Episode.12 この少女に『熱』という存在があったら

 ──何故、私はこんなところにいるのだろう。こんな狭いところで独り泣いているのだろう。

 そもそも、何故泣いているのだろう。わからない。思い出せない。

 だから、今、扉が忙しなく叩かれていることに気づけない。

 おい!夜空!早くここを開けろ!てか開けるぞ!」

「・・・・・・あら、そんなことをするなんて、あなたも恥知らずな男ね」

 私の声は、震えていた。無意識のうちに、震えていた。

 そのことに気づいたのか、扉を叩く音が止む。

「・・・・・・落ち着いてからでいいからよ、必ず出てきてくれよな」

 それだけ残すと、声の主の気配は段々と遠退いていった。──またさっきと同じように、再び孤独が訪れる。そんな予感がした。

 だが、そんなのお構い無しだ。こんな酷い顔を見られたら絶対に笑われる。例えそれが──。

「──私が惹かれた、隼斗であっても」

 口にすれば頬と胸が熱くなるのを感じる。

 ──隼斗隼斗隼斗隼斗隼斗隼斗。

 名前を口にする度、胸が満たされていく。毎日の生きる糧になる。いつからこんな風になったのだろうか。

「・・・・・・嫉妬、ねぇ」

 彼は私以外の人物には明るく振舞っている。私に冷たくしているという訳では無いが、どこか適当に流している感じがする。そんなのは嫌だ。もっと、私を、構って欲しい。

 こんな風に思い始めたのはいつごろからだろうか。

「あの時、かしらね・・・・・・」

 あの時。そう、転生前の出来事。それを彼は覚えているだろうか?覚えているのなら、今頃とっくにお互いをわかり合い、共に笑い合いながら生活していただろう。それが無いということは……つまりは、そういう事だ。

 なら、私は──

「・・・・・・そろそろ行こうかしらね」

 考えを中断し、私は扉に踵を向け、ドアノブに手をかける。捻る寸前、一度振り向き、少しの間だったが、確かにここにいた証を見つめた。

『また、逃げるの?』

 申し訳無かったが、個室の壁にいつも携帯しているマジックペンのようなもので書いておいた文字。──小さく、なるべく見つからないような場所に。私しか知らないような場所に。

「さて、そろそろ私も頑張らないといけないわね」

 今度こそドアノブを捻って寂寥感がある、空虚な空間から抜け出す。

 刹那、あまりの眩しさに、私は目を瞑ってしまった。

 でも、すぐそれに慣れて──

「全く、か弱い女の子を置いていくなんて、とんでもない男ね、あなたは」

 誰にも聞かれることなく、遠いところを見つめ、ひとり寂しく呟き、微笑する。

 廊下の突き当たりには隼斗の姿が見える。

「ま、そういう人なのかもしれないわね」

 そこへ向かう足取りは、普段より早くなっていた。

 

 「美しくてか弱い女の子を置いていくなんて、あなたの不親切さに度肝を抜かれるわ」

 さっき独りで呟いたことを復唱する。

「そこまでかよ!さすがにそれは言い過ぎじゃね!?それに気力失わないでね!?」

「・・・・・・あなたと話していると、気が狂ってしまいそうだわ」

「それはいい意味として受け止めておくよ」

 とりとめのない会話をいつも通り挨拶替わりにして、私は隼斗の隣──ではなく、向かい側のベンチに腰掛ける。

 しかし、この学園のベンチの数は異常だ。私のいた学校にはこんなになかった。──それは隼斗も同じことか。

 目のやり場に困る。──訳が無い。私はただ一点。隼斗の目を見つめていた。

「・・・・・・んで、話す内容はまとまったのかよ」

 堪えかねたのか、隼斗の方から屈した。視線を逸らし、髪をポリポリと掻いている。なんてチョロい男なんだ。本当に不安になってくる。

「ええ。おかげさまで」

 なんだか私まで照れくさくなってきた。

 ──何故?今まで通り、堂々としていればいいのだ。

 今まで経験したことのない感覚に頭が熱くなっていた。クラクラする。

「──って、おまえ顔赤いぞ!?ちょっと失礼・・・・・・あっつ!熱あるし!」

 いつの間にか隼斗の手が私の額に触れている。隼斗の熱を直に感じる。暖かい。

「おまえ、熱あるんなら早く言えよな・・・・・・。ほら、帰るぞ」

「・・・・・・帰る?」

 頭の処理が追いつかず、目から入ってくる情報と耳から入ってくる情報とが混同し、混乱する。

「夜空は今、熱があります。ですので、早退します。以上!異論は認めん!」

 こんなに親切な隼斗を見たのは初めてだ。胸の奥で何かが渦巻いている。よくわからない。

 わからないわからないわからない──。

 そもそも、何故惹かれた。何に惹かれた。それすらもわからない。わからない事だらけだ。

 それと同時に、それを知りたいとも思う。この感情は何なのか。何に惹かれたのか。知りたい。

 そして、隼斗の気持ちも──

「・・・・・・あまりにも、強欲かしらね」

 この世に存在すると言われている七つの大罪。そのうちの一つの『強欲』。私は罪を犯している。許されざる罪──大罪。

 その罪を、隼斗は許してくれるだろうか。神ですら許さぬ罪を。

「どうしたんだよ、そんな難しい顔して」

 不意に声をかけられ、目を見開いてしまったが、すぐにいつもの調子に戻した。

「いいえ、大した事では無いわ。それに、話すほどのものでも無いわ」

「そうか。無理はするなよ。ほら、そこ段差あるから気を付けろよ」

 言われた瞬間、私の胸が苦しくなった。

 こんなことを平気に言える隼斗が羨ましい。私も、こんな風になれるだろうか?無理だ。こんなにいい顔をできない。私は一生、周囲の人の敵としてあり続ける・・・・・・隼斗にも、だ。

 そんな決意をしている傍らで、隼斗は私の肩を抱きながら、淡々と前へ前へ進んでいる。時折、私の方を見ては少し遅めたりしてくれている。

 

 無言のまま昇降口に辿り着き、そこからも無言で寮まで向かった。

 時々、「大丈夫か?」とか「おんぶしてやろうか?」など、言ってくれた。後者の方を言われると突っ込もうか迷うが、何故かそんな気力が出ない。

 あともう少しのところで、私は異変に気がついた。何だかさっきより一層、体が重くなったような気がする。だるいような感じだ。

「ごめんなさい。ちょっと休んでもいいかしら」

 お、おう。無理はすんなよ」

 また胸が苦しくなる。何が私を苦しめているのかわからない。

 道端に寄り、体育座りをする。一番落ち着く体勢だ。

 そんな気休め程度の休憩をしている時に、それは聞こえてきた。

 

 「・・・・・・フフフ」

 

 どこかで聞いたことのある声。この世界に導かれたのも、この声が原因だ。辺りを見回す。誰もいない。

 一体誰が?

「──あなたは誰なのかしら」

 心の中で問う。相手にちゃんと聞こえているだろうか。

「・・・・・・フフフ、それはいずれわかることよ・・・・・・」

 初めて笑い声以外の声を聞いた。透き通っていて、聞き入ってしまいそうな声音だ。

「・・・・・・何か、手がかりでも貰えると助かるのだけれど」

 名前も、顔も知らない相手に頼み事をする。少しばかり不安になってくる。

「そうねー・・・・・・その答えは、あなたの傍にある。とだけ言っておくわ・・・・・・フフフ」

 胸の中にあった人の気配は最後の笑い声と共に消え去った。

 ──今のは一体何だったのだ。

「──!おまえ、また顔真っ赤だぞ!?大丈夫かよ!?」

「・・・・・・え、ええ。大丈夫よ。熱が上がったのかしらね」

「大丈夫じゃねーじゃん!ほら、おぶるから背中に乗れ!」

「あら、セクハラされるなんて死んだ方がマシだわ。それも、隼斗何かに・・・・・・」

「?どうしたんだよ」

「い、いえ、何でもないの・・・・・・気にしないで」

「お、おう・・・・・・ほら、乗れ」

 その一言に屈し、大人しく従って乗っかる。

「ぐぉっ!おまえ、おも・・・・・・」

「それ以上言ったらあなたの首を弾き飛ばすわよ」

「病人とは思えんな!おまえは!」

 隼斗は「まー大丈夫だから、安心して乗ってろ」と言うので、それを信じてみる。

 しかし、こうやってたわいもないやり取りをしていると心が温まる。胸苦しいのもあるが、温かさの方が圧倒的に勝っている。

 隼斗の背中にしがみつき、揺らされていると、揺りかごの中にいるような気分になり、次第に眠くなってくる。

 そして──

「・・・・・・すー・・・・・・すー・・・・・・」

「・・・・・・はぁー、ったく、背中で寝られると男の理性保つので精一杯になるんだけどなー。困るやつだ」

 そんな呟きを、眠っている夜空が聞き取れるはすがなかった。



 ○○○



 「おーい、夜空さーん。朝ですよー」

「・・・・・・んー・・・・・・はっ。あら、隼斗。どうして私の部屋にいるのかしら?寝込みを襲うなんて理性を保てなくなったのかしら?」

「それはさっき俺の背中で寝てる時に言ってくれる!?」

「え・・・・・・」

 夜空は何を言っているのかわからないとでも言いたげな表情をしている。

「詳しく」

 威圧感が半端ない。その一言だけで俺は屈する。

 手短に説明すると、夜空の頬が赤くなったように見えた。ま、気のせいだろうけど。

「ほれ、少しは調子よくなったと思うけど一応熱計っとけ」

「ええ。・・・・・・早く後ろを見たらどうなのかしら?」

 さっきの紅潮から一変、完全に犯罪者を見るような目をしている。

「わかったわかった!わかったからそんな人を重罪人を見るような目で見ないで!」

 心の嘆きをありのままに叫びながら俺は夜空に背を向ける。

 衣擦れの音が、俺の理性を抉ってくる。それに耐えるように俺は唾を何度も何度も飲み込んだ。

 それより・・・・・・

「ちょ、ちょっと夜空さーん・・・・・・体温計ってるんですよねぇー・・・・・・?」

「そうよ。それがどうかしたの?」

「何で服脱ぐ音聞こえるんだよ!おかしいだろ!」

「あら、そうかしら?私の家では体温を計る時には必ず上の服と下着は必ず脱いでたわよ?」

「おまえの家庭事情なんて聞いてねーよ!外で待ってるぞ!」

 さすがに自分の後ろで女の子が上半身裸でいると想像すると、とてもとても。一般的な男子高校生なら理性を保てるわけがない。

 決壊する前に俺は扉を荒く閉め、窓際の壁に寄っかかる。

「ほんと、頼むぜ夜空さん・・・・・・」

 さっきの音を思い出す。──思い出してしまう。それだけで赤面してしまう。

「だぁー!忘れろ忘れろ!心頭滅却!」

 その場に座禅を組むが、一分もしないうちに足が痺れてギブアップ。

「てか、体温計るだけなのに何で一人にしなきゃいけねーんだよ・・・・・・」

 十六年生きてきたが、そんなこと一度も聞いたことがない。さっき聞いたのはノーカウントということで。


 「いいわよ」

 中からこもった声でOKコールが出たので恐る恐る扉を開けて覗いてみる。

 すると、目の前には

「へぇー、そんな風にして覗きをしてるのね・・・・・・一つ勉強になったわ」

「ちげーよ!てか、熱は?」

「微熱よ。大した事はないわ」

「そか、それなら安心した。もう部屋に戻るけど何かあったら壁叩いてくれれば文句を垂らしながら駆けつけてやるからよ」

「その行為は不要よ。私の方から出向くのは有り得るかもしれないけど」

「・・・・・・はい?」

 予想外の言葉に俺は呆気にとられる。

 夜空から。あの夜空が、私の方から出向く?そんなこと言う彼女を俺は初めて見た。

 それ以前に、今日の夜空は何だか様子がおかしい。熱の影響もあるのだろうが、それでも違和感を覚える。

「んじゃ」

 とりあえず別れの言葉を告げて俺は自室に戻る。

 時刻は昼過ぎ。そろそろ腹が減ってくる時間だ。

 昼ご飯を作ってあげた方がよかったか?まー何かあったら勝手にくるから心配する必要はないか。それにあの夜空だ。昼ご飯を作るくらい朝飯前だろう。

「失礼するわよ」

 勝手に決めつけていたため、予想外の訪問に俺は扉の前に立つ少女を見つめたまま立ち尽くしていた。

「お昼ご飯頂いてもいいかしら?」

 口調はいつもの夜空だ。だが、この行動は明らかに異常だ。

「おまえ、やっぱりまだ熱あるんじゃねーか?」

「あら、どうしてかしら?」

「だってよ、おまえがこんな風に接するなんて有り得ねーんだもん」

 言った瞬間、俺はとんでもないことを口走っていることに気づいた。が、それはもう手遅れだ。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 重たい空気が一気にこの場を支配する。どうにかせねば。俺がこの空気を作り出してしまったんだ。何か、何か何か何か何か何か──

「──私、あなたが欲しいの」

 遂に俺は手に持っていた食パンの袋を落としてしまった。

 ちなみに、自宅で昼を食べる場合は基本的に食パンを食べている。現実世界での癖は抜けず、奇跡的にこちらの世界にもあったので、有難く頂戴している。

 そんなことはさて置き、今は目の前にある問題を何とかせねば。

「・・・・・・俺が・・・・・・欲しい?」

 訳が分からない。何故俺を欲する?意味は無いはずだ。確認してみる。

「お、俺を貰ったところで、な、何をするんだよ」

 声をガクガクと震わせながら懸命に言葉を繋ぐ。

「そうねー・・・・・・わからないわ。ただ、あなたの存在そのものを私のモノにしたいの」

「その考えは強欲すぎる!」

 そう言った途端、夜空の表情が紅潮したものから熱気を失い、冷気が漂ってきそうなほど冷たいものになった。

「強欲・・・・・・そう、私は強欲なの・・・・・・」

「本当にどうした!?今日のおまえはおかしすぎるぞ!?」

 俺が言い放って数秒経ってから、夜空は前のめりになったかと思うと派手に倒れた。

「なっ、おい!大丈夫かよ!?」

 全く、どんだけ世話焼かせれば気が済むんだよ。とりあえず、部屋のベッドに寝かせておけば何とかなるか……。

 本日二度目になる夜空をおんぶ。それなりに重量はあるが、気になるほどではない。さっきのはちょっとしたイタズラだ。

 手っ取り早く夜空の部屋に連れていき、ベッドに寝かせてからその寝顔を見る。汗をたくさんかいていた。

 無言で洗面所でタオルを取り、水で濡らしてから汗を拭き取る。

 それにしても、息苦しそうにしている。目覚めるまでここにいるべきか放っておくべきか・・・・・・。後者に決まっている。

 学習机と思わしきものの前にある椅子を持ってきてベッドの傍に静かに置いて静かに座る。

「おっと、そうだ。洗面器に水汲んできとかねーとな」

 再び洗面所に足を向け、目的のものを持ってきてからまた静かに腰掛ける。

 まだ半日ほどしか経っていない今日を振り返る。

「──今日自体がおかしい」

 アリオスが俺にキレて、リリが後をつけてくる。それから職員室での先生とのやり取り。そして決め手は──。

「夜空。おまえの身に、何があったんだよ」

 苦しそうに眠る少女の顔を見つめる。また額やらに雫を大量に浮かび上がり、キラキラと反射している。

 それを丁寧に拭き取ると、さっきよりかはいい顔になっていた。

「・・・・・・考えるのは後回しだ。とりあえず起きるまで何か・・・・・・本でも借りて読んでおくか。っと、その前に、昼ご飯食べておこ」

 一度自室に戻り、作るのを簡単なものに決めて、三分ほどで完成させる。

 夜空の部屋に戻り、食事を済ませると、とても退屈になった。

 部屋を見渡し、本棚を見つける。

 学習机の隣にある本棚。その中の一冊を手に取り、開いてみる。

 その本の世界観は俺を魅了した。

 あっという間に、その世界に飲み込まれていた。

 

 ──夜空が息苦しそうにしているのに気づけないほどに。

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