Episode.19 この決戦に『決着』という存在があったら
熱い。腹部が。胸部が。どんどん熱くなってくる。今にも燃えてしまいそうだ。
何かが流れ出ている。ぽたぽたとかそういうのではない。大雨の降った次の日の川のような勢いのある流れだ。
意識が朦朧としてくる。さっきとは比べものにならないくらい早く、遠くに。一分も持たないかもしれない。
誰かの悲鳴が聞こえる。女の声だ。それしかわからない。
誰かの笑い声が聞こえる。女の声だ。そいつが誰かは安易に予想できる。
剣を持っていた腕に力が入らない。腕が上がらない。足も動かない。その場にうつ伏せになるようにして倒れている。床の冷たい感触が頬に直に伝わってくる。
「・・・・・・」
言葉が出てこない。喉まで出てきても、そこから上には出てこない。腹に力を入れて思いっきり叫ぼうとしても、まず腹に力が入らない。体全体に力が入らない。
癪に障ったので、腹に手を当てる。どうして力が入らないのか確かめるためだ。
「・・・・・・!」
触れた瞬間、ヌルッとした感触がした。濁流のように流れている。手を見ると赤く染まっている。鉄の臭いがする。これは──
「──血!」
そうだとわかった瞬間、俺は発狂した。叫んだ。
「ああぁぁぁぁ!」
断末魔を上げると、何かが腹からこみ上がってくる。それを思いっきり吐き出すと口の中は鉄の味で侵された。
吐瀉物を見ると、それは血の塊だった。俺は、勢いよく吐血した。
口の中を切ったことは一度あったが、これほどの苦みではなかった。
つまり、これは経験のない味。今まで味わってきた味を忘れてしまうほどの味。
ふと、夜空の顔が思い浮かんだ。人を馬鹿にするような目で俺を見ている、いつもの夜空。
そういえば、あの時夜空が言おうとしてたことまだ聞いていなかった。夜空が部室から飛び出していき、トイレに逃げた時だ。
何か言いたげだったので考えをまとめさせてから話そうとしたのだが、熱があったので聞けなかった。あの時に何を言いたかったのか。やけに真剣に俺を目を見つめていた。もし、このまま意識が闇に葬られてしまうのであれば、俺はそれだけが心残りだ。一生この世界に霊として漂い続けるだろう。
いいや。それはこの戦いに終わってから考えることだ。他にもっとやるべきことがあるはずだ。現に、腹部と胸部の燃えるような痛みがじわじわと和らいでいる。あいつの魔法か?
しかし、俺の言うあいつは何もしていない。むしろ驚いた顔をしている。予想外の出来事だったのだろう。
じゃあ誰が?
気にしても気にしても答えは出てこない。この場にいるのは俺とあいつと夜空だけだ。
てことは夜空が?
いいや、彼女は魔法が使えない。何の能力も持たない、俺と同じ無力な亜人族だ。
そこで疑問は再びふりだしに戻る。誰だ。
「・・・・・・!・・・・・・フフフ」
あいつが不気味な笑い声を上げている。その理由を俺は知らない。恐らく、夜空も知らない。
「どうやらこれが最終ラウンドになりそうね。あなたは回復魔法が使えるらしいから一気に片をつけないと私が負けてしまうわ」
「それはどういうことだよ」
完全に傷が癒えた俺は何事もなかったかのようにスッと立ち上がる。腕を回しても痛くないし、腹部を触っても布の感触しかない。服の傷も癒えたらしい。鉄の臭いもなければ味もしない。体も軽い。
完全回復。今の俺の状態に一番適切な言葉だ。
「もう終わりかよ。随分と短い決闘だな」
「正しく言うなら『決戦』ね。私が負けるということは、この世界の創造主がいなくなるということになるから」
さらっとこいつはとんでもないことを口走った。
は?世界の創造主?ネオ学園の学園長?
どう頑張ってもこの二つをイコールで結びつけるのは無理だ。何を言っているのだこいつは。夢でも見ているのだろうか。
「これは紛れもない事実よ。私はこの世界を作り、この学園、ネオ学園をも作った言わば神的存在なのよ」
「・・・・・・にわかには信じ難い事実だな」
「よく言われるわ。そこにいる夜空ちゃんにも同じことを言われたのだから」
「夜空?」
「えぇ。実はここに連れてこられた時に言われたのよ。黙っててごめんなさい」
遠くにいるのでお互い叫んでやり取りをしている。何だか馬鹿らしく思えてくる。
「んで、この世界のトップに君臨する神がこの世界のどん底に佇んでいる俺と勝負をして負けたらこの世界はどうなるのさ」
「簡単な話よ。私が殺されれば殺した人が神殺しを達成したということでその人が神になる。下克上に似ているのよ」
「ちなみに今までその神殺しを達成した馬鹿な人は?」
「いるわけないでしょう。そもそも私が神だということは誰にも知られていないのだから」
「それじゃあある訳ないな」
「そうよ」
淡々とやり取りを交わしているうちに、俺は何のために戦っているのかを見失ってしまいそうになった。
俺は神になるために戦っているんじゃない。夜空を救うため、夜空を盗んだ罪を償ってもらうために戦っている。
それなのに、何故殺し合いになる?何故神の座をかける?
「この決戦に勝ったら夜空ちゃんを解放してあげてもいいわ。少し惜しいのだけれどね」
とんでもないことを言っていることを自覚しているのだろうか。不安になる。夜空を解放してくれるのなら文句はない。
しかし、そこである矛盾が生じる。もし俺が勝ったらどうやってあの鎖を解く。鍵を持ってるのは恐らく、こいつだけだ。俺が勝てばこいつは死ぬ。死体を漁れば出てくるだろうが、俺にはそんな勇気ない。ヒビりなどと言われても仕方ない。
こいつは今も俺の心を読んでいるだろう。早く、早く答えを出せ。
「そうねー、確かにその心配もあるのよ。どうすればいいかしら?」
「知るか!おまえがやったんだから解決策はおまえが考えろ!」
「全く、さっきから神である私をおまえ呼ばわりだなんて、失礼だわ。お仕置きが必要かしら?」
「神だと思えねーからおまえって呼んでるんだ!」
「辛辣ねぇ」
息切れを起こす。何で普段のツッコミをこの大事な場面でもしなくちゃいけないのだ。気が滅入ってしまいそうだ。
「ほら、早く剣を手に取って。最終ラウンドなのだから本気でね」
「さっきのが本気なんだけどな」
「じゃあリミッター解除したら?」
「他人事みたいに言うな!そんなもの俺にはない!」
「あら残念」
口ではそう言ってても、顔は何とも思っていないということを語っている。悔しい。
しかし、そんな調子を保てたのは今のが最後だ。この場の空気が張り詰め、ギスギスとしている。居合いの直前のようだ。
俺は自然と身構えていた。目の前に立っているあいつが凄まじい覇気を纏っているからだ。
次の瞬間、何かが見える。一本の白い直線。それは歩くスピードで俺に近づいくる。
俺に当たる寸前で俺はそれを人混みをすり抜けるように回避。
するとそこへ目で追えないほどの速さで何かが飛んでくる。
間一髪のところで回避した俺は何が起きたのか理解できず、その場に立ち竦んだ。
「あら、今のを避けるとは、なかなかやるわね」
「い、いや・・・・・・」
単純に一本の線に当たらないように避けただけだ。そこへ偶然、あいつが放った物体が飛来しただけだ。一ミリのズレもなく、線をなぞるようにして。
再び線が伸びてくる。今度は俺の顔目掛けて真っ直ぐ伸びてきている。
当たる寸前で俺は首をなるべく九十度に近い角度に曲げる。
するとまた線の通りに何かが飛来する。
これは何だ。
今の二回。偶然とは思えない。
あいつの手元から伸びる白い線。それをなぞるようにして飛んでくる物体。線が伸びてくるスピードこそ遅いが、飛んでくる物体のスピードは目に追えないほど速い。
つまりこれは──
『弾道予測線』
俺にも見えた。いつか見てみたいと思っていたもの。しかも、それが伸びてくる速度は遅い。チート能力に近い。これなら何でも避けられる。
「・・・・・・フフフ」
不気味に笑う。もう聞き飽きた。あの世界で何度も聞いた笑い声。その正体がこいつだ。
その事実に無性に腹が立つ。
俺は一か八かで突っ込む。真正面から突進して切るか当てられるかのどちらかだ。
飛来してくる物体の威力は計り知れないが、ここで勝負を決めると言っているくらいなので、よほどのものだろう。
「うおぉぉぉぉ!」
がむしゃらに足を前に前に出す。これ以上速く走れないというほど。
その間にも物体は飛来する。弾道予測線がゆっくりと伸びてきて、俺の体に当たる前に避ける。そうすることによって物体との接触を回避することができる。
距離が近づけば近づくほど飛んでくるペースも早くなってきて、弾道予測線での対処も厳しくなってくる。
あと数歩というところで悲劇は起きる。
一本目の予測線を躱し、いざ勝負と前を向いたところでもう一本、別の予測線が俺の体に当たる寸前だった。
「まずい!」
と思った時には時既に遅し。俺は死んだ。──そう思っていた。
だが、
「・・・・・・?」
反射的に瞑っていた目を開くと、不思議な感触に襲われた。
体全体が非常に重く、身動きが上手くできない。
気になっていた予測線の方に目を向けると、俺の膝に当たる寸前のところで止まっていた。あいつの手元には黒い物体がある。見たことのないものだ。それは今にもあいつの手元を出発して相手を痛めつけようと躍起になっている。
この現象の原因はわからないが、とりあえず危機は脱したようだ。
機敏に動かない足をやっとのことで動かして、予測線から逃れる。
すると、突然指パッチンの音が静寂なこの空間に響き渡ると、世界は動き出し、物体が飛来する。
そこであいつの動きは止まった。
「・・・・・・フフフ。そろそろ終わりかしらね」
そう言い、あいつは思いっきり後ろに振りかぶる。
そこを俺は逃さなかった。
反射的に動いた足を頼りにあいつの元まで走り、俺の片手にガッチリと握られた剣であいつの胸を一突き。あいつの動きは止まっている。
「・・・・・・・・・フフフ・・・・・・フフフフフフフフフフフフフフフ」
狂気じみた笑い声を上げて震えている。
これでこいつは終わりだ。
剣を引き抜き、もう一突き。今度は腹部だ。それでも尚、こいつは笑い続けている。
剣は軽々こいつの体を貫通している。引き抜けば大量出血で死は免れない。
勝負はついた。
「もう、終わりだ」
剣を引き抜き、こいつの顔の前に突き出す。その瞬間、こいつはその場に膝立ちになって天を仰いでいる。
「フフフフフフフフフフフフ」
未だに狂気じみた笑い声を上げている。怖くなり、俺は一本後ずさりしそうになる。
だが、それは本来の目的を忘れていればの話だ。俺はしっかりと覚えている。
「早く夜空を返せ」
その一言でこいつは笑いを止めた。
「名は」
「はい?」
「君の名前は?」
「いや、おまえが俺のこと転移させてくれたんだろ。それに、ここに特待生として招いたのもおまえだろうし」
「君の口から直接君の名前を聞きたいのよ」
「はぁ・・・・・・隼斗です」
「フルネームでよ」
意味がわからないが、一応答える。
「霧島隼斗です」
「霧島隼斗・・・・・・いい名だ。この世界でもその名字と名前を決して忘れるのではないよ」
「は、はぁ・・・・・・」
理解に苦しみ、生返事をしてしまった。
突然、こいつ、いいや、学園長は床を思いっきり叩いて俺は飛び上がった。
「君はビビりなのね」
「・・・・・・構うな・・・・・・です」
「おお、敬語やっと使ってくれたね。あー心残りだわー。君が私に敬語を使って接してくれる日々を送りたかったわ」
「こんなことしなければ叶ったでしょうね」
「そうねー、確かにそうだわ。もし私が神でなければこんなことをしなかったでしょうね」
「それはどういう?」
「簡単な話よ」
「また簡単なんですか・・・・・・」
「私にとってはね。それでこんなことをしたのは神の務めなのよ。まー私が勝手にそう思ってるだけなのだけれどね」
つまり、学園長が、いいや、神が自分勝手に作った設定でこんなことをしているという訳だ。実に馬鹿げている。
「あなたは自分の勝手な設定で今から死ぬと」
「そうなるわね」
「この世界は馬鹿しかいないのかー!」
「あら、神である私に不敬だなんて、末代まで呪うわよ?」
「それだけは勘弁」
「ちょっと隼斗。そろそろ私を解放してほしいのだけれどー」
遠くで叫んでいる。ひとり寂しく二人のやり取りを見ているほど退屈なことはない。
「はいよー。今頼むわー」
叫び返したが、返事はない。呆れているのだろう。
「てな訳で、頼みますわ」
「そうね、約束は約束だものね」
神は先ほど床に思いっきり叩きつけた手をすうっと上に上げると、手に向かって息を吹きかけた。
「これで大丈夫よ。夜空ちゃんを守ってあげてね」
「神なんだからあいつのこと見守ってればいいんじゃねーの」
「それは無理よ。私は死んで転生するのだから。次は平和的に生きたいわね」
「まさか、神の権利で勝手に転生する動物決めるとか言わねーよな?」
「最後の権利行使ということにしておきましょ」
「ダメだろ!」
俺が阻止しようとしたが、もう遅かった。何かを唱えている。その中から『アジン』と聞き取れたので、俺は目を見開いてしまった。
呪文のようなものを唱え終わった神は俺を向いて
「来世はあなたたちの子供かもしれないわね」
などと戯言を抜かした。
「いいえ、これは冗談ではないわ。この世界にいる亜人族は君と夜空ちゃんの二人だけ。そんな中で亜人族として転生するのだからあなたたちの子供以外ありえないじゃない」
いい加減心を見透かすのはやめてほしい。
「じゃあまずこれを聞きます。今のこの世界の神は誰ですか」
「君よ」
「神の権限の中に、他の世界から転移させるというのはありますか」
「あるわ」
「じゃあそれを行使させていただきます!他の世界の亜人族と呼ばれる人物をこの世界に大量に転移させます!」
「鬼畜すぎるわね・・・・・・まーいいわ。私が言いたいのはあなたたちが結ばれることを祈っているということだから」
「!」
唐突に恥ずかしいことを言われても困る。体が熱くなってくる。頬が一番熱い。
そこへ夜空が息を切らせてやってくる。
「はぁ、はぁ・・・・・・それで、こいつが主犯なのかしら」
「まーあながち間違っちゃあいねーな」
「むしろ正解だと思うのだけれど?」
今のは神の声だ。声音が瓜二つなので顔を見ていないとどちらが喋ったのか判断できない。
「一発殴ってもいいかしら」
「おいおい、オーバーキルはよくないと思うぜ?死体撃ちすると
「今はあなたのゲーム事情なんてどうでもいいわ。それより、私のこのムカムカを何とかしてほしいのだけれど」
「壁でも殴ってたら?」
「じゃあこいつの壁を殴ってもいいかしら」
「やめろ!傷口があるから!それにさり気なく精神攻撃するのもやめろ!」
胸のことをあまり意識しないようにしていたが、夜空の発言により意識してしまう。確かに盛り上がりのあるはずの部分は平たかった。
そんなことより、いつまで神は生きているのだ。出血量はとんでもないはずだ。現に、赤い池ができている。
「あなたはいつまで生きてるんだ?」
「あなた、随分と弱腰になったわね」
そんな呆れた声を無視して俺は神をじっと見つめる。
「んー、あと十分と言ったところかしら」
「なげーな!」
「神だもの」
「全く、いつからこんなに仲良くなったのかしら・・・・・・」
「でも、そろそろ皆さんにも登場してもらわいとですね」
「は?」
首を傾げる。夜空も疑問符が頭の上に見えるほど首を傾げている。
「皆さーん、姿を見せてもいいわよー」
神の視線をたどる。そこには何もない。
しかし、一瞬にして『彼ら』は姿を現した。
「よう隼斗ぉ!よく頑張ったなぁ!」
「お疲れやー!」
「隼斗ー!お疲れー!」
「お疲れ様です」
「おつかれー」
「よく勝ったね・・・・・・」
「そ、その・・・・・・おめでとうございます!」
そこには、ここにいるはずのない連中の顔ぶれがあった。
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