第5話

 幾田すすむ。その名前を聞いたのは子供の頃、『彼』の口からだった。

「くしはすすむに似てるな」

 すすむ? 聞きなれぬ名前に私は眉を潜めた。

「うん。幾田すすむ。妹の友達。よく三人で遊ぶんだ。人の話をよく聞く奴で、なんだか居心地が良い。くしもあいつによく似てる。同じ感じだ」

 居心地が良い。その抽象的な表現はいまいちピンと来なかったが、褒められているのだけは分ったのでなんだか悪い気はしなかった。

「長く一緒にいれば良いって言うものでもないからな。俺の事をどれだけ知ってたって、それが仲良いという事にはならないし。一緒にいて居心地が良い奴が俺の友達選定基準だ」

 彼は難しい言葉や言い回しをよくする。意味を全て理解していたわけではなかったけれど、言いたいことは何となく当時の私でも分かった。

 私にとって彼はパズルのピースを合わせるみたいに、パチパチと心にはまり込む、そんな存在だったのだ。


 私は彼の事を何も知らない。幾田すすむがどんな人かも知らなかった。

 まさか十数年後、こうして客と店員と言う立場で身の上話を聞くことになるなんて思いもよらなかった。

 そっと、扉の向こうに目を向ける。なんだか今にも『彼』が店の扉を開いて入って来そうな、そんな予感がするのだ。

 まだほんの少しだけ肌寒い空の下、身をちぢ込ませながらも妹のアルバイト先はどこかと目を細めながら見わたしている。そして見つけた見慣れないカフェ。おっと思い、小走りで彼は扉に近づいていく。そして何のためらいもなくそれを開くのだ。

 チリンチリンと聞きなれた鈴の音が店内に鳴り響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る