第2話

 彼女と初めて会ったのは高校の頃。

 僕らは同じ高校の同級生で、でもそれほど関わりもなくて。

 直接話したのはある昼休み、人気のない体育館裏に呼び出されて、三、四人の女子に囲まれ、彼女から告白をされた時が最初だと思う。

 話したこともない相手に告白する神経が甚だ理解できず、でもその時はなんだか断れない雰囲気で。

 僕はその話を一度持ち帰って、後日きっぱりと断った。

 気まずくなるかと思われたが、意外なことにそれを機に彼女とはよく話すようになった。彼女は多分まだ僕の事が好きだったし、僕も、内心勿体なかったかなと言う考えがないわけじゃなかった。ただ、その付き合いも高校限りで、卒業後はぱったりと会わなくなった。

 再会したのは社会人になってから。ばったり帰宅途中に街中で会い、積もる話もあるからと一緒にお酒を飲み、案の定そのまま夜を共にした。付き合う云々の話は出さず、でも時折会うようにはなり、今もこうして会っている。

 多分そういった話はお互い意識的に避けている気がした。

 世の中にはこう言う関係をセックスフレンドと呼ぶのかもしれない。でも、そう呼べるほど淡白な関係ではなかった。少なくとも、僕の中ではそうだった。

 何となくって言うのは自分の中で一番避けたい状態だったが、とは言え別に不満があるわけでもない。この関係性をどう呼ぶのか、その話題を避けているのは、答えを出してしまうと崩れてしまうような気がお互いしていたからだろう。

 朝食を食べ終え、台所で洗い物をしていると、背後からアコースティックギターの音が聞こえてきた。ジャカジャカうるさいわけでなく、静かに弦を爪弾く音が水のようにすっと鼓膜から体に浸透していく。

 彼女が部屋で演奏して近所から苦情が来た事はなかった。大学時代から始めて今も続けているらしく、スタジオ終わりの時はこうしてギターを持って我が家に来る。

 家にあるCDも随分と見慣れない物が並んだ。ほとんど彼女の趣味だ。よく分からない物も多いが、たまにおっと思える物も混ざっている。こう言うのは一体どこから見つけるのだろう。僕にはさっぱりだった。

 一通り食べたものを片付け終える。まだ時刻は九時だった。平日の朝九時。通勤するサラリーマンの姿もぼちぼち減ってくる頃合いだ。

「ごめんね、片付けしてもらって」

 飯を作ってもらったのだ。それくらいはする。

「ふふ、ありがと」

 高校の頃は地味な女子と言う印象が強かったけれど、こうしてみると細かい気配りをよくしてくれている良い娘だと思う。

 部屋着から外出用の服に着替えると、彼女もようやく身だしなみを整えだした。狭い部屋だが、彼女の服のストックは何着かある。

 女性の外出準備と言うと時間がかかる印象があるが、彼女の場合はすぐだ。薄く化粧をして、それで終了。飾らないのはバンド気質だからだろうか、と考えて全く関係ないなと勝手に完結して頷く。

 

 家を出ると肌寒い空気が服の隙間から潜り込んできて、一瞬体が強張った。見わたした空は明るく、雲も少ない。晴天だ。

 鍵をかけた彼女が自然と僕の横に並ぶ。嬉しそうに顔を綻ばせていた。楽しそうで何よりだ。釣られて笑みが浮かぶ。

 目的地を決めずとも、何となく歩はすすむ。二人ともこの街で生まれて育った。近隣には中学や小学校がいくつかある。僕らの母校はそれぞれ別々だけれど、見た景色は一緒で、共通する部分も多い。

「こうしてこの辺をじっくり歩くの久々だね」

 そう言えばもう随分と長い間、この辺りの風景には目を向けていない。

 僕の家は駅の近郊にあり、実家はそこからもう少し歩いた場所にある。「どうしてわざわざ実家と同じ街で一人暮らしなんか」とよく言われるが、年齢的にそろそろ自立したかったと言うのが理由だ。

 僕らは駅から真っ直ぐ伸びる大通りに沿って、駅とは反対方向に歩いた。途中に派生している小道へ入ると、むかし通学路にしていた場所へと出る。

 寂れた商店街、すぐに店が変わるテナント、木曜日になるとお好み焼きの屋台が出るスーパー。屋台のおじさん、元気にしているだろうか。美味しかったけれど、いつしかとんと見なくなった。

「あの駄菓子屋さん、潰れちゃったんだねぇ」

 店主だったおばあさんが僕が中学に入ってすぐの頃、亡くなった。しばらくは息子が店を継いでいたみたいだが、お菓子の種類も少なくなり、いつの間にか潰れてしまった。

「へぇ、詳しいね」

 通学路で何年も通っていたのだ。詳しくて当たり前だ。

「私も一応この辺りは地元なんだけどなぁ」

 なんだか悔しいなぁと彼女は呟く。

 

 駄菓子屋のある大通りをずっと真っ直ぐ歩くと、マンションが連なる団地が見えてくる。団地の前には道があり、そこは桜の並木道になっている。道の端の小さな小川には、今も緩やかに水が流れていた。

 僕らは小川を逆流するように歩く。よく葉っぱを千切って船にして流し、友達と競争した。

「いいなぁ、私もそう言うのやりたかったな」

 微妙に生活圏が違った彼女は、そう言うのをやった事がないらしい。勿体ないなと素直に思う。

 並木道を抜けると、道が緩やかな登り坂になっている。そのままずっと行くと山の方へ出る。

「あ、ここの公園」

 不意に彼女が足を止めた。

「ちょっと前に、みやこちゃんと会ったんだよ。いまこっちに帰ってきてるって」

 みやこ。

 その名前を聞いて妙に心がざわついた。

「確かすすむ、みやこちゃんと仲良かったよね?」

 櫻井みやことは旧友だ。腐れ縁と言っても良いかもしれない。

 幼稚園、小、中、高とずっとクラスが一緒だった。彼女とうちの実家は近所で、よく一緒に帰っていた。

 彼女は軽音楽部で、よくヘッドホンをして登校していた。長い髪はいつも空気に溶け込んだように透明で、透き通っていた。物憂げな目で何か人には見えないものを視ている、そんな印象を与えてくる奴だった。誰も寄せ付けない雰囲気だったが、実は割と話しやすく聞き上手な人間だった。

 うちにあるCDの何枚かは高校時代に彼女から借りたものだ。

「会ったりとかしないの?」

 仲は悪くない。付き合いも長い。でもわざわざ連絡を取り合って会うような間柄じゃない。

「へぇ、そうなんだ」

 彼女はなんだか納得のいかない様子だ。

「すすむ、ずっとみやこちゃんの事が好きなんだと思ってたから。気付いてないかもしれないけど、みやこちゃんと話してるときいつも柔らかい表情してたよ」

 それは勘繰りすぎだ。

「そうかな」

 すこしつんとした表情で、彼女は僕の数歩前を歩きだす。何となく横に並ぶ事が躊躇われてそのまま背中についていく形になった。

 少しずつ街の景色に緑が混ざり始めた辺りで彼女は足を止めた。何となく、僕も歩くのをやめる。

「こんなところにカフェがあるよ」

 店先に出された手書きの黒板がメニューボードになっていて、ようやくここがカフェだと認知できる、そんなひっそりとした店だった。窓から見える内装は洒落ており、なるほど、女子が喜びそうだなんて考える。

「ね、入ってみようよ」

昼食にはまだ少し早い時間帯だと思うより先に彼女は扉に手をかけていた。男一人だとこう言うカフェは足を踏み入れ辛い。こう言う時、女子の行動力はすごいと感心してしまう。

 扉を開くと鈴の音と共に暖房に温められた空気が肌を包み込んだ。ピアノのしっとりした曲が耳に入る。

 店内を見て最初に抱いたのは違和感だった。どうしてだろうと考えて答えに行き着く。店内の敷地の割に席の数が少ないのだ。

「いらっしゃいませ。おはようございます」

 立っていると店のカウンターから店員が姿を現した。ジーンズとシャツと言う動きやすい服装の上から黒いエプロンをしている。胸元に手書きらしい名札がされており、そこに『さくらい』と特徴的な癖字で書かれていて何気なく顔を見た。

「あっ……」

 驚いたように店員の櫻井みやこが目を見開いた。

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