第3話 怖い、話
呪いとは体力を使うからね。
私が昨日ベッドで制服で寝込んだことを話したら、華子は爆笑していた。おなかをおさえて、初心者だねーなんてこらえきれぬ様子でこぼした。
「でも、どう? いい気持じゃない? お望み通り、心臓麻痺にしたから結構苦しんだと思うよ」
「そりゃあよかった」
昼下がりの屋上には誰もいない。上を見上げれば抜けるような晴天。私は日の光を浴びて、その影を華子は宿して、私たちはジュースのへりをかちあわせた。そうするしかなかった。
やばいことに巻き込まれた。何か、壮絶なものに。
私は恐怖に苛まれ、さらにはもう一つの感情に支配されていた。恐怖は、この女に逆らったら殺される、という気持ちから発され、そしてもう一つは、征服欲からだった。この世の気に喰わぬ者はすべて抹殺出来る。この女を、うまく使えば。自分がこの狭い世界を牛耳れる気がした。
「美佳ちゃん?」
黙りこくる私の隣に座る、華子が不思議そうに問うた。
「……私のこと、気味わるく思ったの?」
「いや、逆に興味が。どうやったら殺せるのかなあって」
私がちゅーとカルピスを口へと吸い込む。華子が美しく笑んだ。
「夜中に、人形を神社奥の院の一番背の高い杉の木に打ち込むの。力をこめて、名の書かれた人形に、思い切り釘をね」
「それって、やっぱり駄目だったとか、いいいですってキャンセルを許してもらうことは出来ないの?」
「出来るよ。その時はね」
華子はこの手の話になると喜々として語りだす。その瞳は呪われた蛇よりは懐いてくる子犬のようで、なんだか可愛らしかった。
「……うちんちね」
それに一瞬気をとられて、私はつい口を滑らせてしまった。あ、やっちゃった。滑らせたらもうスキーみたいに山道を下っていくしかない。もう、どうにでもなれ。私は覚悟をほんのり決めて語りだした。
「早くにお父さんが死んで、お母さんしかいなくて、お母さんも仕事とデートでいつもいなくて、いつもいつもさみしかったの。だから、男とばかり遊んでいた。もしかしたら死んだお父さんが恋しかったのかもしれない。そしたら、何も知らない奴らにあいつはちゃらい、すけべなんて笑われて。教師にまで。もういやだった。疲れていたの。だから」
あんたには感謝してる。
思わず本音を漏らしてしまって、私は恥ずかしくなって顔を赤らめた。何言ってるんだ、私、こんな女に。だけれど、華子はまるで神様みたいだったから。呪われた真っ黒に錆びた鏡みたいな。まるでご神体だった。神社の神様の前では正直になってしまうんだ。きっとそうだ。
「あーそうか、やっぱり」
華子はちっとも意外そうじゃなく、頷いた。
「美佳ちゃんってすっごく綺麗でさ、入学式の時からいいなあ、素敵だなあって思っていたの。こんな子と友達に、いや知り合いになれたらいいなあって思ってた。だけどどこか寂しそうに笑うから、それも気になっていたんだよね。影があるとは言わないし、それは私だけどさ、光のように輝きながら、どこか月みたいに冷たさがあって、そこも素敵だと思ってはいたんだ」
華子は私に告白しているんだろうか? やめてよ、と言いたい。いや、この真面目な顔に逆らってはいけない。逆らったら最後、殺されるか誰のことも殺せなくなる。だから私、黙っていた。華子はその沈黙を快く受け止めながら、トマトジュースを飲んで、私をちらと一瞥した。
「私んちもなの」
「そうなの? 」
華子の告白に、私は目を丸くする。華子の性格や呪いや纏う深い影から、複雑な家庭なのかとは思っていたけれど。どういうことなのだろう。
「私んち、お父さんとお母さんの仲が悪くて。お父さんもお母さんもほら、血統書つきだからさ」
名家の出なのだろうとは、簡単に察しがついた。
「どっちもお坊ちゃんお嬢さんできて、姉が生まれて私が生まれて、だけれどその頃には溝が出来ていたの。深い、マリアナ海溝みたいに深い溝がね」
ああ、その深い海溝みたいに光の届かぬ場所に、華子はいたんだね。
私が初めて呼び捨てで呼ぶと、華子が微笑んだ。くすぐったそうに。それはとても綺麗で、はかなげで素敵だった。
「ある日からお母さん、夜に遊びに出ていくようになっちゃった。毎晩深夜になると出ていくようになっちゃって。一人でふらふらどこかに行くのね。二時間くらい経つと戻ってきてね。もう私も姉も年頃だったから、それがすごく厭で。ある日、止めにいこうって姉に提案して、こっそりついていってみたの。お母さんの後を」
なんだろう、私はすごく厭な予感がした。なんだか見えない腕に首を絞められているみたい。息苦しい。まるで見えない誰かがここにいて私を恨んでいるみたい。これは波香かな。そう思うだけでぞっとした。
「そうしたらお母さん、一人で真っ白なワンピースを纏って、深夜の森に行くの。私たち、足音を消してついていってみたんだ。そうしたらね、一番森で背の高い杉の木の前に立って、人形に釘を打ち始めて」
私は思わず首に手をあてた。誰かがやっぱりいるんじゃないかな。ねえ、もうやめようよ。そう言いたくとも唇は動かなかった。凍らされたかのように静止していた。構わず華子が語り続ける。
「私たちは、黙ってそれを見つめていた。今も覚えているわ。何かを叫びまわりながら、お母さんの白いワンピースが闇の中に揺れて。それはあの優しいお母さんのワンピースではなくて、何か別の命ある生き物みたいだった。私も姉も、黙って踵を返した。こっそり寝床に戻ろうとした。だけど、そこで姉は木の枝を踏んでしまった」
私の喉は乾いて、ますます息苦しくなる。
「その刹那、お母さんはこっちをちらと見て、そのまま静かになった。わかったのね、私たちが見てしまったことを。丑の刻参りは誰かに見つかったらその誰かを殺さねばならない。そうでないと自分が殺されるから。恨みの念でね。お母さんは次には息を思い切り吸い込んで、叫んだわ。見たなああああって」
「見たなああああああ」
「きゃああああ」
耳元で叫ばれた見たなあああに絶叫してしまったのは私だった。華子が驚いた瞳で私の背後を見つめる。え、誰かいるの。やっぱり。
「おうい、二人とも、もう授業だよん」
そこには太一と、彩香が立っていた。私たちは話に夢中になるあまり、授業の時間も忘れて話し込んでいたらしい。それを二人は見かねて屋上まで声がけに来てくれたのだろう。聞かれたかしら。不安に思っていると、太一が。
「なんか怖い話してたね。何の話?」
と華子の眼を見て尋ねた。華子は真っ赤になって首を振る。ああ、やっぱり華子から見ても太一はイケメンなのか。なんとはなしに微笑ましい。二人は歩くのが遅いので、私と彩香が先導するような形で歩き出す。二人は私たちの後ろで楽しそうに何か話している。案外太一、オカルト好きだよね、彩香に話を振ろうとすると。彩香が。
「ほんっと、太一って女なら誰でもいいんだねえ」
珍しく、ほんのりと怒りを滲ませて言い放った。そこには何か、怒りよりも深いものが感じられない訳ではなかった。その名を私は思い出せなかった。憎悪とも違う。何か複雑な感情が、彩香からくみ取れる。何か、二人にあったのだろうか。彩香の形相に、私は何も言えなかった。
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