第7話

「ありがとうございました」

「美味しかったわ。ありがとう」


 頭を下げる牧原の向こう側、最後の客が店を出たのを確認して私はタバコに火をつけた。店内が再び二人きりになり、どっと疲れが押し寄せる。牧原も、さすがに疲れたのか私の隣に座った。


「一時はどうなるかと思っちゃいました」


 牧原は苦笑し、そして改まった調子で私に頭を下げる。


「みやこさんごめんなさい。せっかくお客さんとして来てもらったのに」


 こう言う時は謝罪の言葉よりお礼のほうが嬉しいんだけどなぁ。思っただけのつもりだったがつい声に出していたみたいで、牧原は「じゃあ、ありがとう」と訂正した。


「でもみやこさんすごかったです。前はどこかのレストランで修行でもしてたんですか?」


 目をキラキラさせる牧原の様子に思わず噴き出した。前職は販売員です。ピザを伸ばしていたのは学生の頃にやっていたアルバイトだけで、四年間続けていたが修行なんてたいそうなものでもない。


「じゃあアルバイトでこれだけ出来るように? すごい……」


 感心する彼女を見てかなり心配になる。


『すごい……』ではない。


 店を経営する上で、今日の様に一気に客が入ることなど今後度々あるだろう。ないほうがおかしい。飲食業や接客業は何が起こるかわからない。全く読めない事が起こりうる職種だ。にもかかわらずこの体たらく。今後一体どうやって、やっていくつもりだったのか。


「ええ、それは私も思っています。だから誰か雇おうと思ってアルバイトを募集してるんだけど、ほら、このお店お客さんが少ないでしょう? 人件費が厳しいのはもちろんなんだけど、外の求人に気付いてくれる人もいなくて」


 牧原は店の入り口の方を指差す。確かに、窓になにやら張り紙がされていた。外に向かって張られているため、店内からだと何が書かれているのかは分からない。あれが求人なのだろう。少なくとも私は全く気付かなかった。

 何気なく内容の分からない求人広告を眺めていると、いつの間にか牧原がすぐ傍に立っていた。


「みやこさん」


 手を、握られる。次に飛び出す言葉が容易に予測できた。

 よかったらうちで働いてください、だ。


「なんで分かったんですか?」


 分からない奴などいないだろう。この流れで。

 浮かない顔の私を見て、やっぱりダメかと牧原は諦めの色を浮かべる。

 なんだか私はそれがおかしくて笑ってしまった。

 もう答えは出ている。人と関わる事を希薄に感じてしまっていた私が不覚にも今、少し楽しいと感じている。理由なんてそれだけで十分だ。

 何か選択を迫られた時、大抵はもう自分の中で答えは出ているものじゃないかな。


 変わるものと、変わらないもの、か。


 今日は久々に、昔の手記の続きでも書こうかと思った。

 新しいノートと、ボールペンで。

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