第6話 神社にて


 華子の家の神社は市内でも有名な山岳地帯の一角にあって、新緑ざわめく深山の中腹にあった。バスが出ているけれど、歩いても本殿までなら二十分くらいで着く。岩ばかりの山道を登っていくと、やがて視界が開け、森に囲まれた不可思議な鳥居が見えた。その鳥居は真っ黒だった。まるで焼け焦げたみたいな。

「……火事にでもあったの?」

 私が訊いてみると、赤いワンピース姿の華子がまさかと否定する。

その訳は歩きながら話してくれた。

「この鳥居は八百年前から伝わる色に染めてあるの。何でも、昔の源氏物語絵巻で出てくる、六条の御息所がおわした場所に建つ神社と同じ色なんだって」

「六条の、みやすどころ?」

「うん。その御方は美しくて聡明だったんだけど」

 華子が私を先導しながら、どんどん本殿の方角に連れていく。

「そうだったんだけど、光源氏という名うてのプレイボーイに引っかかって、嫉妬にくるって魍魎になってしまうの」

「魍魎?」

「化け物ってことね」

 華子は博識だ。私なんかよりずっと。それに綺麗だし。なんだかそう思うと嬉しくなった。こういう子が友達でも楽しいかも。

「ほら、あれ見える?」

「どれ?」

 華子が指さす方向に、厳めしい本殿があり、その裏手に背の高い杉の木が一本聳えているのが分かった。ここからでは本殿があって全部は見通せないけれど、随分背の高い杉の木もあるんだと私は感心する。

「きっと、人の怨念で育ったんだね」

「きっと、そうね」

 それから二人で柏手をうち、本殿にて祈った。華子は何を祈るんだろう。そればかり気になって、私はさしたる願いごとをしなかった。せめて彩香の言うように苦労知らずで人生過ごせるようにしてくださいと祈るべきであったか、それは今となっては分からない。

ご神体は鏡だった。黒ずんだ鏡。鏡は己を映すもの。己の中に神もいる、それを常に高めていかなければならぬ、そう華子は教えられたと語った。お父さんから。私はふと先日の話を思い出した。広い境内に誰もいないのを確認して、語る。

「ねえ、華子」

「うん?」

「あの話って、結局どうなったの。あの、お母さんの話」

「あ、うん。話すけれどちょっと待って」

 華子が唇に指を押し当て、静かに、といった風にする。私は一瞬あっけにとられて、静まり返る境内にて耳を澄ます。

 カン、カン、カン。

何かが杉の木を穿っている。

 カン、カン、カン。

 何かがひたすらに杉の木を穿っている。もしかして、それは、丑の刻参りなの?

 私がぞっとして華子を見やると、華子は笑っていた。口の端をつり上げて、頬をえぐるように。楽しそうであった。これでこの子が本当はいい子だということを、メダカに餌を忘れずにやるような子だということを思い出せなければ、私は絶叫して逃げていったかもわからない。

「あ、大丈夫。きつつきだった」

「きつつき?」

「うん、ここ山深いからよく出るんだ」

 私は華子の言葉に安堵して微笑んだ。華子も笑顔で顎をひく。

「それでね、あの後お母さんは追いかけてこなかった。次の日の朝には家に戻っていて、怒るどころか何事もなかったかのように焼きたてのパンを朝食に出してくれた。いつもの優しい、穏やかなお母さんだった。だけれどね」

 華子が瞑目し、告げる。

「惨事はそれからだったの」

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