第12話 決戦
その駅では誰も人が下りなかった。いや、一人男がいたくらいか。閑散とした駅には人気がなく、私は一人でバスに乗り込んだ。華子を殺して、呪いを解くんだ。呪いの解き方は華子に聞いていた。夜に、藁人形を打ち付けた杉に人形を取りに行って、一言謝るのだ。ごめんなさい、と。そうすれば恐ろしいことが起こるかわりに命は助かると華子は言っていた。私にはもう恐ろしいことなんてなかったから、平気だった。もう何が起きてもいい。バスには誰の姿もない。夜のしじまにバスのブレーキ音だけが響く。猫でも飛び出してきたのだろうか。バスが小刻みに揺れる。
あたりは人家の細い灯りだけが浮いて見えた。もう夕飯の時間であろう。
バスの運転手は何も言わずに薄暗い神社前で私を下した。私は料金を払い、杉の木が屹立する神社の奥の院に向かった。神社は不気味な程静まり返っている。何の音もない。人の気配がない。華子のお父さんもお母さんも、今頃は車で山を下りて麓の家にいると思わされた程の、静寂。
杉の木の下に行こう。そこで、華子は私を待っているはず。私はゆったりした足取りで、本殿裏の奥の院にたどり着いた。あたりの杉の木が風で揺れる。どの杉の木にもお札が貼ってある。私は妙な高揚感と恐怖感に襲われながら、奥の院の一番背の高い杉の木に駆けだした。そこに、華子がいる。華子がいる。華子が待っている。
あれ?
私は驚いて目をこすった。確かに背の高い杉の木の下に、女がいる。白いワンピースを纏った、髪の長い女が。だけれどその髪の色は白髪で、腰まで波打っていた。
あれは、華子じゃない。
あれは、
彩香――?
彩香はにっこりしながら、私の方へと振り向いた。
「久しぶりじゃん。美佳。元気い?」
◆
「妊娠したみたいなの」
あの日、七夕の夕暮れを前に、校舎裏で彩香は私に告白した。私は驚いて言葉もなかった。もはや友であるとさえ言えない私に、彩香は包み隠さず述べた。好きな男とそういう関係になり、子供を身ごもってしまったこと。だけれど男の方は身ごもるなり父親は俺じゃないと冷たくつっぱねたこと。その男は別に愛する女がいるということも、全部述べた。
「手術するしかないの。だから、お金貸してくれない?」
私は困った。もう彩香の子は三か月になっているらしく、手術にもお金がかさんだ。事情は誰にも話す気がないという彩香のことを、語らずして母にお金を無心するのもためらわれた。それにうちの家だって裕福じゃない。家賃だって払うのにやっとの時があるくらい。私も困惑しながら告白したけれど、彩香はしきりに金を求めた。
相手に出してもらえない?
私が問うても彩香の返事ははかばかしくなかった。相手も学生なの、という彩香。
「それって誰? 」
私が再度問うと、彩香は言えないの一点張りだった。
言わないんではなく、言えない。
私は杉の木の下で彩香を見て初めて気が付いた。
あれは、太一の子だったんだ――。
「もう、私も大変だったんだから」
と、杉の木が香る薄闇にて、彩香は告げた。
「あんたがお金貸してくれないせいで、大変な思いしておろしたんだよ。太一に言ってもお金ない、俺じゃないってずっと言い放っててさ。もう、散々だったよ」
散々だったのは私だよ、彩香――。今までの恨みと憎悪を込めて、怒鳴りつけたいのに。いざとなると言葉がまとまらない。
「どういうこと?」
混乱しそうな頭で、私はなんとか言葉を組み立てた。どうしてここにあんたがいるの? ということを並べて声に発した。彩香の返答は素早かった。
「あの日、あんたを殺そうとしたのはあたしなの。あたし、あんたらの話を屋上で盗み聞いて、杉の木に名前を書いた藁人形打ち付けると名の主が死ぬって知っていたから。やろうとしたの。学校帰りにバスに乗って、ここまで来て。
そうして杉の木にあんたの名を書いた人形を打ち付けていたら、なんと、見られちゃったじゃない。あの根暗の華子さんにね」
華子、あんたは裏切ったんじゃなかったんだね――。私の胸に恐怖と後悔がよどむ。
「華子は偉かったよ。髪を振り乱して美佳死ね、美佳死ねって叫ぶ私に向かってきたんだ。やめろって叫びながらさ。呪いが自分にも飛び散ることを恐れずにさあ。馬鹿だよねえ。ほんっと、あんたの友情ごっこにはほとほと呆れるわ」
私はもはや言葉もなく、彩香をただただ眺めていた。次第に恐怖も薄れていった。
「で、結果はご存知の通り。呪いは失敗してあんたの周りに飛び散り、あんたの家族は殺したけれどあんたは殺せなかった。華子は飛び散った呪いを受けて瀕死。まあ、最終的には死んだけれどね」
ふふふと、彩香がほくそ笑む。
「私は呪いが失敗してもずっと、あんたを呪い続けた。美佳死ねって台詞、何度言ったか忘れたくらい。たぶん、千回、いや一万回は言ったかなあ。ブログもたくさん覗いてあげていたの、気づいた? 今日も見たら、あんたブログ書いていたから、嬉しくて会いに来ちゃったの」
もはやこの女は壊れていると、私は直感した。壊れた彩香はなおもいびつに歪んだ笑みを顔にのせて、裂けたまなじりで私を睨んだ。
「あんたのせいであたしの人生は台無しよ。この、人殺し」
「人殺しはあんたよ」
鞄からハサミを取り出す彩香への恐怖も薄れ、私は叫んでいた。もはや恐怖というよりは憎悪が私に深く歪んでいた。こいつのせいで、こいつのせいで何もかもが。
「私、絶対にあんたを許さない……!!」
私がぎりと唇をかむと、彩香は声高く笑った。
「別にいいし。もうすぐ死ぬあんたになんて、許されなくて構わないし」
彼女はそのまま、ナイフみたいに鋭いハサミを持ってこちらへ駆けだしてきた。私はかろうじて避けて、彩香の背を拳で殴った。細い背をした彩香がよろめく。だけれど次には血走った眼で、また私を射た。再び向かってくる。
今度はよけきれない――。彩香の鋭いハサミが私の顔をよぎらんとした。ぎりぎりでよける。けれど次には私の腹を彩香が蹴り上げた。痛い、だけれどこの女だけは、許す訳にはいかない――!!
私が立ち上がった時、鋭い痛みが腹を刺した。かわせなかった。彩香のハサミが私の腹をぐいぐい刺し抜こうとする。
「今度こそ、死ねえええええ」
うぐ……
私が生を諦めんとした、その時。
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