6 カレンのトラウマ
入社して半月が過ぎた。
俺の新人指導を任されたカレンは業務日誌の書き方や宝箱配置図の使い方、心得やコンプライアンスなどなど、実地以外でもきちんと俺が把握すべき仕事の基本は教えてくれた。私情を挟まないタイプでホント助かった。
現在は出先。ダンジョン内だ。アイテムの素を入れた宝箱の蓋がぱたりと閉じたのを確認し、膝をついていた俺は立ち上がる。
この作業もすっかり慣れた。数があるんだから当然だよな。
今日も背荷物はずしりとしていて歩く度に足腰が鍛えられていくのを実感する。
毎回沢山のアイテムの素が必要になるこの仕事だが、実は事務所にそれの保管倉庫はなかったりする。
補充に必要な分は毎日夜中の間に事務所に転送されてくるみたいで、事務所奥の専用魔法陣に朝出勤すると必ず届いているって話だ。俺も届いた後のそれらをこの目で見た。大きな木箱に詰め込まれていて、収穫後の林檎や何かの果物みたいになっていたな。
加えて、毎日増減がある。正確に必要な数をどうやってかカウントした上で送ってきているに違いなかった。
荷量によっては一日にダンジョンと事務所を何回か往復する。
本日もそうやって運んで詰めてを繰り返した。
少し気持ちに余裕の出て来たおかげか、俺は通路の側面に背を預けて待っていてくれるカレンをじっと見据えた。
……今なら言える気がする。実はここ半月言うに言えずずーっと咽につっかえていた言葉があった。
「あ、あのさカレン、本当に今更も今更だが、――悪かった」
「悪かった? 何よいきなり?」
頭を下げた俺の突飛とも取れる言動に、彼女は驚いてから怪訝な顔付きになった。そらそうだよな。あれから時間が経ち過ぎだしな。
「ええっと、宝箱を取りまくってた件だよ。この仕事をしてみて大変さが身に沁みてわかった。カレンが憤ったのも当然だ。それで、まだ謝ってなかったから……」
適当な時期はとっくに逸している。だが俺は言わなきゃならないと思っていた。
「あなたって律儀」
両手をぎゅっと握りしめる俺のつむじにぼそりとした呟きが届いて、顔を上げれば微かに頬を緩めたカレンがいた。
怒るでも嘲るでも皮肉るでもない笑み。
穏やかな、苦笑。
それが次にはバツの悪そうなものに変化する。
「あたしこそ、あの時は悪かったわ。あなたに怒ったのは私情によるところが大きかったのよ」
「……」
「なぁによその驚き顔。あたしが謝ったらいけないの?」
「あっいや」
「まああなたが非常識で迷惑野郎だったのは事実だけどっ」
ははっ、頬が引き攣る。
「ところで私情って?」
「……」
「あっ、ああいや悪い、無理に詮索する気はないんだ!」
「慌てなくていいわよ。隠すことでもないし」
焦って仰け反る俺にそう告げる彼女の瞳は、俺の知らないどこか過去の一幕を映し込んでいるみたいだった。
「昔……故郷にいた頃、友達と家の近くのダンジョンに通い詰めてたの。ほとんど知られてない場所だったからいつもあたしたちの貸し切りも同然だった。で、ある時そのダンジョンに俗に言うアイテムハンターが来てたの」
アイテムハンターとは読んで字の如くアイテム集めを信条、生業としている冒険者だ。
とりわけレアアイテムを目当てに各地を歩く。
「それはどこにでもあるごく普通のダンジョンの風景だった。だけどその日は違ったの。少なくともあたしたちパーティーにとっては」
俺は知らず息を潜めていた。
彼女のこの前振りが、良くない話へと続くのを感じ取っていた。
「比較的小さなダンジョンで、友達と何度も何度も通って魔物も高が知れてたの。あなたみたいに宝箱の場所もほとんど把握してたし、何のアイテムが入っているかだってわかってた」
だが時々、ダンジョンは残酷だ。
「そこには一つ、少しだけ特別な回復アイテムで満たされる宝箱があって、アイテムハンターはそれを目当てに何度も足を運んでた。そいつが来るまではあたし達が取りたい時に自由に取れる、本当にヤバい時用の保険みたいなものだった。そして必要になるなんて想像もしてなかった」
少し言葉を切ったカレンが、無意識なのか唇を噛んだ。
「だけど、あれが出たの…………」
「ええと、あれって?」
続きが来ないもどかしさについ催促するように促すも、カレンは目の前の空間を憎むように凝視している。
まるで親の仇でもいるみたいに。
彼女の小さな唇が微かに息を吸って開かれた。
「――イレギュラーよ」
「えっ……」
俺はそれきり絶句した。
通常種よりもステータスの高い異常種の魔物――イレギュラーはここコーデルダンジョンでも出現する。
ただし、地下11階から下に。上級者向けは言わずもがなだ。
俺はここのはまだ遭遇した経験はないが、通常種と毛並みなり体表の色なりが異なるらしい。
管理されていない王都外のダンジョンでは、冒険者はいつも魔物との戦闘による再起不能な重傷や、最悪死をも覚悟しなければならない。運悪く
「あたしたちは慣れ切ったダンジョンで油断していたのもあって、回復アイテムなんてほとんど持ってなかったから、あっと言う間に窮地に追い込まれた。とうとう少ないアイテムは尽きて、でも一人が通常状態に回復して戦えば勝機があったの。だから何とか逃げて例の宝箱の所まで辿り着いたんだけど……」
カレンは俯いて一旦唇を固く結んだ。
「空だった。でもそれは、しょうがなかった」
誰かが先に取っていたのだ。
宝箱は早い者勝ち。それがダンジョンのあり方だと、彼女もそれは理解していた。
「しかも、少しでもいいから回復をって思ったのに、近くの他の宝箱も全部空だった。要は運がなかったのよ。アイテムハンターだっていう男が残らず取ってたみたい」
「そんな……」
カレンが表情に自嘲と憤りを綯い交ぜた。
「だけど逃げる途中偶然会ったそいつは、何でもいいから回復アイテムを分けてほしいって頼んだあたしたちの前で、取り過ぎたって嗤ってわざと回復薬を地面に零して破棄した」
「何……で、そんな酷いことっ」
「そういう最低な奴だったってだけよ。あたしたちを追いかけて来たイレギュラーを見るや悲鳴を上げてさっさと一人で逃げ出したわ」
俺は、躊躇いがちにカレンを窺った。
「そ、それで、カレンたちはどうしたんだ? イレギュラーは?」
「袋小路に追い詰められて、あたしも一緒に逃げたその子も酷い怪我を負って、死ぬかもって諦めが浮かんだ所でマスターに助けられた。しかもマスターったらあっさり倒しちゃったのよそいつを」
「マスターって、えっ!? ウォリアーノさんに!? あの人カレンより強かったのか!?」
「何よ当たり前じゃない。細かなレベルは忘れたけど、マスターは一流冒険者よ」
「それってレベル60以上ってことだろ!? 凄い……」
「じゃなきゃ宝箱管理の会社なんてやってられないわよ。コーデル上級ダンジョンに余裕で入れるくらいは強くないと」
「あ、確かに……」
俺はそんな単純な事も失念していた。
そうなんだよな。ウォリアーノさんも歴とした冒険者だった。喫茶店を開ける日しかほとんど事務所にいないというウォリアーノさん。道楽紳士と言った印象が強くて戦闘要員には決して見えない。見た目だけなら質屋のソルさんの方が余程強そうだ。
コーヒーを淹れる腕は確かな彼は、会社で一番謎の人だった。
「その時の縁であたしはマスターの会社に入ろうって決めたの。だから武者修行って言うか猛特訓してレベルを上げたのよ」
「そんな過去があったのか。でも二人共無事で良かったな」
「そうね……」
カレンはふと、瞳を揺らした。
「あのね、あたしたちのパーティーは……三人だったのよ」
「え……?」
凍りついた俺の瞳。
さっきカレンは「一緒に逃げた子」って言った。「子たち」じゃなかったから、だから俺はてっきり二人だけかと……。
じゃあ、もう一人は?
「今でも時々夢に見るわ」
静かに両手を見下ろすカレンはそれを握り締め、泣き笑いに似た、いやそれを苦労して我慢したような表情を浮かべた。
彼女のきつく握り込んだ拳が軋んだ音を立てた。
……ああ、そうか。
だからカレンはあんなにも怒ったんだ。
俺の行動が彼女にはどうしても赦せなかったから。
アイテム取得は自由だ。
だからその点でハンターに非があったわけじゃない。
……たとえ人間として
それでも感情は割り切れない。あの時あの宝箱にアイテムが入ってさえいれば。そのハンターが訪れてさえいなければ、或いは――……。
俺は手を伸ばしてカレンの手を取ると、その拳を開かせた。
案の定指先が白くなっていて、手の平には爪の痕がくっきり付いている。
よかった血は滲んでいない。
だが何て声を掛けようか。
俺は気の利いた台詞を言えるような男じゃない。
話してくれてありがとうも、話させてごめんも、違う気がするし。
だから彼女の過去を知って気付いたものと今の彼女を見て思うままを口にする。
「カレンはさ、すごく頑張ったんだな」
「何をよ……」
「ここまで強くなった」
きっと二度と仲間を失わないために。
「俺はカレンのこの頑張った偉い手を尊いと思う。だからさ、こんな風にいじめるなって」
「…………」
「話、聞いてるか?」
反応がないので顔を覗き込むと、カレンは予想外にもとても呆けた
小難しい一切の感情を取り払ってあどけないと言った方がいいかもしれない。
そんな彼女は俺と目が合うと何故か焦ったように手を振りほどいて自分で自分の手を庇うようにする。
「き、聞いてるわ。まさかあなたから称賛を受けるなんて思わなかったから、意外過ぎてちょっと困惑しただけよ。全く、不意打ちもいいとこじゃない」
「何だよ悪かったな」
「別に悪くないわよ」
すっかりいつものカレンに戻り、俺はホッとした。
悲しそうな姿は、何かこう、調子が狂う。
それも含めてのカレンだが、やっぱツンとして余裕たっぷりに笑ってる方が似合う。
――と、俺の索敵スキルが近付く敵影を察知した。
「魔物が来るから次の宝箱に急ごう。今日の分はもう少しだろ。早く一人前になるためにも遠慮なく
口で促しながらだいぶ軽くなっているアイテム袋を背負うと、カレンは居心地悪そうな表情で俺の顔を凝視してくる。
「気を遣ってくれてありがと。あなたはこの業種向きだし、結構優秀よ。喜びなさいお望み通りたくさん
傲岸不遜に顎を上げ不敵に笑むカレンに、俺は何度も瞬きを繰り返した。
「今、イドって……俺の名前を初めて、呼んで……?」
「ほ、ほらっアホ面してないでさっさと行くわよ、へっぽこ相棒!」
「へっぽこかよ!」
「だってあなたまだ全然使えないじゃない」
「ぐっ……」
照れ隠しなのかプリプリとして前を向いてしまうカレン。
だが、相棒っても言った……よな?
ニヤ付きそうになるのを必死で堪え、俺は自身初の相棒の背を追った。
「――ひっ」
鼻先に触れるギリギリで止まったコーデルゴーレムの太い腕に俺は腰を抜かしてしまった。視界一杯に広がるのは茶色い泥肌だ。
直後、眼前のゴーレムはカレンから軽く蹴り飛ばされた。
「あなたねえ、ここが外ダンジョンだったらとっくにお陀仏よ! 友情だか愛情だか知らないけど魔物に対して幻想抱き過ぎだし、油断もし過ぎよ」
「わ、悪い」
鬼の形相で振り返った彼女に俺は謝る以外の術を持たない。
攻撃が寸前で止まったのは幸運でも何でもない。このコーデルダンジョンの魔法的制約のおかげだ。
ここの魔物は冒険者の命に関わる攻撃を阻止される定めにある。
つまり、冒険者にトドメを刺せない。
俺は魔物にトドメを刺せないから立場的には逆位置で、制限としては全く同じだ。奇妙な親近感が湧く。
現在地は地下22階。
タフにもやや向こうでギギギ、と起き上がるゴーレムの他にも、下層限定の火を噴くトカゲ――コーデルサラマンダーが俺の視界には入っている。
その日の補充分が終わってから時間の許す限り俺はカレンの協力の下、魔物と相対していた。
……と言っても戦闘するためじゃない。
今も友情交渉は失敗に終わり、カレンとの関係が向上して共闘を始めてから三日、未だに魔物との仲良しこよしを諦めない俺に彼女は呆れ気味だ。
因みにパーティーを組むのにこれと言った宣誓や儀式、手続きはなく、共に戦えば自ずとそれになる。
基本的に討伐した魔物の経験値はより獲物にダメージを与えた者が多くを得られるという「経験値の法則」なるものによって自動的に共闘当事者間で振り分けられるから、仲間認識はぶっちゃけ本人同士の問題だったりする。だが、ギルドに申請しておけば仲間としての公式な記録が残るから、後々何かの面倒を避けるためにそうする者も少なくない。
因みに俺たちは臨時パーティーだから登録はしていない。
「こんなことは言いたくないけど、イドはいつまでもレベル1でいいと思ってるの? せめて独り立ちに必要な水準までは上げなさいよ。折角パーティー組んでるんだから」
「……悪いが、俺が俺のやり方で経験値を得られないなら、無駄な戦闘はしない」
「全くとんだ頑固者だわ」
「あーはは、俺もそう思う」
カレンはやれやれと肩を竦める。基本的に下級ダンジョンは一人回りだから、この先レベルを上げない限り俺は一人前として下層階での仕事ができない。
雇ってもらった以上は役に立ちたいし足を引っ張りたくはない。一つでも多くレベルを上げたいのはやまやまなんだが、魔物を殺すのは自分の中にある漠然とした一本柱のような信念が許容しない。それが俺の現状を生んでいた。
コーデルダンジョンとの相性が悪いなら外のフィールドやダンジョンでレベル上げをしようかとも思ったものの、そもそも近い場所にダンジョンはないしフィールドに行っている暇があったなら補充路を把握する方が先決だった。
「だったらほら、まだ逃走は成功してないんだから気を抜かない!」
「あ、ああ!」
ゴーレムは遠いからともかく、カレンの促しもあって俺よりも格上のサラマンダー相手に逃走を試みる。しかし相手の方が格上だと簡単には見逃してもらえない。
「まだまだロックオンされてるわよ」
「わかってる。もう一回だ」
魔物たちに意識されないように気配を殺し消音スキルで足音も消した。トータルチャレンジ何度目かは忘れた。
しかしまあ今度こそ成功してくれ、と念じて成功率を上げるために目眩ましの魔法アイテムも消費する。細く巻かれた折り紙サイズの羊皮紙から封印シールを剥がして広げるや、それに描かれていた魔法陣が薄紫に輝いて紙ごとその光色に染まる。刹那一気に光粒となって四散した。それら一つ一つの光粒が連動して磨りガラスのような役割を果たし、魔物たちの視覚から短時間だけ俺の姿を隠してくれる。
初心者用の一番安い量産品の魔法道具で効果も値段通りのものだが使わないよりは断然逃走成功率もアップする。
一時俺を見失ったサラマンダーは動かず、俺は今度こそ成功するに違いないと確信を胸に背を向けて走り出した。言っておくとカレンは気配を消すスキルが遥かに高く魔物たちからはそこにいるのに察知されていない状態だ。凄いよな。
――ゴガアアアアアアアーッ!!
あ。うっかりゴーレムを忘れてた。離れていたから平気と思ったがどうやら甘かった。こっちの隙を的確に見抜いたそいつが雄叫びを上げながら迫り来る。
「うわあああだから待てって! 俺は争いに来たわけじゃねえええっ!」
「イドは間抜け過ぎよ!」
見かねたのか流れるような動きで俺とゴーレムの間に滑り込んだカレンが
こんな時、ダンジョンの無常さを感じるよ。
消滅の燐光が消えないうちに彼女はついでとばかりにサラマンダーにも一突き。魔物の最期の例に漏れず、そいつも光を散らして小さな結晶と化した。
言うまでもなく世界の理通りに経験値はカレンの総取りだ。
「あぁ……」
俺は助けてもらっておいて感謝の言葉も浮かばずに、呆然と突っ立った。心の奥が小さく痛む。
俺の様子に察するものがあったのかカレンは憮然として片眉を持ち上げた。
「あたしにとって魔物は倒すべき敵でしかないのよ」
ハッとした。そうだ。カレンは元より他の冒険者、例えば従兄のダイスやその取り巻きたち、ラルークス一門の者、そして果ては親父に至るまで俺とは対極にいる。
皆難なく魔物を殺すんだ。
俺とは根本的に感じ方が違うんだろう。何度も歯痒く思ったのに俺は特にこれと言って理解してもらう努力をしてこなかった。
小さい頃親父たちが友情交渉を見守ってくれていたのは、不測の事態にもちゃんと対処できる余裕があったからに過ぎないんだと今ならわかる。
現代ギルドの基本理念がそう定めるように、冒険者とは魔物討伐に意義を見出す職業だ。
成功するかもわからない俺の奇特な方法に付き合ってくれただけでもカレンは十二分にお人好しだった。
……俺は、異端なのか?
今まで考えないようにしてきた疑問がじわりと心を揺さぶる。だが遥か昔はもっと人と魔物の距離は近かったはずなんだ。
「ああ、だよな。カレン、助けてくれてありがとう」
反発を予想していたのかもしれない。拍子抜けした顔でカレンは溜息をついた。
「まあ、イドならこの先消音と隠形スキルの熟練度と、あと俊敏さの底上げして目眩ましのアイテムを使えば、レベルが低くても下層での逃走も十分可能になるんじゃない?」
「なるほど、そうかも」
真面目なカレンからの思わぬ抜け道の示唆は意外だったが希望が見え感謝だ。友情交渉がこの調子なら、レベリングより俺の場合おそらくはそっちの方がてっとり早く独り立ちに近付けるだろう。
厳密には俊敏さはスキルじゃなく身体能力に左右されるからレベル上げが一番だが、ある種のスキルとの相乗効果で幾らか底上げも可能だ。
加えてその質も。質ってのは如何に違和感を与えないかってやつだ。風に舞う木の葉のようにより自然で滑らかに移動できれば景色に埋没して目立たない。質が高いってのはそういう事。
その後も戦闘に直面した俺は何度も失敗しつつも辛うじて逃走成功を重ねながら地下1階まで戻って来ていた。
カレンは監督者として遠目に見ているだけだったから実質一人も同然だった。目標は一度での逃走成功だが道は長そうだ。あと友情交渉はやっぱり一つも成功しなかった。
「そろそろ切り上げるわよ」
地上へ至る通路に心なし急ぐようにしながらカレンが懐中時計を見下ろした。
時間的にはまだ閉場の鐘が鳴るまで余裕があるように思うが、カレンは仮に補充が終わらなくても決して遅くまでダンジョンに残らないと決めているようだった。
「え、あー、わかった。カレンって面倒見いいよな。何だかんだで俺の体力考えてくれてるし」
「面倒見って、はああ~。無理させて倒れられたらこっちが面倒被るんだから当然でしょ」
干し杏くらいの大きさの初級回復アイテム林檎グミを齧る俺に、カレンは金のツインテールを揺らして大きく嘆息した。因みに林檎味が回復効果は最小で、次にオレンジ味、あとは俺のレベルじゃ必要なくて使わないから細かいランクは忘れたが葡萄とか桃とかもあって、果てはドリアンもあるって聞いた。ドリアン味は超回復グミだそうだが食べるのには躊躇しそうだよ。
カレンはカレンでエネルギー補充のチョコバーを口にしている。魔法アイテムじゃないごくごく普通の栄養バーだ。単純にただのおやつだなこれは。
「なあ、魔法グミも食べたしやっぱもう少しやってっても大丈夫なんだが」
「駄目よ。夢中になってうっかり出るのが遅れてペナルティー取られたら困るもの」
「さすがにそこまでは遅くならないって」
「ダンジョンなんて何があるかわからないのよ。いくら管理されてるって言っても、ここも決して例外じゃないわ」
まあ、彼女の過去の話を知っているから気持ちはわからなくもないが、少し頑なだよな。釈然としない俺がまだ食い下がろうとした時だった。
――ぎゃあああああっ!
俺たちの耳に冒険者のだろう叫びが届いた。
少し遠くから通路を響いてきての声だったが切羽詰まったような複数の男性の声は、敵を倒した歓声じゃない。
紛れもなく恐怖の悲鳴だった。
「まさか魔物に!?」
「あっ待ちなさいイド!」
咄嗟に駆け出そうとした俺の腕をカレンが掴んだ。
「社訓を忘れたの? 仕事を他者に知られたら駄目だって」
「今は補充も終わって他の冒険者とそう変わらないだろ」
「不用意な接触も、顔を知られて業務に支障を来す可能性を上げるだけよ。どうしても関わりたいなら仕事道具を全部事務所に置いてきてからにして」
会話の最中にも悲鳴は声主の危機に比例するように大きくなった。
「そんなんじゃ間に合わないだろ。こんな上層階で危ない目に遭ってるなんてきっと駆け出しの冒険者たちなんだ!」
「ここは魔物が冒険者の命を脅かす心配はないし、仮に魔物が原因じゃなく冒険者同士のいざこざでもギルドが対応するわよ。あなただって規則は知ってるでしょ」
「そういう事じゃない。助けられる俺たちがここにいるんだ。手を差し伸べるべきだろ」
「お節介かもしれないわ」
「それならそれでもいい。たとえ無駄でも手を差し伸べたい。俺は諦めが悪くて今もここにいるが、駆け出しの頃のたった一度の恐怖で二度と立ち上がれなくなる人だっているはずだ」
「それこそ自分の適性を見誤っていたって早いうちに気付けるいい機会になるわよ。駆け出しレベルすら乗り越えられないなら、冒険者を続けるだけ危険だもの」
「それでも知らないふりはできない。俺には伸ばされる手なんてなかったから誰かにそういう思いをさせたくないんだよ。カレンだってそうじゃないのかよ!」
過去の出来事を思い出したのかもしれない。彼女は黙った。いや確実に思い出したよな。……俺は卑怯だな。
だがその隙を逃さず腕を振り切って駆け出した。
「あっ、イド! ――っ――っ、もうっ、知らないわよ!」
まだ続く悲鳴は角を曲がった先からだ。
一人きりだったダンジョンは慣れたし嫌いじゃなかった。だが、時々、本当は、皆で助け合い和気藹々しているパーティーが眩しかった。
親父みたいに信の置ける仲間が欲しかった。彼らと俺は一緒に旅をしていたし今も尊敬する大好きな人たちだ。しかし彼らは俺自身の仲間じゃなく親父の仲間なのだと、どこか隔たりにも似た気持ちで理解していた。実際、親父たちがはしゃいでいる時、どうしてか俺には入って行けない空気があった。若い頃から沢山の苦楽を共にしてきたからこそ築ける絆が羨ましかった。
「はは……。相棒扱いしてくれたカレンを置いて勝手に何をやってるんだかな。これは新人研修中断の危機かもな」
カレンが追ってくる様子はない。きっと独り善がりな正義感だと呆れられたんだ。
ただ、もしもこの先に惨劇があったなら、仲間を失ったトラウマのあるカレンが見なくて良かったとも少し思っていた。まあ惨劇と言ってもダンジョンの制約で死ぬ事はないはずだが。
角を曲がると、今まさに魔物の鋭い爪が腰を抜かした冒険者の脳天に振り下ろされんという場面。
「コーデルハウンドか」
あの魔犬に手こずるようならやはりダンジョン初心者たちだな。見た目は狂暴でも攻撃力は高が知れている。
しかし心はその限りじゃない。
怯えっぷりから言って直撃すれば精神が只では済まない。
「このっ!」
俺は彼らの間に滑り込んで武器の棍棒を両腕で掲げ持つ。
ガキイイインッと金属質な音を上げて硬い魔物の爪と棍棒がぶつかった。
「うぐっ……! な、んだよっ、この重い一撃っ!?」
攻撃を受け止めた両肩両腕に思った以上の強い衝撃が伝わり筋がビキビキッと軋んだ。
コーデルハウンドからこんな強烈な攻撃を受けたのは初めてだった。
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