考が歪んで両親って括りで括ってしまった。親父の全部を否定して拒絶してやりたい攻撃的な気分だったから。

 思いもよらない言葉だったのか親父は顔色を変えたっけ。


『――イド!!』

『冒険者に向いてるか否かはやってみないとわからないだろっ! 親父のはエゴだ。自分勝手に気持ちを押し付けてきて俺の気持ちなんか考えない。……似た者夫婦だよ。あんたも結局あの女と同じなんだよっ!!』


 尚も引き下がらない俺に業を煮やしたというよりは、きっと触れてはいけなかった部分に触れたんだ。心を抉ったと言い換えてもいい。今振り返っても思うところは多々あったとは言え、母親をあの女呼ばわりまでしたのは自分でも言い過ぎだったと思う。


 親父の目に冷たいものが宿った。


『……そうか、関係ねえレイラを敢えて引っ張り出してまでそう言うなら、とくと現実を教えてやる。お前には無理なんだとな』


 そうして、結果として親父は俺をコテンパンに叩きのめして低く命令した。


『これでわかったろ、二度と冒険者なんて目指そうとするな』

『……っ、うぐぅっ……く、っそ……くそおっ』


 手も足も出なかった。言葉よりも実戦で示された。

 俺は経験値がリセットされてかつてよりも力が落ちたとは言え、いつも親父がどれだけ手加減してくれていたのか、あの時ようやく悟った。

 無様に庭先の草地に這いつくばる俺を無表情に見下ろしてくる親父のその底知れない青い瞳に、同じ色の瞳を受け継いだ俺は敵わないと感じて、だがその自覚がまた悔しくて地面を拳で叩いて千切った草を握り締め顔を伏せた。


 ただの屈辱とは違った落とし所の無い苛立ち。


 憧れた存在に認めてもらえない無力感。


 練兵の範囲内だったが、親父からボコボコにされた俺はその日から口を利かず、更には三日と経たずに短い書き置きだけを残して王都に飛んだ。


 ――勇者になるまでは帰らない。


 と。

 一流冒険者どころか超一流の勇者と大きく出たってわけだ。

 それが家出までのいきさつ。

 密かに親父が仕事で使っていたテレポート魔法具の行き先を勝手に王都に変更したから、必然的に俺の行き先は知れるわけだったが……。






「あーくそ、四か月以上放置だったくせに今頃何だよ」


 親父はその気になればもっと早く俺を捜せたはずだ。それをしなかったのは頃合いを見て現れて俺にそら見た事かと現実をわからせて連れ帰るためだったのかもしれない。

 少し前の俺ならヤバかった。意気消沈して帰ったかもホントに。


「あーやめやめ、辛気臭いこと考えるの禁止だ」


 また家出した気分の俺は、ソルさんの店へと向かいながらどうせなら新調予定の防具を見繕ってもらおうと思い立ち落ち込みそうな気分を無理やり掬い上げた。何しろ彼の店には中古品でも良い物ばかりが置いてある。ついでに親父が言うようにソルさんがイーラルさんかどうかを尋ねてみようか。

 到着してボロ装備新調を相談すると、ソルさんは外に面したカウンター業務もそこそこにして休止札を出して、俺のためにわざわざ在庫の中から中古で安いが結構良質な防具一式を見繕ってくれた。


「うっわああ~、ありがとうございますソルさん! もうダンジョンに行くのが楽しみになってきました~」


 戦わないにしても、中古でもピカピカに磨かれ丁寧に手入れされた装備は新品を手に入れたも同然でテンションが駄々上がる。


「なあところでイド、今日何かー、あー……変わったことはなかったか?」


 試着をしていると、ソルさんがこそこそと小声で問いかけてきた。


「変わったこと、ですか? …………ああ、そういえば親父が来ました」

「………………あ、へえー。そうかー」


 今、妙な間があったよな。俺が顔を超絶無にしたからか?

 すると何故かソルさんは神妙な面持ちで店のカウンターから顔を出して通りを見渡すと「道理でなー」とか独り言を呟いて可笑しそうに笑った。何が道理でなんだ?


「あのぅ、ソルさん?」

「ああいや、何でもねえよ。どうせだからそいつらそのまま着てけ。感覚に馴染ませておいて損はねえからな」

「それもそうですね。そうします」

「古いのはこっちで引き取るぜ。金属回収業者の方に回すからよ。代金からその買い取り分引いとくな」

「えっあんなボロいゴミ同然のなのにいいんですか!? ありがとうございます!」


 ちょっとした感激と共に装備の着心地を改めて確かめながらソルさんに何度もお礼を言って店を後にした。

 あ、イーラルさんか訊くのを忘れたな。まあ後でもいいか。

 次に向かったコーデル上下物流事務所の鍵は開いていて、取っ手に手を掛けた俺は皆が出払っているわけではないらしいとわかって少しホッとした。そのまま施錠されていない入口扉を押して中に入る。


「あらイド? ちょうど良かったわ。家まで呼びに行こうかしらって話してたところだったのよ」

「あれ、カレン? 休みなのに出て来てるのか?」

「それはあなたこそ。装備まできちんとしちゃって……ってあら、あのボロっちかったの新しくしたんだ」

「ボロっちいって……まあその通りだったが」


 事務所にはカレンだけじゃなく、リリアナさんとアシュリーさんもいて、ウォリアーノさんもいた。俺が来た事で全員揃い踏みってわけだ。


「え、あの今日はもしかして皆休みですか?」

「いや、少し問題が起きてね。補充をどうするか話し合っていたんだよ」


 不思議そうに問いかけた俺へ答えたのはウォリアーノさんだ。


「問題……ってまさか天井の穴の件ですか!?」

「いやそちらは修繕師たちのおかげでちゃんと塞がったから安心して良いよ」


 じゃあ別口の問題が生じたのか。

 一体どうしたのかと言葉を待つ俺の耳にウォリアーノさんの困ったような声が届く。


「ダンジョンの宝箱がどうやら、開場時間中でも動き回るようになってしまってね」

「へ?」

「今日カレンが朝一で補充に行ってみたらそうなっていたらしく、ダンジョン内はちょっとした騒ぎになっているそうだよ」


 脳裏に大口を開けてパクついてきた宝箱の無機質ボディが過る。ぶるりとした。


「え、でもあいつら人嫌いって……」

「どうやら免疫がついたようでね」

「……それはつまり俺とカレンが触れ合い牧場よろしく触れ合っちゃったからですか」


 肯定も否定もない。沈痛な沈黙が落ちた。


「じゃあ補充できない、と?」

「それなんだけれどねえ……」


 危うく卒倒しかけた俺が震える声で重ねた問いに、ウォリアーノさんが咽奥で小さく唸るようにしながらカレンに目をやった。促しを察したようにカレンが会話を引き継ぐ。


「補充はできるわよ。だって昨日あたしたちの所に寄って来た宝箱たちにとにかくアイテムの素を入れてやったら、大人しく帰ってったのをイドも覚えてるでしょ?」

「あ、ああ、まあ……」


 強烈過ぎて一秒たりとも忘れようがない。


「だから、大丈夫よ。たぶん空の宝箱だけが動き回ってるんだと思うから、向こうから寄って来てくれればあたしたちがわざわざ出向く必要もないし、かえって楽かもしれないわよ」

「へえ……」


 俺は世にも殺伐として面白くない餌やり場面を想像してしまいげんなりした。

 実際ダンジョンの混乱を見て来たカレンが言うには、中身入りのやつは冒険者からアイテムを取られ次第、自主可動化するらしい。

 餌を求めて彷徨うゾンビも同然だ。


「あ、言っておくけど魔物もいつも通り出るわよ。明日から気合い入れて頑張りましょ」

「…………わかった」


 事務所としての方針はかくして決まった。


「なあカレン、そういや休みって言われてたのに一人で補充に行ったんだな」

「……えー? ひ、暇だったから~?」

「暇ったってそれは駄目だろ。カレンもちゃんと休むべきなのに」

「下級ダンジョン如きじゃ疲れないわよ。あたしが勝手に仕事したかっただけだからイドは気にしないで」


 何だよそれ。俺は確かにまだ戦力外だし、カレンがいないと下層に行っても徒に時間を食うだけだろうが、それでも相棒なんだから一緒にこなしていくもんだと思ってた。

 しかしそうか、全ては俺が未熟だから……。


「明日までなんて待ってられない。もう半日もないが俺も今日の休みを返上して今から補充に行く」

「無理しなくていいわよ」

「無理してねえよ!」


 俺の中の自分を落ちこぼれ扱いする卑屈な部分が感情をチクチク刺して、思った以上に強い口調になってしまった。事務所内にこだました大声に皆が驚いた様子で僅かに目を見開いた。

 俺自身も驚いて皆にすみませんと一度謝ってからカレンに向き直る。


「俺はカレンの相棒だろ。行く時は置いてったりするなよ。気を遣ってくれたのはわかるが、一言相談くらいしてほしかった」


 切実にも見えた訴えに、カレンは今更俺の気持ちを理解したような気まずい顔で視線を外した。

 俺はじっと彼女の回答を待つ。

 ややあって仕方がないとでも思ったのか、カレンは小さな溜息をついた。


「わかったわ。イドの言うとおりよね。相棒をのけ者にして悪かったわ。残りの空箱は一緒に埋めに行きましょ」

「……っ、――ああ!」

「もう一度確認するけど、宝箱が動くのよ? 覚悟はいいわね?」

「も、もちろんだ」


 漲るやる気に満ち満ちていた俺が、しかし激しく後悔するのには、ダンジョン入りしてからさして掛からなかった。


「うわあああああっ何で俺のとこばっか来るんだよーーーーッ!」

「ちょっと他の人に見つかるわよ。大声出さないで!」


 小声で注意するカレンを横目に俺は顔面蒼白になりながら、旅装マントの裾をガジガジ引っ張られても、餌くれ状態の宝箱たちにアイテムの素を突っ込む手を止めはしなかった。

 宝箱たちは何故かカレンのところには寄って行かず俺のところにばかり来る。

 こぞって押し寄せる無機物の群れなんて何度見ても慣れない。

 飛び跳ね、バックンバックン開閉される蓋。マジで宝箱が魔物に見えてくるー……。


「いやもうこいつらガチで魔物だろ! 絶対ミミックの新種だって!」

「ミミックは違うと思うわよ。ところで手持ちの素そろそろ切れるんじゃない? 一旦取りに戻るわよ」

「へ? いやちょっと待てカレン。俺こいつらに挟まれてて抜け出せそうにないんだよ! ってもうないからっ、今もう手持ちないからバクッとしてくんなってっ、おいやめろマジでないんだってっ! こらッいやだから挟むな俺は素じゃねえええッ!」


 カレン助けてくれと声なき声で叫んだ俺は、宝箱にバックリ挟まれ視界からダンジョン通路が見えなくなったところで意識が暗転した。


 すぐに目覚めたものの自分から言い出した手前もう帰ろうとも言えず涙を呑んだ。俺が経験した試練はきっとどんな時にでも勇気を思い起こす確かな力になる……はずだ。

 どうせなら喜々として寄って来る宝箱がモフモフしていればまだ可愛げが…………いやないな、うん。想像したらうっかり毛を食っちゃってぺっぺっと吐き出している自分の姿が見えたよ。

 もうここを「珍獣宝箱犬との触れ合いダンジョン」とでも銘打ったらどうだろう、と半ば本気でカレンに提案したら呆れた冷めた目で一蹴された。






 時はやや戻って、俺がソルさんの店を後にした直後。

 そこでは俺の知らないとある再会が果たされていた、らしい。


 ――質店の対面カウンターを挟んで向かい合う男たちがいる。


「おいイーラル。いや今はルルだっけ?」

「ソルじゃボケ! 可愛過ぎんだろオレ!」

「んじゃーおいソル、防具一式着てけとかって今の紙袋節約したかったからだろ。うちのイドを良いように言い包めるんじゃねえよ」

「んじゃーおいソルって何だおいこらジェード、再会して開口一番にわざと名前間違うとか既に失礼極まるが、仕方がないなって顔してソル呼びに直すとかいい度胸だな。今まで路頭に迷いそうだったイドを誰が助けてたと思ってんだ、あ? あんのミミズ潰して貼っつけたのかってくらい読めねえクソ手紙一つで人様に大事な息子頼んでんじゃねえよ。大喧嘩して気まずいからお願いしますっててめえは馬鹿か? もじもじ乙女か? 豆腐メンタルか?」

「お前だから頼めたんだよ。それに俺はあまり王都で目立つのはよくねえだろ。イドにくっ付いてたらそれはそれで迷惑かけるっつの」

「今も十分目立ってんだよこの変態息子ストーカーが。殺気駄々漏れで物陰から妬み嫉みと羨望の眼差しでこっち見てんじゃねえよ、勘の良い冒険者共はてめえの威圧にビビってたぞ。姿見て正体に気付くもんも多少はいるだろうしな。せめて変装くらいしてこい」


 へんてこバンダナonスキンヘッドのソルライチにド突かれるふさふさ金髪ジェードはキョトンとした。


「農夫装ってクワ持ってっけど駄目か?」

「駄目だろ! 農夫なめてんのか? おめえの場合武器がクワの野蛮な戦士にしか見えねえよ」

「ははっひでーな!」


 豪快に笑って得意気に口角を上げる逞しい体躯のジェードへと、こちらも負けていないソルライチは口の端をにっと吊り上げて親しみと皮肉の笑みを返した。

 怒って家を出たイドだったが、父親のジェードはこっそり後を尾行けていたのだ。

 とうとう意を決して最愛の息子に会いに来たというのに、話しかけたいのに無視されるように家に置き去りにされた挙句、イドはソルライチと仲がすこぶる良さげなのを目撃し寂しかった。そんな鬱憤をソルライチ本人に向けていたというわけだった。


「全く完全に逆恨みじゃねえか。んでもうイドを追わなくていいのか?」


 やれやれとバンダナの上から頭を掻くソルライチに、ジェードは息子イドと同じ青い色の目を真摯に向けた。


「なんだジェード? 便所貸せっつっても貸さねえよ」

「違え!」

「なら何だ?」


 逡巡するように二、三度口を開きかけ、ジェードはやっと声を出す。


「イーラル、頼む。イドがこれ以上冒険にのめり込む前に、お前からも止めてくれ」

「どういうことだ?」

「カヤールが俺の前に現れて言ったんだよ。もうあの子……っつっていいものかは知らねえが、彼女の力じゃもう抑え切れるかわからない、とな。だからすっ飛んできた」

「なるほどな。それは何と言うか……イドも成長するからな」


 ジェードはいつも自信満々で憎たらしいくらいにふてぶてしくて、どこか天然だった。そんな男が今は心配でたまらないという父親の顔をしている。

 環境が変われば人間変わるものだ。


(……いや、護るべき者ができると、か)


 ソルライチは心の中で柔らかく苦笑する。

 かつてジェードにはそれが二人だった。

 今はイド一人だ。

 だから必死にもなるのだろう。

 その手に掴めなくなるのを恐れているのだ。

 事実、一度失いかけた。


「ジェード、時が来て選択すんのは、イドだ」

「……それはカヤールにも言われた」

「ならこれまでと同じように見守るしかねえんじゃねえか? 下手に遠ざけようとすっから喧嘩になるんだよおめえの場合」


 押し黙った元勇者の丸まった背中。

 ソルライチは無言で引っ込んで手際よく店の鎧戸を閉め外から施錠すると、未だその場で難しい顔をしている元冒険仲間の背をバシリと叩いた。


「おうジェード、久々に昼から飲むぞ。もちろんおめえの奢りでな!」

「はあ!? なんで誘われた俺の奢りなんだよ!」

「イドの世話賃とでも思っとけ」

「そこは善意で無償にしろよな。儲かってんだろイーラル」

「それ何語? あそうだ、ここ王都じゃダチに酒を奢ると息子が懐くって言われてんだよなー」

「何だと!? よしこの俺がイーラル君に美味い酒を奢ってやろう!」

「相変わらずチョロイな……」


 真昼間から酒を出す店を求めて、男二人はえっちらおっちら歩き出した。

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