1 ダンジョンと美少女と落ちこぼれの冒険者

 君の一番の友達になるよ。だから人間を嫌わないでほしい。君を傷付けないから。傷付いて欲しくないから。


 それだけを思って飛び出していた。


 閃く銀光に、赤の飛沫が散った。


 気付けば、いや気付くと言っていいのかわからないが意識はほとんど刈り取られ、自我はほとんど形を成さず、周囲の音を遥か遠くに聞くようにどことも知れない闇の澱に沈んでいく。


 ああ俺は死ぬのか、なんて何となくだがぼんやりとそう感じていた。


 そんな実体のない世界で綺麗なほっそりとした白い手が繋ぎ留めようと俺を掴んだ。

 俺の体のどこかって言うんじゃなく、そこはもしかしたら魂の領域だったのかもしれないが、俺には確かめようもない。或いは苦しさから逃れたくて勝手に見た美しい夢だったのかもしれなかった。


 ――起きて!


 ただ、眠るなと、夢のその手は俺を永遠の深いまどろみから連れ出そうと頑迷だった。


「起きて!」


 そう、こんな風に、必死に。


「起きなさいってば、起きろーーーーッ!」


 でもあれ? こんな怒ったような感じじゃなかった気がする。どちらかと言えば泣きそうで……。


「さもないと宝箱に詰めるわよ、イド!」

「はいいっ!?」


 俺の本能が命の危機を告げ、気付けばぱっちりと目を見開いていた。

 ゴツゴツした岩壁に寄りかかって座り込む俺の目の前には、コンビを組んでいる少女が一人。

 金色の柔らかそうな猫っ毛をツインテールにした女の子だ。

 偶然にも俺と同じ十五歳の彼女は、エメラルドのような緑色の綺麗な瞳を怒らせていた。


「あたしは別に構わないけど、イドはこのまま宝箱に食べられたいわけ?」

「食べ!? めめめめめめ滅相もない!」


 よく呂律が回るわね、と呆れ目の彼女からやや離れた後方には、文字通りの宝箱がパカパカと口を開けたり閉じたりしている様が見える。どこからどう見ても普通にダンジョンに置かれている正真正銘の宝箱が。

 それが、あたかも、肉餌をねだる肉食魚のように大きく開閉を繰り返して……。

 俺は無意識にぶるぶるぶると震えた。


 だって、だってだ、冒険者の頼みの綱、希望の星、見つけて嬉しい取って楽しいダンジョンの宝箱が、罠のミミックでもない宝箱がっ、まさかこんな風にバックンバックン生き物みたいに食欲を主張するなんて誰が思うよ!?


 いや誰も思わないだろ普通!!


 辛うじて無様な悲鳴を呑み込んだ俺が呆然としていると、宝箱は痺れを切らしたのか、はたまた俺たちの隙でも見て取ったのか、こっちに跳躍してきた。


 バウバウ~ッ、とフリスビーを追う犬のように。


 あんぐりと開けられた箱の内部は空っぽで、何の金属なのか黄白色の無機質な箱の底がもろに見えた。

 それがより一層シュールな現実を俺に実感させた。


「うっわあああああああああああ!」


 迫る無機物。


 今度こそ俺は悲鳴を上げ、そして再び意識が遠のいていった。


 事の始まりは――…………。






 ――「勇者」


 それは冒険者を名乗る者にとっての究極の称号の一つ。


 憧憬と羨望の的だ。

 同等の称号には「賢者」や「英雄」と言ったものもある。

 そんな最高レベルの称号は、全部で十程あるらしい。

 故に、いずれも百戦錬磨の冒険者ですら得られる者は極限られている、天の綺羅星の如く到底手の届かない極致と言われる強さが必須だ。

 そこまで登り詰めれば栄誉も財も理想の相手も、そして時に国さえも望むままに手に入ると、そうまで囁かれる。

 人の欲は尽きないが故に世界には多くの冒険者が存在し、彼らは人生を懸け無上の一握りを追求せんと大地を駆け敵を狩る。


 俺――イド・ラルークスも、その一人。


 紐で口を絞るタイプの麻布の道具袋を肩に引っかけ、デニムの裾を安物のブーツに突っ込んで、武器の棍棒を片手に握る。


 棍棒と言っても巨漢のトロールなんかが振るう先が太くてどっしりしたやつじゃなく、鉄パイプに似た装飾の一切ない代物だ。


 冒険者の親父から剣は向いてないと言われて握るようになった物だった。

 白み始めた薄蒼い空の下、猫の額の方が余程広そうな半地下の小さな部屋の施錠を済ませ家の前の狭い路地に駆け上がる。

 半地下は酷い雨が降れば水が入ってくるし鼠も出るし、暗くて湿気も多いから何かと辛いものの、俺みたいなその日暮らしの貧乏冒険者が屋根のある所に住めているだけマシだった。

 一度天気を確かめるように空を仰いだ俺は、凸凹した古い石畳に踵を打って今日の一歩を踏み出した。

 擦り切れた薄いフードマントが翻った。


 現在俺はコーデル王国という国の王都コーデルに暮らしている。


 三階や四階建ての赤や茶色の煉瓦造りの街並みの下、石畳の固い地面を軽快に叩きながらダンジョンへと急ぐ。

 通いなれた道を辿り、王都中心部へと続く曲がり角でようやく速度を緩めた。

 太陽が顔を出すまであと少し。


 ダンジョン開場の鐘はもう間もなく王都全域に響き渡るだろう。


 それが朝の目覚まし代わりって人も多い。

 いつも感じる高揚と緊張を胸に道の先に開けた大広場に入った俺は、思わず足を止めてしまった。


 そこには異彩を放つ古代の巨塔が聳えている。


 暁の仄かな光の中でさえ白く煌々と輝いているそれ――コーデルダンジョンは、世界に数多あるダンジョンの中でも人類が唯一管理できたものらしい。


 地上と地下両方に階層が広がっている。


「は~~~すごッ、いつ見ても壮観だなあ!」


 塔を見上げる俺の横を何人もの冒険者が通り過ぎて行く。

 いつもの事ながら感動を覚えていると、


「――ぶぐっ!」


 とか呻いた声と同時に背中の荷物袋への強い衝撃があった。

 二、三歩前にたたらを踏んだ俺は手に持っていた棍棒を危うく取り落としそうになる。


「――ッたああ~いわねっ! ちょっとあなたねえっ、道の真ん中にぼさっと突っ立ってんじゃないわよ! 大っ迷っ惑!」

「わっ悪い!」


 振り返って見ればそこには俺よか少し背の小さい女の子がいる。

 たぶん年は一つ二つ下くらいだと思う。

 チェック柄の大きなピンクのリボンで結われた柔らかそうな金髪ツインテール。

 背中には華奢な彼女の肩幅よりも遥かにでっかいパンパンの荷物。

 一瞬本格的な登山かキャンプにでも行くのかと思った。


 とにかく有り得ないほど大荷物を背負った少女は、鼻の頭を赤くして潤んだ瞳で睨み上げてきた。


 瞳の色は宝石を彷彿とさせる印象的なエメラルドグリーン。

 俺はまじまじと目の前の相手を見下ろした。

 ぱっと見ツンとした猫みたいだ。

 着ているワンピースはリボンと同じ柄で細い腰には太めのベルト。それに合わせたバックルは大きめ。ちょっとフリフリの付いたスカートは膝丈だ。

 スカートの下の太腿を覆うのは黒いニーハイソックスだろうか。……きっとスカートをめくってみたらわかる。しないがな!

 足元には編み上げブーツ。

 見た所服の上にも下にもアーマーや防着の類は装着していないようだし、冒険者としてはかなりの軽装だ。登山にしてもこの格好はないよなあ。

 あ、普通に見える服が意外にも高い防御機能を備えた服って線もあるか。

 と、少女の瑞々しい唇が今にも舌打ちしそうに歪められた。


「ちょっとあなた聞いてるの?」

「えっ、あ、ごめん何?」

「ボーッとしてないでサクサク足動かしなさいって言ったの。短気な奴だっているし、要らぬ言いがかりつけられたら面倒でしょ。あなたみたいな新米冒険者はカツアゲとか鬱憤晴らしのいい標的よ」

「あー……手痛い洗礼は経験済みだよ」

「あらそうなの」


 彼女はちょっと同情的な目になった。


「でも俺が駆け出しだってよくわかったな」

「弱っちいオーラが駄々漏れてるもの」

「だ、駄々漏れ……」


 弱っちいとか、あけすけな物言いこそトラブルの元だろ。

 頬を引き攣らせる俺を何気なく見ていた美少女さんは、何を思ったか今度はずずいと距離を詰めてきて、珍獣でも前にするように上から下まで俺をじいぃーっと観察してきた。


「は? 何……」

「あなたってこれだけ目立つ真っ赤な頭してるのに、どうしてかしら……気配が薄いわね。だからあたしも気付くのが遅れてぶつかっちゃったのよね」

「……へえ、それはどうも」


 母親譲りのこの赤い髪は珍しいし目立つが、気配が薄いなんて言われようは初めてだった。


「ま、世の中色んな人がいるわよね。うん、そうよね。じゃ!」


 彼女は何やら一人納得してあっさり横を通り過ぎていく。

 しなやかなツインテールが優しいミルクのような香りをふわりと運んできて、俺の鼻腔を擽る。

 ドキリとしつつ無意識に視線で追えば、何が入っているのか規格外の背荷物がすぐさま彼女の姿をすっぽりと覆い隠した。大きな鞄に足が生えているみたいな奇妙な後ろ姿を何となくそのまま見ていると、ダンジョンの地上階層専用の入口に向かっていく。


 コーデルダンジョンの地上階層は出てくる魔物も強く、主に戦闘に練達した中級者以上向けだ。


 反対に俺が今から向かう地下ダンジョンは、初心者や下級者向けだった。


「見かけによらず強いんだ。……俺も頑張らないと」


 羨ましくも悔しくも、頬を両手で叩いて気合いを入れた。

 そんな時だ。


 ――ゴーン、ゴーン、ゴーン……。


 トータル十回に及ぶ開場の鐘が高らかに鳴り響いた。

 空に明暗があるように。

 人に眠りと覚醒があるように。

 ダンジョンは、聖から――魔へ。


「うわもう時間か!」


 急げ急げと地下ダンジョン入口へと走った。






 この世界には数多のダンジョンがある。

 人類誕生以前より存在していたとも言われるそれらは、古代の何者かたちの遺物とされている。

 学者たちの中には彼らを魔神や古代神と呼ぶ一派もいる程に、ダンジョン技術全般や規模は俺たちの文明レベルよりも遥かに進んでいて神懸かっている。


 有史以来世界各地のダンジョンに足を踏み入れて来た人類は、しかしまだまだ多くを未踏の地としていた。


 冒険者はそんな未知なるダンジョンを調査する人材として世界から必要視されている。


 だから大工や医者と同じく一つの職業としての位置付けがあるんだ。

 志願者は、世界共通の機関である冒険者協会ギルドに加入するだけ。

 登録は無料。

 たったこれだけで晴れて堂々と冒険者を名乗れるようになる。

 報酬は出来高制だし完全実力主義社会でシビアな面は多々あるが、その反面成功すればリターンも大きい。

 勇者や英雄などの称号を持つ「十強」たるクラスまで到達しなくとも、そこそこの実力があれば元下級民が貴族並みの暮らしが出来るくらいには懐が潤う。

 冒険者業が人気職なのはそれもひとつの理由だった。






 意気揚々と地下コーデルダンジョンゲートに入る際、俺は見えない魔法の膜のような物を通り抜けた。

 領域の内と外を明確に区切っている魔法結界らしく、それがあるおかげでダンジョン内の魔物は外には出て来られないんだとか。

 入ってすぐに、魔物の巣窟へと至る幅広の坂を下りていく。

 ほぼ毎日、期間にしては既に三か月も通い続けた見慣れたダンジョン通路は、剥き出しの岩肌が四方を囲む洞窟仕様だ。

 壁際には点々と魔法の光源が取り付けられている。

 視界が利くので特に明かりを手に持つ必要はなく、他のダンジョンでは考えられない便利なこの内部も、人類管理の賜らしい。


 この地下1階から始まる下級者向けのダンジョンでは、魔物の強さは下階に行くほど強くなる。


 最下層の地下30階に出るような魔物は、地上から始まる練達者向けダンジョンの最初の方にも出てくるらしい。


 所は地下1階。

 一人通路を進んでいると、


 ――グルルルル、ルルルル。


 通路の向こうから獣の低い唸り声が聞こえてきた。


「早速お出ましか」


 この日最初の魔物は、コーデル国では最弱の魔犬と言われるコーデルハウンドだった。


 ダンジョンでも王都周辺の荒野フィールドでも、このコーデル国にしか生息しない固有種だ。

 灰色い毛並みはごわごわして硬そうで、ドロップアイテムは獣の牙や毛皮。


 相手は一匹、こっちも一人。


 ここに通い始めて早三か月、相手に不足はない。

 この世界では、能力値上昇、つまりレベルの上昇は魔物から得られる経験値によってなされる。

 上がり幅は平均はあるが人によって異なり、測定はギルドで手軽にできる。

 高位者の中には、見た目だけではわからない猛者も多いというのだから、レベルとは不思議なものだと思う。


 でも俺は初期値のままだ。


 何故って?


 何せこの五年、魔物を一匹たりとも倒していないんだから当然だ。


 しかもこの五年、このダンジョンに来るまで魔物の一匹にも遭遇すらしなかった。


 さらに言えば五年より前の経験値は、生死の境を彷徨った大怪我のせいなのかすっかりリセットされていた。


 そんな稀な現象もあるのかと医者も首を傾げていたっけ。

 人間死ねば経験値は天地に還り無くなるが、俺もほとんど死んだも同然だったから四捨五入で死んだ認定されたのかもしれない。


 グルルガウウガウウウウ!


 種が違うんじゃないかと思うくらいに、荒野にいる個体よりも遥かに好戦的な灰色魔犬コーデルハウンドは、俺と目が合うなり襲いかかってきた。

 ほとんど荷の入っていない道具袋を肩から下ろし、左手に携帯していた細めの棍棒を勢いよく回転させながらピタリと両手に静止させ、真一文字に構える。

 次の瞬間、ガキィンッと棍棒と魔犬の爪が激突した。

 膝を落としぐっと両脚を踏ん張って押し返す。

 距離を取ったついでに棍棒を威嚇のように風音を立てて回転させ、突きの構えで先をピタッと向けてやった。これが槍だったなら切っ先が相手に真っ直ぐ向いていただろう。

 ちょっと大袈裟な動作に魔犬は目論見通り怯んだように足踏みする。

 よし、これで少しは気を引ける。


「落ち着け、俺は争うつもりはないんだよ!」


 相手が人語を解するのかは定かじゃない。だが俺の呼び掛けに魔犬の唸り声はやや困惑したものに変わった。しかし仕切り直すように低く構えて再び襲いかかってきた。


「だから落ち着けって!」


 再度棍棒で爪を受け止め弾くと、爪が駄目なら牙だとでも言うように今度は噛み付き攻撃が迫る。


「ああもうだから落ち着いて話を聞いてくれよ……!」


 相手の攻撃を止めるための苦肉の策で棍棒を噛ませたら魔犬の牙が幾つか砕けた。

 げっマジ!?

 向こうも思いもしなかったんだろうダメージに「ギャウッ」と悲鳴を上げる。


「うわ~ごめんな。一体何で出来てるのか知らないがこれホント頑丈だな。それにほらこうなるから攻撃をやめろって言った――わあああ!? だっから俺にはお前と戦う意思はないんだって!」


 魔犬は棍棒から牙を離すと懲りずにまた爪攻撃を仕掛けてくる。


「怒るなって!」


 ここの魔物の闘争本能なんだろうが、俺は仕方がなく何度も爪を弾き飛ばす。


「なあってば!」


 終いには体当たりさえ受け止めて訴える。


「俺はお前と戦いに来たんじゃないんだって!」


 二撃三撃四撃……とそんな事を何度も何度も繰り返す。

 しかしこのままじゃじり貧だ。頬に届くぎりぎりのところで爪を食い止めた俺の両腕は疲労を蓄積させている。それは魔犬も同じで、だいぶ息も荒いし攻撃威力も落ちていた。


「ああもう、俺の話聞いてくれよーっ!」


 いい加減泣き事よろしく感情的に叫んでしまえば、バチッと眼が合った獣は明らかな動揺を来した。

 え、もしや手応えあり?

 もう少し粘ればもしかしたら今日こそはいけるかも?


「なあお前俺と」


 グルルルルルワォフ!


 唐突に魔犬は戦闘を止めると背を向け、後はもう俺を一顧だにせず走り去って行った。


「え……。えー……。またかよ……。また逃げられた。何でだ。俺ここの魔物たちとは相性が悪いのか……?」


 俺は魔物を倒さない。


 巷の冒険者は魔物を倒して経験値を得て強くなっていくものだ。


 だが俺は殺さない。


 本来、経験値は魔物を害さずとも手に入るからだ。


 なのに世界は魔物を討伐して得られる方法だけに固執している。

 その方が手っ取り早いし経験値も総取りできるからだろう。


 経験値は魔物に分けてもらえるってのに。


 ただそれには仲良くなる事が前提で、経験値量も討伐時の半分以下ときている。

 しかしそれこそ大昔は、人と魔物は仲良く共存していて経験値を分けてもらっていたらしい。

 俺は物心つく頃からずっとその方法で魔物と接してきた。

 心を砕けば魔物にだって通じるものだ。

 世界中を回ったわけじゃないが、コーデルダンジョン以外で出会った魔物たちはそうだったから。


 この世界じゃその方法は廃れ、半ば忘れられてしまった。


 加えて言えば、どうしてここの魔物が好戦的に過ぎるのか、理由は知らない。


 ダンジョンの特色かもしれない。

 昨日までも試みは全敗だった。それでも俺は今日も諦められずに言葉を掛けたんだ。


「おおーいそこの坊主ー! 悪いそっちに行っちまったー!」

「へ?」


 呆然としていた俺の背後から飛んできた慌てた声と、肌に刺さるような殺気。

 間抜けな顔で振り返った俺の視界に手負いの角ウサギが入った。

 冒険者との戦いで負った怪我のせいで気が立っており、進行方向の人間の俺を敵認識したのは明らかだった。

 咄嗟の防衛反射で棍棒をスウィングする。


 あ……やばっ。


 角ウサギは通常だったら俺の一撃で昇天なんてしない。

 だが今は違う。もう見るからに限界で、俺の棍棒でも当たれば討伐されてしまうくらいに衰弱していた。

 そんなつもりはないのに攻撃を止められず、急激に膨れ上がる罪悪感に目を閉じそうになる。


「ごめんっ――――……?」


 しかし、俺の棍棒は魔物に当たらなかった。


 寸止めというより器用に寸止め距離で避けたのだ。


 俺の体が勝手に動いて。


 その拍子に体勢を崩して尻餅をつく俺の傍を逃走中の角ウサギが飛び跳ねていく。

 満身創痍の中、魔物特有の真っ赤な瞳が横目にじっと俺を見ていた。先程の魔犬同様困惑を宿して。

 その後をそいつと戦っていたおっさん冒険者が苦笑と共に追いかけて行く。


「悪い悪いつい逃がしちまってな。だがあんなの獲物の横取りだなんて思わんから遠慮なく倒してくれて良かったんだぞ?」

「あ、はは……」


 やっぱりそうなのか。

 決して意図してやったわけじゃない。


 どうしてか、本当にどうしてなのか、俺は魔物にトドメを刺せない。


 そんなつもりなんて端からなかったから助かったと言えばそうだが、俺の中の何かが邪魔をする。


 まるで見えない力に押さえ込まれたように体が言う事を聞かない。


 コーデルダンジョンの初日からずっとそうだった。

 あの時は虫の息の魔物を見つけ、俺に出来る事と言ったら苦痛を長引かせないようにしてやる事だろうと棍棒を振り下ろした。結果は今と同じで結局何も出来なかった。

 ゆっくりと立ち上がって服に付いた汚れを払う。


「はあ、仕方ない。今日もアイテム収集にするか……」


 普通、冒険者は魔物討伐で得た魔石――魔結晶や魔宝石に分類され「モンスタージェム」と呼ばれる――をここ王都のギルド本部なり換金所に持ち込む。

 結晶や宝石と名の付く通り見た目は綺麗な石で、人工的に製造は不可能らしい。

 よってある意味貴重な鉱物資源のようなものだからか、ギルドの方針で換金対象なのだそうだ。冒険者はそれと引き換えに各国通貨を得られる仕組みになっている。

 まあそういうわけだが、魔物を倒さないし倒せない俺はジェムを得られない。

 だがしかし生きるためには稼がないといけない。


 よって俺はダンジョンで取ったアイテムを売って換金し、生活費に充てていた。


 装備だって買い替えないとそろそろ本気でヤバいから尚更にお金も必要だったし、ここ最近は特に熱心にダンジョン各所の宝箱を回って収集に取り組んでいた。

 俺が今簡素な服の上に装着しているのは薄っぺらい板金の胸当てで、ベルトを通したジーンズはそもそも冒険者用に防御力を付与された物じゃない一般向け衣類だし、冒険用マントだって中古品な上所々擦り減って虫食い状態だ。

 俺はボロボロの自分の装備を触りながら溜息を落とした。


 換金額アップのために少しでも多くの道具を集めるには、魔物との遭遇を避けるのがベスト。


 よって今みたいな中途半端な戦闘はぶっちゃけ時間の無駄だった。


「……無駄、か」


 そう思ってしまった自分が苦い。

 和解しようと試みた自分の努力を自分で貶めてどうするんだと自嘲が浮かんだ。

 気を取り直し索敵を展開しようとして、


 ――気配が薄いわね。


 何故かダンジョン前広場で会った少女の言葉が耳の奥に蘇った。


「ハハ、こんなことばっかしてるからあんな風に言われたのかも」


 仕方がないとは言え、ここ最近はずっと索敵と気配や足音を殺す隠形おんぎょう消音しょうおんのスキルばかりを駆使している。

 これはレベルに関係なく使用経験がものを言うので、俺のこれら能力は図らずも磨かれ、レベルの割に高いに違いなかった。


 今日も、最初の魔犬が駄目だとわかって早々に心が折れた。


 初めはこんなじゃなかった。

 朝から晩まで魔物と向き合おうとしていた。

 されど心は疲弊する。


 こんなんじゃ勇者になるなんて夢のまた夢だろう。


 わかっているのにそうできない自分に苛立ちともどかしさを感じていた。


「はあ。早いとこ取り掛かろう」


 そうは言いつつも俺は奮起できず、辛気臭い頭でトボトボと歩き出す。

 能力的に一人で何とか安全に行ける地下10階くらいまでは、宝箱の位置のほとんどを記憶しているし、運が良ければ他の冒険者のジェムの取り忘れなんかも拾えるし、植物や鉱物などの素材アイテムも収集できるから、この方法も決して嫌なわけじゃない。

 ……地道過ぎるだけで。

 ダンジョンに潜っているくせに経験値も稼げずに、冒険者依頼クエストをこなすでもない毎日。

 悲しい事にそれが俺の現状だった。

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